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七首村連続殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
26/35

26.辺境の一軒家

 いつの間にか日付は六月十五日となっていた。あれから事件は全く停滞している。行方不明の平川猛成は依然として姿を見せず、第六のメールで予告された殺人は、いまだあったのかなかったのかも確認できずの状態だ。そんな中、あさきゆめみし氏から、あらたなるメールが届く。俺は背筋がぞっとした。この狂気の殺人鬼は、立て続けに新たなる殺人予告をしてきたのだろうか?



 拝啓、名探偵君。


 どうしたんだい。捜査が行き詰っているようじゃないか。やれやれ、小生が創作した芸術作品は、いまだ日の目を見ずということか。仕方ないなあ。じゃあ、大サービスだ。ヒントを教えてあげよう。こころして聞きたまえ。

 六番目の被害者は、実をいうと、もうすでに死んでいるのさ。そいつは孤立した一軒家の中で、一人さびしく、自分を見つけてくれるのを待っているんだよ。いいかい、孤立した一軒家だ。とってもさびしい孤立した一軒家を探せばいいんだよ。簡単じゃないか。

 ああ、まさか、小生が助け船を出すはめになろうとはね……。


    あさきゆめみし。


2016/06/14(火)20時00分送信



「東京から来た探偵さん。孤立した一軒家とは、一軒だけになってしまった集落の家屋を意味するのではないでしょうか?」

 千田にメールを見せたところ、即答で返事が返ってきた。話はそれるが、依然として別所警部補は新郷署へ姿を現してはいなかった。

「一軒だけになってしまった集落……?」

「はい。もしそうだとすると、いくらか心当たりがありますよ。かつては数軒が軒を連ねていた集落も、過疎化の進行で、急激に世帯主の数が減少しているのです。そんな中で、世帯主がいる家がたったの一軒だけになってしまった集落もいくつか存在します」

「七首村にもあるのですか?」

「おそらくは……。さっそく、調べてみましょう」

 そういって、千田は資料を調べに消えていった。全く信じられないことであるが、こんなド田舎ともなると、住民が一軒だけの究極の限界集落が存在するそうだ。

「東京から来た探偵さん、ありましたよ。七首村には五つありました。ええと、住民が一軒だけしかいなくなってしまった孤立集落ですね。阿蔵地区に一つ、七首地区に四つです。あっ、でも、七首のうちの一つは、ほら、例の井戸田婆さんのおうちでして、今は消滅しましたから、残っているのは全部で四つということになりますね。

 それでは、片っぱしからつぶしていきましょう」


 こうして俺たちの七首村孤立一軒家めぐりの探索が始まった。七首村の各地に点在するたった一軒だけになった孤立集落を目指して、パトカーを運転しているのが千田巡査部長、助手席に堀ノ内巡査、そして、後部座席にいるのが、俺と如月恭助だ。新郷署に近い集落から順番に立ち寄って、住民に声をかけて、最近異常がなかったかどうかを聞いて回る。住民は一人暮らしの老人だったり、子供もいる若い夫婦だったり、様々であったが、みんなそろいもそろって意外なる訪問者に目をぱちくりさせていた。

「最後になりましたが、実は今度の家が一番あやしいんですよ」

 四つ目の孤立集落へ向かうパトカーの中で、千田が切り出した。 

「というのも、この家は山の中で完全に孤立してしまっているので、周囲二キロ圏内に他の民家がなく、しかも、途中から道路が狭くなり、車では進めなくなってしまうんです。七首村の最深部に位置する、まさに秘境中の秘境ですよ」

「どんな人が住んでいるの?」

 恭助が興味深げに顔をのり出してきた。

浅木あさぎ夢次ゆめじという男です。年齢は四十一歳。一人暮らし。職業はマタギで生活を営んでいます。ああ、マタギとは猟師のことですね。でも、とにかく変わり者です。人付き合いが下手で、山の中にいつも引き籠もっています。家族も親戚もなく、時々定期訪問する新郷市の職員も完全に無視されているそうです。まあ、年齢はまだ若いので、介護の必要は無さそうだし、役所も大目に見過ごしているというのが現状ですね」

