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七首村連続殺人事件  作者: iris Gabe
解決編
32/35

32.どんでん返し

 じめじめと湿った狭い部屋の中に、俺と恭助だけが残された。

「どう思うね? なんでも屋の兄ちゃんよ」

 つかの間の静寂を破って、恭助のほうから口を開いた。

「ばかばかしい、真由子が犯人だなんて……」

 正直に告白しよう。この時、俺の頭脳は完全に混乱を極めていたのだ。

「そもそも催眠術なんて証拠になるのか? そんなことなら、誰だって殺人が可能となってしまう」

「まあ、そういうことだよね」

 恭助も簡単に同意した。

「しかし、このままでは真由子の逮捕も時間の問題だ。本当に真由子以外の真犯人はあり得ないのだろうか?」

 俺は頭を抱え込んだ。その姿を憐れむように見ていた恭助がポソっと口ずさむ。

「今回の連続殺人事件の真相を突き詰める前にさ、やっておかなければならないことがある。

 それはね、二年前に起こった事件の謎を解き明かすことだ!」


 二年前の事件といえば、蓮見雷蔵変死事件か――。

 たしかにこの事件も真相が濃い霧の中につつまれている。老翁が足を滑らせて転落した不慮の事故のようにも思えるこの事件だが、果たしてそれが真実なのだろうか?

「蓮見雷蔵の遺体が見つかったのは、おととしの八月十八日。場所は阿蔵の七滝で、時刻は午後五時を過ぎていた。遺体の発見者は、戸塚真由子と浅木夢次の二人組。二人は雷蔵をやみくもに探索していたのだが、たまたま運よく遺体を発見することができた」

「まさに、偶然という言葉がぴったりだな……」

「そうだね。偶然というより奇跡だね。なにしろ、二人が出発した七首屋敷から阿蔵の七滝までは、実に七キロも離れているのだからねえ」

「たしかに、その通りだ」

「さて、ここでなんでも屋に質問だ。こいつは本当に偶然だったのか?」

「発見できたことが偶然でないというのか……。でも、そいつが偶然でなければ、二人は雷蔵が死んでいる場所をあらかじめ知っていたということになる。さすがに、それはないだろう。第一、知りようがないじゃないか?」

「それでも知っていた、とすれば……?」

「あり得ないな。たしか真由子の話では、阿蔵の七滝へ行こうと申し出たのは真由子自身だった。しかし、どうして真由子に雷蔵の行方を知ることができるんだ? 雷蔵と千桜が行き先を魔女の隠れ家と告げて七首屋敷を二時に出発してから、真由子はずっと屋敷の中にいたんだぜ。

 まさか、別所警部補がいっていたように、真由子は雷蔵に阿蔵の七滝で沢に飛び込むよう催眠術を事前に施していたとでもいいたいのかな?」

「催眠術はないよ。さっきもいったけどね」

「じゃあ、GPSか……。そうか、雷蔵はGPS機能付きの携帯電話を持っていたのか」

「蓮見家で訊いてみたけど、雷蔵は携帯を持たない主義だったようだし、実際に遺体は携帯電話を身に着けてはいなかった。千桜が携帯を持っていたとしたら真由子が連絡を取っていただろうから、おそらく千桜もその日は携帯を身に着けていなかったのだろう」

「となれば、真由子が雷蔵の行き先を予測することはやはり不可能じゃないか」

「そうだね。でももう少し冷静に考えてみよう。

 雷蔵と千桜がいっしょに阿蔵の七滝にいったとすると、必然的にNバスを使ったことになる。しかし現実では、千桜だけが四時に七首屋敷へ戻ってきた。

 ところで、二時二十五分に下七首バス停を出るNバスに乗って阿蔵の七滝へ向かったとすると、二時三十九分に七滝口バス停に着く。でもそこでバスから降りてしまえば、七キロの道のりを一時間ちょっとで歩かなければ、四時に七首屋敷まで帰ってこられないんだ」

 俺は巣原から阿蔵までかつて実際に歩いた経験を思い出した。たしかに、逆向きに阿蔵から巣原へ向けて歩くとなると上り坂一辺倒となり、小学生の足で一時間というのは明らかに無理がある。

