18.正統なる裁き
ふと気になって、俺は良延和尚に、いろは歌が書かれた屏風を意図的に床の間に置いたのかどうかを訊ねてみたのだが、昔から代々、寺が所持してきた屏風で、別に俺に見せたいから置いたわけではない、との素っ気ない返事が返ってきただけだった。どうやら事件の鍵となったいろは歌のヒントは、全くの偶然で俺の眼前に現れたということらしい。
その後、俺は所沢へ戻り、溜まった仕事を片付けるべく日々奮闘をしていた。事件が当面解決の目途が立たぬ今、いつまでも七首村に残るわけにもいかないし、もちろん七首村の事件の解決をあきらめているわけでは決してないが、現実の生活費も確保しなければならないからだ。ああ、それから断っておくが、龍禅寺には、いうのもはずかしくなるくらいのささやかなる滞在費であるが、良延和尚は受け取りを拒んだものの、良魁君にこっそり手渡してから引きあげてきた。
七首村という桃源郷から比べると、所沢の生活なんて全くつまらない。依頼される事件もいつもさながらのちゃちなものばかりで、そんな中、絶世の美少女蓮見千桜の笑顔がときおり脳裏にふっとちらついては消えていく。
「リンザブロウさん、新しいメールが来ましたよ。五番目ということですね」
なんだ、リーサか……。第五のメール――。
俺はガバッと起きあがった。どうやら少々微睡んでいたようだ。
「リーサ、タブレットを……」
「はーい、リンザブロウさん。あららら、口からよだれが垂れちゃってますよ」
そういって、リーサがタブレットを手渡す。そんなことまでも分かるのか……。
拝啓 迷える小探偵君
ようやくマスコミが騒ぎ出したようだね。新郷市連続殺人事件とか、いろは歌殺人事件とか……。でもね、小生は後者の方が気に入っているよ。なかなかいいじゃないか。いろは歌殺人事件――。うんうん。素敵な響きだ。
それでは、今回の予定を教えてあげようかね。今回は『ほ』だったな。いいかい、よおく気を付けるんだよ。
正統なる神の裁きが一月二十八日の木曜日に投下されるであろう。場所はねえ、ちょっと遠いけど、京都なんだ! なにぶん、君の検討を祈っているよ。
あさきゆめみし。
2016/01/26(火) 15時15分送信
この瞬間――、俺はこのメールの文章になにかこれまでのメールには感じなかった妙な違和感を覚えた。場所が七首村ではなくて京都だからか? いや、違うな。なんだろう……。
それからもうかれこれ三十分は考えているのだが、依然としてこの違和感の原因が分からなかった。せめて、誰か相談ができる相手でもいれば……。
「リンザブロウさん。お茶の時間ですよ」
と、リーサの声がした。
リーサは毎日お茶の時間を教えてくれるだけである。決してお茶を入れてはくれない。以前リーサの開発者である雨宮に、リーサにお茶を入れるとか料理を作るとかなどの特殊機能を持たせられないかと相談したのだが、雨宮は、できるにはできるがやめといた方がいいぜ、とだけ答えた。理由は、ガスなどの装置をアンドロイドが勝手に操作できるようになると、技術者からしては想定外の事故とかも起こり得るが、現在の技術力では、技術者はそのたぐいの事故に関して一切責任は持てないからである、ということだ。安全面での保障が確立されるためには模擬実験をひたすら繰り返さなければならず、少なくともあと十年は時間が必要だとのことだった。そして、そんなことは技術者がする仕事ではなく、販売業者のする仕事なのだそうだ。
「あーあ、面倒くさいなあ。リーサがお茶を入れてくれるとか、もっと役に立つといいんだけどなあ」
と、俺はいっても仕方のない愚痴をこぼした。
「リンザブロウさん、お言葉を返すようですが、リーサは役に立っていますよ!」
この野郎。人工知能のくせして、生意気にもいい返してきたぞ。
「ああ。お前は十分役に立っているよ、とっても……」
議論をしても始まらないから、俺は勝手に折れておいた。
「リンザブロウさん。なにか、お悩みのようですね。リンザブロウさんが発するイライラ感のオーラが、ブラスター銃から照射された熱線のように、かよわいリーサにじゃんじゃんふりそそいでいるのですよ」
時々、不思議な言葉を使うのがリーサの特徴だ。そうだ、もしかしたら、リーサに解析させてみても面白いかも。
「リーサ。ちょうどいいや。あのな、今回の五通目のこのメールだけど、これまでに送信された四通のメールと比べて、なにか違いとか特徴とか、お前が気付くことはないか?」
「リンザブロウさんからの、リーサへのたってのお願いということであれば、分かりました。リーサ、やってみましょう」
そういうと、リーサは黙り込んだ。といっても、その時間はほんの五秒程度なのだが。
「リンザブロウさん。解析が済みました。
違和感その一。犯行予告の場所が遠います」
「そうだな。その通りだ。他は……?」
「違和感その二。『いろは歌』という、事件に直接関係がなさそうな単語が表記されています」
「なるほど。他は……?」
やはり期待外れか。現代の技術を駆使した最先端の人工知能といっても、所詮、人間の知能や想像力には遠く及ばないということか。
「違和感その三。『神の裁き』という、人のせいにしようとする無責任な言葉が使われています。普通は、犯行を行う犯人なのだから、『俺が殺す』といえばいいんですけどねえ」
飲んでいたお茶にむせてしまい、ゴホゴホ咳がこみ上げた。そうだよ、なんで気付かなかったんだ!
