11:コーベット商会
その日は見事な快晴だった。
春も終わり、初夏の眩しい陽射しがシェリルの金茶の髪を輝かせている。
薄手のブラウスにミントグリーンのスカート。休日なのだからもっと動きやすい格好でもいいかと思ったが、友人宅へ行くのだからと比較的シェリルの持つ服の中でも令嬢らしい服を選んだ。ご家族にも会うのだから第一印象は良くしたい。
コーベット商会は王都の市街地にある。先々代までは小さな店だったらしいが、今では一等地といえる場所に大きな店舗をかまえるほどだ。
「あ、リタ」
少し前に辻馬車から降りて広場で待っていたシェリルは、人混みの中に見知った赤茶色の髪を見つける。
リタは茶色の目をまあるくして驚いていた。普段その瞳を隠しているはずの眼鏡が今日はない。
「……よくわかったね? あたしから声をかけて驚かせるつもりだったのに」
「友達のことがわからないはずないじゃない。眼鏡は伊達なの?」
「ちょっとだけ度が入っているけどね。店に出る時は辛気臭くなるから眼鏡をかけるなって言われてるの」
眼鏡がなくなったリタは印象がガラリと変わる。野暮ったい雰囲気は消えて、さっぱりとした本来の彼女の性格がよく現れていた。
分厚い眼鏡が隠していた瞳はアーモンド型の綺麗な目で、長い睫毛が影を作っていた。
「なかなかの美少女だって言われない?」
「自慢じゃないけど言われる」
ここで謙遜しないのもリタらしい。違いは眼鏡ひとつとはいえ変装の域に達していた。
「あの学園で庶民が目立つのはあんまり賢いとは言えないからね。男なら顔がいい方が得することもあるけど、女は僻まれるだけでしょ」
「否定できないわね」
ただの庶民でさえパティたちのような者は絡んでくるのだ。これが貴族の令嬢よりも目立つようならどうなるだろう。生徒の七割以上が貴族なのだから、それらを敵に回すのは賢いとは言えない。
休日の店内はほどほどに混みあっていた。
多くは女性客で、ちらりと服装を見る限り幅広い年齢に親しまれているらしい。
外から見える場所には華やかな季節ものの商品を、奥には定番のものを置いて、内装はシンプルだが清潔感のあるものにしてある。
ちょっと試してみたい新作のハンドクリームなどは小さめのサイズも用意してあって、なるほど女性客が食いつくわけだとシェリルは感心した。
「すごい人ね」
賑わう店内を見てシェリルが感想を呟く。買い物に行くことが少なくないシェリルでも、ここまで混んでいる店に入ることはあまりない。普段は古くから馴染みのある店に行くことが多いからだ。
「VIPルームも用意できるよ?」
「そこまでしてもらうほどのお客様じゃないわ」
貴族なんていっても子爵家だし、シェリルが買いに来たのも母親への誕生祝いだ。特別扱いを受けるほどの上客ではない。
「シェリルがいいならかまわないけど。オススメは夏用のストールだよ。日焼け対策にもなるし肌触りもいいし」
季節ものの商品の中に飾られていたストールを手に取る。さらさらとした肌触りでとても気持ちがいいし、色も豊富だ。
「素敵」
「あとこっちのハンドクリームも人気だけど、これはどっちかというと働く女性が買っていくね。レモンの香りがしてすっきりするの」
そう言いながらリタはテスターをほんの少しシェリルの手にのせる。ふわっと爽やかなレモンの香りがするが、強く残る香りではない。
「むむむ。リタが紹介してくれるものはどれも欲しくなっちゃう」
「ふふん。それが商売人ってものですからね」
リタは得意気に笑いながら胸を張った。
そのあとも最近流行ってるお菓子もあるよ、なんて店内をぐるりと見てまわって買い物を楽しむ。
悩んだ末に最初に紹介してもらったストールをプレゼント用に包んでもらって、レモンの香りのハンドクリームは小さなお試し用を自分用に買ってみた。香りを楽しむのにもいい。
今回の目的はこれで達成……というわけではもちろんなく、シェリルはその後家の中に招待された。
そう、シェリルの目的は母親へのプレゼントを買うことだけではない。リタのお兄さんにも会う予定だったのだ。
「兄さんは? 売り場にいなかったけど」
「出かけてはいないはずよ」
リタの母親に挨拶を終え、親子の会話を聞きながら出された紅茶を飲む。ほのかにフルーツの香りのするお茶だ。
店が忙しいようでリタの母は「ゆっくりしていってね」と笑みを残して行ってしまった。
「……もしかしてリタ、事前にお兄さんには言っていないの?」
「言ってないよ。逃げられたら困るし」
(に、逃げるって……)
紹介もされていないシェリルが嫌われているとは思えないから、リタとは仲が悪いのだろうか。それとも結婚には乗り気ではないとか。
婚約者探しはしなければいけないのだが、嫌がる相手に無理にというのはシェリルとしても気が進まないのだが。
「ねぇリタ――」
「あ、いた。兄さん、少しお茶にしない? 友達を紹介するから」
シェリルがやっぱり紹介してもらうのは断ろうかと口を開いたところで、リタが兄を見つけて呼んでしまった。
「おまえに友達? 妄想じゃなくて?」
「妄想はここでお茶したりしないわよ」
ほら、とリタはシェリルを見た。つられるようにしてリタの兄はシェリルを見る。
兄妹というのも頷ける。リタと同じ色の赤茶の髪、瞳も同じく茶色だ。顔立ちははっきりとしていて整っている。
「紹介するね、シェリル。あたしの兄のジェイク」
「……どうも」
ぺこりとジェイクは頭を下げる。兄妹のやり取りを見られていたのが照れくさいのだろう。
「はじめまして、シェリル・ブライスと申します」
座ったままでは失礼だと立ち上がったシェリルはスカートを持ち上げて礼をする。
「ブライスって……子爵家でしたっけ?」
ジェイクも交えて再びお茶を飲む。シェリルは自分の家名を知られていたことに少なからず驚いた。ブライス家はそれほど有名な貴族ではない。
「ご存知なんですか?」
「貴族名鑑に載っている家名はひととおり覚えてますよ」
「すごいですね。わたしより詳しいかもしれないです。そういうの覚えるの得意ではなくて」
どちらかは覚えているのだが、顔と名前を一致させるのが苦手なのだ。特に女性は流行であっさりと印象が変わってしまったりもする。
「いいじゃんいいじゃん。足りないものを補い合う。理想的な結婚相手だと思うなあたし」
ぶほ、と吹き出したのはジェイクだった。シェリルは咳き込んで友人の突然の発言に驚いている。
「リタ! おまえ何言ってんだ!?」
「シェリルは可愛いしいい子だしどうかな? って話」
けろっとした顔のリタに、シェリルは頭を抱えた。
(こういうことってもうちょっとそんな雰囲気にしてから話すものじゃないの……!?)