「ただ、千桜が四時に七首屋敷へ戻る方法が一つだけある。それは、七滝口バス停でバスから降りずに、そのままNバスに乗り続けて、一まわりして下七首バス停まで戻ることだ」

「つまり、千桜の四時の帰宅を合理的に説明するには、下七首バス停で二時二十五分発のNバスに乗った二人が、なぜか雷蔵だけが七滝口バス停で下車をして、千桜はそのままバスに乗り続けて下七首バス停まで戻ってきた、という奇妙な解釈しかないことになるのか」

「そうだね。きわめて非現実的だよね」

 恭助はすまし顔だ。

「そして、お前には別の解答があるというんだな」

「そうだね。少なくともこれよりはずっとましな説明がね」

「まいったよ、降参だ――。いってみろ。その、『ましな説明』とやらを」

 俺はあっさりさじを投げた。

「じゃあ、述べさせてもらうよ。二時に七首屋敷を出た二人が魔女の隠れ家へ行き、千桜だけが四時に屋敷へ帰ってきて、さらに五時過ぎに阿蔵の七滝で雷蔵の遺体が発見される、ということをすべて説明できる別の解答をね」

 そんなことが本当に可能なのか? 俺はまだ半信半疑だった。

「ところで、魔女の隠れ家ってそもそもどこにあるんだろうね?」

 唐突に恭助がエニグマを提示した。

「阿蔵の七滝のそばじゃないのか?」

「と思うのが普通だけど、実際はそうじゃなかった。魔女の隠れ家は、阿蔵の七滝とは真反対の方向にあったんだよ。

 魔女の隠れ家はね――、浅木夢次の家だったのさ」


 得意顔でふんぞり返っている恭助を目の当たりにして、俺は少々面白くなかった。

「浅木夢次の家が魔女の隠れ家だと断言するからには、なにか根拠があるのだろう。はっきりいってみろよ」

「じゃあ、遠慮なく。

 浅木の家が魔女の隠れ家としてはもっともイメージが合致する場所であることに異論はないと思う。ただ、雷蔵の遺体が見つかった場所とはあまりにもかけ離れていたから、俺たちは魔女の隠れ家が別の場所にあると勝手に想定してしまったんだよね。でも、七首屋敷から浅木の家までは歩いて小一時間。千桜が往復して帰ってくるには十分に可能な距離だ。

 そこで俺も実際に歩いてみたんだけど、行きは上りが多くて四十分かかったけど、帰りは三十分足らずで戻ってこられたよ。だから、老人と子供の足だとしても往復に一時間半もあれば十分戻ってこられると思う。ピッタリなんだよね、時間的にもさ」

「つまり、雷蔵と千桜は浅木の家に行って、そこで三十分ほど滞在してから七首屋敷まで戻ってきた。でも、雷蔵はそこから千桜だけを屋敷へ帰して、自分は一人切りとなって阿蔵の七滝まで歩いて行って、そこで谷底へ落ちてしまったということか?」

「浅木の家を出た雷蔵が、そのまま歩いて七滝口バス停まで行くことは、時間的に無理だな。七首屋敷から阿蔵の七滝まで歩くと、それこそ二時間近くかかってしまうからね。たしか、七キロだったっけ?」

「七首屋敷から阿蔵の七滝まで歩いて二時間となれば、浅木の家からは二時間三十分をゆうに要することとなる。たしかにそいつはあり得ない。

 だけど、雷蔵が車を使ったかもしれない」

「そうだね。車を使えば移動自体は可能となる。実際、雷蔵は車の運転ができたみたいだしね。

 でもさ、仮にNバスを利用したとすれば……。浅木の家から下七首バス停までは歩いて三十分。Nバスが下七首バス停を発車するのは、時刻表によれば十四時二十五分、十五時三十八分、十六時五十六分だから、このいずれかに乗っていることになる。でも、十四時二十五分と十五時三十八分のバスだと出発が早過ぎて、雷蔵は浅木の家から下七首バス停まで戻ってこられないし、十六時五十六分のバスでは今度は遅すぎで、真由子たちが七滝口バス停で遺体を発見する時刻に、雷蔵は遺体発見現場へ到着ができない。すなわち、Nバスの利用はあり得ない!」

