7. 不良グループ
「すんません。もう少し詳しくお聞かせ願えませんか?」
別所警部補が慌てて問いただしたが、かなり動揺している様子だ。
「ええ、坊ちゃんは、とんでもない不良でしたのよ――」
顔色一つ変えずに、家政婦は同じ台詞をくり返した。
「平川と西淵――。たしかにこの二人は、離れによく遊びにやって来ていましたわ。もっとも、母屋には一度も挨拶に来なかったですけどねえ。果たして、離れでどんなお話をしていたのやら……。
なにしろ、勝之さまが五年前にお亡くなりになられてからというもの、誰も工房でお仕事をなさらなくなり、離れは道彦坊ちゃんがちゃっかり占拠してしまって、もっぱら坊ちゃんの隠れ家と化していましたからねえ」
「なるほどね」
「でも、わたくしが、ときどきお菓子などを持って、離れに行った時には、どうひいき目に見ても、道彦坊ちゃんがリーダー格になっていて、散々二人に威張り散らかしていましたわ。少なくとも、たかられているお姿など、みじんもなかったです」
「しかし、奥さまのお話だと、たくさんの金品を巻きあげられた、とおっしゃってましたけど……」
「そういって、お小遣いをくすねていただけですわ。結構、きびしかったんですよ、先代の旦那さまって……。だから、家がお金持ちの割に、小遣いは通常の家庭とあまりお変わりないと、道彦坊ちゃんは、いつもぼやいてばかりいました。そこで、いじめられていると奥さまに取り入ることで、旦那さまに隠れて、お小遣いをもらう口実をでっちあげていたのです」
「な、なるほど……」
「平川というのが、たぶんガタイの大きい方だと思いますけど、どちらかといえば、坊ちゃんに対してぺこぺこといつもへりくだっておりましたわ。もちろん、まともに喧嘩をすれば負けることはないのでしょうけど。きっと、坊ちゃんからは、お金をもらって飼いならされていたんじゃないですか」
「奥さまのお話だと、二人とも強靭な身体をした大男だそうですね」
「二人とも……? さあ、どうかしら。いいえ、図体がでかい野蛮な身体をしているのは平川の方ですわ。もう一人の西淵というのは、並の身長です。でも、そうですねえ。横幅だけを取れば、それはそれは、かなりのご立派な体型でしたわね。おほほっ……」
小馬鹿にするように、家政婦の口元がゆがんだ。
「なるほどね。では、いよいよ肝心な質問ですが、昨晩、離れにやって来て道彦さんと一緒にいた人物は、そん二人のどっちでしたかねえ?」
「さあ……? 仮に、道彦坊ちゃんが誰かと一緒にいたとしましても、母屋にいるわたくしや奥さまには、とうてい分かりっこありませんわ。もっとも、向こうから挨拶に来れば、話は別ですけどね」
「ちゅうことは、昨日の謎の訪問者が誰なのかは、いっさい分からんと?」
「はい。昨晩に誰かお客さまがいらしたということですか?」
逆に家政婦からタヌキが質問をくらっていた。
「つまり、笠さんのなされたご発言によれば、足跡を残した謎の訪問者は、男性なのか女性なのかも分からない、ということになりますよね?」
念のために俺が確認を取ると、家政婦は、ええ、とだけ答えた。
家政婦とのやり取りはこのあともしばらく続いたが、特にこれ以上の有益な情報は得られなかった。六条家を引きあげる時に、タヌキが俺にちらっと目配せした。
「そんじゃ、こんどはそのふたりの不良どもに、順番に会いに行きますかねえ?」
別所警部補と千田巡査部長とともに、俺はパトカーに乗って、大野駐在所まで下ってきた。目的は、六条道彦のかつての級友である平川猛成に会うためである。
ひそかに立てた俺の推理が正しければ、六条道彦を殺した犯人は、道彦が平気で背中を向けられるような顔なじみであるはずだ。ただ、顔なじみといっても同居する家族となると、ちょいとしっくりこないものがある。というのも、同居人なら、わざわざ離れで道彦を殺さなくてもいくらでも手立てがあるような気がするからだ。離れで殺人をおこなうことで都合が良くなる人物といえば、まさしく不良仲間である平川と西淵の二人であり、こいつらこそが容疑者の最有力候補ということになる。
