31.途方に暮れる
翌日の六月二十三日。別所警部補と千田巡査部長の二人に『と』の犯行が予告されたメールをいち早く報告せねばと、俺は新郷署内を端から端まで駆けずり回って探したのだが、なぜか両名とも見つからず、そこいらを歩いている署員に訊ねても、『さあ』とか『分かりませんねえ』とかあいまいな応答しか返ってこない。そういえば肝心の如月恭助の姿もさっぱり見かけない。俺と恭助は、新郷署にずっと居候状態のやっかい者同士だから、ちょっと探せばたいていはすぐに見つかるはずなのだけど、今朝に限って珍しく、どこかへ捜査にでも出かけてしまったのだろうか。
そして、その日の午後になってようやく、別所、千田、恭助の三人がそろって一階に設置されたコーヒー自販機の前でたむろしているのを、俺は発見した。
「おお、なんでも屋じゃん。どこへいっていたのさ。さっきからずっと探してたんだよお」
近づいていくと、能天気な恭助が手を振ってきた。散々歩き回った俺からしてみれば、やつが唱えた言葉はそっくりそのままこっちが返すべき台詞であるのだが……。
「東京の探偵さん。さきほど恭助さんからうかがいましたけど、次なる予告状が届いたそうですな」
別所警部補が下からのぞき込むように話しかけてきた。
「はい、報告が遅れてすみません。午前中、ずっと探したんですけど、警部補がなかなか見つからなくて……」
とりあえず下手に出ておいて、いい訳を取り繕った。そのあと、別所と千田は俺が手渡したメール文書の複写を交互に眺めていたが、やがて別所のほうから口を開いた。
「よう分かりました。今度こそ警察の威信にかけてこの凶悪無比な犯行を食い止めにゃなりません。まあ、ここで立ち話もなんですから場所を移しましょう。
ところで、東京から来た探偵さん、あんた、大丈夫ですかに?」
「なにか?」
「なにかとは、これまたのん気なことで。次のいろは文字は、たしか『と』でしたな。まあ、くれぐれもお気を付けなさいよ。『と』で始まる人物といって我々に思い浮かぶのは、東京から来た探偵さんと、戸塚真由子くらいなもんですからなあ――、はははっ」
なにやら嬉しげに、タヌキは俺を諭した。
千田の先導で、俺たちは署内で一番奥にある小部屋に集結した。俺たちとは、俺と恭助、それに別所と千田の四人のことだ。
「この部屋の壁には防音材が使われちょりますからな。ここで話す内容にゃ、いっさい気遣う必要ありませんに」
別所は壁をドンと叩きながら笑っているが、室内にはどことなく異様で緊張した空気が張り詰めていた。
千田巡査部長がメモに目をやりつつ説明を開始した。
「押収した穂積のパソコンの中にレイプ事件を記述した個人ファイルがありまして、それには事件が起こった日付が平成十五年の三月二日未明と記載されていました。
文章には『開発中の新薬をBYへ投与。成果は上々』と書かれていまして、全くけしからん話です」
千田は吐き捨てるようにいった。
「まあ、いいじゃん。これでレイプ事件の正確な日時がはっきりしたというわけだし、捜査は順調に進展しているじゃないか。じゃあ、続けてよ」
恭助が同調したのに、そのあとで千田が急におどおどし始めた。
「ここからは自らの推理を述べよ、ということですよね。でも、わたしの場合は正直いって、西淵の遺体が見つかってからというもの、思考は混乱を極めるばかりで、有力な推理すら浮かばない状態なのです。なにしろずっと西淵が犯人と決め込んでいましたからね」
申し訳なさそうに肩をすくめる千田を見て、恭助が立ち上がった。
「たしかにややこしい事件だからねえ。それじゃあさ、ここはひとつ、なんでも屋に推理を述べてもらおうじゃないか。一連の出来事を事件当初からずっと見守り続けてきた天下の名探偵――。まさか、犯人のめぼしはまったくついておりません、なんて体たらくは、ことなんでも屋に限って、まずあり得ないことでしょうからねえ。