 恭助が意地悪く断言した。

「ならば、雷蔵はどこかで車を調達したんだよ」

「ふーん、だけどおかしくないかなあ。自家用車を使えば七滝口の駐車場に車が停めてあるはずだし、タクシーを使ったとしても、雷蔵は遺体で発見された時に携帯電話を持っていなかったから、タクシーをどうやって呼び出したのか説明がつかない。まさか、こんな究極のド田舎に空タクシーがタイミングよく雷蔵の目の前に出没したというのなら、話は別だけどね」

「ということは、雷蔵が浅木家の家に立ち寄れば、阿蔵の七滝へは行けなくなる。つまり、浅木の家が魔女の隠れ家だという説には矛盾が生じていることになる」

「ところが、それらをきちんと説明できる推理があるのさ。実際に雷蔵は車を利用して浅木の家から阿蔵の七滝までを移動していたんだぜ」

「どうやって?」

「蓮見雷蔵はね、浅木夢次の車に乗せてもらったんだよ」

 そういって、如月恭助は白い歯を見せ、あざけるように笑みを浮かべた。


 返すべき適当な言葉が浮かんでこなかった。話があまりに常軌を逸している。

「そいつはさすがにおかしいだろう。真由子の証言によれば、浅木夢次が七首屋敷に顔を見せたのは三時半だった。仮に浅木の家にいた雷蔵を、三時過ぎに浅木が家の前で車に乗せて、そのまま阿蔵の七滝まで送り、そこで雷蔵を下ろして、自分だけ引き返して七首屋敷に顔を出すなんて芸当は、やってやれないことはないかもしれないが、時間的にはギリギリだ。それに、七首屋敷での浅木は、雷蔵が帰ってくるまでここで待たせてもらうと真由子にいって、そこに強引に居座った。言動に矛盾が生じているじゃないか?

 さらには千桜の存在も考えなきゃならない。千桜が浅木の車に乗っていっしょに移動したというのなら、浅木が七首屋敷に着いた時刻の三時過ぎから千桜が戻ってくる四時までの一時間を、千桜はどこで過ごしていたというんだ?」

「ふふふっ、たしかに雷蔵は浅木の車に乗せてもらっていたんだよ。でもさ、それはふかふかの助手席や後部座席ではなかったのさ。

 雷蔵が乗っていた場所はね――、トランクの中なんだよ!」


「トランクの中?」

「覚えているかい? 浅木夢次の車はセダンだった。いいかえれば、助手席や後部座席に乗っている人物からトランクの中が見えない構造になった車なんだ。三時半に浅木が七首屋敷に顔を出してから真由子と立ち話をしている間じゅうずっと、蓮見雷蔵は浅木の車のトランクの中に隠れていた。そして、真由子と浅木が雷蔵を探しに車に乗って移動しているときにも、ずっとトランクの中でじっとしていた……」

「とどのつまり……」

「その通り――。その時に雷蔵はすでに死んでいたんだ!

 そして、真由子といっしょに七滝口まで移動した浅木は、真由子だけを先に探索に行かせて、隙を縫ってトランクから遺体をかつぎ出すと、そのまま遺体を沢へ放り投げた!」

 年老いた蓮見雷蔵の体重なんて五十キロくらいだろうから、浅木がかつぎ出して谷底へ突き落すことは十分に可能だ」

 雷蔵変死事件の真犯人は浅木夢次だった……。

「たしかに面白い推理ではあるが、残念ながら証拠はなにもない」

「ああ、そうだね。でも、これで浅木夢次が酔っ払っていたにもかかわらず七首屋敷まで車で出向いて、真由子とどうでもいい話をしたのちに、当てずっぽうなのにものの見事に屋敷から七キロ離れた場所で死んでいる遺体を発見できた奇跡の説明ができる。