駐在所から五分ばかり歩くと、平川が住んでいる二階建てアパートが見えてきた。おんぼろの古い建物で、八戸あるうちの三つが入居者募集中の空き部屋だ。すぐ前が砂利を敷き詰めただけの空き地になっていて、数台の車がそこに停車していたが、その中でもまわりを圧倒的に威圧して、威張り散らかすかのように、三台分の敷地を占拠して停車しているのが、平川の大型トラックであった。俺たちが到着した時には、平川は愛車の洗車をしているところだった。
平川の第一印象は、巨大ゴリラだ。いかついいかり肩に、背骨がS字に見事に湾曲していて、ぶ厚い胸板に、正面から面と向かえば、上から常に見下ろされてしまうような大男である。遠くからの影でも、こいつだけはすぐに判別ができるな、と俺は思った。
「平川さんですっけ?」
別所警部補を先頭にして、俺たち三人はつかつかと巨大ゴリラへ接近していった。
「なにい? 誰だ、お前らは?」
「少々お話をうかがいたく思いまして……」
「あのなあ、おっさん。殴られたくなきゃ、とっととけえりな。見てのとおり、俺は今、忙しいんだよ。とってもな!」
どすを利かせてあからさまな威嚇をしてきた。どうせ、いつもこんな感じなのであろう。
「すんません、我々はこういうものなんですけど……」
そういって下手に出ると見せかけてから、タヌキはさっと警察手帳をかざした。すると、それを見たゴリラの態度が一変した。
「はっ……、こいつは失礼をいたしました。ちょいとばかりいらいらしていましてね。つい、乱暴な口を利いてしまいました。許してください」
「いえいえ、お気になさらずに……」
別所警部補はにこにこしながら、やさしく平川をなだめた。
「突然ですがねえ、平川さん――。今朝の事件のことは、あんたご存じですか?」
「事件? はて、なんかありましたかねえ?」
ゴリラはわざとらしく取り繕うような仕草を見せた。
「阿蔵の道彦さんが、今朝、なにものかに惨殺されました」
「道彦が……?」
今度は、平川は心底驚いたような顔をした。本当に知らなかったようにも見える。
「はい、そこであなたからいろいろとうかがいたいのですよ。事件に関することを」
「えっ――、いきなりアリバイ捜査ですか? あのお、俺は、今朝は、ずっと家にいましたよ。なんなら、女房が証言してくれますよ。冗談じゃねえや!」
急に言動が荒々しくなり、平川は乱暴に腕を振った。
「いえ、六条さんのお友達として、彼についてのお話を少しばかりうかがいたかっただけです。別にあなたが犯人であると疑っているわけではありませんから」
「ふっ、なんでい。そうだったのか……。本気で焦っちまったぜ。
ああ、道彦のことですね。やつとは小学校からの友人ですよ。小さい頃は、いっしょに山ん中を冒険して、渋川まで行ったこともあったなあ……」
雪中に置きざりにされた熱燗とっくりのように、ちんちこちんに熱した平川の脳みそは、みるみる冷たくしぼんでいった。
「渋川ってのは、となりの静岡県にある部落です」
千田が俺に小声でそっと耳打ちした。
「だから、この周辺の山のことなら、俺たちは誰よりも良く知っているんだぜ。秘密の通路とかもな」
平川は得意げにふんぞり返った。精神安定度が低いのか、態度がころころと豹変する。
「そうですか。ところで、お亡くなりになった六条道彦さんは、どういう方でした?」
「どういう?」
「その、ご性格がどうであったかということですけど」
「そうだなあ。わがままでプライドは高いけど、ここぞという時は、いつも怖気づくことが多かったな。まあ、基本的にはお坊ちゃんなんだよ。あいつは」
「お金持ちだったんですかねえ。その、先ほどおとずれて来たんですが、えらくご立派なお屋敷にお住みだったみたいで」
「そりゃあ、阿蔵家のボンボンだもんな。あのあたりの山なんか、全部あいつのものなんだぜ。うらやましい限りさ。俺もちっとくらいあやかりたいもんだ」
「いろいろとおごってくれたりはしなかったんですか。阿蔵屋敷でうかがったところでは、あなたは道彦さんの大の親友だったそうじゃないですか」
別所がさりげなく切り出した。