「マタギということは、猟銃を持っているということだよね」

 恭助が訊ねた。

「もちろんです」


 パトカーは、崖ん下集落の下七首バス停までやって来た。下七首バス停には、バスが折り返せるようにわずかなスペースが用意されているのだが、よく見るとその先から、さらに奥の方へ狭い小道が伸びていた。知らなければ、あまり通りたいという気持ちが湧き起こらない、暗くてさびしげな道路であるのだが、地元の村人たちにしてみれば、ガードレールもきちんと整った立派な主要道路であるということだ。その道路をしばらく上ると、やがてT字路にぶつかる。そこは、どちらへ曲がっても狭い道路なのだが、千田は迷わず北へ進む進路を選択した。やがて、道路は緩やかな下り坂となり、下り切ったところにふっと集落が出没した。久しぶりに民家を見つけてほっとしたものの、よく数えると四軒しかなかった。その集落を突っ切って、さらにしばらく進むと、道路わきに用意された狭い待避所があって、千田はそこにパトカーを停めた。そこから道路は右へ大きく曲がっているのだが、すぐ目の前の左手に、車で移動していたらおそらくは見過ごしてしまうであろう、のぼり坂となるわき道が見つかった。どうやら浅木夢次の家は、ここを上り切った場所にあるらしい。

「さすがに、パトカーを傷つけるわけにもいきませんからねえ。ここからは歩いていきましょう。せいぜい二十分くらいだと思いますから」

 千田がいいわけをしたけど、無理もなかった。車一台で両サイドが目いっぱいとなる、急傾斜で曲がりくねったのぼり坂である。

「へえ、究極の田舎だね。わくわくしちゃうよ」

 旅行気取りの恭助は、いくぶん興奮気味であった。

「こんな場所に住んでいると、なにかと大変でしょうねえ」

 俺がぼやくと、

「まあ、浅木の場合、好きでここにいるのでしょうから。もっとも、彼はこんな道路でも、自家用車ですいすい行き来しているみたいですけどね」

 まあそうだろう。車を使わないと、毎日はやっていられない。

 ガードレールはすっかり錆びきってしまっている。ところどころ不自然に折れ曲がっているのは、これまでに何度か想定外のものがぶつかった痕跡と思われる。実際に歩いたのは十分くらいであったが、途中、想像以上の急斜面もあり、両側の崖から転げ落ちた小岩がごろごろ落ちていて、二輪車であろうと、通行するのに神経を使い果たす酷道であった。最後の方は舗装もすっかり途切れて、土がむき出しの獣道と化していた。

 突如、深いやぶがパッと消えて、空間が広がった。小さな民家が一軒だけ見える。あとは納屋と、谷の渓流へ下っている小さな段々畑、そして竹林がその右手に、さらにその向こうには美しい山々が連なって見える。手前の山は鮮やかな萌黄もえぎ色で、奥に見える山脈はうっすらと落ち着いた浅葱あさぎ色だ。そして、道はここで行き止まりで、袋小路となっていた。

「ここが瓜生うりゅう部落です――」千田が立ち止まって説明をした。

「住所は、愛知県八神やつがみ七首ななこうべ村大字七首字瓜生うりゅう六丁目です。立派なもんでしょう。なにしろ、今現在、この住所を書いた手紙が届くのは、ここ一軒だけなのですからね。おおっと、そういえば今は新郷市に組み込まれていましたっけね。ここは」