 当時の浅木が酒に酔っ払っていたのは、雷蔵の殺害が浅木にとっては不慮の出来事であったことを意味する。わざわざ殺人を犯してそのあとで車を運転しようと計画立てている人間が、事前にお酒を飲むなんてあり得ないからね。

 それに、遺体を処理できたことも単なる偶然ではなかった。雷蔵が訪れそうな場所はどこかとの問いかけに真由子がどう答えようとも、浅木にはたいした問題ではなかった。どこであろうと、そこまで真由子といっしょに出向いて、真由子の目を盗んで遺体を捨てればよいのだ。通常の街中ならばこんなことはできない。いくら真由子の目を盗んでも、近くを歩いている通行人に目撃されてしまうからだ。でも、ここはどこにいってもほとんど人がいないド田舎だから、そんな心配もまったくご無用。まさに究極の過疎地域だからこそできた必殺トリックだよね」

 恭助の滑舌は絶好調だ。

「雷蔵の殺害現場は……?」

「もちろん、魔女の隠れ家さ」

「でもその場には千桜もいたんだぞ。千桜は犯行を目撃していたのか?」

「この事件には依然として未解決問題が残されているよね。なぜ、雷蔵は千桜を連れて魔女の隠れ家に出向いたのか? なぜ、千桜は一人で屋敷へ帰って来たのか。なぜ、雷蔵の遺体はパンツを履いていなかったのか?」

 そうだ、遺体はパンツを履いていなかった……。あまりにどうでもよさそうなことだったので、俺はこの事実をすっかり忘れていた。

「ここからは想像するしかないけど、たぶん真実はこうだ。とても、おぞましい話だよ。

 雷蔵が千桜を魔女の隠れ家に連れ込んだ真の目的は――、千桜に乱暴するためだったんだ」


 一瞬、すべてが空白になった。かつて村娘の半分を手籠めにかけたといういわくつきの蓮見雷蔵――。八十歳を超えてなお性欲が失せず、しかも犯す相手ターゲットがわずか十歳の小学生児童とは……。

 かつて千桜が『誰にもくちびるは奪われていないんだから』といったのを思い出す。あの時、千桜は『くちびるを』とはいわずに、『くちびるは』といった。もしかしたら千桜は、身体は奪われてしまったけどくちびるはまだ奪われていないのよ、といいたかったのかもしれない。さりげなく発せられた助詞の『は』には、想像を絶する幼い少女の悲痛な叫びが秘められていたのだ。

「千桜を襲うために、雷蔵は千桜を連れてひと気のない一軒家の浅木の家――通称、魔女の隠れ家へ行った、というのだな。だが、魔女の隠れ家には、家主の浅木がいるはずじゃないか?」

 俺は恭助に問いかける。

「雷蔵は事前に浅木に電話で連絡をしていたんだ。浅木の家にも黒電話があったのは覚えているよね。浅木の家を別荘代わりにしてくつろぎたいから半日貸してもらいたい。その間浅木はどこか外へ出ていってくれ、と指示を出したんだよ。いくらかの金銭を受け渡す約束でね。もしかすると、それまでにも同じようなことが幾度かあったのかもしれない。なにしろ浅木の家は景色が絶品だし、人も来ないからくつろぐには最適だ。

 浅木もなんの疑いもなく家を明け渡した。その間、山へ狩りにでも出ていればいいのだからね。しかし、雷蔵が魔女の隠れ家を借りた目的は、森林浴のためなんかではなく、ラブホテルとして利用するためだった。

「ちょっと待てよ。いくらなんでも、話が突飛過ぎる。雷蔵はいつも千桜といっしょに七首屋敷に住んでいたのだから、わざわざ場所を変えなくたって千桜を襲う機会などいくらでもあったはずだ。いや、それ以前に、雷蔵は八十歳のじいさんなんだぞ」

「八十になったじいさんでも性欲があって不思議じゃない。だけどさ、蓮見家の大旦那さまが小学生をレイプしたなんて、もしも家族に見つかったらさすがにやばいでしょ。それにはさすがの雷蔵も少なからず抵抗があったんじゃないのかな。

