29.五能線驫木駅
「それにしても、不良グループは気付かなかったんですかねえ。紅谷由惟と蓮見千桜の二人がこんなにそっくりだということは、下手をすれば、由惟が千桜の母親で、さらには、千桜が自分たちのいずれかの種から生まれた子供であるかもしれないという、驚愕の事実に……」
「たしかにこの二人は、目元や口元など、よく似ているところはありますが、なにぶん、二人そろって絶世の美少女なので、うっかりそちらの方ばかりに気を取られてしまうと、まさか親子や姉妹だったなどとは、指摘されてみなければ分からないかもしれませんね。
まあ、やつらは不埒な色眼鏡の視点でしかこの二人を見ていませんから、うっかり見過ごしてしまっていたのかもしれません」
俺と千田で交わされる勝手気ままな会話の間中、恭助はぶつぶつとひとりでぼやき続けていた。
「由惟と千桜が仮に親子だとして、孤児院に置き去りにされた時に千桜の着ていた服が高価だったというが、当時中学生だった由惟に、高額な着物を買い与える余裕なんかなかったはずだ。さらには、十歳になった千桜を養子として引き取ったのが、この地区きっての豪族である蓮見悠人。となると……。
そうか、それしかないよ! 千田さん――、ちょっといいかな?」
もう一度蓮見家を訪れてみたいという恭助の希望を渋々ながらも承諾した千田は、再度パトカーを出してくれた。もちろん俺も同行をした。俺たちがはじめに訪れたのは新郷市立鳳凰中学校である。学校長が直々に応対をしてきた。俺はちょっと驚いたのだが、学校長は女であった。
「お忙しい中、捜査にご協力いただいて、まことに感謝しております」
まず千田が挨拶を入れた。
「もちろん、わたくしどもに協力できることであれば、なんでもいたしますけど、警察の方がどのようなご用件でしょうか?」
女校長は幾分緊張気味に返答した。なんで警察が唐突に押しかけてきたのかさっぱり分からない、といった顔つきである。
「実は過去にこの学校に在籍していた一人の生徒を調べていただきたいのです。ええと、平成十四年度に二年生だった生徒で、紅谷由惟という女の子です……」
「少々お待ちください。今、調べさせますから」
二十分ほど待たされてから、校長は戻ってきた。
「お待たせしました。たしかにそのような名前の生徒が在籍しておりました。でも十年以上も昔のことで、わたくし自身もその時にここへ勤務していたわけではありませんので、当時のことは記録に残されていることしか分かりません。
ええと、記録によりますと、平成十六年の三月に卒業をされています。でも、三年生の時の欠席数が異常に多いので、たぶん不登校の生徒さんだったのではないでしょうか?」
「欠席数が異常に多い?」
「はい。欠席数が授業日数の半分以上を占めています。これはどう考えても不登校だったということになります」
「そんなに欠席をしても、中学を卒業できるのですか?」
「はい。中学校は義務教育ですから、本人が卒業を希望すれば、いくら欠席をしても卒業はすることができます」
「一、二年生の欠席数はどうなっていますか?」
「ええと、一年生の時は皆勤ですね。つまり、欠席数がゼロということです。二年生の時の欠席数もわずか五日ですから、まあ問題はないですね。ここまでは……」
「なるほど。それでは、三年生になってから不登校となった理由はなんだったのか分かりませんかねえ」
「さあ。そこまではなんとも。ああ、でも、当時の担任なら知っているかもしれませんね。今は豊川市の中学校に勤務していますよ。一度そちらを当たって見られたらいかがでしょうか?」
「あと、それからさ、紅谷由惟の保護者の名前はどうなっていますか?」
しびれを切らした恭助が口をはさんできた。にしても、それからさ――、はないだろうと、俺は心の中でぼやいた。
「はい、紅谷佳純さん、となっていますね。女性のお名前ということは、母子家庭だったのでしょうかね」
「住所は?」
「ええと、南設楽郡鳳凰町細川上ノ山となっています。当時のこの町は、新郷市ではなくて、鳳凰町だったのですね」
「在学中にさ、引っ越していない?」
「いえ、そのような記録はありませんけど」
「そうか……。おかしいな」
そうつぶやくと、恭助は腕組みをしながら黙り込んでしまった。
次に訪れたのは、新郷市の南西に隣接する豊川市にある一宮中学校である。そこに、紅谷由惟を三年生の時に担任した教諭が勤務をしていた。
「紅谷由惟ですね。よく覚えていますよ。性格はおとなしかったですけど、美人で目立つ女の子でしたからね」
白髪が混じっているが筋肉質でがっちりした男性教諭は、うちわで顔をぶんぶんあおぎながら答えた。
「三年生の時に不登校になったとうかがっておりますが、理由はなんだったのか分かりませんか?」
千田が問いかけると、男性教諭は深刻な顔つきになった。
「個人のプライバシーにかかわることなので、どうしても話さなければなりませんか?」
「はい。現在究明中の事件解決のためにも、ぜひ」
「仕方ありませんね。紅谷は三年生の二学期の始めから学校へは登校しなくなりました。表向きの理由は体調不良ということでしたけど、実はですね……、そのう、妊娠をしていたんです!