「だからなんでそんな話にって……あれ? それにブライス家って一人娘だったと思ったけど違った?」
「いえ、一人娘です。わたしに兄弟はいません」
もしかしてジェイクは貴族の家名だけではなく家族構成まで知っているのか、とシェリルはさらに驚いた。
シェリルの返答に、ジェイクはぎろりと妹を睨みつけた。なかなかの眼光に、自分が睨まれたわけでもないのにシェリルは身を縮める。
「……リタ、おまえ。家は俺が継ぐって言ってんのにまだ諦めてないのか!?」
「あったりまえでしょ! 兄さんよりあたしのほうが商才あるって! 春先に売れた商品だってあたしが絶対流行るって言ったの当たったじゃない!」
目の前で始まった兄妹喧嘩に、シェリルはおおよそのことは把握できた。
(つまり、決定事項のように言っていたけどリタが家を継ぐことは決まってないのね……?)
兄を紹介しようかとリタが言い出したときの雰囲気では、まるで彼女が後継ぎのような言い方だったのだが。
どうやら兄妹でどちらがコーベット商会を継ぐか競っているらしい。紅茶を飲みながらシェリルはしばし兄妹喧嘩を観戦することにした。
客人がいることをすっかり忘れて言い合いすること十数分ほど。頭が冷えたジェイクはリタの頭を掴みながら「申し訳ない」と頭を下げさせた。
いいえ、とシェリルは笑うとジェイクはリタに何度も釘を刺したあとで店へと戻っていった。
「そりゃあさー。兄さんがシェリルにめろめろになって家を継がないシェリルと結婚する! って流れが理想的だなーとは思ったけど? 下心はあったけど? シェリルのことを利用しようとしたわけじゃないからね?」
「わかっているわよリタ。大丈夫」
ジェイクはシェリルの目の前でリタに「こんなことしてるとせっかくできた友達がいなくなるぞ」とお説教していた。まだ短い付き合いとはいえ、リタがそこまで打算的にシェリルに兄を紹介したわけではないことくらいシェリルもわかっている。
うまくいったらリタとしても美味しい話だな、くらいには思っていたのだろうけれど。
「一応あんな兄だけど、生真面目だし浮気できなさそうだし顔も悪くないし、物件としてはオススメできるんだよ」
「そうね。いい人だったわ」
リタの兄にしては常識人だった、というのはリタに失礼かもしれないが、常識的で誠実そうな人だった。
(けど、だからこそ家のことを投げ出してわたしと婚約なんてしないでしょう)
家と恋を天秤にかけたとき、おそらく家をとる人だと思う。
「……ねぇシェリル。あえて今まで聞かなかったんだけど、あなたの婚約者の条件にぴったり当てはまる人が、あなたの身近にいると思うんだけど?」
リタは、はっきりと名前は口にしなかった。
けれど誰のことを言っているのかシェリルにもすぐにわかる。そうね、と小さく呟いてティーカップを見下ろした。
「リタの言う通り、もともと親はクライヴと結婚させるつもりだったみたい」
リタはやっぱり、といった顔で何も言わずにシェリルを見た。
「わたしも正直、そうなるんじゃないかなって思っていたわ。昔はこれでも仲が良くて、一緒に過ごすことが多かったから」
四年前の出来事を思い出す。
日が暮れるまで四葉のクローバーを探してくれたこと。あの瞬間に自覚した、終わってしまった初恋のこと。栞にしたクローバーをプレゼントしようと思ったこと。
『あんなじゃじゃ馬と結婚なんて絶対にごめんだよ!』
嬉しかったことも楽しかったことも、すべてたった一言で掻き消されてしまう。
「――ふぅん? なるほどね」
言わなかったことを含めてクライヴとの関係を説明すると、頬杖をついてリタはどこか納得したような顔をしている。
「……リタの情報メモがまた分厚くなるわね」
「お陰様で」
にっこりと笑うリタにシェリルは苦笑して再び紅茶を口にする。少し冷めたくらいのほうがフルーツの香りが強く感じられた。