 もっとも、雷蔵が千桜を襲った動機はね、正確には魔女の刻印を調べるためなんだよ。

 魔女の刻印――。千桜の恥部に刻まれた忌まわしきほくろ。家政婦が確認したと主張したものの、雷蔵は自らの目で千桜の魔女の刻印を確認しなければ収まらなかった。なにしろ莫大な蓮見家の財産の受け取る跡取りとしての正当な証なのだからね。

 平成二十六年の八月十八日、蓮見雷蔵は千桜の手を取り七首屋敷を出る。時刻は午後二時。二人が向かったのは魔女の隠れ家こと浅木の家。そして魔女の隠れ家に到着したのは三時前だった。その時、浅木は指示に従って家を空けて外出していた。

 雷蔵は千桜を家の中に招き入れて、少しのあいだ話をしたかもしれないが、やがて本性を現す。布団の上に千桜をたたきつけ、覆いかぶさって、千桜のパンツを脱がそうとした。驚いた千桜は必死になって抵抗を試みたものの、力は雷蔵の方がはるかに強い。無理やりに両脚が押し広げられ、股間が露出する。やがて雷蔵は千桜の身体に刻まれた魔女の刻印を確認することとなる。

 でも目的を達した直後、雷蔵の埋もれていた性欲に突如火が点いてしまう。我慢できなくなった雷蔵は自らのパンツをずり下ろすと、あろうことか千桜と交わろうとした。

 そこへタイミングよく浅木が帰って来る。なにか忘れ物をした程度のささいな理由だったのかもしれない。雷蔵が家の中で一人くつろいでいるのだろうと思った浅木は、なんの悪気もなく家の中へずかずか入ってきた。そこで目の当たりにしたのが、泣き叫ぶ少女とそれに覆いかぶさる下半身をむき出しにした男だ。

 浅木は大声をあげて、雷蔵につかみかかる。千桜はその前後で気を失っていた。無我夢中の浅木は雷蔵を少女から引き剥がすと、いきおいで横に放り投げた。たまたま運悪くそこに大黒柱があって、後頭部をぶつけた雷蔵はそのまま息絶えてしまう。ほんの一瞬の出来事だった。

 浅木は気を失って横たわる少女に布団をかぶせてから、倒れている悪漢を起こして顔を確認した。するとあろうことか、そいつはパトロンの蓮見雷蔵ではないか? 驚いた浅木は、今自分が置かれている立場が極めて危険であることに初めて気づく。雷蔵の息は絶えていた。自分は雷蔵を殺してしまったのだ。しかも、見たこともない少女が襲われた状態のまま気を失っている。こちらはまだ息があるみたいだ。とにかく、このまま殺人犯として警察に捕まってしまうのは本意ではない。なにかできることはないかと浅木は考えた末に、雷蔵の死体を移動させることを思いついた。いずれにせよ、このまま我が家に遺体を置いておくことになにもメリットはない。遺体を移動させることが最優先だ。少女はとりあえずここに残しておこう。ひょっとすると、自分が雷蔵を殺した場面を覚えていないかもしれないし、口封じのためにここで殺してしまうのはなんとも忍びない。浅木夢次は、根っこはいい人間だったんだよ。

 そこで浅木は雷蔵の遺体だけをかつぎ出して、車のトランクに乗せた。このとき、うっかり雷蔵がパンツを脱いでいる事実を忘れて、遺体にパンツを履かせることをしなかった。まあ、極限状態だから、気づかなかったのも仕方のないことだけどね。浅木の車はセダンだから、助手席に同乗した人物にはトランクの中にある遺体が見えない。ひょっとすると、こいつを利用してアリバイが工作できるかもしれない。

 アリバイの証人として適切な人物はいないかと思案するうちに、浅木は大胆にも蓮見家へ直接乗り込むことを思いついた。なにか適当な口実をもうけて、たとえば熊の毛皮を売りたいとかいいながら、蓮見家の誰か使用人の一人といっしょに適当な場所へ出向き、相手の隙を見て遺体をそこへ捨てることができれば、自分には強烈なアリバイができる。そもそも、浅木自身に蓮見雷蔵を殺す動機なんてないのだから、偶然に遺体を発見した浅木が容疑者として疑われる心配はまずなかろう。