そうだよね、なんでも屋――」
挑発の矛先があからさまに俺に向けられていた。なるほど、これがこの会の真の狙いか……。
「分かりました。それでは、わたしが今考えていることを述べさせていただきましょう」
俺もあえて受けて立つことにした。ただ、百パーセントの確信が取れない推理をやみくもに披露するのもやぶさかではないのだが、これだけ事態が切羽詰まってくればそれもやむなしということだ。
「今回の事件で鍵となるのは、ずばり犯人の動機でしょう――」
俺がしゃべり出すと、場はいっせいに静まり返った。
「この未曽有の大掛かりな連続殺人が『動機なき犯行』であるとはとても考えられません。すべての犯行は計画的にかつ慎重に進められているのです。たとえば、メールで次の犯行を予告することは、一見、犯人にとってリスク以外のなにものでもなさそうですが、随所に犯人の緻密さと周到な計画性がかいまみられるのです。
西淵の殺人の時は、犯人は犯行予告日を一月二十五日までなどとあいまいな指示を出していますけど、これは一月十七日の蓮見千桜の祈祷会当日に西淵を殺す計画を立てていたのが万が一失敗した際の猶予期間を用意したためだと思われます。なにしろ、西淵殺しといえば、犯人にとって極めて不確定要素が多い事件だったことでしょうからね。
それに、その次の穂積事件になると、今度は犯行場所を京都と漠然と指定しています。これも、警察の警戒が徐々に強まる中で、犯行をすみやかに行うためになされた犯人の巧妙な計算であったと考えられます。
さらには、平川殺し。それまでに殺された五人の顔ぶれを見れば、次の犠牲者にもっともなりそうだったのが平川であったにもかかわらず、警察には『へ』の文字で始まる人物に注意を仕向けることで、まんまと犯人は平川殺しを成功させているのです。実に巧妙で、これには舌を巻かずにはいられません。
さあ、ここで皆さんにも考えていただきましょう。犯人が不特定多数の人間を殺そうともくろむ単純な精神異常者であったならば、そもそも、いろは歌の順番で場所と被害者を特定するといった手の込んだ趣向を選択するでしょうか?」
「うーん。精神異常者だからこそ、このようなこだわりを持っていたということは考えられませんかねえ。逆に、平常な神経の持ち主ならば、こんな恐ろしい連続殺人なんてできませんよ」
と、千田がやんわりと反論した。
「たしかにそれも一理ありますね。こんなに残忍で面倒ないろは歌の趣向なんて、まともな人間ならとてもじゃないけどできません。そういう意味では、犯人はある種の執着心が強い精神異常者であるといえます。しかし、いろは順であれば誰を殺してもよかった、ということでも決してないのです。思い出してください。今回殺された六人は、この議論では蓮見悠人は殺されたと仮定してあえて被害者数は六人とさせていただきますが、行き当たりばったりで殺されたのではなく、犯人の観点からすれば、殺されるのが当然な六人であったということです!」
「なんでそうまで断言できるんですかに?」
別所が口をはさむ。
「被害者六人のうち、実に四人が平成十五年のレイプ事件に関与していたからです。この偶然を計画的でないとすれば、いったいなんと説明するのでしょうか?」
「たしかに、おっしゃるとおりですな」
別所はおとなしく引き下がった。
「それなら、犯人の動機はどうなるんだい?」
代わりに恭助が突っ込んできた。
「もちろん復讐です。犯人はレイプ事件の首謀者である穂積、六条、平川、西淵に恨みを抱いていた。そして、その四人がたまたまいろは歌の『ろ』、『に』、『ほ』、『へ』で始まる名前であることに気づき、精神異常者をよそおって今回の犯行を実行したのです」