いやあ、それを聞いたときは、ショックとともに本当に驚きましたよ。紅谷はとびっきりのかわいい少女でしたからねえ。もちろん、このことはごく一部の職員の中だけの秘密にされて、ほかの生徒や職員たちには伏せられました」
「不登校になった時、本人に会われましたか?」
「はい。でも、会って話をしようとすると、ごめんなさいといって泣いてしまうだけで、詳しい事情は全く分かりませんでした」
「じゃあ、腹ませた相手の男性が誰なのかは分かりませんか?」
「もちろん、分かりませんよ。そんなこと、聞き出せる立場ではないですからね」
次に、恭助が質問した。
「もうひとつ訊きたいんだけど。二年生の終わりの三月か、三年生の一学期の時に、由惟は住所を変更していないかな?」
変なことを訊くなと、俺と千田は顔を見合わせた。
「ああ、そうでした。思い出しましたよ。
住所の変更というわけではないですけど、紅谷は三年生になってすぐに、細川の家からではなくて、たしか山奥に住むお医者さんのお家から通うようになりました。なんでも、保護者である母親が長期の入院をするので、仕方なく、親戚のお医者さんの家に住まわせてもらって、しばらくの間、そこから通学するということでした」
「そっ、そのお医者さんの名前は……?」
千田が身を乗り出した。予想外の展開にびっくりしている状態だ。
「ええと、そこまではわたしも覚えていませんけど、たしか、細川のさらに奥にある下七首というバス停から、紅谷は通っていたんですよ。一番奥のバス停ですね。紅谷が不登校になってから、ぼくも二度ほど家庭訪問をしたんですが、いやあ、本当にあそこは山深い里でしたねえ。
そして、紅谷が住んでいた屋敷は、それはとても大きな豪邸で、なんでもその地区の由緒ある高家みたいです」
「そうだったのか。紅谷由惟は蓮見悠人の家に住まわせてもらっていたんだ!」
千田の口からうめくようなつぶやきがこぼれた。
「驚きましたよ。紅谷由惟は一時的に蓮見家に住んでいた。つまり、彼女は蓮見家の親戚だったというわけですね?」
「ううんと、そこんとこはまだグレイだな。俺は、紅谷由惟と蓮見家とは親戚関係まではなかったと思っているんだけど、まずはそこをはっきりと確認しなきゃね」
興奮する千田を、恭助はさばさばとたしなめた。
一宮中学校を出てから、途中で軽く食事をとって、そのあとで蓮見家へ向かうことにした。蓮見家で俺たちを出迎えたのは家政婦長の尾崎洋美だ。時刻は七時近くになっていた。
「まあ、またいらしたんですか? 今度はなんの御用で? もう千桜お嬢さまはお風呂にお入りになられていらっしゃいますけど」
尾崎がいくぶん不機嫌そうな応対をした。
「今日はお嬢さんじゃなくて、家政婦のあんたに用があるんだよ」
如月恭助がめずらしく先陣を切ってしゃべり始めた。
「はあ。わたくしにですか? いったい、なにをお答えすればよろしいので?」
「それじゃあ、遠慮なく。
あのさ、千桜の身体に刻まれているという『魔女の刻印』を確認したのはあんただよね。いったいなんなの、魔女の刻印って?」
さりげなく放った恭助の質問に、尾崎の細い眉が引きつった。
「なんですって? どこからその言葉をお聞きになったのですか? そんなお嬢さまの大切なお話。たとえ、警察の方とはいえ、とても申し上げるわけにはまいりません!」
尾崎はかぶりを振って拒んだ。
「ここだけの話にして、お嬢さんのプライバシーは厳守する。だけど、こいつは事件解決のためにとても重要なことなんだよ」
いつになく真剣な顔つきの恭助を見て、さすがの尾崎も観念したようであった。
「仕方ありませんわね。大旦那さまがおっしゃった魔女の刻印とは、ほくろのことですわ。お嬢さまのお身体にある」
「なるほど、ほくろか……。
じゃあさ、どこにあるほくろなんだい? 分かりやすくこの図に書いてみてよ」