 こんなへき地となると、郵便屋も配達するのがただ事では済まされない。手紙を出すこと自体が犯罪であるように思われてしまう。

「いやあ、明神さまが実に見事ですなあ……」

 堀ノ内巡査が目の上に手を当てながら浅木色をした山の頂きをうっとりと眺めていた。

「明神さまだって?」恭助がすかさず反応する。

三ツ瀬明神山みつせみょうじんやまであります。ここいら奥三河の山ん中じゃあ、断トツの神々しさを誇る天下の名峰ですに……」と、堀ノ内がうれしそうに答えた。


「ごめん下さい」

 千田が玄関口で声をかけたが、なにも返事はなかった。家の中はもぬけの空のようだ。『浅木』と書かれた表札がかかっているけど、呼び鈴はなかった。

「仕方ありませんね。許可は取っていませんけど、ちょっと辺りを調べてみましょう」

 千田が玄関の引き戸に手をかけると、意外にも簡単に動いた。

「鍵が掛かっていませんね。不用心な」

 俺がつぶやくと、堀ノ内が答えた。

「どうせこんなへき地にゃ、だあれも来やしませんから、ここいらんしゅうは、みな鍵なんか掛けやしませんに」

 玄関から細い土間伝いに炊事場があり、薪で焚く五右衛門風呂があるにはあったが、着替えの場所などはなく、炊事場から風呂釜が丸見えの状態であった。そのほかは、囲炉裏がある八畳間があって、万年床と思われる布団が敷きっぱなしになっていた。テレビはなく、電池で聴けるポータブルラジオが棚に置かれていた。決してきれいな部屋ではないが、かといって、ほこりが積もっているわけでもなく、つい最近まで人が居住していた形跡が、ところどころに垣間見られる。土間の壁には大きなツキノワグマの毛皮が飾ってあった。そのそばに大きく印刷した写真が貼ってある。冬の雪の中、熊を倒して得意げにVサインを出しているマタギ姿の男だ。見た感じは大きくなく、色黒の、頬がこけて、やせ細った男である。これがこの家の主、浅木夢次なのか……?

「便所はありませんかね?」

 さっきからトイレをこらえていた俺は、ついに我慢できなくなって訊いてみた。

「ええと、家の中にはありませんね。ということは、外にあるんでしょう」

 千田巡査部長もいっしょについてきた。

「ああ、ありましたよ」

 千田が指さした先には、明らかにかわやと思われる小屋が建っている。

「じゃあ、お先に」

 そういって、俺は厠小屋へ近づいていった。すると、便所特有の嫌な臭いとともに、異様な血の臭いが鼻を突いた。俺はすぐに警戒モードとなった。ふいに、扉に書かれた赤い文字が目に留まって、思わず後ずさりをする。それは、血で書かれた血文字であった。


 ヘガワにて、ヘガワが死せり――


 厠の大便所に取り付けられた木の仕切り扉をおそるおそる開けてみると、中で便器にうつ伏せている大きな背中が見えた。

 この大便所は、陶器の便器があるわけではなく、木の床板に四角い穴を開けて、下に設置された巨大なかめの中に排泄物を落とすだけの、極めてシンプルな構造のくみ取り式便所であった。その薄い床板はバリバリに割られて、遺体は大便が溜まったかめの中に顔を突っ込んでうつ伏せていたのだった。このまま遺体を起こせば、おそらく頭部は糞尿まみれとなっているだろう。こいつは大変だ。

 俺はみんなを呼んで、遺体を引きずり起こすことにした。俺と堀ノ内が両方の脚をつかんで、力をかけて引っ張ると、ほとんど抵抗もなしに、遺体は便器からするりと抜けた。勢いあまった反動で糞尿が四方に飛び散った。

「すみません……」

 反射的にあやまった俺が、遺体へ目を戻すと、なんと首が付いていないではないか!

「ひゃーー」

 堀ノ内巡査の叫び声が、森に囲まれた静かなる一軒家の敷地内にとどろいた。胴体の首の付け根には、強烈な力で真っ直ぐに削り取られた痛ましい断面が残されていた。

 おそるおそる便器の中をのぞき込んでみると、かめの中に溜まった糞尿の固まりの中に、ポツリと生首が浮かんでいた。

 赤い血と茶色い糞尿にまみれたその生首は、かっと目を見開いて、こちらをじっとにらみつけていた。まるで、殺された怨念をまとめてこちらへぶつけるかのように……。

「ぎゃーー。く、首が……」

 今度は、さすがの俺も腰を抜かして尻もちをついた。こんな、気味が悪くて恐ろしい光景は、生まれて初めてだった。


 それから二時間後、十名の警察官が呼ばれて、厳重体制が引かれたもとで、現場の捜査が開始された。

 首の回収は大便が溜まったかめの中をかきまわすという、想像を絶する不快な作業となり、ようやく、かめの中に落ちていた生首は無事に回収された。

 ゴリラのようなでかい図体……。この遺体が平川猛成であることは火を見るよりも明らかである。さらに、後の検査で報告されることだが、生首と胴体は同一人物のものであり、血液型はO型と判明した。