「つまり、犯人は紅谷由惟の知り合いであると……」
千田が首を傾げる。
「おそらくは……、そうなるのでしょうね」
俺はあえて答えをにごしておいた。犯人が紅谷由惟を知っていたことは間違いないが、知り合いであったのかという質問までには答えられない。
「ならば、あとのふたり、井戸田五鈴と蓮見悠人は、なぜ殺されたんですかに」
職業柄なのだろうが、別所は答えが自明な質問をあえてしてきた。数学の証明では蟻の入る隙間でもあいまいさがあってはならない。自明なことは自明なこととして、確認をしながら証明は進めていくものなのだ。
「単なる字合わせです。本命の四人を殺す動機を隠蔽するために、彼ら二人はついでに殺されてしまったに憐れな犠牲者に過ぎません」
「だとして、じゃあ犯人はなぜ七番目の犯行をよこしてきたのさ。もう目的は達成されているじゃない?」
恭助がにやにやしながら訊ねてきた。
「たぶん、七首伝説を犯人が強く意識しているからでしょうね。つまり、七つの首を納めれば祟りから解放されるというあのまやかしの伝説を彷彿させることで、真の動機をより奥まで隠蔽するのが目的だと思います」
俺は軽くうっちゃっておいた。
「ちゅうことは、これから殺される七人目の犠牲者は、なんも悪くないのに殺されてしまうっちゅうことですか? なんとも憐れな。くわばら、くわばら……。
ああ、くれぐれもお気を付けくださいね。『へ』の次は『と』ですからなあ。東京から来た探偵さん――」
『へ』の事件が終わってからというもの、別所の発言はすこぶる流暢だ。
「なるほどねえ。ここまでは俺もなんでも屋の意見に賛成だよ。じゃあさ、忌まわしき連続殺人の真犯人は、ずばり誰なのさ?」
ついに恭助が核心をついてきた。俺は顔色を変化させないように注意しつつも説明を続ける。
「まずはっきりいえるのが、犯人は消滅した七首村に愛着を持っている人物といえます。予告メールに『七首村』と書かなければ、おそらく『新郷市連続殺人事件』となっていたことでしょうからね。
それから、六条勝之があれほど必死になってひた隠そうとした紅谷由惟のレイプ事件を、犯人はいとも正確に掌握しており、また当事者四人についても熟知していたことになります。
さらには、六条道彦が殺された深夜に、犯人は道彦と二人きりで離れの陶工房にいました。そこで道彦が発信した『人ってさ、変われば変わるもんだよね。本当に笑っちゃうよ』という謎めいたツイート。それによって、犯人は道彦と昔からの顔なじみであったことも結論付けられます。
そして犯人は、蓮見悠人が毎晩六時二十二分に下七首停留所でNバスを下車して、そのままひとけのない寂しい小道を通行していることも知っていました。
平川事件では、七首村の最深部に位置する浅木夢次の家をわざわざ選んでそこで殺人を行っています。明らかに犯人には浅木の孤立一軒家の存在を知っていたことになります。
つまり、今回の連続殺人事件の犯人は、我々がこうして捜査をしている間にも身近で平然と顔を出している七首村の住民のうちのひとりである可能性が高い、と推測できるでしょう」
「なるほど、それはおおいにあり得ますな」
別所が大きく首を振ってうなずいた。
「ただ、六条道彦や蓮見悠人の交友関係のすべてを正確に把握することは我々にはできませんから、これらの事実だけで犯人を特定するわけにもまいりません。
そして、西淵殺し――。この事件こそが犯人を特定する手がかりを一番多く提供しているような気がします。
俺が――、失礼しました、わたしが、西淵のあとを追いかけたときに、千桜の祈祷会の場に居残っていた人物には西淵の殺害はできません。これは明白たる事実です。
すなわち、祈祷会に参加していた、蓮見千桜、尾崎洋美、戸塚真由子、平川猛成、良延さん、良魁くんたちが犯行の容疑者から除外できるのです!」