そういって、恭助が手持ちのノートを取り出してさらさらと描き込んだのは、思春期の男子がふざけて落書きしていそうな、開脚した女性の生殖器が描き込まれた低俗なスケッチだった。
「なんておぞましい。そんなこと……、とてもお教えできませんわ」
「そうかい。そう簡単に拒まれてしまうと、警察の権力をかざして俺が直接お嬢さんの恥部を調べなければならなくなってしまうんだよな。まさか俺もそんな強引なことまではしたくないから、ここは家政婦のあんたの証言に頼ってみたんだけど、そういうことなら、まあ仕方ないか……」
脅迫まがいの恭助の説得に、尾崎洋美はしぶしぶと図の中にポツンと黒い点を描いた。描かれた場所は、女性器すぐそばの左もも内側であった。
「ああ、ここね。たしかに、ここじゃあ人には見せられないよな。はははっ」
不謹慎な発言に、家政婦はいっそうイラついた顔を見せたが、恭助はそれには一向に気が付かなかったた。
「ところでさ、家政婦さん。今から十一年前になる平成十六年の春頃なんだけど、蓮見家でなにか大きな事件が起こっていないかなあ。覚えてないかい?」
「平成十六年ですか? ええと、突然そんな昔の話をしろといわれましてもねえ。
あら、もしかしたら、そうだわ。わたくしがお休みをいただいていた年かもしれません」
「お休み?」
「はい、わたくし、十年くらい前に母が体調を崩しまして、二年間ほど仕事のお暇をいただいたことがございます。
ええと、そうですわ、わたくしはたしかに、平成十五年の初めから二年間お暇をいただいたので、ちょうどいなかった時期に当たりますわね」
「ということは、その頃の蓮見家の様子は知らないと?」
「ええ、全く存じ上げません。申し訳ございません」
「畜生、ここにきて……。
うーん、あんたのほかに、この時期の蓮見家の様子を知っている人物は、この屋敷にはいないかなあ」
「おりませんわね。旦那さまも大旦那さまも、もういらっしゃいませんし、真由子たちも十年も昔には奉公してはおりませんからねえ」
そういってから、家政婦は思い出したように付け足した。
「ああ、そうそう。わたくしの代わりに当時のこのお屋敷で働いていた使用人が、今は設楽町におりますわ」
「設楽町だって?」
北設楽郡設楽町は、新郷市の北に隣接していて、行政区域の実に九割が山林で占められる、人口がわずか五千人ほどの町である。尾崎洋美の代わりにかつて蓮見家で奉公していた久保利恵という女性は、設楽町の田口集落に住んでいた。
「はい、たしかに二年ほど七首屋敷でおつとめをさせていただきました。平成十五年ですか。ちょっと待ってください。ええ、十三年前ですから、たしかにその頃だったと思います。なんでも、それまでおつとめになられていた家政婦さんが急にお休みをいただきたいと申し出があったそうで、わたくしはその方がお戻りになられる期間の期限付きで雇われたのですが、それはもう、とっても大きくて立派なお屋敷でしたわね」
「当時、蓮見家にいた人物を確認したいんだけど」
「はい、ご主人の蓮見雷蔵さまと、そのご子息である蓮見悠人さま。あとは使用人たちでした」
「使用人はどのくらいいたの?」
「わたくしのほかにもう一人、料理人がおりましたわ。ええと、お名前は井戸田さんとか……」
「井戸田――? もしかして、井戸田五鈴という名前じゃなかったですか?」
「あら、たしかそのようなお名前でしたわ。すぐ近くにお住まいのようで、毎日お屋敷まで通っていらっしゃいました。だから、夜になると使用人はわたくしだけになってしましましたの。お恥ずかしい話ですが、とても広いお屋敷なので、慣れるまで夜は本当に怖かったのですよ」
井戸田のばあさんは蓮見家とつながりがあったのか……。
「その井戸田さんは、その後どうされたかご存知ですか?」
