27.児童養護施設
「ちび助からいわれた調べて欲しいことだって……?」
ふと気が付くと、周りにいる全員の視線が、俺に集中砲火していた。
「あっ、いや。そのお、恭助君から依頼された調査ごとですよね」
訂正を入れたものの、こいつは明らかに失言であった。その一方で如月恭助は、俺の失言を一向に気に留める様子もなく、単刀直入に千田に確認を取った。
「うん、それで、なにが分かったの?」
「はい、これが恭助さんからいただいた調査事項のリストなんですが」
そういうと、千田は俺に紙切れを手渡した。
「ちょっと、拝見いたします」
俺は別所とともにそのメモに目を通した。すると、そこに書かれていたのは、次の内容であった。
早急に捜査してもらいたいこと。
一.六条道彦、西淵庸平、穂積智宙、平川猛成の間で過去に交わされたツイート履歴の検索。および、穂積が所有するパソコンやUSBの押収。
二.平川猛成の戸籍に記載された氏名。
三.蓮見悠人の利き腕。
四.蓮見家は、なぜ身寄りのない千桜を引き取ったのか?
五.浅木夢次の最近の目撃情報。
「それでは、簡単なものからいきます。まず、三番の蓮見悠人の利き腕ですが、驚いたことに、彼は左利きでした。細川診療所に勤務していた複数の人物からの証言なので、信頼できると思います。
つまり、悠人は右腕を失っても、彼の利き腕はまだ健在である、ということになります!」
この瞬間、俺は悔しさに歯をくいしばった。単純なことだけにうっかりしていた。蓮見悠人の右腕が見つかった時、腕時計を嵌めていたけど、そこで気付くべきだったのだ。右腕に腕時計を嵌めるのは、左利きの人物がよくする行為であるということを。
「次ですが、メモの二番目ですね」
千田は、俺の動揺を察する様子もなく、早口で先を続けた。
「平川の戸籍を調べてみたら、とんでもないことが分かりました。
平川の本名は、『ヒラカワ』ではなくて、『ヘガワ』です!
漢字はそのまま同じなんですけど、戸籍で登録されている正しい名前の呼び方はヘガワでした」
こちらに関しても、ある程度このような展開を予測していたのだが、やはり先を越された感がある。如月恭助――、単なる生意気な餓鬼というわけでもなさそうだ。
「戸籍の名前を勝手に変えてもいいんですか?」
念のために、俺は確認を入れた。
「いえ、戸籍の名前は、よほど特別な事情がなければ、変えることは許されません。でも、戸籍登録とは違う呼び名で、日常生活を送ることは、本人の意思で勝手にできるみたいです」
すると今までずっと黙っていた別所が、口を開いた。
「ちゅうことは、いまわしき『へ』の殺人事件は、ヘガワが殺されたっちゅうことで、無事に完了したわけですなあ。
ああ、良かった……」
さすがに、ああ、良かった――、はないだろうと思いつつも、別所の発言に突っ込みを入れるのは止めておいた。
「どうして自分の苗字を変えたんでしょうかね。ヘガワからヒラカワに?」
「おそらく、ヘガワが、大便所を意味する言葉なので、嫌がったんじゃないでしょうか。いかにも、ありそうな話です」
「なるほどね……。じゃあ、変えたのはいつ頃なんだろう」
「平川が中学へ入学する時に、変更したみたいです。家族そろっていっせいに変えたみたいで、鳳凰東小学校の名簿では、ヘガワだったのが、鳳凰中学校の名簿では、ヒラカワとなっていましたよ」
「すると、その事実を知っていた人間となれば、かなり限定されませんかね?」
俺は、とっさに思い付いた推理を述べたのだが、
「さあ。なにしろ、狭い村ですからねえ。昔から平川と付き合いがある人物なら、誰でも知っているのではないでしょうか? 特に、不良グループたちならね」
と、千田はあっさり否定した。
「そして、今度はメモの一番目。不良グループが、彼らだけで設置したライン上で、過去に交わした会話の内容ですが、県警のサイバー課で調べてもらったところ、ぼろぼろ出てきましたよ。内容はこちらにありますから、さっそくお渡ししましょう」
そういって千田は、俺と恭助、別所のそれぞれに、コピーを手渡した。そこには、閉ざされた闇の空間で取り交わされた忌まわしき会話の全容がしるされていた。
(送信された日付までは表記するが、時刻は省略させてもらう)
最近会っていないけど、元気してる? ちさぽん、やっぱり別格。
(西淵、 2014/08/17/***)
レスなしかよ?