ここで俺は一息ついた。別所と千田が真剣なまなざしで俺の話を聞き入っている。
「では、肝心の犯人です。ここで正直に告白しますが、犯人が誰なのか、現時点の見解では、はっきりひとりにしぼり込めてはおりません。とはいっても、調べるべき重要容疑者は定まっております。
それは、浅木夢次です――」
俺が断言すると、わずかにどよめきが起こった。千田と別所がなにやら耳打ちをしていたが、やがて別所が口を開いた。
「たしかに浅木夢次には犯行を行える条件が整っておりますな。一人暮らしで誰からも注目されてはいない。やつの行動は、誰も制限するものがおらず、好き勝手放題です」
「ちょっと待ってよ。どうして、自分の名前をほのめかす『あさきゆめみし』なんてペンネームを予告状でわざわざ使ったのさ?」
納得いかない顔つきで恭助が質問をした。
「さあ? もしかしたら精神異常者特有の自己顕示欲の現れかもしれません。おそらく、目的を果たしたあとのことまで浅木は考えていなかったのではないでしょうか。さらには、紅谷由惟を犯した四人組はすべて抹殺された今となっては、浅木にこれ以上の犯行を続ける動機はないはずです」
「でも予告状が出ていますよね。七番目の」
千田が身を乗り出した。
「はい。ですから、わたしの見解では、浅木は『と』の犯行予告を形式上は出したものの、もはやそれを実行する意思などなく、もしかしたら、ひそかにこの世から身を引こうとさえ考えているのかもしれません」
「へー。だから、探偵さんはあまり慌てていなかったっちゅうことですか。『と』の殺人予告が出されているにもかかわらずねえ……」
あいかわらず別所警部補の視点はズレている……。
「まあ、そういうわけでもないですが、わたしは『と』の殺人は見せかけだけで終わってしまう可能性が高いと確信しています」
「動機はなんですか? 浅木が六人も殺した動機ですよ」
「それは、紅谷由惟の復讐です。すなわち、穂積、道彦、平川、西淵の四人をこの世から葬り去ることです。これは推測になりますが、浅木夢次は、紅谷由惟となんらかの知り合いであったのではないかと思われます」
すると、千田が俺をさえぎって発言した。
「浅木が有力な容疑者で、彼を見つけ出すことが捜査のために重要であることは分かります。
でもですよ――。それ以外の可能性はないのですかね。このまま浅木が唯一の容疑者であっていいのでしょうか?」
俺は小考するふりをしてから、静かに答えた。
「あと事件に関与した人物といえば、六条房江と笠圭子、それに紅谷佳純くらいでしょうか?
まず、六条家の人物には、道彦を殺す動機がありませんし、仮になんらかの家庭内事情による動機で道彦を殺害したのだとしても、さらに赤の他人を五人も追加で殺す理由がありません。そもそも六条家の人々には、紅谷由惟のレイプ事件に対する復讐などという動機はないのですからね。
もう一人は、紅谷佳純ですか。こいつは論外で、精神薄弱な彼女に今回のような周到な計画が立てられるはずがありません。
つまり、消去法で考えても、今回の事件の犯人は浅木夢次しかいなくなるのです!」
俺はわざときっぱり断言した。恭助がなにか反論をしてくるかと思ったが、おとなしくすましている。ちょっと拍子抜けだ。しかし、代わりに意外な人物が立ち上がる。別所警部補だった。
「探偵さんの意見はよお分かりましたが、論理にちょっぴり穴が開いとりゃしませんかに?」
「えっ、穴……、ですか?」
こいつは想定外だ。まさか、タヌキの分際で俺に意見してくるなんて……。しかし、さも自信ありげなタヌキの顔つきに、俺はただ困惑するのみだった。
「それでは、このわたしが事件の真相を推理いたしましょう」
意外にも恭助ではなくて、しゃしゃり出てきたのはタヌキだった。本気で事件を解明する気なのだろうか?