神の裁きが下される――、この言葉に隠された書き手の本心、この連続殺人の根幹をなす動機は――『復讐』なのだ!
つまり、これまでに殺された四人のうちの全員、もしくは一部の人間が、犯人にとっては復讐の対象者だったことになる。さて、そうならば、それはいったい誰なのだ? そして、それが分かれば、犯人を特定する大きな手掛かりにもなる。さらにいえることは、これから犯人の餌食となる五番目の人物は、確実に、犯人にとっての復讐の対象者であることになる。メールの文章からそれは明らかだ。もしかしたら、いよいよ犯人像が見えてくるのかもしれないぞ。
「リーサ、でかしたぞ!」
「はーい、どうもいたしましてー」
リーサは、シャーっという軽いモーター音を残して、部屋から出て行った。
しかし、犯行予告場所がよりによって京都とはな……。人口百五十万人の京都市に『ほ』で始まる人間がいったい何人いるというのか。それに、そもそも京都と書いてあるのが京都市である保証はない。もしかすると京都府なのかもしれないのだ。いずれにせよ、今回の犯行を素人ひとりで防ぐことなどできるはずもない。あとは警察に任せるしかない。
俺は、千田巡査部長に第五のメールに関する状況報告を電話してから、みずからは所沢で事件の経過報告を待つことにした。果たして、警察はどこまでの情報をマスコミに公開するのだろうか。予告メールが送られたこと、『ほ』で始まる人物が狙われていること、そして、今度の犯行が京都で行われること――。
結局、警察が選んだのは、第五の予告メールの存在は伏せておくことだった。そもそも『いろは歌殺人事件』をマスコミに公開した目的は、被害者に関心を持たせて、自己防衛を期待することであったのだが、それが功を奏するのも、狭い七首村の地区内であればこそであって、京都に住んでいるどこの誰とも分からぬ『ほ』で始まる名前の人間を、予告メールで犯行予告の日時を報道したところで、守り切ることなどできるようはずもないし、下手をすれば警察の威信と責任を追及されかねない危険さえもある。はっきりと確認が取れないことなので公開はできなかった、とあとからいいわけする方が、よほど無難な応対だ。
そして、問題の一月二十八日のことであるが、なにもできない俺は、所沢でのんびりと仕事をしていた。近所のなじみの定食屋で夕刻五時に早めの夕食を済ませてから、俺は事務所で警察からの連絡が来るのを今か今かと待っていたのだが、一向に連絡は来ずに、時間は淡々と過ぎていった。心配になった俺は、十時過ぎに新郷署の千田へ電話をかけてみたのだが、その時、千田は新郷署にいて、今のところなにも事件らしき連絡は受けていません、とだけ答えた。それを聞いて、俺は安心して電話を切った。
しかし、俺のスマホが鳴ったのが、翌日一月二十九日の深夜の一時のことであった。
「はい、堂林です」
「東京の探偵さんですか? 夜分遅くにすみません。愛知県警の千田です。たった今、京都警察署から通報がありました。
四条烏丸交差点近くのとあるビジネスホテルの一室で、穂積智宙という男性が、殺されているのが見つかったそうです!」