25.如月恭助登場
翌日の六月十日。前日のショックから回復できたのか、それとも開き直ったのか、今日の千田のテンションは妙に高かった。
「ああ、それから吉報がありますよ」
千田が、思い出したかのように、唐突に切り出す。
「吉報?」
「はい、愛知県警の中で最近頭角を現している優秀な警部がおりましてね。なんでも、ここ数年間で解決した難事件は、実に五件にのぼりますが、いずれも、この警部がいなければ、おそらく迷宮入りになっていた事件であろうとのことでした。県警も今回の冷酷な殺人事件を、ついに見かねて、ようやくその警部を三河へ派遣されることを認めたようです。いやあ――、ついに神が動いたって、豊橋署でも、かつてないほどの大騒ぎだそうですよ」
「その警部は、どちらの方ですか?」
「千種署です。ええと、名古屋市にある一つの区の名前ですね。千種区は……」
「お歳は?」
「聞いたところでは五十一歳ということです。別所警部補よりも五つ年上になりますかね」
名古屋の千種署から屈指の敏腕警部が、間もなくこちらへご到着か。いったい、どんな人物なのだろう……。
「そういえば、ここ二、三日、別所警部補の姿は見ませんけど、もしかして、風邪でもひかれたんですか?」
「ああ、いえいえ。体調はすこぶる万全なんですけども……」
「そうですか」
「どうやら別所警部補は、次に予告されている犠牲者が『へ』で始まる人間なので、頑として新郷市内へ入ろうとしないみたいです。豊橋署にいる同僚からこっそり聞いた話なんですけどね。全く、堀ノ内巡査には、たとえ『ほ』の殺人予告日といえど、警察官たるもの、現場のパトロール任務を遂行せよ、とあれほど強く命じた人なのにねえ……」
『へ』で始まる人間なんてそうはいないから、別所が恐れるのも無理はないが、やはりタヌキだな、あいつは。
「ともかく、まずは豊橋署へ参りましょう」
「豊橋署ですか?」
「はい、如月警部――、ああ、先ほど説明した千種署の敏腕警部のお名前ですが、如月警部が見えるので、ご挨拶に行かなければなりませんからね」
「警部はこの事件の捜査でこちらへ向かっているのですよねえ。だったら、いずれここへ姿を見せるのではないですか?」
「だから、別所警部補といっしょに、ご挨拶をしなければいけないからです。先ほど申しましたように、別所警部補は、『へ』の予告が継続中の期間は、新郷市までは絶対に来ませんから」
「なるほど。面倒くさいことだな」
豊橋署へ着くと、別所警部補が待っていた。
「お久しぶりです」
「ああ、東京から来た探偵さん。ご無沙汰しちょります。ちょうどよかった。今日はお客さんが見えますからな。いっしょに会ってやってください」
「千田巡査部長からうかがいましたけど、名古屋の敏腕警部だそうですね。面識はおありですか」
「いえ、わたしもお会いするのは今日がはじめてで、とても楽しみにしちょります。
なんでも、犬山で起こったカルタ密室殺人事件や、名古屋大学で起きたカップラーメン毒殺事件など、数々の難事件をバッサバッサとなで斬りに解決されちょる方だそうですからなあ。これで今回の事件の解決も犯人逮捕も、もはや時間の問題ちゅうことですよ。はははっ」
その日の午後、豊橋署に一台のパトカーが入ってきた。俺はすぐに気付いて窓越しに様子を見る。千田巡査部長が真っ先に駆け寄って、あとから別所がのこのこ追いかけていった。千田が後部座席のドアをじきじきにあけると、中から一人の人物が降りてきた。遠くてよくは分からないが、かなり小柄な人物のようである。
