2話
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「よ~う~っ!!」
僕の名を呼ぶ般若には気付かないふりをして教室を出ようとするが、あえなく僕の右腕は捕まれ、体の自由が失われた。
二人きりの教室で、閉じられたドアに押さえつけられた男と、覆い被さる男。向かい合う2人に訪れる沈黙。
「石松、やめろよこんなこと。お前のことは世界で1番大事だけど、こんな所で無理やりなんて…」
「ちっがーう!!!」
レイプ未遂の濡れ衣を着せられた石松は、顔を青くして僕の拘束を解いた。
「~お前は!いつも!笑えねぇ冗談ばっか言いやがって」
「なんだ、ブラックジョークだろ?もっとユーモアを持てよ」
「ああ、お前がその要らんユーモアを捨てたらユーモアだろうがサモアだろうが持ってやるよ!」
「わあ、一国の党首になるの?そうしたら僕が働かなくても一生暮らしていけるくらいの援助をくれる?」
飄々と軽口を言う僕に辟易し、おそらく日本海溝よりも深くため息をつく石松。
「それで、本題は?」
わかり切ったことを確認しようとする僕を、石松は心底恨みがまし気に見返す。
「ふん、白々しいことこの上ない」
「うわぁ、そういう妙に凝った言い回しするからモテないんだよ石松」
そう、石松はモテないと言うと語弊があるかもしれないが、極度の潔癖症且つ硬派なのだ。
そうとは見えない艶めかしさに、同級生達は、憧憬は抱くものの実際に彼氏にしたいとは思えない、という微妙な感情を持っている。若干同情する。
「うっ。でも、あんな思いをするくらいならモテない方がいい」
しかし、僕らより随分年上の教師達からすると違うようで、一昨日、噂の隣のクラスの担任の女に襲われかけていた。
恐怖で動けなくなっている石松を組み敷き、自らの服を脱ぎ1人で乱れている彼女は、若手教師らしい初々しさなどみじんもなく、ただただ醜悪で淫靡だった。
「石松はモテるっていうより人間催淫剤だから。ご愁傷さま」
「苛つくけど、何も言い返せない。先日は助かった…まあ、その後はお前もタカハシ先生とお楽しみのようだったがな」
もう一度ため息をついた石松は、机に腰掛けて虚空を見つめ、ぽつりと呟く。
「なんで、お前はそんな子に育ってしまったんだろうな…」
「何その子育て失敗しました発言」
「実際そうだろ…小さい頃はあんなに可愛かったのにな。それがこんな、誰構わずヤるようなちゃらんぽらんに…しかも猫かぶり。何が『タカハシ先生…僕とじゃダメですかぁ?』だ!」
「完全に父さんのせいだね。石松父さんがちゃんと教えてくれなかったからだよ、適切な性生活を。ねえ、今からでも遅くないよ。父さん自身が教育してくれるでしょ?」
ニタ、と笑って言うと、石松は泣きそうな顔で「おとうさんもうやだ…」と垂れた。
「お前が言うと冗談に聞こえないからやめろよ…父さんをからかうのもいい加減にしなさい」
「プッ、久しぶりの『石松父さん』モードウケる」
「お前が始めたんだろぉお」
違うよ。最初に『親子ごっこ』を始めたのは、石松からだ。どう、責任とってくれるの。
そう言いたかったけれど、それを言えば彼が困ってしまうのが分かっているから。
僕は『父さん』が大好きな、『いい子』だから。
「で、なんでお前は、俺を生贄にして逃げたのかな?タカハシ先生と関係を持ったのはお前だろうが!俺はなんにもしてねえのに色々聞かれてっ」
…話はまだ終わっていなかったらしい。つくづく根に持つ男である。
「んー、襲われてたのを助けてあげたんだからさ、それくらいチャラにしてくれてもよくない?」
「良くねえよ!だいたい教師と関係を持つなんて犯罪だぞ!お前もタカハシ先生も傷つくだけだ!いいか、お前の交友関係に口を出すつもりは無い。だが、法律は守れ!」
元来寛大な僕は、この程度の小言では不貞腐れたりしない。けれど、今度ばかりはカンに触った。『お前の交友関係に口を出すつもりは無い』?
いつ、僕が『口出しするな』なんて言った?
「…なにそれ。バリバリ口出してんじゃん。もういい」
どこまで行っても石松が僕をなんとも思っていないのが(勿論、本当の家族のように大事には思ってくれているんだろうけど)悲しくて、悔しくて。
思った以上にドスの効いた低い声が出た。
久しぶりに激怒した僕を見た石松は、一昨日の放課後、タカハシに襲われている時と同じ、困惑と怯えが混じったような顔をしていた。
それが、より一層僕の心を抉った。
物心つく前からずっと一緒にいたけれど、そんな目で見られるのは初めてで、耐えられなかかった。
きっと、石松は何が僕の逆鱗に触れたのかさえ分かっていないのだろう。
もし、僕がいま『石松を恋愛的な意味で愛している』と言えば、今よりももっと恐ろしいものを見るような目線を寄越すだろうか。それとも、『一緒に居すぎただけで、ただの勘違いだ』と言って、混乱しながらも僕を宥めようとするだろうか。
それならば、僕は前者で構わない。
勘違いなんかじゃない。
気づいた時には、育ちすぎて、肥大して、もう気のせいとは言えないほどに粘着質な気持ちだった。
石松にだけは、この思いを否定されたくはない……でも、石松に軽蔑されるのはもっと嫌だ。
リュックを背負って教室を出ていく時、途方に暮れた石松が「待て」と小さく言ったけれど、今度こそ僕は気付かないふりをした。
今振り向けば、涙が溢れてしまいそうだった。