死んだ魚の目をした男
ここから本編開始です。
晴れて社会人となってから5年目に差し掛かる伴耕三の日常は、至って機械的な日々の繰り返しである。
朝早くに寝床から這い出、眠気も十分に取れない中で満員電車に揺られ、厄介な上司の目を伺いつつ職場でひたすらに働き、夜分遅くに帰れば、さっさと夕飯と風呂を済ませて寝床につく。
退屈さから逃れようと買った筈のゲーム機や漫画の類は、疲労からか、いつの間にやら手を出すのさえ億劫になり、狭い部屋の隅で埃を被り、生活空間を圧迫するばかり。
怠惰な無感情に心を支配されたまま、人生を切り崩していく感覚だけが、どこか漠然とした焦りだけを募らせていく。
それを、気晴らしに買った酒やつまみで誤魔化しては、また翌日、同じ事を繰り返していた。
『おい! 耕ちゃん、何やってんだよぅ』
そんな日常を、唐突に一本の電話が打ち破った……いや、正確には、唐突ではなかった。
何日か前に久々に会って飲む約束をしていた筈の、中学時代からの友人からの電話だった。
「あー……悪い、安藤。すっかり忘れてたわ」
『忘れてた、じゃねぇってえのぅ! こちとらもう着いてんだけど! 今何処よぅ?』
「家だ。今から行く、一時間くらいかかるが……間に合うか?」
『間に合ってねーからこうやって電話入れてんだろぅ! なんとか予約先と交渉してみっから、早よ来い早よぅ!』
週末の夜、寝間着に着替えて就寝間近だったところで、尻を叩かれるように慌てて身支度を済ませ、電車に飛び乗り指定の店へと急いだ……が、結局、予約はキャンセルせざるを得なくなり、近くの安い居酒屋で妥協。
自業自得と言わざるを得ないが、キャンセル料含め、全額を耕三が奢る羽目になってしまった。
「ったくよぅ。オイラはずっと楽しみにしてたってのによぅ、耕ちゃんと来たらよぅ。オイラ達、一番の親友じゃなかったのかよぅ」
「本当、悪かったって。ちょっと最近疲れててさ」
そこそこの広さと清潔感の保たれたチェーン店の隅のテーブル席を陣取り、耕三は、大げさな身振りを交えて悲しみを表現する小男……安藤万里と向き合う。
いくら全面的にこちらに非があったとはいえ、一切の容赦なく、テーブルを埋め尽くすほどの注文を叩き込む、出会った頃から据え置きの遠慮のなさが、耕三の胸に、不思議と懐かしさを感じさせた。
「しかし、変わらないな、お前は。妙に騒がしいところも、馴れ馴れしいところも」
「おいおい、オイラ達の仲だせ? 日本人特有の奥ゆかしさなんか捨てて、正直に、親しみやすいと言えばいいじゃないかよぅ」
「よく言うぜ、ったく」
「おっ、耕ちゃんやっと調子出てきたじゃん! さっきはびっくりしたんだぜぇ? 漸く来たと思ったら、ゾンビみたいな顔でよろよろ歩いてよぅ! 思わずヘッドショット決めそうになったね、オイラぁ」
「何で決めるつもりだよ。銃刀法違反だぞ」
「昔の漫画かなんかで言ってただろ? 男ってのはいつだって、心に一本の銃を持つ、ってよぅ」
「剣だか槍だったかじゃないか? それ」
まるで中学時代に戻ったかのようなやりとりに、不思議と口角が上がる。
すっかり麻痺していた心に、若々しい感性が戻ってきているようだった。
そんな耕三の様子を見て、安藤がほっと溜息をつく。
「ふぅ。しっかしマジな話、ちょっと、いや、結構心配したぜ。耕ちゃん本当にひっでぇ顔だったからな」
「そんなにか?」
「そんなにも、どころのもんじゃねぇってよぅ。マジに最初、死体が歩いてるんじゃねぇかと思ったからなぁ。仕事、そんなキツいのかよぅ?」
「んー、どうだろな、キツいっちゃキツい……んだろうが」
安藤に問われ、ここ最近どうだったか、思い返す。
確かに、法律ギリギリまで残業は当たり前、時には休日出勤もある。
働き始めた頃は何度も辞めてやろうかと思ったが、残業手当はちゃんと出るし、労働基準法はまぁ守られてはいる。
3年目を過ぎた辺りからは、もう当たり前の日時として、すっかり定着してしまっていた。
「じゃあなんか、悩みでもあんのかよぅ? なんでも聞くぜ。オイラ達の間にゃ隠し事はなしだ」
「うぅん、別に……無いなぁ」
「オイオイ、マジかよぅ」
割合真剣に悩んだ末に出した答えを受けて、安藤は、自慢の軽口を交えるのも忘れて、呆れ果てる。
耕三の予想以上に、驚いているようだ。
「本当に何もないのかよぅ? 流石に親友として、お前が死んだ魚の目をしたままでいるのは見過ごせねぇぜ」
「んー、とは言われてもだなぁ……あー、そうだ。強いて言うなら、『何もない』んだ。最近すっかり娯楽からも遠ざかっててなぁ。刺激がない」
「お? なんだ、そういう事なら話は早いぜ! というか最初からそう言えってーのぅ、この勿体振り屋さんめ」
「あー……まぁな」
娯楽が無いと聞いて、それなら十八番と俄然張り切り出す安藤の様子に、少し後悔する。
昔ならともかく、今の疲れが溜まった身体で安藤のハイテンションに長々と付き合うのは、中々に骨が折れるのだ。
本音を言えば、そろそろ切り上げて帰って寝たかったのだが、自分にどんな遊びを押し付けてやろうかと画策する安藤の張り切りぶりは、確実な長期戦ルートへの突入を示している。