ただ着ている服が、Tシャツにジーンズと、まるで若者を思わせる風貌であった。老警部といえばお決まりのトレンチコートをイメージしていた俺としては、ちょっと意表を突かれる形となった。さっそく、下へ降りてみると、千田と別所にはさまれて、名警部がこちらへ向かって廊下を歩いてきた。別所よりもさらに低いくらいだから、やはり小柄である。しかし、顔を見ると、若さが全然みなぎっていた。というか、肌つやも十代か二十代かと思わせるほどのはりがあった。いかにも悪戯好きで好奇心旺盛そうな黒い瞳がきらきらと輝いている。
まあそれ以外は、どこにでもいそうな、いわゆる、典型的な『最近の若者』といった顔である。というか、本当に若者にしか見えない。それも、大学生くらいの……。
「ああ、東京から来た探偵さん。こちらが、名古屋からはるばるいらした如月惣次郎警部です!」
別所が誇らしげに、俺に紹介すると、俺が口を開く前に、客人が答えた。
「いっとくけど、俺は惣次郎じゃないよ。その息子の、如月恭助。二十一歳の大学四年生。
親父から行けっていわれたから、仕方なくこんなド田舎までわざわざ出向いてやったんだ。くれぐれも間違えないでおいてよね」
わりと聞き取りやすくて、トーンが高い声だった。
「とはいったものの、思ったよりは町になってるじゃない、ここは。
親父の話では、鬼も逃げ出す限界集落だって聞いていたんだけどね。ああ、よかった!」
「ああ、まだここは豊橋市ですからね……」
別所が汗をハンカチでぬぐいながら苦笑いをした。
どうやらこの客人、名警部ではなくてその息子のようである。しかし、息子なんかよこして、いったいどういうつもりだ? それもただの事件ではなくて、近年まれに見る冷酷陰惨な連続殺人事件の捜査なのだぞ……。
「ああ、それからさ。俺、もうすぐ大学院の受験が始まるんだよね。だからさ、ここにいられるのもせいぜい一週間が限界――。というわけで、一週間で事件を解決しなきゃならないから正直きついんだ。だから、くれぐれもさあ、みんなは足を引っ張らないでいてくれれば、それでいいからね。気楽にしてくれていいよ。とにかく、みんなで仲良く、気持ちよーく、この事件をさ、ぱーっと解決しちゃおうよ!」
いっていることがよく分からない。単なるくそ餓鬼に過ぎないのではないかという負の印象が、しだいに俺の脳裏を襲ってくる。本人はいたって悪気はないみたいだが、いっている言葉のひとつひとつに相当な棘が含まれている。ほうら見てみろ、すでに別所と千田は凍りつきかけているぞ。
「あのお、如月警部ではなくて、そのご子息でいらっしゃいましたか?」
「いかにも――」
青年があどけない様子で答えた。
「ええと、恭助さんでしたっけ。そのお、あなた自身は警察の方ですか?」
不安そうな別所の顔を察すると、恭助はけらけらと笑い出した。
「ああ、大丈夫、大丈夫。俺は警察にはなんの関係もない単なる素人大学生だけど、事件に関する秘密ならしっかりと守るよ。こう見えても、肝心な事だったら、結構口は堅いんだよ。俺って……」
「そのお、この事件は殺人事件なのですが。それも、連続の……」
「もちろんさ。親父は殺人課の警部だからね。俺が駆り出される事件は、どうしたって殺人事件になっちゃうんだよ。悲しい性だよね。まあ、窃盗とか痴漢とか、そういった庶民的な犯罪だったら、わざわざこの俺の手を借りなくても優秀な警察が関単に解決してくれるだろうしね。ということで、俺が出る幕は警察が困っちまった不可解な事件に限定されちゃうってこと。まあ、そのくらいの知的犯罪じゃないと、わざわざ貴重な大学の講義を捨ててまでこんなところにはやっては来ないけどね。はははっ」
やはり、こいつ、なにかが欠けている。社会人としての、いや、人間として誰もが普通に持っているべき最低限のなにかが……。
