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七首村連続殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
11/35

11.モネの睡蓮池

 犯行予告があった一月六日の朝は、青空は出ているものの、それは凍てつくような厳しい朝であった。空気がピンと澄みわたり、雪は積もるでもなく、外に出てみれば霜柱が立っていて、踏みつければじゃりじゃりと音がする。案外、こんな日の体感温度が一番寒いものである。

 すでに時刻は十一時となり、ようやく温かさも増してきたのだが、パトカーのサイレンが鳴る気配は一向になかった。まだ、事件は起きていないということだろうか?

 さらに信じられないことに、その日は結局、警察が動くような出来事は何も起こらなかったのである。俺は拍子抜けした。まあ、事件が起こらないこと自体は、村にとってはありがたいことであるのだが……。

 翌朝、一月七日の九時に俺は新郷署へ電話をしてみた。応対したのは千田巡査部長だ。

「はい、昨日はなにもなかったみたいですね。何かありましたら、こちらから連絡いたしますよ」

と、かなりのんびりした口調だ。ひとまず俺は安堵したが、このまま何も起こらないとは、とてもじゃないが期待できなかった。


 そんな中、千田から電話があったのが、その日――七日の夕刻であった。

「東京から来た探偵さんですか。千田です」

「堂林です。なにか事件がありましたか?」

「いえ、殺人事件の報告はまだありません。ただ、気になることがありまして、申し訳ありませんが、電話で報告をさせていただきます。

 細川地区には診療所がたった一つありましてね。そこに勤務している蓮見悠人はすみひさとという医師が――、彼はこの地区でひとりしかいないお医者さんですが、おとといの勤務を終えてから行方知れずになったとの通報が、昼前に家族からありまして。さっそく、堀ノ内巡査を従えて訊き込みをしてきました」

「ごくろうさまです」

「まず最初に行ってみたのが、蓮見が勤務する細川ほそかわ診療所です。そこにつとめる複数の看護師から話を訊いたところ、おとといの一月五日、診療所に最後まで居残っていたのは蓮見自身でした。でも翌朝になってみると、蓮見の姿はなく鍵もかかっていたので、結論として蓮見はおとといの六時前に診療所をあとにしたことになる、というのです。その理由は、蓮見は自家用車の運転はしないので、診療所まではいつもNバスを利用して通っていて、その最終のバスがやってくる時刻が十八時〇五分だからです。そのバスは二十分くらいで蓮見の自宅がある最寄りのバス停に着くそうです」

「バスの運転手から供述は取れませんか。そのお、こんな田舎だからきっと乗客も少ないだろうし、もし蓮見がバスに乗っていたのなら覚えているかもしれませんよ」

「はい。わたしもそう思って、バスの運転手にも会って来ました。

 運転手はかなりのベテランで、蓮見悠人を乗せるのはいつものことだったそうです。おとといも蓮見が十八時〇五分に細川ほそかわ停留所から乗車をして、十八時二十二分に下七首しもななこうべ停留所で下車したのをはっきり覚えている、と証言しました」

「なるほど。時刻の正確性は信じてよいのですか」

「はい。渋滞など皆無のこのような田舎ですからねえ。バスの到着時刻が一分でもずれれば、運転手は気にすると思います。まあ、時刻に関してはおおむね信頼して大丈夫でしょう。これで十八時二十二分までの蓮見悠人の足取りははっきりしました。

 ところが、蓮見はその後自宅には姿を現わさなかった、ということなのです。つまり、バス停から家に至る道のりのどこか途中で、煙のごとく消え失せてしまったことになります。その時刻になれば日はすっかり暮れているはずですから、馴染みの道ではあっても、拉致されてしまうことも十分に考えられますが。

 もうお気付きのこととは思いますが、下七首停留所は六条道彦の不良仲間だった西淵庸平の家の近くにあったあのバス停のことです。そして、そこから見上げた丘の上にたたずんでいた例の豪邸の主人こそが、誰あろう蓮見悠人です――。

 とりあえず現状は、まあこんな感じです。また、何かあったら連絡いたしますね」

 そういって、千田は電話を切った。

 スマホをポケットにしまいながら、俺は考えた。メールの犯行声明が真実だとすると、蓮見医師はおとといに拉致されて、昨日には殺されていることとなる。ならばどこかに遺体があるはずだが……。


 さらに、翌日の一月八日のことである。朝っぱらから龍禅寺の前の道路を、サイレンを鳴らしたパトカーが七首部落がある東の方角へ向かって次々と通過していった。こいつはいよいよただ事ではない。

 俺は自転車を引っ張り出して、パトカーを追いかけた。案の定、パトカーの目的地は七首の蓮見悠人の豪邸であった。時刻は九時を過ぎている。

 数台のパトカーが豪邸前の空き地を占拠していた。屋敷の使用人と思われる数人の婦人が、心配そうに門の外まで出て来ていた。一方で、警察官たちは屋敷内へは入ろうとはせずに、屋敷の反対側にある雑木林の方へ向かっていった。近づいてみると、やぶの間に踏み固められた小道があって、その先に何かがありそうな雰囲気だが、警察官がひとり立っていて、関係のない通行人を遮断シャットアウトしていた。俺は千田と堀ノ内の名前をあげてなんとか突破しようと試みたが、全然聞き入れてもらえなかったところへ、タイミング良く別所警部補を引き連れた千田巡査部長がやってきた。

「東京から来た探偵さんじゃないですか。さあ、どうぞこちらへ。

 ああ、君――。こちらの方は、捜査にご協力いただいている私立探偵さんなんだよ」

 千田が見張りの警官にそう告げると、警官は恐縮しながら引き下がった。

「今朝早くに新郷署へ通報がありましてね。最近になってこの部落へ引っ越してきた加茂という名前の住民からでしたが、犬の散歩をしていたらこの先にある小道で人間の遺体を、ええと、遺体の一部を、見つけたそうです」

 急ぎ足で先導する千田が、俺に話しかけてきた。

「遺体の一部……?」

「はい。一部です。肘の先から切り取られた前腕部だそうです」

 遺体ではなく、手だけが見つかった……?