 便所の建物の裏手を見ると、防風林があって、その中に首を切るための台として利用したと思われる大きな切り株があった。切り株の上面は血の水溜まりが凝固して、べったりしていたが、固まり具合から、昨日、今日ではなくて、殺されてから数日が経過しているという感じを受けた。

 段々畑には雑草が生い茂り、作物と思われるサヤエンドウは茶色く枯れて、しなびていた。畑の隅っこには大穴が掘られていて、くろ焦げのアルミ箔や卵の殻などが、灰といっしょに残っていた。日常的に発生した生ごみを、ここで燃やしていたのだと推測される。その近くには、何本かの日本酒や醤油の空き瓶が、固めて捨てられていた。どの瓶も長い期間の風雨にさらされて、砂ぼこりまみれになっていた。

 納屋へ入ってみると、竹竿に吊るされた玉ねぎと、数箱の段ボールに分けられたジャガイモが安置されていた。しかし、玉ねぎのほとんどは腐りかけており、ジャガイモもしわしわであちこちから芽が伸びている。

 突き当りまで進んで棚の上を覗き込むと、血まみれになったチェーンソーが見つかった。首を切断した凶器であることはまず間違いない。トップハンドル型の小型チェーンソーであるが、手にしてみると、重さはそれほどでもなく、片手でも楽に持ちあげることが出来た。残念ながら、指紋は検出されなかった。

「こんなちっぽけな物でも、立派に首が切れるんですねえ」

 皮肉っぽく、千田がつぶやいた。

「それにしても、なぜ犯人は遺体から首を、わざわざ面倒をかけてまでして切り落としたんでしょうか」

「さあ。なにしろこの事件の犯人は、明らかに首に関して偏執狂フェチですからね」

 この場は簡潔に答えておいたものの、頸椎断裂の井戸田婆さんに始まって、顔面をつぶされた六条道彦。顔がないどころか、手首だけしか見つかっていない蓮見悠人。顔面がのっぺらぼう状態で発見された西淵庸平。後頭部を殴打された穂積智宙。そして、首を切り落とされた平川猛成――。今回の犯人が、なにかしら首に関してこだわりを持っているのは、ほぼ間違いない。

「ところで犯人は、『いろは歌』はあきらめたんですかねえ。犠牲者は『へ』ではなくて、平川ひらかわですよね……」

 千田の疑問はもっともであるが、俺には、さらに気になることがあった。死体があった便所の扉に書かれた血の落書きである。ヘガワにて、ヘガワが死せり――。犯人は、たしかに『へ』が死んだ、と主張しているわけだが……。

「ちょっと確認したいのですが、方言ですかねえ? その、トイレの扉に書かれた落書きの『ヘガワ』という言葉です。ヘガワとは、どういう意味ですか?」

 俺が訊ねると、千田のひたいにしわが寄った。そうか、こいつそんなことも知らんかったのか、とでもいいたげな表情であった。

「ああ、そうですよね。ええ、『ヘガワ』とは、おならの『屁』に便所の『厠』と書いて、『屁厠へがわ』といいます。つまり、便所のことです。それも、大きい方をする大便所、という意味です」

 千田は落ち着き払った声で説明した。

 俺は愕然とした。なるほど、たしかに『ヘガワ』という場所にて、人が殺されているではないか。

「この家の主人である浅木夢次は、今はいったいどこにいるんでしょうか?」

「さあ、人付き合いのない独り暮らしですからねえ。それに、マタギはいったん猟に出ると、一週間ぐらいは戻らないことも茶飯事なんです。もしかしたら、今日、ここへ戻ってくるかもしれませんよ」