「東京から見えた探偵さんの推理では、犯人となりうる人物が浅木夢次しか残っとらんっちゅうお話でしたが、わたしは浅木犯人説には若干の疑問があります。その理由は、自らをほのめかすペンネームを用いているっちゅうこと。そして、自らの家でわざわざ犯行を行ったっちゅうことです。まるで、復讐が完了したら自らを逮捕してくださいといわんばかりの、実に妙ちくりんな行動に思えますな」
それはまあその通りなのだ。だから、俺も浅木犯行説に百パーセントの核心が得られていないわけである。でもここは黙って、とりあえずタヌキの推理を最後まで聞いてみよう。
「では、浅木以外に今回の事件の犯人となりうる人物が、果たしているのでしょうか? 正直、探偵さんの鋭い推理を聞いちょると、わたしにも浅木を犯人にするしかないではないかという思いが募ってきます。でも、いるのですよ。先ほどの探偵さんの推理には、明確な欠陥があるのです!」
別所は声高らかに宣言した。
「それではうかがいましょう。誰が今回の犯行を実行できたのですか?」
俺も流れにしたがって先をうながした。
「はい、では語らせていただきますに。今回の事件を犯した恐ろしい殺人鬼はですな――」
別所はここで一息吐いて、得意げに俺たちの顔を一回り見まわした。
「戸塚真由子――であります!」
この発言には、さすがの俺も度肝を抜かれた。真由子だって……、まさか?
「なぜ戸塚真由子が犯人であると、警部補には断定できるのですか?」
すかさず、千田が質問を入れた。
「まあまあ、断定とまではいきゃしませんが、少なくとも彼女にも犯行ができたっちゅうことですに」
別所は軽くなだめすかした。
「じゃあさ、警部補の推理を聞こうか。どうして、真由子に犯行がやれたというんだい? 少なくともなんでも屋の推理によれば、西淵を殺すことはできなかったはずなんだけどね」
恭助が余裕たっぷりに訊いてきた。なんだかこの場の雰囲気を存分に楽しもうという様子だった。
「探偵さんの推理ではたしか……、西淵が洞窟に逃げ込んだ時に真由子は七首屋敷の中にいたから殺すことができなかったということでしたな。でも、本当に彼女はその時、蓮見邸にいたのでしょうかに?」
「というと……?」
「真由子は祈祷会では受付係を担当しちょりました。そしてその後は車庫に行って、ひとりで車の手入れをしとったと証言しちょりますが、実際には彼女の姿を目撃した者はいない。いいかえれば、祈祷会が始まっちまえば、彼女の行動には制限がなく、彼女は自由だったちゅうわけです。
さあ、どうでしょう? どなたか、祈祷会が行われた奥の間で、彼女を見かけた方はおられますかな?」
「たしかに、会場内で真由子の姿は見かけませんでしたね」
千田が納得したようにうなずいた。
「そういうことです。祈祷が始まると、真由子は西淵を待ち伏せするためにこっそり逃げ水の淵まで先回りで移動していたのです」
「ちょっと待ってください。仮に警部補のおっしゃる通りだとして、じゃあ、西淵が最終的に逃げ水の淵まで逃げ込んでくることを、真由子はどうやって予知できたのですか?」
千田が必死になって食い下がった。
「催眠術ですよ――。前日に西淵を逃げ水の淵まで手紙で呼び出した張本人は戸塚真由子だったのです!