「ふん、まあな。なにせ、俺が一番の仲良しだからな。でも、あいつは、家が金持ちの割に小遣いが少ないとかいって、いつもぼやいていたよ。なにしろ、あのおやじだからなあ。仕方ないか……。でも、そのおやじが死んじまってからは、思い通りに金が使えるようになったみたいで、あいつはおやじの死を喜んでいたよ。つくづく薄情な野郎だな、道彦は……。
あのお、もういいですか。俺、このあと、仕事があるんで……」
そろそろ勘弁してくれよといいたげに、平川は別所の顔色をうかがった。
「そうですか。お忙しいところをありがとうございました。また、なんかあった時には、捜査にご協力を願います。
ああ、それから、奥さんにもちょっとだけお話をうかがいたいのですが、おうちにみえますかねえ」
タヌキがそう切り返すと、ゴリラの顔が急に蒼ざめた。
「えっ、実は女房と子供はいま実家に引きあげてしまって、そのぉ、留守なんですよ……」
「あれれ、あなた、さきほどたしか、奥さんが家にみえるとおっしゃいましたけど……」
「ああ、あれは口から出まかせというか、とっさに口走ってしまいました。すみません。半年前から、別居中なんです。女房とは……」
平川はしどろもどろになった。こいつの発言はいいかげんで信用できないな、と俺はあらためて感じた。
「じゃあ、今はおひとりで生活をされているんですか? 大変ですねえ」
「そうです……」
結局のところ、平川猛成の今朝のアリバイは、全くのでたらめだったということになる。
「そうですか。じゃあ、失礼いたします」
タヌキは、しつこくは食い下がらずに、頭を下げた。ゴリラはほっとしたように、口笛を吹きながら、トラックをまた洗い始めた。
西淵庸平の家がある七首地区は、新郷市の最深部で、静岡県との県境に位置している。大野の町から県道505号線をのぼり、途中、細川地区と巣原地区を通過して、さらにひと気が全く失せたせまい道路を車で十分ほど走れば、ようやく到着する。部落に入ってすぐのところに、地区公民館の駐車場と思われる空き地があって、そこにパトカーを停めてから、俺たちは車外へ出た。
七首地区――。山あいの小さな盆地に、身をすり寄せるようにいくつかの民家が軒を連ねる小集落だ。軒数は阿蔵地区と同じくらいしかなく、いや、それよりももっと少ないか……。棚田と段々畑が山すその急斜面に広がる、のんびりと落ち着いた土地である。西側の斜面には共同墓地があり、たくさんの墓石が立っていた。そのうちのいくつかには、花立てに新しい花が飾られている。部落中央部の高台には、この地区の象徴ともいうべき小学校の校舎がでんと建っているのだが、どうやら閉校しているみたいで、坂の途中にある二宮金次郎の像が淋しげにポツンとたたずんでいた。さらに、小学校の前を通って奥へ伸びる道路の先には、明らかに、ほかの家よりもはるかにでっかくて荘厳な、美しい洋館がそびえていた。日本古来の山里風景の中に、ひとつだけ溶け込めずに浮いてしまっているその屋敷は、赤れんがの高い塀でぐるっと取り囲まれていて、建物の下半分はここからでは全く確認ができない。きっと、想像を絶するお金持ちが住んでいるのだろう。
「西淵の家は、下地区にあります。ここいらでは、『崖ん下』と呼ばれていますね」
千田巡査部長がガードレールに手をかけて、はるか眼下に広がる里を指差した。
「崖の下、ですか? 随分と差別用語にも聞こえますけどね」
と、俺が率直に意見を述べると、
「そうですね。実際に、同じ七首部落の中でも、高台に位置するこちら側の『上七首集落』と、ここから見下ろせる『下七首集落』、通称『崖ん下』では、財産も教養も全然違うそうですからね。差別されても仕方がないのかもしれません。こういった田舎では、よくある話ですよ」
そういって、千田は、俺たちを先導しながら、段々畑の合間に通された、ひざが悲鳴をあげそうになる急勾配の石段を、てくてくと下り始めた。高低差の激しいこの部落では、このような徒歩でしか通行できない地面を踏み固めただけの簡素な小道が、ネットワークのように縦横無尽にめぐらされており、行きたい場所まで自由に行き来できるようになっている。