「片腕だけですか? ほかには何も?」

「はい。現時点で見つかっているのはそれだけですね。今、付近を探索中ですが、まだ別の部分は見つかってはいないそうです」

「その手は、行方不明中の蓮見悠人氏のものですかね?」

「さあ、まだ断定はできません。これから鑑識へ回します。どうやら、DNA鑑定の必要がありそうですね」

と、千田が答えた。うしろにいるタヌキは眠っていたところをたたき起こされたのか、さっきからずっと黙ったままである。

 発見現場は静かな池のほとりであったが、今はたくさんの警察官が池を取り囲む小道を騒がしく行き来している。水面みなものところどころには枯れた植物の茎が見えていて、なんとなく情緒ただよう美しい光景が広がっていた。

「蓮池ですね。地元の住民は『モネの蓮池』と呼んでいます」

と、千田が説明した。

はすですか?」

 なにかひっかかるような感覚が、ふと脳裏をよぎる……。

 クロード・モネ――。いわずと知れた、ピエール=オーギュスト・ルノワールとともに印象派を代表するフランスの画家の巨匠である。五十を過ぎてから自宅へ引きこもり、ひたすら睡蓮すいれんの絵を描きまくってその生涯を終えたそうである。

 この池は七首屋敷と呼ばれている蓮見家のちょうど裏手に位置していて、空にそびえる雄大な洋館の姿をここから爽快に眺めることができた。なるほど、モネの蓮池か――。落ちついたこの池の雰囲気をうまくとらえた絶妙な命名ネーミングである。

「この先をちょっと行ったところに洞窟がありましてな。鍾乳洞の洞窟です」

 ようやく別所警部補が、本日の第一声を発した。

「鍾乳洞ですか? こんなところに……」

「そうです。ちいと珍しいんで、地元では観光地にしようっちゅう計画があったそうですが、上手くは進んどらんみたいですなあ」

「この道は蓮見家のお屋敷の方へつながっているようですが……?」

 俺は、屋敷へ向かう崖の途中にできているジグザグの小道を指差した。ところどころで石段となっているから、明らかに日頃から使われている小道のようである。

「そうです。この坂をのぼれば、七首屋敷の裏口までつながっていますよ」

と、千田が答えた。

「大豪邸の裏にきれいな池と謎めいた洞窟があって、そりゃあ、子供らにはたまらんでしょうなあ」

 別所がつぶやいた。

「実は、この森は全部蓮見家のもんです」

「えっ、この池も、洞窟も、ですか?」

「はい。そうはいうても、塀で囲まれている場所ではないんで、地元ん衆は勝手に中へどこどこ入ってきますけどなあ」

 別所が笑った。

「まあ、公園みたいなものなんですね」

「そういうことです」


 発見された前腕部は右の手であり、その大きさや刻まれたしわの具合から、ある程度の年齢を重ねた男性のものであろうと推測される。切り口は鉈のようなぶ厚い刃物でザックリと切られていたが、切断面が乾いて黒く固まっているので、変ないい方になるが、血抜きをしてから少々の間をおいた状態だ。なにかをつかまんとするかのように、五本の指は内向きへ軽く湾曲していた。さらに不気味なことに、その手は腕時計をはめていたのだ。それも、時刻表示以外のたくさんの計器を搭載した最高級の腕時計である。簡単に庶民の手に入るようなしろものではない。

 まさか、こいつ『栄光の手ハンズ・オブ・グローリー』のつもりか……?

 栄光の手とは、イギリスやアイルランドの書物に書かれている黒魔術の道具アイテムで、絞首刑で処刑された罪人の右手を切り取って、特殊な作業をほどこして死蝋しろう化させたものだ。五本の指先に火を灯せば、狙った相手に呪いをかけることができるそうで、処刑された罪人の罪が深ければ深いほど、その魔力の効果も高くなるとも信じられている。

 発見者である加茂という男は、ほおのこけた浅黒い顔をしていた。昨年に仕事を退職してから、妻とともにこちらで生活をはじめている。犬の散歩は毎朝の日課となっているが、いつもは崖ん下地区内で散歩をしていて、久しぶりに蓮池までやって来てみたら、道の脇に人間の手が落ちていたのを、たまたま犬が見つけたそうだ。だから、昨日の段階で、そこに手が落ちていたのかどうかまでは自分には分からない、と証言した。


 いよいよ蓮見悠人の豪邸を訪問することとなった。主人が行方不明になったいきさつと、どんな人物だったのかを家族から訊くためである。

 赤レンガの塀で囲まれたゴシックスタイルの洋館の入口は、車がゆうに二台すれ違える広さの、両開きの鉄門となっていた。両サイドにある石柱のてっぺんには、グロテスクな石塊鬼ガーゴイル青銅ブロンズ像がちょこんと乗っかっていて、長い舌を出しながら、通行人をにらみ下ろしている。別所と千田の二人のうしろについて、二頭の石塊鬼ガーゴイルのあいだを、俺は肩をすぼめてそっとすり抜けた。


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