(西淵、 2014/08/29/***)
アニイ、ヘガ、ブチ。いたら、レス頼む。
(道彦、 2015/09/02/***)
いるよ。
(西淵、 2015/09/03/***)
すまん。最近見ていなかった。
(平川、 2015/09/07/***)
穂積のアニイはいる?
(道彦、 2015/09/07/***)
そのうち来るでしょ? 要件ってなにさ?
(西淵、 2015/09/07/***)
マツリ復活! 楽しいな~。
(道彦、 2015/09/08/***)
マツリだって?
(西淵、 2015/09/08/***)
そう。13年前の、とっても気持ちよかった、例のあれ。
(道彦、 2015/09/08/***)
ちなみにさ、あれって、犯罪じゃん?
(西淵、 2015/09/08/***)
やばいことなら、俺はごめんだ。
(平川、 2015/09/09/***)
あれれ、なに人間ぶってるの? やぱ、働いている人はいうことが違うねえ。
(道彦、 2015/09/10/***)
どうせ俺たちなんか、人間じゃないよね。
(西淵、 2015/09/10/***)
じゃあ、雑魚?
(道彦、 2015/09/10/***)
いや、どっちかというと、鬼畜。
(西淵、 2015/09/10/***)
ブチのくせに偉そうに……。お前、まだ童貞じゃんか?
(道彦、 2015/09/10/***)
うっせーな。将来の嫁に捧げるために大切にとっておいてあるんだよ。ちさぽん、命!
(西淵、 2015/09/10/***)
そのHCだけど。ガードが異常に固し。あり得ない。
(道彦、 2015/09/11/***)
ああ、ちさぽんに俺の貯め込んだ濃厚ザーメンをぶち込みてえ。ハアハア。
(西淵、 2015/09/11/***)
HCをラチるには、小学校にいる時を襲うしか手立てなし。ほぼ絶望……。
(道彦、 2015/09/12/***)
ラチって、どうするの?
(西淵、 2015/09/12/***)
おマツリをする。久しぶりだねえ。
(道彦、 2015/09/12/***)
それはダメです。だって、ぼくのちさぽんなんだから。
(西淵、 2015/09/12/***)
ずっと聞いていたけど、HCってそんなにいいのか?
(穂積、 2015/09/13/***)
なんだ、アニイいたの?
(道彦、 2015/09/13/***)
まだJSだろ?
(穂積、 2015/09/13/***)
でも、すげえ美人。見れば分かる。
(道彦、 2015/09/13/***)
BYとどっちがいい?
(穂積、 2015/09/13/***)
BYの再来。まじ天使。
(道彦、 2015/09/13/***)
じゃあ、いよいよ兄貴さまの出番ってことか。
(穂積、 2015/09/13/***)
いよ。真打登場。アニイ、最新の研究はいかが?
(道彦、 2015/09/13/***)
完璧。自分の天才ぶりが恐ろしい。
(穂積、 2015/09/13/***)
興味津々。どんなおクスリができたのかなあ?
(道彦、 2015/09/14/***)
投与すれば、効果が切れるまで猿のようにマスターベーションをしまくる。そんな旧式のドラッグじゃあだめだな。
(穂積、 2015/09/15/***)
なにがダメ?
(道彦、 2015/09/15/***)
だってよ、せっかくの美少女が台無しじゃん。よだれ垂らして、目が血走っちゃうんだぜ。
(穂積、 2015/09/15/***)
たしかに……。
(道彦、 2015/09/15/***)
垂らすのはオツユとオシッコだけに限定。羞恥心はキープしたまま、精神は沈着冷静。だけど、性感はマックスに高まり、興奮して、いやいやいいながらも、与えられた刺激に反応してしまう。どんなに恥ずかしくても、男の要求を受け入れざるを得なくなる。そんな究極のドラッグが完成したのさ。
(穂積、 2015/09/17/***)
もしかして、おしっこでくまさんパンツがびしょびしょに?
(道彦、 2015/09/17/***)
投与後、三十分以内に効果が表れ、二時間ほど持続する。依存症などの副作用も、従来のドラッグに比べれば格段に少ない。まさに理想のドラッグさ。これで、ノーベル賞もゲット!
