クビになりました
願いは言葉になることなく少女の胸に降り積もる。
運命は決して変わることはないのだから。
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「ナギよ、お前は今日でクビだ!」
開口一番に言われた言葉に私はあんぐりと口を開けた。
状況が理解できない。え、今なんて?
目の前で仁王立ちする、体格のいい強面の男はそう、私が所属するギルドのボスで。
私は今日も仕事をするべく我らがギルドのアジトへ行ったはずなのだが。
「ぼ、ボス! 意味がよくわかりません!」
「そうか。なら何度でも言ってやる。ナギよ、お前は今日でクビ! ギルドから除名する!」
ボスの大きな口が「く・び」とわかりやすく動かされて、まるで首を切るように首元で手を横にスライドさせる。そこでようやく私は言葉の意味を理解した。
クビ。クビってまさか。
「か、かかか、解雇!?」
「だからそう言っているだろう。わかったらさっさとギルド証返せ」
しっしっと私を追い払うように手を振ったボスは、私の首から下がっていた小さな黒い石をぶちっと引きちぎった。
ああ、それはほんの数週間前に仲間の証としてもらったギルド名が彫られた黒曜石。思わず追いかけるように手を伸ばすが、それは届くことなく空を切った。
愕然とボスを見上げれば、「ほら、帰れよ」と背を向けられる。
「ま、待ってください! ボス! せ、せめて! せめて理由を教えてください!」
背を向けた大きな背中に必死で問いかければ、ボス……いや元ボスは面倒くさそうに振り返る。
そして至極簡単に理由を述べたのだった。
「お前が弱いからだ。以上」
ぽいっと首根っこを掴まれてアジトから放り出される。
私は愕然としたまま数分そこを動けなかった。
私の家は代々騎士を輩出する名家だった。
父上はかつて王国騎士団の将軍をやっていたし、母も女性騎士として一団を率いていたし、私の上の兄弟たちもみな騎士をやっている。
私も当然将来は騎士になるべく育てられ、騎士になるために通わなければならない騎士学校にも行き、ほんの数か月前に卒業したばかりだった。
落第ぎりぎりの成績で、だけれど。
名門から生まれた私は、非常に出来の悪い子どもだった。
単なる話、剣術の才能がまるでなかったのである。
小さい頃はまだ両親の英才教育のたまものか「天才」だのなんだのちやほやされていたのだが、徐々にぼろが見え始め、騎士学校へ入学する際には周りに埋没するような凡庸な騎士見習いとなっていたのだった。
かつて兄弟たちが首席で合格した試験も最下位すれすれで合格し、普段の成績もよくて中の下。指導官たちにため息をつかれるレベル。
そんなこんなでぎりぎりの成績で騎士学校を卒業した私は、「騎士学校を卒業した者の九割は入れる」と言われる騎士団の入団試験に見事落ち、立派な就職浪人となったのだった。
しかし家族は優しかった。剣が無理でもほかにできることがあるはずだと私を慰めた。
けれど私はその優しさに甘えられなかった。だって私は剣がよかった。剣の才能はまるでなくて、騎士にもなれなかったけれど、私は剣が好きだった。
だから剣を扱う仕事に片っ端から申し込み、片っ端から落ちた。ショックで数日寝込んだ。けれどやっぱりあきらめきれず、結局周囲の反対を押し切って、あまり褒められた職種とは言えないギルドに属することを決めたのだけれど。
「こ、ここもだめなのか……!!」
つらい。つらくてもう立ち直れない。ほかの職種に全落ちした私にとって、力があれば誰でもなれるギルドいう仕事は最後の砦だったのに。
私は絶望に打ちのめされていた。
「私は剣で生きていくんだ!」と啖呵を切って親や兄弟たちの声も無視してギルドに入ったというのに、たった数日でクビになったなんて、一体どんな顔をして家族に会えばいいのだろう。
追い出されたギルドの前で長居するわけにもいかず、かといって家に帰るに帰れなくて、私はトボトボと街を歩いていた。
私の住むここ帝都は、城のお膝元だけあってここはいつも活気にあふれていて、今も朝早くから商人たちの陽気な声が飛び交っている。
けれど今の私にとってその陽気さは受け付けられなかった。呼び込みを避けるように人通りの少ない道を選んで歩く。
ああ、これから本当にどうしよう。ほかにまだ応募していない仕事なんてあっただろうか。
路地裏の壁に無造作に貼られた募集広告を流し見しながら歩けば、通りの方で「わあ!」という歓声が聞こえる。
目をやれば、街の人々に取り囲まれた、巡回中と思われる騎士団の姿があった。
「ああ……かっこいいなあ……」
立ち止まり、街を闊歩する騎士団に目を向ける。
まわりから羨望のまなざしを受けながら、甲冑に身を包み、マントを翻して歩くその姿はいつも私のあこがれだった。
父のように、母のように、兄たちのように、私も剣を振いたかった。