「わたくしは二年間のおつとめで辞めましたけど、そのあともしばらく料理人をしていたと思います。ただ、年も年だし、もう数年すれば辞めてしまうだろうと、たしか本人は申しておりましたから、今はおつとめしていないのではないでしょうか?」
「どんな人だったの。その井戸田さんって」
「わたくしよりも二十は年上の方でしたけど、ああ、それでも旦那さまよりはお若かったと思います。普段は口数が少ない方でしたけど、二人でおつとめの合間によくお話をしておりましたわ。お料理の腕は申し分ないものでしたわよ」
旦那さまとは、蓮見雷蔵のことであろう。
「じゃあ、こいつが一番聞いてみたいことなんだけどさ」
「なんでしょうか?」
「平成十五年の春なんだけどさ、蓮見家に女の子がやってこなかったかい? そのあとで一年ほど住み込んでいたはずだけど」
「ええ、たしかに一年ほどいましたわ。悠人さまが連れていらしたのです」
「連れてきた?」
「はい」
千田が入れ替わって質問した。
「親戚の子ですか。その、蓮見家の……」
「いいえ、身元の知れない子だったと思います」
「その子の名前は?」
「ベニオ。いいえ、ベニバナ? あら、なんだったかしら。お名前は由惟さまとおっしゃいましたように思います。中学生のかわいらしい子でしたわ」
「どうして蓮見家に住み込むことになったのか、詳しいことは知っている?」
今度は恭助が訊ねた。
「なんでも、実のお母さまが入院されて、それが長期になるので、由惟さまはおひとりで生活しなくてはならなくなり、たしか、細川におうちがあるそうですけど、それが不憫で、悠人さまがお引き取りになられたということです」
「つまり、蓮見家とは赤の他人ということだよね」
「そのようですね」
「どうして悠人さんは、由惟さんがそのような境遇にあることをご存じだったのですかね」
千田が横から口をはさんだ。
「たぶん、由惟さまが悠人さまの診療所の患者だったからだと思いますわ。引き取られるちょっと前に、診療所に通っていたらしいのです」
「引き取られたのはいつか覚えているかな?」
「はい、たしか、四月よりほんの少し前、三月の終わりだったような気がします。新学期が始まるからと、皆さんが大慌てしていたことを思い出しましたわ」
「三月のおわりね……」
恭助が考え込んだので、代わりに千田が訊ねた。
「由惟さんが患者だったとおっしゃいましたけど、なんの病気だったのかまでは分かりませんか」
「さあ。でも、来てしばらくは、わたくしどもにはなんにもしゃべりませんでした。ちょっと不気味な感じがいたしましたわ。なんというか、暗い影があるというか、ときどきにこりと笑いますけど、しゃべろうとすると口ごもってしまわれるといった感じでした。でも、七月頃から、少しならしゃべるようになって、いろいろお話も伺いました。
お生まれは青森県だそうですね」
「青森県?」
「はい。ご両親がともに青森の方だったそうです。小学校の時にこちらに引っ越してきたそうですわ」
「青森のどこかは分かる?」
「ええと、なんでも『五』という数字が付くなんとか線という鉄道の中にある、いちばんひと気の少ない駅の近くに住んでいたらしいですよ。海のすぐ近くにあっていつも強い風に吹きさらされている駅だとか、おっしゃっていました」
「ひと気の少ない駅、ということは、秘境駅か……?」
「由惟さまを養子にするとかしないとかで、旦那さまと悠人さまの間でひともんちゃくあったそうですね。でも、わたくしは個人的には反対でしたわ。というのも、由惟さまは何か不思議なお力を持っていらっしゃるというか、少し変な女の子でしたからね」
「変?」
「魔女だそうですよ。まあ、恐ろしい。聞けば、青森にはイタコと呼ばれる霊能者がたくさんいるそうじゃないですか。
