一章
夏希の夢により、すでに呼び寄せている。日常に潜む悪夢の種。朱鷺子は夢を見る――
その日の朝は、雨が降っていた。夏希と朱鷺子は連れだって学校へ行く。通学路にブロック塀がある。たっぷりと水を含んでいた。
「夏希。あれから変な夢を見た?」
「見てないけど……」
夏希は、湿ったブロック塀を指で撫でた。男子生徒が数人、二人を追い抜いていく。その背中を見ることもなく見ながら、
「声が聞こえるねん……」
夏希は呟くように言った。
「どんな声なの。」
「山びこみたいに遠い声やねんけど……どんなに騒がしくっても聞こえるねん。」
「何て言ってるの。」
「わからへんけど……なんか誰かを呼んでるみたいな……」
下校時刻になっても、雨は止まなかった。校庭はぬかるんで、僅かな高低を泥水が流れている。灰色の空は、そのままで暮れようとしていた。朱鷺子は、じっと身じろぎもせず、昇降口で夏希を待っていた。テスト前であったから、もう大半の生徒は帰ってしまったのに、夏希は帰ろうとしない。
夏希は、西階段3Fと4Fの間にある踊り場の隅に向かって立っていた。もうずいぶんとそうしていた。よく見ると、そこには染みのような汚れのようなものがある。夏希はそれを見ている。朱鷺子がいくら誘ってもそこから離れがたいようだった……
――その夜、朱鷺子は夢を見た。
しとしと雨が降っている。朱鷺子の両側には、ブロック塀が何処までも続いている。先は見えず、後ろは振り向けない。ブロック塀の列は、たっぷりと水を含んでいる。その上を無数のカタツムリが這っている。殻の縞模様も様々に、列をなして朱鷺子の向いている方へと進んでいる。見ていると、カタツムリが溶け出した。ブロック塀の中へ染み込んでいく。
急に暗転して、暗闇の中にいる。遠く揺れる青い灯が見える。誘われるように近づいていく――
目が覚めるといつもの朝だった。晴れていた。朱鷺子は夏希に夢の話をした。
「その道の先に、何があったんやろうね。」
「何だろうね。」
女子生徒が数人、二人を追い抜いていく。そのスカートの短さに目をやるともなく、飛行機の飛ぶ音がした。
「何か、そんな青い灯の夢、私も見たような気ぃするわ。」
「何だろうね。」
その日の午後に、朱鷺子は保健室で寝ていた。授業中に目の前が暗転して、そのまま運ばれた。貧血だろうと言われた。
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