(穂積、 2015/09/18/***)
待ち遠しいなあ。おマツリ、おマツリ、おマ〇〇。
(道彦、 2015/09/19/***)
俺の最高傑作の最初の毒牙に掛かるのは、絶世の美少女HCか。まさに、ふさわしいぜ。並みの女じゃ、もったいないしな。
じゃあ、具体的な計画は任せた。俺は今、ちこっと忙しい。
(穂積、 2015/09/21/***)
ラジャー。
(道彦、 2015/09/22/***)
このあと、悪魔のやり取りは途絶えるが、最後にもう一件だけログが残っていた。それがなんと、殺される直前に発信された、六条道彦のつぶやきであったのだ。
チーっす。久しぶりのツイート。
人ってさ、変われば変わるもんだよね。本当に笑っちゃうよ。
(道彦、 2015/12/28/00時34分)
それっきりで道彦のつぶやきは終わっていたのだが、それに対する応答のつぶやきは書き込まれていなかった。
「どういう意味ですかね? 人は変われば変わるものだ、とは……」
俺が疑問を投げかけると、間髪入れずに千田の答が返ってきた。
「ひょっとして、紅谷由惟がまだ生きていたとか、考えられませんかね?」
「紅谷由惟が……?」
「はい。紅谷由惟が生きていて、六条道彦にこっそり呼び出されて、十二月二十八日の深夜に道彦の待つ六条家の離れ工房へ出向いたんです。しかし、そこで十年余りの時を経て目の当たりにした由惟の姿が、かつての清楚な美少女とはほど遠いあばずれになっていたので、道彦はそれに仰天してしまったとか? はははっ」
「紅谷由惟が生きている可能性はあるのですか?」
「いえ、さすがにそれはないでしょうね。我ながら、突拍子もない考えでした」
千田は顔を赤らめて言いわけをした。
「でもさ、考えてみれば、俺たちは紅谷由惟について、なんにも知らないんだよね。どんな素顔をしてたのか、ってことからさ」
恭助がポツリとつぶやいた。
「そうですね。紅谷由惟についても、もう少し調べてみなければなりませんね」
千田は手帳を取り出して、なにやら書き込んだ。
「ひょっとしてさ、由惟が死んだ事実を不良グループたちは知らなかった、なんてことはあり得るかなあ?」
恭助があらたなる疑問を呈した。
そいつも指摘されてみれば、あってもおかしくないような気がした。由惟が自殺をしたのは東京だし、こんなド田舎に住んでいる不良どもが、その事実を知らなくたってなんら不思議もない。
「あと残っている、恭助さんから頂いたメモの指令ですが、穂積のパソコン回収はもう少しお待ちください。今、部下が動いている最中です。ただ、穂積は形の上では被害者ですからねえ。案外、難しいかもしれません。それから、浅木夢次の最近の目撃情報ですが、こちらも、今、訊き込みを必死に行っています。
最後に、蓮見家が千桜を引き取った理由ですね。それを解明するためには、千桜が幼い頃を過ごした孤児院へ行って訊き込みをするのが、有効だと思います。さっそく明日にでも出向きたいと思っていますよ」
千田は、最後は意気込んで説明を締めくくった。
翌日、蓮見千桜がかつて暮らしていた、豊橋市にある『豊橋学園なかよし館』という児童養護施設を、千田と別所、それに如月恭助が訪問した。
賢明な読者は気付かれたかもしれないが、実は俺はこの訪問には同行しなかったのだ。突然、所沢事務所から急用で呼び出され、どうしてもそちらを片付けなければならなくなったからで、これから記述する孤児院における捜査の内容は、千田巡査部長や恭助から聞いたことを俺が掘り起こしたものであることを、まずいいわけさせてもらう。もちろん、交わされた会話の言葉の一語一句を正確に再現することなどできやしないが、その内容に間違いがないことは、俺のプライドに賭けて、読者には保証する。そして、ここに書かれた内容は、事件全貌の解明のために不可欠なものでもあることも、あらためて補足をさせてもらう。
豊橋学園なかよし館は、JR豊橋駅から市内を走る公共バスに乗って二十分ほどの場所にあった。近くには、特別支援学校も併設されていた。また、水鳥が飛来する長三池というため池のほとりに位置していて、環境の良い場所で、池の周りに幸公園というのどかな憩いの場も広がっていた。
別所警部補、千田、恭助の三人を施設で出迎えたのは、眼鏡をかけた白髪の小太りな男であった。
「園長の安井と申します。どうぞよろしくお願いします」
「豊橋署の別所です」
そういって、別所は警察手帳をかざした。