千桜お嬢さまにあこがれていた西淵は、手紙になんの疑いも抱かずにお嬢さまから呼ばれたと思い込んで、のこのこと洞窟へやってきます。しかし、そこで待っていたのはお嬢さまではなくて真由子だった。混乱する西淵に、すかさず真由子は催眠術を施したのです。まさに、目からレーザー光線っちゅうところですかな」
「催眠術……? そんな、非科学的なことが?」
俺は思ったままを口にしたのだが、別所は平然としていた。
「催眠術は専門家のあいだでも科学的に実証されていますよ。決して非科学的なものではありません。
我々は根本から勘違いをしておったのです。本当の恐ろしい魔女は、千桜お嬢さまではなくて、戸塚真由子だったのです!」
「それなら、彼女がこんなにも大掛かりで冷酷な連続殺人を犯した理由は?」
今度は千田が別所に訊ねた。
「そうです。まさにそこが肝心なのですよ。
戸塚真由子がこのような世にも残忍な連続殺人を犯したわけ――、それは、蓮見家の乗っ取りですな。
驚かないでください。真由子の母親は蓮見雷蔵とかつて関係を持った村娘の一人でした。つまり、真由子は蓮見家当主である蓮見雷蔵の実の娘だったのです!」
戸塚真由子が蓮見雷蔵の隠し子だったとは……。してやられた。
「そんな勝手な憶測――、なにか証拠があるのですか?」
必死に食い下がる俺の言葉にさっきまでの勢いは残っていなかった。
「種を明かせば、こいつは恭助さんから指摘されたことなんです。わたしは真由子の両親と真由子自身の血液型を調べました。両親からは同意を得て耳たぶから採血をさせてもらい、真由子自身の血液型は細川診療所に保管されちょった彼女の履歴書で確認を取りました。
結果は、真由子の血液型がA型なのに対して、彼女の母親はO型で、父親がB型でした。つまり、この夫婦からA型の真由子が生まれるはずはないのです!」
「だからといって、どうして彼女が蓮見家の跡取りであるとまでいえるのですか? 飛躍のし過ぎですよ」
「それはですな、こっそり母親を問い詰めましたところ、若いころに蓮見雷蔵と一夜だけの関係を持ったことを白状しましたよ。
真由子の母親は七首村の巣原地区出身です。もちろん、最終的にはDNA鑑定が必要だとは思っちょりますが、もしこれが真実ならば、戸塚真由子は蓮見雷蔵が五十二歳の時に種付けた娘っちゅうことになります。まことに数奇な運命ですなあ」
「つまり、戸塚真由子には蓮見家の莫大な財産の相続権がある……」
「そういうことですな」
「真由子はその事実を知っていると?」
「おそらくは……。そんなの母親から聞けばすぐに分かる話ですからなあ」
「しかし、蓮見家の乗っ取りが動機だとすれば、殺しの目標は蓮見悠人ということになってしまう。いい換えれば、井戸田五鈴、六条道彦、西淵庸平、穂積智宙、それに平川猛成の五人は道ずれで殺されてしまったというのですか?」
「まあ、レイプ事件に関与した四人組なんて、所詮は虫けら同然のやからですからなあ。こいつら殺すのに、あんまり罪の意識なんて生じないでしょう」
「しかし、催眠術だなんて……」
「さかのぼれば、真由子の催眠術は、二年前の雷蔵変死事件から功を奏していたのです。
蓮見雷蔵が阿蔵の七滝まで行って谷底に転落をしたのは、なにを隠そう、真由子が施した催眠術のせいだったんですよ。そして、蓮見悠人がバス停から家路までのほんのわずかな帰途で煙のごとく行方不明となってしまったのも同じく、真由子の恐ろしい催眠術のせいだったのです!」
ばかばかしいにもほどがあるが、考えてみれば、花祭のときの俺がした突発的な行為は真由子に誘発された催眠術だったとでもいうのか?