それからしばらく経って、今度はおなかが急に大きくなってきて、もうびっくりしましたわ。そうです。妊娠をなさっていたのです。翌年にはお子さんが産まれました。女の子で、由惟さまに似た、とても愛らしい赤ちゃんでしたわ」
千桜だ……。俺は千田と顔を見合わせた。
「でも、こんなにお世話になったのに、由惟さまは本当に恩知らずな子でしたわ。ある日突然行方をくらませてしまいましたのよ。赤ちゃんといっしょにね」
そういって、久保はふっとため息をついた。
「その赤ちゃんの名前はなんといいましたか?」
「ええと、桜という字が入っていたような気がしますけど、なんというお名前だったかは、忘れてしまいましたわ」
「ありがとうございます。それから、由惟さんと赤ちゃんが失踪されたのは、いつ頃のことですか?」
「はい、五月二十一日ですわ」
「よく日にちまで覚えていますね?」
千田が驚いて目を丸くすると、久保はあっさり答えた。
「ええ。この日は大旦那さまのお誕生日でしたからね。だから今でもはっきり覚えておりますわ」
「なるほど。そういうことですか」
「驚きましたよ。やはり、千桜は由惟が産んだ子供だったということですね。そして、家出をした日にちが、豊橋学園なかよし館で千桜が発見された日ともピタリと一致する。由惟は千桜を一人で育てることができないから、それで孤児院に預けたんですね。でも、なんで蓮見家から逃げ出したのでしょうか。そのまま蓮見家に住まわせてもらえば、千桜を育てることも問題なくできたはずなのに。それに、由惟はそのあとでいったいどこへ消えてしまったんでしょうか?」
千田の疑問に、俺は答えた。
「細川の家に戻らなかったことだけは間違いない。すぐに蓮見家に見つかってしまうからね」
「どうして、逃げ出したんでしょうか?」
「さあ、どうしてだろう?」
すると、後部座席でスマホを見ていた恭助が口を開いた。
「由惟が生まれた場所がおおよそ分かったよ。家政婦がいっていた『五』で始まる鉄道とは、青森県の五能線のことだ、間違いない。青森県の五所川原市と秋田県の能代市とを結ぶローカル線だね。さらに、その路線の中にある海に面した秘境駅といえば、『広戸駅』か『驫木駅』ということになるけど、俺の直感では、たぶん驫木駅の方だろうな」
「お詳しいんですね、秘境駅に」
「う、うん。つれが秘境駅好きなんでね。俺もつられて少し興味を持つようになっているんだ」
千田がほめると、恭助は少し照れくさそうに返事をした。
「ということで、おい、なんでも屋。今度は、青森県に行くよ」
俺は不意を突かれて、ビクッとした。
「青森県って、まさか、由惟の出身地を調べるということか?」
「そうだよ。ここまで来たら、紅谷由惟の生誕からしっかりと詰めるしかないからね」
「そんなことは、母親の佳純に聞けばいいじゃないか。すぐそこに住んでいるのだし」
俺が焦って提案すると、千田が難色を示した。
「それはかなり難しいと思いますよ。とにかく、紅谷佳純とは会話が成立しませんからねえ」
「俺はちょっと青森まではなあ……」
本音をいわせてもらえば、ここ半年、七首村に通い詰めるだけで、事務所の予算は底を突きかけている。ここに至って青森まで行ってくる資金は俺にはない。
「なるほど、旅費の心配か。大丈夫だよ。親父がなんとか工面してくれるさ。なにしろ、事件解決のための必要経費なんだからね」
恭助がすんなりいい放った。俺はひそかに思った、こうして国民の血税は浪費されてしまうのかと。
俺と恭助は紅谷由惟が生まれたという青森県の秘境駅を目指して出発した。
名古屋の小牧空港から飛び立った十一時三十五分発のフジドリームエアラインズ航空363便に乗って、一時間二十分の飛行旅行だ。元来俺は飛行機なるものは苦手で、そもそも人間は空を飛べないのだから、飛行機に乗るということは赤の他人である機長に己の命を預ける、ということにほかならない。機内で俺は四六時中ずっと蒼ざめていたのだが、一方で窓側に座った恭助は嬉しそうに一時間二十分の間じゅうずっと鼻歌を歌いながら、いつまでも雲と青空を眺めていた。