そうして、剣を振って身を立てたいと思っていたのに、やっぱり私の才能では無理な話だったということなんだろうか。
視界がじんわりとにじみ始めて私はあわてて俯いた。
こんな街中でいきなり泣き出すなんて変な人にもほどがある。
涙を抑え込むようにぎゅうっと目をつむって首を横に振り、落ち着けるように息を吐いた。
泣いたって仕方ない。これが現実だ。きっと探せばまだ剣を振える仕事があるはずだ。
そう言い聞かせて、涙が引っ込んだところで、私はゆっくり目を開く。
「にゃあ」
そして目を開けた瞬間私は固まった。
目を開けたところで飛び込んできたのは、先ほどまではいなかったはずの黒い猫。
お行儀よく座ったその黒猫は、ガラス玉のような青色の瞳でジッとこちらを見上げていた。
「な、なあに?」
猫なのに、泣いているところを見られたのが少し恥ずかしい。
誤魔化すように猫に問いかるが、猫は何も答えずこちらを見上げる。
って。いやいや何をやっているんだ私よ。
猫に話しかけて反応があるはずがないだろうに。
しばらく猫と見つめ合う。
涼しげなその目元は、まるで私を観察するかのようにこちらへ向けられていた。
「お、おいでー……」
身を屈めてそっと右手を差し出してみる。
だが猫はゆらゆらと優雅に尻尾を揺らしただけで、こちらに来る気配は微塵もなかった。
期待はしていなかったが、思わずがっくりと項垂れる。
ただ猫に無視されたというだけなのに、思いのほか大きなダメージを食らってしまった。猫にまでフラれる始末。つらい。
諦めて右手を引っ込め、私はため息を付きながら空を仰ぐ。
「――――哀しいの?」
不意に、真横の、それもかなり間近から声がした。
「え……ってうわあ!」
反射的に声のしたほうへ視線を向けたその瞬間、我ながら間抜けな声を上げながらその場から飛び上がってしまった。
私の隣には、一人の女性が立っていた。
くつろぐようにゆったりとした姿勢でそこに立つ女性は、私を見て柔らかく微笑んだ。
一体いつからそこにいたのか。いや、確かにさっきまでそこには誰も居なかったし、周りにも人は居なかったはずなのに、どうして。
だがそんな考えも次の瞬間には頭の片隅に追いやられてしまった。
「可哀想に。よっぽど辛いことがあったのね」
そのとき、周りの全ての環境音がかき消された気がした。思わず息をつめる。だって、その女の人がとてもじゃないほど綺麗だったから。
長く艶やかな黒い髪を、蝶のバレッタでまとめ、華奢な赤いワンピースを身に纏っている。その人は、こちらを伺うように軽く首をかしげてみせた。キラキラ輝く大きな真珠のピアスが揺れ動くのに見惚れて、声が出なかった。
その人は私に極上の微笑みを浮かべ、透き通りそうなほど真っ黒な瞳を光らせてその中に私の姿を映す。
胸中に燻っていた先ほどまでの悲しみは、驚くほど急激に冷めてしまい、同時に安堵感すら覚えた。それはこの世の全ての愛を受け入れ、この世の全てを愛しているような、何もかもが純真で汚れのない微笑みのようだった。
「いらっしゃい」
「あ」と思わず声を上げた。静かに鎮座していた黒猫が、女の人の呼びかけに答えるように軽やかな足取りで女の人の方へと歩いていく。その人は足元まで来た黒猫を優しく抱き上げると、ゆったりと黒猫の頭を撫でながら、私を諭すように語り続けた。
「あなたの悲しみが、わかるわ」
なんて優しく心地の良い声なのだろうか。
思わず聞きほれていれば、その人は私の前にゆっくりと右手を差し出した。
「あなたを必要としている世界があるの。あなたでなければダメな場所。さあ、一緒に行きましょう」
普通ならば何の宗教勧誘だと思うような文句も、彼女が言えばすんなりと受け止めることが出来た。
伸ばされた細い手に私は目を落とす。その人は手を差し出したまま、再び私に言った。
「あなたの願いを、叶えてあげる」
その言葉とともに、ブワリと強い風が吹いた。
何だかわからないが、心の奥底で何かが叫んでいる。恐怖にも似たような、不思議な感覚。この女の人はなんなのか。自分が知っているモノのどれにも当てはまらない、得体の知れない何か……。
何かを考えるでもなく、操られるようにして私の手はゆっくりと女の人の右手に伸びる。そっとその手に自分の手が触れると、冷たく、でも温かい感覚。
そして瞬間訪れる、意識を強く引っ張られるような、痛み。
「……あっ、うわ、あああ」
何が起きたのかを考える前に、体が宙を浮く。体中に走る、激しい痛み。急に大きくなる周りのざわめき。
落ちる。落ちる、落ちる。深い深い場所へ。
まるで、世界から落とされたように。私は、落ちる。
――――あなたの願いをかなえてあげる
また、女の人の声が聞こえる。
彼女の優しさに包まれるように、私はゆるやかに思考を手放していく。
不安はなかった。恐怖もなかった。
――――代わりにあなたは……。
囁かれる優しく甘い声に導かれるまま、私は暗黒の中を落ち続けた。