「あまりにも突拍子もないことで、とても賛同できませんね」
俺にできるのは捨て台詞を放つことだけだった。
「もちろん、浅木の捜索も随時行っていくつもりですが、次なる事件を未然に防ぐために、我々は早急に戸塚真由子の逮捕状を取りたいと思っちょります!」
満悦しきった別所は、用意された水を一気に飲み干して、ふうっと大きく息をついた。やり場をなくした俺は、恭助に目を向ける。
「おい、恭助。今度はお前の番だ。お前だって、事件に関してなにかしらの意見を持っているのだろう。この際だ。みんなオープンで行こうぜ」
無理やり恭助をあおり立てると、恭助はゆっくり椅子から立ち上がった。
「じゃあ、俺も意見をちょいといわせてもらおうかな……」
恭助は俺を挑発するかのように一瞥をくれた。
「今回の事件は、事前に犯行が予告されていて、なおかつ、いつも殺人の見立てが実行されていた。さらには、事件の当初は報道があまりなされずに一般人の関心も低かったから、多人数が協力する交換殺人や、首謀犯が出した予告を別な人物が横取りしてしまう便乗殺人などは、まずなかろうと考えられる」
恭助の語り口は落ち着いていて、なんだろう、人の気を引き付ける魅力にあふれていた。
「そこで、今回の事件が単独犯、ないしはせいぜい二人による共犯であったと、とりあえず仮定してみよう。ちょっと強引な仮定だけど、ここはまあ仕方がないよね。
さらには、今回の事件はどう見たって行き当たりばったりの通りすがり殺人とも思えない。明らかに、一連の事件で殺された六人の人物の中に、犯人が意図的に殺したかった人物が数人混じっているはずなんだ。そこで、この事件が周到に計画された連続殺人事件だったことも仮定をしておこう」
ここまでの仮定に関しては、誰も異論は唱えなかった。
「それでは第一の殺人――からいこうか。
井戸田ばあさんの事件では、犯行時刻もあいまいだったし、はっきりとしたアリバイが成立する人物もいない。
次の六条道彦の殺人――だけど、これも深夜に起こった事件なので、やはり特定の人物にアリバイは成立していない」
「ちょっと待ってください。六条家の奥さんと家政婦はアリバイが成立するのでは? 犯行現場は離れの陶工房でしたからね」
千田が手を挙げて確認を求めた。
「とんでもない。逆に二人が共謀すれば、もっともあやしいグループに早変わりさ。それに、同じ母屋にいても、四六時中監視し合っていたわけではないから、その気になれば、二人とも道彦のいる離れにこっそりと出向いて、単独で殺人を犯すことだってできたはずだ。
そして次が、蓮見悠人事件――。
これも、悠人は夕刻に行方不明になってから、数日間遺体が発見されていないから、やはり、アリバイ成立が期待できる事件ではなかった。
でも、四番目の西淵の殺人――となると、いよいよ容疑者から確実に除外できる人物が数名出てくる。逃げ水の淵で西淵を突き落とし、さらに追いかけてきたなんでも屋を背後から殴打する。その限られたわずかな時間に、逃げ水の淵の現場付近にいられなかった人物には、自動的にアリバイが成立するのだからね」
「それで、誰のアリバイが成立しているとお前は考えているんだ?」
俺が質問をしたのは、恭助が除外できると思っている人物の確認がしたかったからだ。
「まず、蓮見千桜。彼女はその時刻に舞台にいたからね」
恭助はあっさりと答えた。
「千桜お嬢さまははまだ子供ですけど、そもそも容疑者に含める必要がありますかねえ……」
千田が心配そうな顔で訊ねた。
「うん。子供だけど、頭はいいよね」
さりげなく恭助は流した。
「それから、尾崎洋美、平川猛成、良延、良魁、堀ノ内巡査も除外できる」
「堀ノ内巡査にも嫌疑がかかるのですか?」
またもや目を丸くした千田が、あきれ顔で恭助の話をさえぎった。
「まあ一応、警察官だって犯人でないと決めつける理由はないからねえ」
恭助はにやにやしながら返した、
「じゃあ、彼と一緒にいたわたしも嫌疑の対象外ですね」
千田がさりげなく同意を求めたが、恭助はあっさりそれを否定した。
「あんたは、まだ駄目だ。千田巡査部長――。