「よう、なんでも屋のにいちゃんよ。魔女の隠れ家ってさ、どこにあると思う?」
突然、恭助がしゃべりかけてきた。こっちは気持ち悪くてそれどころではないのだが。
「蓮見雷蔵翁が、魔女の隠れ家を訪問してから、そのあとで遺体が見つかったのが阿蔵の七滝だったから、おそらくその近くに、魔女の隠れ家があることになる」
「龍禅寺の可能性ってないかなあ」
「龍禅寺か? ないことはないが、俺の意見としては、ちょっとイメージが違うな。そもそも、龍禅寺なら魔女の隠れ家というよりも、妖怪の住み家って名前の方がぴったりくる」
「まあそうだよね。じゃあ、魔女の隠れ家は阿蔵部落のどこかにあるのだろうか?」
「うーん、あの辺りも、六条家というお化け屋敷を除けば、普通の家ばかりだしなあ。六条家の陶工房だったら、なんとなく雰囲気はあるけど、まさか天敵である蓮見家の元当主を六条家が招き入れるはずもなかろうから、そいつもあり得ないな」
「そうだよね。じゃあ、浅木夢次の家ってことは?」
「俺も最初は浅木夢次の家だと思ったよ、魔女の隠れ家は。雰囲気もぴったりだしな。でも、方角が違う。雷蔵が発見されたのは、反対方向の阿蔵の七滝だ」
「そういうことだね。でもさ、浅木夢次の家をいったん訪れてから、すぐさま引き返して阿蔵の七滝に行くことは可能だろうか?」
「無理だな。真由子の証言によれば、七首屋敷を雷蔵と千桜が出たのが午後二次頃。七首屋敷から浅木の家まではおおよそ三キロ。しかも、のぼり一辺倒の容赦のない山道だ。老人と子供の足では一時間近くはかかってしまうだろう。そこでなにかしら目的を果たしてから馳せ戻っても、下七首のバス停までは、まあ、四時を過ぎてしまうのが落ちだろう。そこから、阿蔵の七滝へ向かうバスはというと……」
俺はスマホを取り出して、Nバスの時刻表を調べた。
「ほうれ、見てみろ。下七首バス停を出る、阿蔵方面行のバスは、午後四時五十分発で阿蔵の七滝バス停に到着するのが五時十二分だ。そして、その頃には真由子と浅木の車が七滝の入り口へ着いているから、雷蔵は川へ飛び込む暇もなかったことになるよな。はははっ」
「じゃあさ、そのひとつ前の、下七首バス停発三時三十七分に乗ることはできないかなあ?」
「それに乗るためには、浅木家の家に行ってすぐに引き返したところで、それでもギリギリじゃないかな。一時間半で浅木家を訪れて引き返すのはちょっと厳しいし、そもそもなんのために浅木家へ行ったのか分からなくなっちまう。
ゆえに、魔女の隠れ家は浅木家ではないと結論付けざるを得ないんだよ」
「なるほどねえ」
俺が断言すると、恭助はニヤニヤしながら引き下がった。
十二時五十五分にフジドリーム363便は予定通り青森空港に到着した。空港の出口では一台のパトカーが待機していた。何ごとかと驚く俺を横目に、恭助はずかずかとパトカーへ近づいて行った。
「如月恭助さまですね。わたしは青森県警に勤めます、三上警部補であります。今回は捜査に協力をさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」
体格ががっちりとした三十前後の若い警察官だ。
「ああ、三上くんね。どうぞよろしく」
三上くんだって? こいつ初対面じゃないのか。しかも、年上の警察官だぞ。恭助の発した言葉に俺はわが耳を疑った。
「それからさ、こちらはなんでも屋の堂林凛三郎氏。手早くいえば私立探偵といったところかな」
「どうぞよろしくお願いします。三上と申します」
三上警部補は俺にも深々と頭を下げた。どうも警察官の人間関係というものが俺にはよく分からない。
「紅谷佳純という女性でしたよね。たしかに、二十年前に青森県深浦町の驫木部落に住んでいました」