と、千田の返事は素っ気なかった。


 母屋へ戻ると、恭助がひとりでなにやらごそごそと調べていた。

「おい、なんか探しているのか?」

 俺が声をかけると、恭助が振り向いた。

「うん、どうしても見つけたいものがあるんだけど、なかなか見つからないんだよね」

 ちっとも悪びれた様子のない、あどけない声が返ってきた。

「なんだい、それは?」

「さあて、なんでしょう……」

と、恭助はすっとぼけた。

「ねえ、見てよ。ここにあるものをさ。生活のための最低限の日常必需品しかない殺風景なこの部屋をさ。

 猟銃に、カッパ、毛皮、ズボンに長靴といったマタギの道具と、薪に炭、ラジオに冷蔵庫、炊飯器に調理なべ、フライパンと鉄製のやかん。わずかな食料と、それに保存食。米びつの中にはたっぷり米があるけど。ひゃあ、巨大冷凍庫にある肉といったら、こいつはたいしたものだなあ。ジビエレストランが開けそうだ。洗濯機にハンガー。黒い固定電話があって、洗面所には、ティッシュに歯ブラシ。歯磨き粉とコップにタオルに髭剃り。それと、壁に掛かった丸鏡。部屋には、敷きっぱなしの布団と、気持ちばかりのちっぽけなちゃぶ台。古箪笥の中は最小限の下着と衣類。それに柱時計か。こいつはねじまき式で、かなりの骨董品だな」

 チビなりになにやら考えているようだ。

「ねえ、ここの住民って何歳だったっけ?」

 不意に恭助が訪ねてきたので、千田が答えた。

「四十一です」

「ふーん、頭げていた?」

「いえ――、たぶん……」

 千田がちょっと考え込んで、堀ノ内に目を向けた。堀ノ内は、千田の主張を後押しするように、首を横に振ったので、それを確認した千田は、自信を持って断言した。

「そんなことは、ありませんよ。髪の毛はまだふさふさ生えていると思います」

 その時、柱時計が突然鳴り出して、夕刻の六時が告げられる。日が長くなってきたので、六時でも外はまだ十分に明るい。

 恭助はそのあともしばらく、せわしくなにかを探し回っていたが、ようやくあきらめ顔になって、こちらへ近づいてきた。

「お探し物は見つかったのかい?」

 俺が皮肉を込めて訊ねると、

「うん。まあね。とにかく、納得はできたよ」

と、あいまいな返事が返ってきた。結局、なにを探していたのか最後まで分からずじまいだったが、俺の見た様子では、目的の探し物は見つからなかったようである。


 新郷署へ戻ってきて、俺はリーサに電話で現状を報告することにした。所沢へはもうしばらく戻れなくなってしまうからだ。とはいっても、リーサに報告することで、何かを期待するわけでもなく、単なるストレスの解消が目当てだ。

 そういえば、リーサの奴。電話に出る時は俺の妻を語っているそうだが、いったいどんな応対をしているのだろう? 俺は興味半分に、事件の依頼をする老紳士になりすまして、堂林探偵事務所へ電話を掛けてみた。そのため、俺のスマホからではなく、新郷署の外にある公衆電話まで歩いていって、それを使うことにした。二回呼び出し音がなった後で、電話がつながった。

「はーい、堂林探偵事務所です。何かご用でしょうか?」

 リーサの声だ。

「ああ、わたくし、事件の依頼をしたくてお電話した者ですが……」

 普段とは違う声音をつくろって、俺が答えた。

「あら、リンザブロウさんですか。どうかしたんですか?」

「えっ……? あのう、わたくし、そちらへ電話するのは今回がはじめてで……」

「リンザブロウさん、風邪でもひいたんですか。声がおかしいですよ?」

 どうやら完全にバレバレである。

「なんだ、リーサ。どうして分ったんだ?」

「どうしてって、リンザブロウさんの声ですもの……」

 声音を変えたつもりでも、音声分析器で簡単に判別されてしまうのか……。

「あはは、リンザブロウさんって、意外とおちゃめなんですね」

 リーサの声が聞こえた瞬間に、カシャンと通話が切れてしまった。公衆電話の金銭の消費量の激しさを、俺はあらためて痛感した。今度はスマホを使って、リーサに掛け直した。

「リーサ、悪かった。公衆電話から掛けていたから、切れてしまったようだ。今度は大丈夫だ」

「相変わらず、リンザブロウさんですね。最初からスマートホンで電話すれば良かったのに」

 リーサに俺の下心をいまさら説明しても仕方がない。

「ところでリーサ。事務所に仕事の依頼とかなにかの電話があったら、教えてくれ」

「はーい、重要なものはとりあえずありません。ここ一週間ほど、ちょっと不景気みたいですね。というか、リンザブロウさんが最近いないことが多いので、依頼する方もあきらめちゃっているようですよ」