ようやく一番下の地面に降り立つと、そこには集落の出入り口となるバス停留所があった。下七首停留所――。ここまで山をのぼってやって来たNバスは、ここにわずかに存在する狭い駐車スペースを利用して、方向転換をしてから、再び巣原地区へと引き返していくそうだ。つまりここは、巣原路線の最深部の折り返し地点ということになる。その下七首停留所を横目に通過して、五軒ほど並んだ民家の突き当りにあるあばら家が、西淵庸平の家であった。
呼び鈴がないので、大きな声を発して呼びかけると、腰が曲がった野良着姿の婦人がよちよちと姿を現わした。顔にはしわが深く刻まれ、表情も相当疲れ切っている様子だ。西淵志津子――。六条道彦の不良仲間である西淵庸平のたった一人の肉親、つまり母親である。ぱっと見、七十近くの老婆のように思われたが、実年齢は五十五歳であった。あの六条の房江夫人とほぼ同年齢であるという事実が、ちょっと信じられない。
「わたしはこういうものですが」
と、さっそく一番前にいる別所警部補が、警察手帳を志津子に見せた。しかし、志津子の顔は動揺を示すことなく、彼女は即答した。
「あのお、どちらさまですかのう?」
「失礼しました。わたし、警察のものですが」
今度は、警察という言葉を使って、別所警部補は自己紹介をした。すると、
「はあっ、警察のお方ですか? すんません。なんぞ、ご用でしょうかのう」
と、今度は明らかに驚いた様子だ。
「はい、息子さんの庸平くんのお友達である六条道彦さんが、今朝、遺体で発見されましてねえ。我々もほとほとこまっちょります。それで、庸平くんから、手助けとなりそうなご意見が少しでもいただけないかと思いまして、こうして出向いた次第です」
「はあ、そうでしたか? ちょい、待っとってくんさい。今、庸平を呼んで来ますに……」
そういって、志津子は家の中の階段をそろそろとのぼっていった。
「警察手帳であることが分からなかったのですかねえ」
別所警部補が警察手帳を俺の方へプラプラとかざしながら、苦笑いをした。たしかに別所警部補の手帳には、少し小さめの文字だが、はっきりと、警部補――別所則夫と書かれている。これを見て、警察とすぐに分からなかったのだろうか?
その後、なにやらもめるような声が聞こえていたが、しばらくすると若い男がひとり、のそのそと階段をおりてきた。
西淵庸平の第一印象は、家に引き籠もったブタだ。というか、ランダムに抽出した通りすがりの十人にこいつの印象を訊ねたら、十人がそろって、ブタ、と答えるだろう。風船のような体型をしていて、体重は百キロ近くありそうな感じだ。腐れ切った魚のような眼が、くもった黒眼鏡の下からこちらをにらみつけている。毛糸の帽子からもれ出る黒い髪の毛は、もじゃもじゃとちぢれており、顔を大きくおおい隠したマスクの裏側は、無精ひげがぼうぼうと生えていた。薄汚れたねずみ色の褞袍の上に赤茶の袢纏を着込み、さらにその下にも数枚の下着を着込んでいるようだ。それだけ着込んでもまだ寒いのか、ブルブルと震えている。露出した地肌は、指先のほんの一部と、こめかみのまわりの一部くらいであった。こんなへたれ野郎が、この俺さまに挑戦状メールを叩きつけて殺人を実行した大胆不敵な犯人だったなんて、正直とても思えない。でもまあ、先入観は禁物だ……。
「あのお、なんか用っすか? 僕――、結構忙しいんですけど」
「あなたから少々お話を伺いたいと思いましてねえ」
いつものように、タヌキ節がさく裂だ。
「お話? なんであんたなんかに……?」
「あのお、わたし、こういうものでして……」
そういってから、タヌキは警察手帳を西淵の鼻っ面に、これ見よがしに押し付けた。効果は絶大であった。
「ぎょえーっ、けっ、警察の方ですか?」
意味不明な感嘆詞をはいて、ブタがぶざまに尻もちをついた。相当に驚いた様子である。天気も良いので、俺たちは西淵庸平を外に連れ出して、そこで話をすることにした。
「今朝、勃発した事件はご存じでしょうか?」
「事件……?」
「実は、阿蔵家のご子息が惨殺されました」
タヌキは、『惨殺』という言葉に特に力感を込めて、いった。
「まさか、それって、道彦ですか……?」
