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七首村連続殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
3/35

3. 八神郡七首村

 リーサが手配した豊橋駅前にあるビジネスホテルの一室で、俺はタブレットを取り出して、明日の計画を立てることにした。我が親愛なる『あさきゆめみし』氏からのありがたき警鐘によれば、明日のなんどきかに、旧七首村があったなにがしの山里で、なんらかの凶事が起こるらしい。そしてそれは、おそらく、殺人ということであろう……。

 別に食い止めなければならぬ義理も道理もないのだが、なにより俺の気分はいつになく高揚していた。不謹慎ではあるが、それは、退屈極まりない日々から解き放たれ、不思議の国ワンダーランドへ飛び込んでいくような、わくわく感だ。もちろん、現地へ行った以上、『なんでも屋』の名に恥じぬ、冷静かつ的確な行動を取るべく、事前の予備知識を取りまとめておくことは、大事大成のための必須条件ともいえるだろう。

 俺の忠実な人造人間アンドロイドは、現在所沢の事務所で待機しているが、タブレットを利用すれば、ネット通信で彼女との交信は可能だ。俺はリーサに七首村の資料を至急送るよう指示を出した。リーサの検索能力はいつも俺の期待を遥かに凌駕する。ほとんど間をおくことなく、しかも十分に整理がなされた電子データが転送されてきた。俺は順番にその七首村のデータに目を通す――。


 愛知県八神やつがみ七首ななこうべ村。首を頭に見立てて『こうべ』と読ませる地名は、宮城県と秋田県の県境にある鳴子なるこ温泉郷の鬼首おにこうべという集落にも残されている。この七首村は、俺が生まれるずっと以前の1956年に、南設楽みなみしたら鳳凰ほうおう町に合併統合されて、それと同時に八神郡と七首村という地名も日本地図から消えた。さらに、2005年にその鳳凰町も隣接していた新郷にいざと市に合併されて、南設楽郡と鳳凰町も合わせて消滅してしまったということだ。資料の古い地図によれば、当時の八神郡は、静岡県との県境をなす愛知県の最東端に位置しており、細長い蛇を思わせる不気味な姿で、はいつくばるように横たわっていたのである。それは、南は東三河地方の中心都市である豊橋市に接していながらも、北は遥か宇連うれ川の源流――奥三河の深い山奥まで浸食していて、東西幅は五キロもないのに、南北の長さが二十キロ以上に及ぶという、実に異様な形状であった。

 その旧七首村の現状はというと、主な集落が四つある。かつてもっとも栄えていた集落が巣原すはら地区で、当時の七首村のほぼ中央に位置している。当時は二百名ぐらいの住民がいたそうであるが、リーサが調べたデータによれば、現在の住民数はたったの五十三名。過疎化も甚だしい地域である。

 大将の巣原地区がこのざまだから、他地区の情勢は悲惨の限りである。七首村の南に位置する阿蔵あぞう地区は、近くに『阿蔵あぞう七滝ななたき』というささやかな観光地を有する静かな農村で、住民数は六十六名。

 一方、巣原地区から東へ、静岡県との県境へ向かって二キロほどのぼった山あいにたたずむのが、七首ななこうべ地区。かつての村名を受け継いだ由緒ある集落であるはずだが、資料によれば、こちらの住民はわずか四十二名。しかも、この七首地区では、家がわずか一軒しかない部落も存在するのだ。単独の住所名が一軒の家のためだけにあるという奇妙な現状。つまり、かつては数軒が軒を連ねた部落であったという証拠あかしでもあるわけだが、まさに風前のともし火のような究極の過疎地域である。一方で、この地区の岩盤は石灰岩を豊富に含んでおり、七首集落の北東部には鍾乳洞の洞窟がいくつか発見されている。

 さらに、巣原地区から、今度は西へ向かう道路を三河大野駅へ通じる道なりに二キロほど下ったところに、細川ほそかわという名前の地区がある。ここはその名の通り、宇連川支流の川沿いに広がる細長い集落で、現在の住民数は、実は巣原地区よりも遥かに多く、百三十二名が暮らしている。過疎化が進行するかつての村の中心部より、飯田線の三河大野駅に近くて便の良い細川地区の方が、住民数が多くなるのも、皮肉ではあるが、容易にうなずける。 