「まあ、七首村にかかりっきりだからな。この事件が解決しないことには」

「そうそう、そういえば、この前、初めての男の人から電話が掛かって来て、仕事の依頼でもなく、なんとなく長話を、リーサしちゃいましたよ」

「相手の名前は?」

「ええと。金田一きんだいち耕介こうすけさんって、たしかいってましたね。漢字は、お金の田んぼに数字の一ですって」

「金田一……?」

 そうか、如月恭助きさらぎきょうすけだ! あいつ、さっそく俺の事務所に電話を掛けて来たんだ。

「それで、その金田一さんとやらと、リーサはどんな会話をしたんだ?」

「ええと、単なる世間話ですね。いろいろ聞いてくるので、リーサもついついお相手をしちゃいましたけど……」

 畜生、なにを調べやがったんだ。まあ、いいか。俺はリーサに本題である一軒家での怪事件の概要を伝えた。

「ふーん、そうですか。浅木あさぎ夢次ゆめじさん宅で、平川猛成ひらかわたけなりさんが殺されたんですねえ。しかも、『へ』ではなくて、『ひ』ではじまる名前のお方だったと……」

「そういうことだ。全くわけが分からなくなってきたよ」

「でも、浅木夢次さんって、面白いお名前ですねえ」

「面白い? なにが面白いんだ」

「あはは、だって、『あさぎゆめじ』さんですよ。それって、予告メールを送ってくる例の『あさきゆめみし』さんのことじゃないですか……」

 電話の向こうでリーサはくすくす笑っている。

 そうか、なんで今まで気付かなかったんだ! 浅木夢次――。こいつは、あさきゆめみし氏そのものじゃないか!


 あくる日、新郷署に別所警部補がいた。久しぶりだ。如月恭助となにか話をしている。

「ああ、東京から来た探偵さん。ご無沙汰しておりました。実は長く夏風邪をこじらせましてな。ようやく元気になりました」

 ふん、タヌキめ。どうせ、平川の遺体が発見されたから、安心してのこのこ顔を出したのであろう。

「しかし、『へ』の事件は本当に実行されたんですかねえ?」

 俺はちょいと別所をからかってみることにした。

「えっ、どういうことです?」

 別所の顔がちょっと蒼ざめる。

「だって、殺されたのは平川ですよ。『へ』の犠牲者じゃありません!」

 その時の別所の反応といったら、実に分かりやすくて愉快だった。

「なんですとー。まだ、殺人は行われていないっちゅうんですか?」

 別所の目は血走っていて、今にも卒倒しそうだ。

「まあまあ、落ちついてください。おそらく、平川は今回の犯人が意図して殺した『へ』の犠牲者だと、わたしは確信しています。

 それより、もう一つ、面白いことが分かりましたよ」

「ほっ……、ほう、なんですか?」

 取り出したハンカチで冷や汗を拭いながら、別所が問いただした。

「面白いことだって? なになに?」

 となりにいる恭助も、俺の発言に関心を示していた。

「それはですね、遺体が発見された現場の家の持ち主である、浅木夢次、の名前なんです。

 えへん。明白な事実ほど誤解を招きやすいものはない――、と名探偵シャーロック・ホームズも申しております。

 気付きませんか……。ほら、一連の謎の予告メールの差出人、あさきゆめみし、とそっくり同じ名前なんですよ。あさぎゆめじ。これは偶然の一致でしょうか?」

 別所が、おおっ、とうめき声をあげた。それを聞いた俺は、勝ち誇って、恭助の顔ものぞき込んでみたのだが、

「ああ、そうだね」

と、こちらからは冷めた返事が返ってきただけだった。

 そこへ千田もやって来た。すれ違い際に、別所に軽く一礼をしたのだが、さほど敬意は込められていないようであった。まあ、ここ数日間に別所が取った職務放棄まがいの行動を考えれば、無理もないことではあるのだが。

「恭助さん――。いわれたことを調べてみたのですが、いろいろ分かってきましたよ」

「いわれたこと?」

 今度は俺が千田に訊き返した。

「はい。恭助さんからいろいろ調べて欲しいといわれまして、ひとつひとつ調べているんですが、そしたらさっそく分かりましたよ。事件の鍵を握る重要な事実がね」

 千田が得意げに語り始めた。

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