「じゃあさ、さっそく始めてくれない。この『七首村連続殺人事件』の概要をさ……」
そういって、恭助青年は背負っている小さなリュックサックを下ろすと、中から筆箱と新品のA4ノートを取り出した。
あとから聞いた話によると、この如月恭助という青年は、如月警部が解決した難事件のほとんどで、警部と同行しながら事件解決に関してなんらかの手助けをしていたそうなのだ。まあ、名探偵明智小五郎が忙しくて姿を現わせないから代りに助手の小林少年が駆けつけたと、さしずめこんな具合であろう。
千田と別所がこれまでの事件の概要を説明し始めた。説明はなかなか要領を得たもので、ずっと事件を見続けて来た俺も、要点の復習に役立つくらいであった。
一つ説明が済むと、如月恭助は一つ質問を返してきた。それらの質問はなかなか的を得ており、まんざらあの減らず口を叩くだけの才能は持っているかもしれない、という些細な期待感を俺は抱いた。
気が付くと説明はのべ三時間にも及んでいた。さすがに、別所も千田も疲れ果てた様子だ。しかし、恭助の顔はというと、ますます生き生きとしてきたみたいだ。
「面白い。実に面白いよ。すごい事件じゃないか。これまで俺が解いてきた事件のどれよりも壮大で難しい事件になりそうだ、こいつは。わくわくしてきたな」
俺が解いてきた事件だって? 全く勘違いも甚だしい青二才だ。親父の栄光を自分の手柄と勘違いしているきらいがある。
「ところで、そこの探偵さんとやら……」
気が付くと、恭助の鋭い眼光が俺に向けられていた。俺ははっとした。サファリのど真ん中で巨大な象と腹ペコライオンがばったり出くわしたような異様な感覚だ。
「そこの探偵さんとやら……。あんたからの意見も聞きたいな。事件の概要を説明してよ。くり返しになってもちっともかまわないからさ」
「俺のことか?」
「そう。あんただよ。あんた、名前はなんだっけ?」
「堂林凛三郎……」
俺は名刺を差し出した。名刺を突きつけられた恭助は、一瞬、ばつが悪そうな顔をした。
「ごめんね。俺さ、名刺っていうかたっ苦しいものは持っていないんだよ」
なんだ、そんなことだったのか。顔をしかめた理由は……。
「ふーん。あんた、私立探偵じゃないんだね? 俺はてっきり探偵とばっか思ってたんだけどな」
「探偵もするけど、『なんでも屋』というのはそれを含むもっと壮大な職業だということさ」
「へえ、面白いなあ。なんでも屋か……。
じゃあさ、これから、なんでも屋のにいちゃん、って呼んでもいいかな?」
「どうぞ、ご勝手に……」
面倒くさいので、俺は軽く返事をしておいた。
「じゃあ、よろぴく――。なんでも屋のにいちゃん!」
こいつ、数年前にすたれたおやじギャグを、なんの恥じらいもなく平然と唱えやがった。案外スケールが大きなやつかもしれない。
「ああ、それから、俺のことはさ、恭助って呼び捨てで全然いいからね」
そういって、恭助はすぐとなりの千田に、なにやら小声で耳打ちした、つもりだろうけど、俺の耳にはなにをいったのかがはっきりと聞こえてきた。
野郎から『恭助くん』と呼ばれたってさ、なんにもうれしくないからねえ……。
これにはさすがの千田も、ただ愛想笑いで受け答えるしかなかった。
「じゃあ、なんでも屋――。あんたからも事件の概要を説明してもらおうか。あんたの視点で見た今回の事件とやらをね」
まさかこのあと、俺が事件の説明をさらに繰り返すこととなろうとは……。そして、ようやくそれが終わったとき、時刻は六時を過ぎようとしていた。
「なるほど、よおく分かったよ。三者三様で、全部いい説明だったね。どうもありがとう――」
思いもよらない素直な言葉をいい残して、如月恭助は頭を下げた。