「千桜のことでしたね。あれは、もう十二年前になってしまうんですね。平成十六年(二〇〇四年)の五月二十一日のことでした。
それはもう、びっくりしましたよ。まるで、昔のドラマに出てきそうな光景でしたからね。ほら、今、あなた方がいらした玄関口の外に、揺り篭に入れられたままで、生まれたばかりの女の子が置き去りにされていたんです。置き手紙もいっしょに添えられていて、それによりますと、事情でこの子を育てられなくなったため、施設で育ててもらいたいと。さらに、この子の名前が『千桜』であることと、誕生日が二月十四日で、生後三か月であること。血液型はB型、などの最低限のことを記したメモがありました」
館長は続けた。
「驚いたのはですね……。事情により育てられないと書いてあるわりに、赤ん坊が着ている服とか、入れてあった揺り篭などは、かなりの高額な品物で、お金に困っているという雰囲気が、全然しなかったんです。
とにかく、とても可愛らしい子でしたから、施設で育てることになりました」
ここで館長は、いったん言葉を切った。
「千桜は聡明な子でした。同じ施設にいるどの子よりも物覚えが早くて、好奇心が旺盛でした。庭にある大木にもするするとのぼっちゃって、幼い頃はかなりのおてんばさんでしたね。でも、自分よりも小さい子に対しては面倒見も良くて、明るい子で、誰からも愛されていました。
それから時が経ち、千桜がちょうど十歳になろうとしていた時です。
新郷市に住んでいる蓮見というお医者さんが、行方不明であった自分の娘と思われる少女がこの施設にいることを最近になって知り、ぜひ引き取って大切に育てたい、との申し出がありまして、こちらもいろいろと調べさせてもらいましたが、この蓮見という人物は、医者としてもかなり評判が良いお方であったので、千桜が十歳の誕生日を迎えた二月十四日(二〇一四年)に、喜んで引き取ってもらうことになりました。
ただ、その時にちょっとした事件というか、妙なことが起こりましてね」
「ほう、なんですか?」
館長の思わしげな発言に、別所が質問を入れた。
「それが、蓮見医師といっしょに、よぼよぼのおじいさんと、召使いと称するご婦人が同行していたのですが」
蓮見雷蔵と尾崎洋美だな、と別所は思った。
「おじいさんの方が、いきなり大声でわめきはじめたんですよ。
なんでも、千桜の身体には、魔女である証したる『魔女の刻印』が刻まれているはずなのだ。引き取る前に、その証しをぜひとも我が眼で直接確認をしておきたい、といい出しましてね。
それがどうも、パンツを脱がさないと分からない箇所にあるから、早くパンツを脱げ、と千桜に迫ってきたのです。相手は幼い小学生の女の子ですよ。ちょっとボケているのかな、と思いました。
でも、それを確認しなければ、この娘は引き取ることができない、とおじいさんは断固として譲りません。蓮見医師があわてて、なんとかなだめようとしましたが、全く聞き入れる様子はありませんでした。
千桜であることがはっきりすれば、多額の寄付金をくれてやるから、そうなればこの貧乏施設もうるおうことになるぞ、とおじいさんはいい張りましたけど、わたしはそんなことより、千桜が受ける恥辱を考えれば、とてもじゃないけど、この老人のいい分に従う気にはなれませんでした。
しかし、提案がなされて、千桜の身体を調べるのを女性である付添いの婦人にしてもらうことにしたのです。それでも、おじいさんだけは断固として譲りませんでしたが、蓮見医師の説得でなんとかその場は収まりました。
結局、千桜は、別の部屋でパンツを脱がされて、身体の恥ずかしい部分を、付き添いの婦人に確認してもらったそうです。
戻ってきた婦人は、この子にはたしかに魔女の刻印があった、とはっきりと断言しました。それを聞いて、蓮見医師は安心して、千桜を養女に引き取っていったのです。
その直後のことですが、想像を絶する多額の寄付金が、蓮見家から送られてきました。これまでのお礼だということでしたが、運営が苦しい当施設にとっては、とてもありがたい寄付でした。その後も、千桜が蓮見家で元気に暮らしているとの報告もあって、我々としては、まあ一安心といったところです」
その後もしばらく園長の話は続いたが、おおむねその内容は、なかよし館での苦労話であったそうだ。
「どうもありがとうございました。いろいろ参考になりましたよ」
そう告げて、別所たちは孤児院をあとにした。