「そうです。六条道彦さんです」
「そんな……。ちょっと前に会った時は、ピンピンしとったのに」
「ちょっと前とは、いつのことですか?」
「先週……。火曜日。道彦んちの離れまで行ってきた」
「六条家の離れ工房のことですかね」
「うん、たまに行って、駄話をしたりする」
俺は、家の横にある納屋へ目を向けた。農作業用の白い軽トラックに、苔色の原付スクーター、それに黒い自転車も一台だけ置いてあった。もし体重百キロの庸平が乗ったら、さぞかし苦労を強いられるのであろう、錆びかけたおんぼろ自転車だ。
「ここからだと、どうやって遊びに行くんですか? そのお、阿蔵屋敷まではかなりあると思いますが。五キロくらいですかねえ」
「うん、もっと正確にいうと、八キロある。晴れていればスクーターでさっと行けるけど、雨が降ると、車じゃないとだめだ。まあ、いざとなったらNバスという最終兵器もあるけど」
「そうですか。ところで、その阿蔵屋敷の離れ工房で、今朝、道彦さんが遺体となって発見されたのです」
「あの離れで? そうか……」
「ところで、道彦さんとはどういうご関係で?」
「ふーん、あんたら、ここに来るまでに調べて、どうせ知っているんだろう? じゃなきゃ、こんなド田舎までわざわざやってこんだろうからな」
西淵がはじめて嫌みを口にした。
「はははっ、こいつは一本取られました。まあそういうことになりますな」
別所はあっさりと認めた。
「道彦とは、小学五年生の時からの友達だ。僕が転校したんだ。すぐそこの七首小が廃校になっちまったんでね」
「そうですか。どんな方でした? 道彦さんは」
「うーん、わがままなボンボンだ。自分勝手で、いつも強がっているような……」
「あなたが彼をいじめていたとか、ありませんでしたか?」
「僕が道彦をいじめただって? はっ、誰がそんなことを?」
「その、いいにくいことですが、道彦さんに親しい一部の方からうかがった情報です」
別所が頭をかいた。
「ふん、その逆だ。いじめられたのは、この僕。いじめたのは、道彦とヘガワの二人さ――。もう、お互いに大人になったから、今さら怨みもなにもないけど、でも、あいつらが僕にしてきた仕打ちを全部並べれば、山の一つくらいもらったってまだ足りないね」
西淵は得意げに愚痴を並べたてる。
「ヘガワ……? ええと、ヒラカワのことですか?」
首を傾げながら、別所が問いただした。
「えっ――。ああ、そうだった。ヒラカワだ、平川猛成のことだよ」
西淵があっさりと訂正した。
「どんな仕打ちを受けたんですか?」
「いいたくもないし、思い出したくもないね。そんな話……」
「分かりました。ところで、あなたは、今朝、どちらにいらっしゃいましたか?」
「僕ですか……?」
警戒態勢を取るように、西淵が一歩後ずさりした。
「そうですか、なるほど。僕は重要参考人ってことっすか? 動機は、そうだな……、小さい頃から受け続けた数々の仕打ちに対する、勇気ある復讐ってとこか。この齢になってねえ……。はははっ、こいつはお笑いだ。
僕はずっと家にいました。昨日といわず、ずっとね。まさに、先週の火曜日以降ずっと、といってもいいですね」
「それを証言できる方は?」
「ばばあに……、いや、おふくろに訊いてみてください」
「それでは、さっそく……。ちょっとここにいてくださいね。今、お母さんにうかがってきますから。ああ、東京から見えた探偵さん、しばらくここで庸平くんとお話でもしていてください」
そういい残して、タヌキとキツネは家の中へ入っていった。どうやら、庸平が母親に何かを告げる隙を与えないように、見張り役ということらしい。しかし、取り残された俺の方は、困惑一辺倒だ。こんな気持ちの悪いうすらデブと、今さら話すことなどなにも浮かばないし。
「のんびりしたいいところだね、ここは……」
平凡な世間話から入ったが、デブはこちらに視線を合わせようとはせず、ひたすら家の中を覗き込んでそわそわしていた。ときどき、ブルブルと震えあがる滑稽な素振りを見せる。これだけパンパンに着込んで肌をおおい隠しているのに、まだ寒いのだろうか?