 そう考えた浅木は、たまたま蓮見家で出会った戸塚真由子と世間話をしながら、ひそかに機会チャンスを待ったんだ。

 一方で、浅木の家に一人残された千桜は、浅木が立ち去ったあと、ふと意識を取り戻す。布団が掛けられていたものの、下着は履いていなかった。意識を失う前におじいさんが強引に脱がせて、そのまま押し倒してきたんだ。必死に抵抗したけど、そのあとははっきり覚えていない。でも、意識を取り戻した今、家の中におじいさんの姿はない。

 千桜はよろよろと立ち上がって、そばに落ちていた自分のパンツを見つけると、それを履いてから、家の外へ出た。来た道は覚えていたから七首屋敷までは戻ることができた。こうして四時過ぎに千桜は蓮見家へ帰って来た。

 千桜が蓮見家に帰って来た時、真由子と浅木は玄関口で立ち話をしていた。浅木は帰って来た千桜の顔を見て、一瞬ドキッとしたかもしれないが、千桜は浅木に全く気づいている様子はなかった。そのまま幽霊のように目の前を通り過ぎて、屋敷の中へ入ってしまう。

 浅木はしめたと思ったのかもしれない。これで、あとは真由子をうまく連れ出して、雷蔵の遺体をどこかに破棄することができれば、我が身の安全が保障される。こうして、浅木の計画は万事順調に進んでいったんだよ」

「全部推測だ! 証拠はなにもない……」

「たしかに、証拠はなにもないよ。でもさ、いろんな事実をうまく説明できているとは思わないかい? たとえばさ、浅木がどうして季節外れの熊の毛皮を強引に売りつけようとしたのかも、見事に説明がつく」

「季節外れ?」

「そうだよ。熊の狩猟期は冬だ。せいぜい秋から春までなんだよ。真夏の時期に熊を捕まえるなんて、よほどの事情がない限りあり得ない。それに、真夏の炎天下にどこの物好きが熊の毛皮を買いたいと思うんだい? 浅木が熊の毛皮を売りに来ていること自体が、不自然極まりないんだよ」

「でもそれが真実ならば、蓮見雷蔵は意図的に殺されたのではなく、不慮の事故で死んだことになる。しかも因果は自業自得だ。浅木夢次は結果的には殺人を犯してしまったけど、むしろ哀れなやつということになる」

「そうだね」

「浅木夢次は今回の連続殺人事件の犯人なのだろうか?」

「おっと、そいつはあんたの説じゃないのかい? 浅木夢次が今回の連続殺人鬼だっていうのはさ」

「いや、俺は浅木を調べることが真犯人の逮捕のために重要なカギを握っていると思っているだけだ」

 俺は言葉を濁しておいた。すると恭助が返したのは驚くべき言葉であった。

「そうだよね。でもさ、俺の考えでは、浅木夢次は今回の事件の犯人ではないんだよ――」

「なんだって?」

 チビ助の目がきらっと輝いた。

「じゃあ、いよいよ本題に移ろうか。真犯人を突き止めるという」

 俺は恭助の発言がにわかには信じられなかった。

「突き止めることができるのか?」

「たぶんね……。じゃあいくよ」

 恭助は自信に満ち溢れた口調で語り始めた。


「別所警部補の推理では使用人の戸塚真由子が犯人だったね。たしかに真由子が雷蔵の落とし子だったというのなら動機としては十分過ぎる説得力がある。でも、犯行手段が催眠術によるものだという推理はナンセンスだ。そして、警部補は二年前の雷蔵事件の犯人も真由子だと断定していたけど、今披露した俺の推理で、浅木夢次が犯人だとすればすべてうまく説明できる」

「でも、この事件が複数の共犯で行われた可能性は依然として残っている。たとえば、西淵を殺した人物が千田で、しかし、穂積を殺したのは良延和尚。そして、平川を殺したのも良延和尚とか……。そうだ、これなら今までの議論に矛盾をしてはいない」