 こんな何も無い平穏なる山村で、本当に凶悪な事件が起こるのだろうか……。そうこう考えるうちに、うつらうつらと、俺は深い眠りへと落ちていった。


 翌朝の十二月二十八日は月曜日であった。そして、リーサが俺に立ててくれたスケジュールは、完膚なきまでに容赦なきものであった。五時半にセットした目覚ましのけたたましい音で強制的に叩き起こされた俺は、そのまま、押し迫った時間の関係上、朝食を取ることさえままならず、わずかな荷物を小脇へ抱えて、豊橋駅まで直行した。

 飯田線へ接続する一番ホームは、豊橋駅構内の端っこへ追いやられるように淋しくたたずんでいて、年末の早朝ということで、始発電車を待つ人は両手の指の数にも満たなかった。通路のど真ん中に、これ見よがしに通行の邪魔をするような機械が設置されているが、これは地元の私鉄とJRとの運賃のやりとりを行うための、自動改札機だそうだ。豊橋駅はJR線と地元の私鉄線が同じ構内を共有しており、しかも、その間が改札なしに自由に行き来できるために、飯田線の乗り場である一番ホームの入口には、一部の通行人だけが利用するための特別な自動改札機が設置されているということだ。

 電車が駅を出た直後は、まだ日の出前で、外の景色がどんなのかも分からぬまま、ガタゴトと耳障りな走行音だけが、絶え間なく耳奥で響いていたのだが、辺りが少しずつ明るくなってくると、山と田畑しか見えないのどかな田舎の風景が、車窓いっぱいに広がった。

 予定通りの七時ちょうどに、電車は三河大野みかわおおの駅へ到着した。この駅も無人駅のようで、下車する際に運転士に乗車切符を手渡した。丸一時間も列車に乗っていたことになるのだが、とにかく長いのひと言に尽きる。その上、どの駅も似たような容姿をしていて全く見分けがつかず、しかも駅の数も半端なく多いときた。正直なところ、もう二度と乗るのはごめんだ。

 ところで、Nバスが来るまで五分しか猶予がないのであるが、バス停はどこだろう。俺は慌てて階段を駆け下り、外へ出たが、幸いにも、ちょうどすぐ目の前がバス停となっていて、なにも焦る必要はなかった。

 バス停があるくらいだから、さぞかし地元の拠点駅なのだろうと思われた三河大野駅は、想像していたよりもずっと寂れていた。背後には木々が鬱蒼と生い茂った深い雑木林がすぐ目の前まで覆いかぶさり、駅正面のメイン道路も人の気配が全く皆無であった。

 間もなく、オレンジの横縞ラインが入ったマイクロバスがやって来た。乗客は、俺一人だけだ。そんなことは気にも留めずに、ワンマンバスは朝日の方向へ向かって、ずんずんと坂道をのぼっていく。いちおう舗装はされているものの、ところどころに小岩が転がっており、対向車が来れば無事にすれ違えるのかハラハラしそうな、複雑に曲がりくねった狭い道路である。途中、『阿蔵公民館あぞうこうみんかん』というバス停で、三人の婆さんが乗って来て、そのままぺちゃくちゃとなにやら楽しげにしゃべっていたが、方言がひどくて、何をしゃべっているのかよく分からなかった。どうせ、たわいもない日常の世間話であろう。

 リーサから指示された巣原すはらという停留所で、俺は下車した。料金はどこまで乗っても大人一律二百円。リーズナブルとはいえ、こんな乗客数では、地元自治体の援助がなければ間違いなく経営破たんであろう。


 巣原地区――、なんでもここはかつての七首村の中心地であったそうだが、今では、広大な盆地に田んぼが広がっていて、見晴らしが良いのだが、肝心の民家はというと、ポツリポツリと点在しているだけで、二十戸も足りてなさそうに見える。天気はこの上なく晴天であるが、まだ朝が早いので薄霧が立ち込めていた。気温も、この時期としてはまだあたたかいのかもしれないが、埼玉に比べれば、ざっと五度は低かった。田んぼのあぜ道には雪がまだうっすらと残っていて、あまりじっとしていたくもない。とにもかくにも、現地で情報を収集するしかできることはない。しばらく適当にうろついていると、ようやく、とある民家の軒先で、植木鉢にじょうろで水をやっている住民に声をかけることができた。