「あんた、探偵か? さっき、警部がそういっていたな」
「ああ、そうだけど」
しびれを切らしたのか、西淵の方から声をかけてきた。
「どっから来た?」
「所沢だ」
「それって、東京の区の名前か?」
「ふん、まあ、そんなところだ」
こんな田舎ものを相手に説明するのも、時間の無駄というものだ。
「探偵って、もうかるんか?」
「そうだなあ。魚は殿さまに焼かせよ、餅は乞食に焼かせよ――。とにかく能力に左右されるな。無能だったら一文にもならない過酷な商売だ」
「ちゅうことは、あんたはそれなりに能力があるって、そういいたいんだな」
「さあな。まあ少なくとも、商売としては成立している。俺の場合はな」
「教えてくれ。僕はうたがわれとるんか? あの警部たちに」
「どうかな? まあ、容疑者候補の一人にはなっているだろうけど、現時点で決定的な容疑者はいないはずだ。まだ、訊き込みも始まったばかりだしな」
「僕はやっちゃいない。そりゃあ、道彦には多少むかつくこともあったけど、そんなことで殺したりはしないさ。そうだ。きっと、平川のやつだ。あいつはカッとなると、あとさき考えなくなるしな」
「そんなに危険なのか? その平川って野郎は?」
「ああ、あいつは弱いものに対しては冷酷なサディストだ。とことん危険なやつさ」
「ふーん、それなら、お前さんみたいに六条道彦も平川におどされていたのか?」
「いや。道彦には金があるからな。俺とは違うよ。平川は道彦の単なる番犬だ。平川は自分よりも上だと認識した人間には、ぺこぺこと頭を下げるげす野郎さ。本当に、よくもああまで切り替えられると、逆に感心しちゃうぜ」
そういっているうちに、別所警部補と千田巡査部長が戻ってきた。
「おふくろはなんと……」
西淵が心配そうに警部補に駆け寄ろうとしたが、途中でけつまずいて、よろけた。どう見ても、狡猾な犯人というよりは、エサを過剰摂取し過ぎたブタである。
「ああ、お母さまは、あなたがずっとここにいた、と証言なさいましたよ」
「そうですか。ああ、よかった……」
西淵はほっと肩をなでおろした。ちょっと駆けただけなのに、ぜいぜいと息を切らしている。
「それじゃあ、また来るかもしれません。捜査のご協力、ありがとうございました」
そういって、俺たち三人は西淵を残して立ち去った。パトカーが止めてある公民館までは、行きとは逆で、今度は急な石段をのぼらなければならない。息を切らせてのぼり切ったはるか遠くに、夕陽に照らされた例の豪邸が見えた。
「こいつは、すごいおうちですねえ……」
思わず感心した俺がつぶやくと、
「ああ、七首地区のかつての領主さまだった蓮見家ですな。六条家も大きなお屋敷でしたが、こっちはなんせ洋館ですからなあ。まあ、風情も全然違うっちゅうわけですよ」
と、別所警部補が答えた。
パトカーに乗車してから、俺はぽつりとつぶやいた。
「西淵庸平のアリバイは成立ということですかねえ。身内の証言によって……」
「さあ、どうですかな。わたしが見たところ、あの母親は、息子に頭があがらないみたいです。実際に、昨晩、彼を部屋の中で見たという証言でさえも、信頼してよいのかどうかはあやしい節があります。息子から脅迫されている可能性もありますからな」
「どういうことですか?」
「家庭内暴力ですよ。母親はそんなことは口にしませんが、そんなの一目見れば分かりますって……」
そういって、別所警部補は深くため息をついた。
時刻は午後四時を過ぎていた。もちろん暇などなかったから、俺たちは昼飯を食いっぱぐねている。七首部落をあとにして、パトカーはもと来た山道を下り始めた。目的地は千田巡査部長の勤務する新郷警察署だ。