勿論、善意でやってくれている事だし、決して楽しくないわけではないから、良いのだが。
「そうじゃのぅ……最近でおススメな奴だと、今やってる仮面セイバーのシリーズとかかのぅ? 何時だって特撮はオイラ達の魂を熱くしてくれるぞよ。アニメなら女子高生が4人で北極星に行く奴が、オリジナルアニメだといい感じだったのぅ。ホビーなら、やっぱダンプラとか? 敷居の低さは段違いよのぅ。 流石にアニマルギアはチェック済だろうしのぅ……」
「いきなり何キャラだよ、っつーかアニマルギアって、何年前の話してんだっつーの」
「……は?」
謎の老人口調と唐突に飛び出した、余りにも懐かしいフレーズに、苦笑混じりに突っ込みを返す……が、安藤の反応は、まるで、信じられないものを見たかのような、驚愕に満ちた表情で固まっていた。
「もしかして……ご存知、ないのですか?」
「いや、何をだよ」
「んなもんッ、“アニマルギア:リブート”に決まっとるやろがぁいッ!!」
「お、落ち着けっ!? わかったから、ジョッキと声のトーンを落ろせっ!」
驚愕のあまりにキャラ崩壊まで引き起こす安藤の錯乱をどうにか鎮めにかかる。
週末の賑わう店内とは言えど流石に目立ったようで、周りの客と従業員の冷ややかな目線が痛い。
「ふぅ、ふぅ……。うぅっ、まさか耕ちゃんが、オイラ達が青春を捧げた筈のアニマルギアの新展開に、気付いてすらいなかっただなんてよぅ」
「お、おい、今度は泣くのかよ……」
「こんなに悲しい話があるかってんだよぅ!」
「わ、わかったわかった! 頼むから、静かにな……それで、その“アニマルギア:リブート”って、なんなんだよ? 最近テレビとかニュースとか全然チェックしてなくてさ、わからねぇんだよ」
「うぅ……そっくりそのまま、名前の通りよぅ。12年の歳月をかけて、かつての少年たちを虜にしたあの傑作ロボットバトルホビーが、大きな進化を果たして復活した、って話よぅ」
再びの爆発を警戒しつつ、耕三が安藤を見守っていると、涙ぐみながらも、アルコールで覚束ない手で携帯端末を操作し、こちらへと画面を見せる。
示されたサイトには、“ANIMAL GEAR R'eboot”と大々的に冠せられた下に、高らかに咆哮を上げるようにポージングされた、白地に橙のクリアパーツのあしらわれた、鋼の獅子の姿が威風堂々と写されている。
その獅子の姿には見覚えがあった。
色褪せかけた記憶が蘇る……若干シルエットに違和感があるが、12年前もアニマルギアシリーズの中心に据えられ、度々アニメの主役機にも抜擢されていた看板機だ。
「レグレクス、か……?」
「レグレクス:リブート。それが、そいつの名前よぅ。どうやら、流石にそこまで忘れちゃいなかったみたいだな。ちょっと安心したぜ、オイラよぅ」
思わずに漏れていた呟きを聞いて、安藤はニヤリと笑みを浮かべた。
芋づる式に、耕三の脳裏の記憶が色付き、蘇ってくる。
あの安藤の表情は、アニマルギアで遊んでいた頃に、本人曰く『楽しい事』と称して、妙な事をやらかす時のものだ……そして、耕三の胸もまた、久方ぶりに感じていなかった、強い高鳴りを始めていた。
「対戦型バトルホビーとしての側面はそのままに、新技術を多数導入。学習型AIを導入し、戦えば戦うほどに『成長』していく相棒、更に作った機体を読み込ませる事で、バーチャル空間に再現された背景世界『惑星Vi』の中を実際に『操縦』しながら冒険できるVRMMO『アニマルギア・フロント』の並行販売。更には半年後には、連動アプリによる電子ペット化も予定されている……展開開始から半年、もはや世間の子供達の話題はアニマルギアでもちきりよぅ……どうだ? ワクワクしてくるだろぅ?」
「……あぁ。流石にこの歳になると、ちょっと、気恥ずかしいような気もするけどな」
「よっしゃ来た! なら決まりよぅっ!!」
「おいバカッ! だから落ち着けって、っていうかどこ行く気だよ!」
耕三が言い終わるか終わらないかというところで、安藤は食い気味に叫びつつ勢いよく立ち上がる。
先程より周囲の目線が刺さるが、残念ながら安藤万里、かつてよりそれほど周囲の冷ややかな反応を気にかける類の男ではない。
いつ興奮のまま、テーブル席を離れ、店外へと駆け出そうとするか、耕三は気が気でなかった。
「どこ行くって、決まってんだろぅ? 今すぐホビーショップにカチコミかけんだよぅ!」
「今何時だと思ってんだ、 どこも閉まってるわ! っていうかこんだけ頼んだ料理放り出すつもりかテメェ! 人の金だからって!!」
夜の街、20代も後半に差し掛かっていながら、年甲斐もなくぎゃあぎゃあと大騒ぎする阿呆が二人。
とっぷりと暮れ始めた夜の帳の中で、疲れを忘れたように、かつての少年は、目に輝きを取り戻し始めていた。
わかる人にはわかると思いますが、アニマルギアの元ネタは某おもちゃ企業から12年ぶりに復活した例の動物型玩具です。
そこに流行りのVRMMO要素や、某財団Bから販売のプラモデルを題材にしたアニメシリーズなんかを意識して書いて行くつもりです。