「交番なあ……。そりゃ、大野まで行きゃあ、駐在所はあるけん、こんあたりにゃ、んなのあらへんのん」

「大野って、三河大野駅の近くのことですか?」

「そうだに」

 応じてくれたのは、還暦をうに超えているしわ顔の小男だ。

「まことにいいにくいことなのですが、何か事件がこの辺りで起きていないでしょうかね。それも、今朝のことです。例えば、人が殺されたとか……」

 単刀直入に俺は本題へ踏み込んだ。残された時間はあまりないからだ。

「はあ? あんた、誰だに? 少のうとも、こん村んしゅうじゃ、あらへんだらあ?」

 急に警戒態勢の視線に変わり、それをまともに食らった俺は、この男からさらなる情報を得るのは期待できないと悟った。あまりしつこく追及して、不審者扱いを受けるのも、今後の行動に支障をきたすから、早々に話を切りあげることにした。

「どうもありがとう。じゃあ、また……」

 どうやら事件はまだ起こっていないらしい。俺はちょっと安堵した。さて、これからどうしようか? こんな漠然と広大な村で訊き込みを行ったところで、らちが開かないのは見えている。やはり駐在所へ出向くのが賢明だ。

 俺はバス停に戻って、次のバスを待つことにしたのだが、時刻表を見ると、次のバスがやって来るのは、なんと十時五十七分――。ざっとまだ三時間もある。本当に半端ないド田舎だ、ここは……。


 バス停前に設置された自販機で購入したコーンスープ缶を朝飯がわりにちびりちびりとすすりながら、俺は次なる策を考えていた。三時間余りの時間を待って、やって来たバスに乗るか、歩いて大野の駐在所まで行くかどうかだ。時間的には、歩いていった方が早く着けそうな気がする。来る時にバスに乗っていた時間はわずか二十分ほどだったし、そんなにスピードも出していなかったから、一時間も歩けば大野の駐在所にたどり着くんじゃないか? いや、だめだ。たしかリーサがはじき出した数値では、最寄りの駅からこの部落までは、歩いてざっと三時間ということだった。上りと下りの違いを差っ引いても、一時間で到着できるような気がしないし、さらに道に迷わない、というおまけ付きでの話だ。方向感覚にさほど自信のない俺としては、どう考えても、ここでバスを待つことの方が、賢明に思えてくる。

 ふとポケットに手をやった俺は、煙草を切らしたことに気付いた。こいつはしくじった。慌てて事務所を飛び出したから、何かと生活必需品を置き忘れてきたようである。煙草の自動販売機などという気の利いたものは置いてなさそうだし、ドラッグストアはおろか、コンビニエンスストアもこちらへ来てからとんと見た記憶がない。まあ、今さら悩んでも仕方がないかと、いつもの能天気さを取り戻し、俺は適当にぶらついて、バスを待つ時間をつぶすことにした。

と、その時だ……。

 遠くの彼方でサイレンが鳴っている――。聞き違えか。いや、かすかにしか聞こえないけど、サイレン音であることは間違いない。しかも、これは消防車や救急車のではない。紛れもなくパトカーのサイレンだ。聞こえてくるのは阿蔵あぞう部落の方角か。さあ、もうじっとしてはいられないぞ。俺は音のする方へ向かって、一目散にかけ出した。


 明らかに日ごろの運動不足は否定できない。目的地まで一気に走り切ろうと思ったのもつかの間、たちまち息を切らせて、足が止まり、歩くことしかできなくなった。その後、なんだかんだで一時間近く歩いただろう。一本道だけど、くねくねと曲がった九十九坂つづらざかは、どこまでも永遠に繰り返すのかと思われたが、下り坂一辺倒であったのがまだ幸いした。途中で『阿蔵あぞう七滝ななたき』という看板が立っていて、そばにこぢんまりとした駐車場もあったが、目をくれる余裕もなく、俺はひたすら先を急いだ。

 やがて、スギ林がパッと開け、猫のひたいほどの盆地に二十軒ほどが点在する小集落が、突如、眼下に姿を現わした。


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