「佳純の家族は?」
「両親はすでに亡くなっていて、実家もなくなっているそうです。ただ、佳純と結婚していた旦那の行方は判明しています。すでに二人は離婚していますけどね」
「じゃあ、その夫に会いに行こう」
「分かりました。今、彼は驫木部落に住んでいますけど、ここからだと二時間くらいかかるかもしれません」
「うん、ぜんぜんかまわないよ。それくらい」
恭助はにっこりと笑った。
津軽の大地に横たわるJR五能線は、全区間の六割を風光明媚な日本海を眺めながら移動するのどかな路線である。近年世界遺産に登録された白神山地を沿線に有し、乗ってみたいローカル線のランキングでも常に上位に登録される人気の路線だ。その五能線の中でも夕日が美しい秘境駅ということで有名な驫木駅へ行くには、国道101号線を日本海の海岸線沿いにひたすら走り続けなければならない。そこそこ広くて走りやすいのだが、荒々しい海とだだっぴろい海岸がひっきりなしに続いている、とにかく単調な道路である。
「魔女ですか? このあたりではイタコ信仰がありますね。口寄せです。死者の霊を呼び出しその思いを代弁して現世の人々に伝える巫女のことをイタコと呼んでいるのです」
運転をしている三上がさりげなく話題を切り出すと、
「うん、いわゆる霊媒師のことだよね?」
と恭助が相槌を打った。
「ああ、イタコは霊媒師とはちょっと違いますね。外国の霊媒師っていうのは特定の個人の霊をみずからの身体に宿して、霊の思いを直接語るのだと思いますが、イタコは多くの霊を呼び寄せて、そこから聞いた意見を、霊の代わりとなって代弁するのです」
「つまり、憑りつかれているわけではないというわけ?」
「さあ。まあ、わたしはイタコではないのでよくは分かりませんが、いずれにせよ、普通の人にはできない職業ですね。
イタコといえば下北半島の恐山が有名ですが、イタコ信仰は実はここ津軽地方が発祥の地なんですよ」
「へえ、そうだったんだ」
「ということは、これから向かう驫木部落もイタコ信仰の地であったということですか?」
俺も身を乗り出して訊ねてみた。
「おそらくはそうでしょう。津軽地方の各地では、昔から祭りがあるたびにイタコが招かれて祈祷が行われていたようですからね」
三上はミラー越しに俺と目を合わせてうなずいた。
「ああ、ここで停めてよ!」
突然、恭助が大きな声を張り上げたから、三上は慌ててブレーキを踏んだ。
「なにかありましたか?」
恭助が停めたのは、驫木駅の前だった。
「いやね、せっかく青森に来たからさ、かの有名な驫木駅の写真を撮って、青葉にさ――、あっ、いや、つれに自慢をしてやろうと思ってね」
そういって恭助はパトカーを降りると、しばらく駅舎のまわりをうろついて、無心になって駅舎の写真を撮りまくっていた。駅舎は木造の平屋で、思ったよりもしっかりとしている。付近を見回しても、あるのは家が一軒だけ。それも、どうやら空き家のようだ。ほかにはなにもない。
旅の疲れをいやそうと、線路の方へぷらぷらと歩いてみた。線路の向こうには海がすぐそばまでせまっていた。そんなに天気が悪いわけでもないのに、打ち寄せる波音は相当な迫力があった。ここまで海に接近した駅は全国探してもそうはなかろうと俺は思った。
驫木駅を南へ少し進むと、道路は緩やかな上り坂となる。そこをちょっと上ったところで車を停めて振り返ると、たいていの人ははっと息をのむことになろう。そこは驫木駅屈指の絶景撮影ポイントになっているのだ。駅まで長く伸びた茶色い線路に、ねずみ色の駅舎、その向こうに見える緑の岸壁と、碧い海がなす美しきコントラスト。壮大な荒野の情景が存分に堪能できる。
恭助はそこでも車から降りて、写真を撮りまくっていた。公私混同もはなはだしく、さすがの三上警部補もこれには苦笑いをしていた。