パトカーの後部座席でふんぞり返って、俺は思考にふけっていた。今回の事件の犯人は、当初は、平川か西淵のどちらかで間違いなかろうと思われたが、実際に会ってみると、そんな自信もすっかり吹っ飛んでしまった。平川はあまりに馬鹿過ぎて、今回の犯人像とは全く重ならない。こんなまわりくどい手段は取らずに、ざっくばらんにバッサバサッと行動するタイプだ。西淵の方がまだネチネチしていて、雰囲気はある。しゃべり方からかもし出される子供っぽい性格は、犯行メールの書き手を思わせる感じがしないでもないが、にしても何かがずれている。なんというか、狡猾な犯人というよりも、こいつはピエロなのだ。プライドが高くわがままだけど、追い込まれると自暴自棄となり、事件をかく乱する不可解な行動を取ったあげくに、用済みとなって犯人から殺されてしまうタイプ。やはり、狡猾な犯人といった感じはしない。
助手席に座っている別所警部補が声をかけてきた。
「探偵さんは、これからどうされるおつもりですか?」
「ええと、昼飯ですか?」
「ああ、これは気付きませんでした。わたしがうかがいたかったのは、このあと、東京へ戻られるのかどうかということです」
とっさに発した失言に赤面をしたが、別所の質問は思わぬ救いとなるかもしれない。俺は慎重に言葉を選んだ。
「もう少しここにとどまりたいとは思っているのですが、なにぶん、昨日は急いで事務所を飛び出してきましてね。今晩からの宿泊の手配がなんにもできていません。捜査に協力しやすい場所であって、この近辺の、どこか、安い宿はありませんかねえ」
さあこれで、新郷署でただ宿泊ができるのではないか、とひそかに期待した俺であったが、別所警部補がしばらく考え込んだ。
「ああ、なるほど。泊まるところですか。うーん、千田――、東京から来た探偵さんがお泊りになる手ごろな宿屋は、どっか近くになかったっけ?」
すると、運転をしている千田巡査部長が、
「そうですね。一昔前ならこのあたりでも宿屋が数軒あったんですけどねえ」と答えた。
一昔前とはいったいいつのことやら。今のここに宿屋を開業したところで、閑古鳥が鳴いて商売あがったりとなるのが落ちだろう。
「そうだ。龍禅寺はいかがですか?」
寺か……? あたたかい寝床を期待していた俺は、少なからず蒼ざめた。
「あそこなら、いくらでも部屋があるでしょうし、それに食事の世話も、ひょっとしたらしてくれるかもしれませんよ」
「食事の世話?」
「はい。あそこは和尚と小坊主の二人暮らしですから、こころよく探偵さんに協力してくれると思います。もっとも、こんな田舎、ほかに宿なんかないでしょうしねえ」
「龍禅寺かあ。場所も巣原だし、あっこなら、七首村の好きなところへ、いつでもいけるしなあ」
「さっそく、和尚に交渉してみましょう」
ということで、思わぬいきさつで、俺は巣原地区にある龍禅寺という古寺に連れて行かれ、しばらくそこで宿泊させてもらうこととなった。
「ああ、東京からいらした探偵さんですか。こんな田舎の貧乏寺、なんのおかまいもできませんけんど、よかったら、いくらでも、いてくだせえ」
龍禅寺の良延和尚は、つるつるに頭の禿げあがった好々爺であった。御年七十三歳ということで、顔はしわしわ。腰もくの字にひん曲がってはいるが、元気に畑仕事や境内の掃除とか、なんでもしているようだ。この寺には、もうひとり、良魁という小坊主がいるそうだが、今は、里帰りをしているとのこと。年に一度、この年末の一週間だけ実家へ帰ることが許されるそうで、それ以外は、この寺に住み込みで生活をしているらしい。学校も、この寺からふもとの新郷東高校まで、毎日通うそうだ。もっとも、実家も新郷市内にあるということで、なにかあればいつでも、Nバスを利用して一時間ほどで帰ることができるそうだ。