なんでも屋が洞窟で倒れているのを見つけた第一発見者であるあんたは、堀ノ内巡査を祈祷所に残して、西淵となんでも屋の二人のあとを追いかけた。考えようによっては、あんたは一番怪しまれても仕方ない立場に置かれているんじゃないかな?」
「まさか、千田巡査部長までも……」
別所がしたたる汗をハンカチでぬぐった。
「じゃあ、逆に嫌疑から外れていない人物をうかがおうじゃないか。いったい誰なんだ?」
俺は再度恭助をうながした。
「ええと、千田巡査部長と浅木夢次、あと、別所警部補は祈祷会に出ていなかったから、まだ容疑者から除外できないし、それに蓮見悠人だね……」
「蓮見悠人?」
「もちろんさ。彼も嫌疑対象外ではない。
それから、穂積智宙に西淵志津子、紅谷佳純、六条房江と笠圭子、そして、戸塚真由子もまだかな。もちろん、別所警部補の先ほどの見解どおり、俺も真由子はまだ容疑者から外せないと思っている。
それから、穂積事件だ――。
この事件では、一晩中別所警部補と千田巡査部長がそれぞれ愛知県にいたことが複数の警察署員たちによって確認されている。つまり、これで別所警部補と千田巡査部長が晴れて容疑者から除外できる。さらに、被害者の穂積も除外されるから、残る嫌疑者は、蓮見悠人、浅木夢次、西淵志津子、紅谷佳純、六条房江、笠圭子、そして、戸塚真由子だね。
最後に、平川事件――。
ここで紅谷佳純が除外される。彼女は犯行がなされた晩には複数の警察官から四六時中見張られていたからね。それにさあ、そもそも平川の殺害はおんな子供の弱小者にはできやしないんだ」
恭助が突き返すようにいった。
「待ってください。現場にあったチェーンソーは小型だったし、片手でも首が切れるということじゃないですか。そうなると、おんな子供でも平川の殺害は容易でしょう?」
「たとえ首が切れても、そのあとで平川の胴体を運んで便所に逆さに立てかけなければならない。あんなことは、力の弱いおんなや子供、さらには、片手しかない人物にはできない芸当なんだよ。
つまりこれで、西淵志津子、紅谷佳純、六条房江、笠圭子、それに、殺されているのか生きているのか分からない片腕の蓮見悠人も、平川の胴体を運べないという理由で容疑者リストから除外できる」
「ちょっと待ってください。六条房江と笠圭子が共謀したら……、そうですよ、二人がかりなら平川の重たい胴体でも運ぶことができたのでは?」
「そうだね。房江と圭子の共謀は場合によってはあり得るなあ」
恭助はちょっと間を置いた。
「でも、やっぱりだめなのさ。この二人のペアでは、今回の事件の犯行は無理なんだよ。だって、二人ともパソコンが全く使いこなせないのだからね」
「パソコンですか?」
「そう。犯行予告メールをなんでも屋の事務所へ送り、しかも自らの追求を逃れるために、他人のアカウントをハッキングするという高度のIT能力を犯人は有しているんだ。あのおばさん二人組じゃあ、そんなことをするのはとうてい無理だろうね」
「なるほど」
「つまり残った容疑者は――、戸塚真由子と浅木夢次だ!」
「戸塚真由子は女ですから、体力的な理由で平川の殺害が無理なのでは?」
千田が訊ねた。
「真由子は女にしては力もあるから、平川の犯行も可能だったと思う」
「なるほど……。じゃあ、二人のうちどちらが犯人ですか?」
「俺の考えでは、浅木夢次が除外される。理由は、彼もパソコンが使えないからだ」
「ちょっと待ってください。そいつは断言まではできないでしょう?」
千田が即座に反論した。
「理由は簡単さ。浅木の家はネットの圏外なんだよ。それに、あの家にはパソコンはおろか携帯電話もなかったじゃないか。あったのは固定式の黒電話だけだよね」
恭助がいい終わると、待ち構えていたかのように別所が勢いよく立ちあがった。
「よう分かりました。つまり、残る容疑者は戸塚真由子ただ一人っちゅうことですね。
千田――、こうしてはおれん。戸塚真由子を重要参考人として一刻も早く逮捕するんだ!」
そう叫んだ別所警部補は、千田巡査部長を引き連れて部屋から一目散に飛び出していった。