驫木駅の絶景スポットから先へ続く丘をのぼり切ると、急に家が点々と出没して、ちょっとした集落が現れる。その集落の中央部を国道101号線沿いに少し進めば、小さな郵便局が容易に見つかる。
「ここが驫木郵便局です。紅谷佳純が独身の頃に通っていた職場ですよ」
運転席の三上が指をさしながらいった。
「紅谷佳純とその夫であった小笠原光男は、郵便局の職員と客という関係で知り合ったそうです。その小笠原光男ですが、この集落の奥に今でも住んでいますよ」
驫木集落は小さな部落なので、小笠原光男という表札の家は、ちょっと歩いただけですぐに発見できた。光男は、今は別の女性と再婚をして、息子と娘の四人家族で暮らしているようである。俺たちが訪問した時には、妻の女性しかいなかったが、間もなく帰ってくるはずだということで、しばらく外で待たせてもらうことにした。妻は、警察がいきなりやってきたのでかなり戸惑った様子であったが、俺たちもあまり深入りした説明はしないで、訪問の理由をはぐらかせておいた。夫の元の家族についての訊き込みをしたいと説明したところで、迷惑なだけだと思ったからである。
小笠原光男は七時前に帰ってきた。さっそくつかまえて話をうかがいたいと申し出たら、家から少し離れたところでなら、ということになって、俺たちは驫木郵便局の近くまでとぼとぼと歩いてきた。
「佳純のごどだったな。あいど知り合ったば、この郵便局でだ。佳純ば、驫木郵便局の局員だったんだ」
小笠原はひどい訛りの津軽弁でしゃべり始めた。
「とにがぐ、すんごい美人でさ、地元の客もみんな注目しでな、私も彼女の顔見たさに、あの手この手ば尽ぐして何度も郵便局ば訪れだもんだ。とぎにはさ、貯金の通帳記入だどか、わずがな額なのに振り込みだどか、挙句の果でには、必要のない郵貯保険にも何口か加入しだんだ。
でもさ、そうごうしてらうぢに、向ごうも私に興味を示してぐれでさあ。めでだぐ結婚どなったんだ。
だけんど、その幸せばあんまり長ぐは続がんかった。やがで由惟が生まれで、小学校ば通うようなった時、驫木郵便局で金銭の不正事件が起ごってさ、佳純ば疑われぢまってさ。元来、攻撃されるどめっぽう弱え体質だがらな。佳純ば。
いい訳するよりも、耳ば閉ぢてまる行動ばとる佳純に、次第に周囲の疑惑も高まり、ついには告訴されてまった。私ば、かばう立場にありながら、もしかしだら、佳純ば犯人がもしれね、どいう疑いも持っでまった。そんな中、突然、佳純ば、娘の由惟ば引ぎ連れで失踪しでまったんだ。
やがて、愛知県のとある村さ住むごとになったという手紙ど、離婚手続ぎ書ば、送られでぎだ。私ば、しぶしぶ印鑑ば押して、返事ば出したんだ。
とても美人なのばって、短気ですぐに投げでまる性格で、真面目なんだげど、小ずるい一面も持ぢ合わせでいだなあ、佳純ば……」
「まあ、いわゆるツンデレってやつだな」
恭助がボソッとつぶやいた。
「実はさ、佳純の家系ば、たげおっかねえんだ。代々、魔女なんだ。母親もそのまだ母親も、恐山のイタコばしていでさ、あれば、美人の仮面の下で、恐ろしい力ば持ってらんだよ」
「どんな力ですか」
俺が訊ねると、小笠原は遠くを見つめるようなそぶりで答えた。
「人ば呪う力だな。佳純が去ったあど、佳純ば追及した主な局員が、次々ど発狂しだり失職しだりしたんだ」
「必ずしも佳純のせいではないかもしれないじゃないですか?」
「まあ、そうがもしれねがね」
「ところでさ、娘の由惟ちゃんの血液型って分からないかなあ?」
俺の横から、恭助が訊ねた。
「由惟の血液型だが? んだな。O型だ。間違いね」
「本当に? どうして間違いないっていえるのさ?」
「なしてって、私も佳純もO型だはんでな。だがら、由惟ばぜったいにO型だ」
それを聞いた恭助は、口元にわずかに笑みを浮かべていた。