龍禅寺で宿泊することによって、俺としては調査が格段にやりやすくなった。食事は質素で量も決して多くはないが、きちんと三食出るし、こちらがお金を出すといっても、良延和尚は、別に一人の食事を作るのも二人作るのも同じだからといって、受け取ろうとしなかった。まあ、事件が解決したのちに、寄付金という形で一気にお礼を返せば、それでよかろう。
その晩は、龍禅寺の奥にある広い立派な間で、のびのびと独り寝ることができた。障子から隙間風がわずかにこぼれて来るものの、十分に快適な部屋だ。
暖房器具は、火鉢――。和尚から三十分ほど講習を受けて、使い方や補助道具の意味を理解した。そして、風呂は、薪で沸かす五右衛門風呂――。五右衛門風呂をご存じだろうか? 釜ゆでの刑に処せられた天下の大どろぼう石川五右衛門にちなんで名づけられた風呂で、鋳鉄で作られた釜の形をした風呂桶に、下から直接薪で火をくべてお湯を沸かすのだ。このまま風呂桶の中へ入ってしまうと、熱せられた釜底で足を火傷してしまうので、風呂には必ず木でできた浮き蓋が浮いている。その浮き蓋を踏みつけるようにしながら底板の代わりにして、湯船の中へ入るのだ。効率を考えれば、五右衛門風呂は理にかなったすばらしい入浴システムといえよう。ガスや電気は、もちろんあるのだが、それに極力たよらない生活が、この寺にいると、いくらでも体験できる。
朝の目覚めは、それはとても心地よいものだった。殺風景な大部屋の中央に敷かれた布団の中で、大の字に寝転がったまま俺は大きく背伸びをした。
起きあがって、腕時計を眺めると、時刻はもう八時半になっていた。なにもないが故に、床の間に飾られた四つ曲がりの屏風へ、自然と目が向かう。高さが一メートルに満たないその屏風には、水墨画の山水図が描かれていて、さらによく見ると、ミミズがはいずったような草書文字が、ちょろちょろと書かれていた。かなりくずされていて、なにが書いてあるのかさっぱり判読できない……。
それは漢字と平仮名が入り混じった文章で、全部で八行並んでいた。それぞれの文の長さは、せいぜい五文字程度なので、最初は和歌ではないかと推測したのだが、八行も文章が連なっているから、五,七,五,七,七といった単純な和歌ではなさそうだ。作者名も記されていないし、明らかに平仮名も混じっているので、漢詩というわけでもなかった。
寝起きでぼーっとまどろんだ心地よさの中で、俺はこの謎めいた文章を解いてみようといったんは意気込んだものの、すぐにあきらめた。解読したところで、別になにかの役に立つとも思えぬし、と捨て台詞だけを唱えて、そのまま居間へおりていくと、和尚があたたかい朝食の膳を用意していた。
食事を取ってから、俺は大野駐在署へ出向いて、堀ノ内巡査と会った。その目的は、移動手段のための自転車を手に入れることだ。警察ならば、放置自転車を管理しているだろうし、その中から一時的に俺がひとつ借りたところで、たいして問題はなかろう、という相談である。堀ノ内巡査はあまりいい顔はしなかったが、最終的には俺は一台の自転車を手にすることができた。もっとも、これがあったところで、七首村を自在に移動できるというわけでもないが、歩きに比べればずっとましだ。
帰り道に大野の町のコンビニで必要になりそうなものを買っていたら、いつの間にか、自転車の前かごからはみ出してしまうほどの分量となってしまい、龍禅寺まで延々と続くのぼり坂を、俺は自転車を手で押しながら歩く羽目になってしまった。ようやく巣原地区の龍禅寺へたどり着いた時には、時刻は三時近くになっていた。調達した荷物を部屋へ押し込んで、ひと息ついた時、俺のスマホが鳴り出した。発信元は、リーサである。
「どうした、リーサ?」
「リンザブロウさん――。たった今ですけど、新しいメールが送信されてきました……」