22.挿話――この章は堂林凛三郎の手記にあらず
今にも崩れ落ちそうな人里離れたとある一軒屋の中に、一人の人物が座っていた。やせこけた頬からは、その人物の日々の生活の苦渋が見てとれる。愛知県新郷市七首字瓜生と呼ばれるこの住所に現存する民家はここ一軒のみ。れっきとした一つの集落であるはずなのに、そこにはたった一軒の家しかないのだ。実をいうと、そんな究極の限界集落は、ここ旧七首村の地区だけでも五つ存在する。とりわけ、ここ瓜生部落は、この先が山となり行き止まりである場所に位置していて、しかも、ここ自体がもはや奥山に広がった深い森のまっただ中なのだ。かつては、ここまでの道が舗装されていたこともあったが、今ではその面影もないまでに、ぼろぼろに朽ち果てた道路が残り、それは一台しか通行できない狭さに加えて、数十年の歳月を経て成長した大木の左右からせせり出た枝によって、車のボディを傷つけることなく通行することはもはや不可能な道路となっていた。歩けば、もよりの下七首集落までは二キロもあって、自家用車がほとんど通行不能な道路の行き止まりに位置する一軒家など、郵便屋でもなければ、訪れる者などいようはずもなかった。そして、郵便屋はこの時刻には来ないから、ここにいれば、なにをしても、誰からも邪魔をされる心配がないのだ。
囲炉裏越しに、その人物は壁の方へ目を向けた。そこには猟銃となめした熊の毛皮がかかっていた。猟銃は、猟師である家主が、国から許可を得て合法的に所持したものであり、毛皮は三年前に三人のふもとに住む村人を殺傷した悪名高い大熊の物である。この家はマタギの仕事場でもあるのだ。
とにかく、ここまでは計画は順風満帆に進んでいる。あまりにうまくいき過ぎて、逆に怖いくらいだ。『に』の殺人は、極めて不確定要素が大きい計画であったが、想定した以上の成果を収めた。そして、『ほ』の殺人も、なんの問題もなくこなすことができた。しかし気を抜くことは許されぬ。この次の『へ』こそが、もっとも厄介な殺人であるからだ……。
その人物はくつくつと笑い出した。やがて、その笑い声はしだいに大きくなっていった。いくら笑ったところで、誰からも気付かれることはないのだ。その不気味な笑い声はいつまでも古家屋の中で響きわたっていた。