 俺が口をはさんだ。

「だめだね。良延和尚は車の運転ができないし、良魁くんも同じ理由で、平川殺しの犯行が無理だ。平川が殺害された場所は、浅木の家ではなくて、おそらく別な場所だよ。遺体は殺されてから運ばれたんだ」

「どうしてそう断言できる?」

「だってそうじゃない。あの時の平川は、次に殺されるのは自分だと終始おびえ切っていた。そんな男が、いかにも殺されそうな雰囲気を醸し出す気味の悪い浅木の家をわざわざ訪問する理由がない」

 なるほど、たしかにその推理は的を射ている気がする。

「じゃあ、浅木が犯人で、犯行はすべて彼が行ったけど、予告メールは別の人物が送っていた可能性は……」

「それは誰? 浅木に犯行をさせるように命令ができる人物とは?」

「千桜?」

 恭助は肩をすくめると、ふっと両手のひらを空へ向けた。

「そうだな。面白い考えだけど、厳しいな。千桜が浅木に指示を与えようとしても、二人の間には連絡手段がない。浅木はパソコンが使えないし、千桜は蓮見家にいつも閉じ込められている籠の鳥だ」

「電話なら可能だ。千桜は携帯電話を持っているし、浅木の家には黒電話があった」

「それならもう調査済みさ。浅木の固定電話は、ここ半年の間、浅木の家から掛けた履歴が一件もなかった。もちろん、千桜の携帯からの通話記録もなかったよ」

 こいつ、なにもしてないふりをよそおいながら、実際はかなり細かいことまであれこれ調べていやがる……。

「すると、犯人はやはり真由子しかいないということか?」

 それを聞いた恭助が突然からからと天狗のように笑いだしたから、俺はびっくりした。

「はははっ――、そうなっちゃうんだ?

 実はさ、真由子には西淵殺しができないんだよ、さっき警部補にはいわなかったけどね」

「どうして?」

「真由子が西淵を殺そうと思ったら、逃げ水の淵で事前に待っていなければならないよね。どうして、西淵がそこへやって来ることを彼女は予測できたんだい? もちろん、催眠術なんて答えはなしだ」

 そうなのだ。この事件の謎といえばいつもここへ戻ってくる……。

「なんでも屋や、千田巡査部長のように西淵を直接追いかけていたというのならまだ話は分かる。でも真由子に西淵を追いかけることはできなかった。そんなことをすれば、なんでも屋や千田巡査部長の視界へ入ってしまうからね」

「となると、いろは歌連続殺人の容疑者が誰もいなくなってしまうことになるぞ」

「いいや。ところがまだ一人残っているんだなあ……。それもさ、ド本命の容疑者がねえ……」

 一瞬、会話が途切れた。

「誰だ――? そいつは?」

 俺は恭助と目を合わせたが、やつがなにを主張したいのかさっぱり分からない。

「まず、これまでに分かっている犯人像をまとめてみようか」

 恭助はさばさばと応答する。

「他人のメールアカウントを襲撃できるくらいの高いIT知識を有した人物で、さらには、井戸田五鈴、六条道彦、蓮見悠人の事件で明確なるアリバイを持っておらず、西淵庸平を逃げ水の淵へ突き落とすことが物理的に可能な人物で、穂積智宙の殺害時にもやはりアリバイがあいまいで、平川を殺害する体力と車の運転技術を有し、今回の事件では四六時中俺たちの前にのうのうと顔を出している。

 そんなすべての条件を満たす唯一無二の登場人物がたった一人だけいる。つまりは、そいつが真犯人なのさ」

 勝ち誇ったように恭助が宣言する。異様な場の雰囲気にのみ込まれた俺は、緊張のあまり息をぐっとのみ込む。

「だ、誰なんだよ――。そいつは……?」

 しぼり出すような弱々しい声で、俺は同じ台詞を繰り返す。その姿を見た恭助の右手がゆっくりと動き出し、その冷たい人差し指の先はピンと俺の顔へと向けられる。

「あんただよ、なんでも屋――。

 今回の忌まわしき事件を引き起こした冷酷非道な連続殺人鬼は、堂林凛三郎だ――!」


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