15話
鮮血が飛び散る。エクセラはのけぞるように後ろに倒れた。
レミィもよろよろと後ろに下がり、体に刺さった刀を引き抜いた。差し口から血が飛び出、苦痛で表情が歪む。
エクセラの素早い動きに対抗する手段として、レミィは自分を犠牲にすることを選んだ。結果として成功した。エクセラの方もどうやらすぐに気付いたようだが、遅かった。レミィの一閃は確実にエクセラを斬った。
痛みを堪えて、細剣を構える。まだ終わったかわからない。倒れたエクセラの動きを一挙一動見逃さないようにする。
「………」
エクセラはまだ呼吸をしている。どうやら生きているようだ。だが動こうとしない。
「……っぅ……」
わずかに声が漏れる。レミィはそれだけで焦りを感じた。同じ手は二度もできない。もし相手の傷が浅ければかなり危険だ。
「――かはっ!」
エクセラは血を吐いた。そしてゆっくりと立ち上がった。
「危なかった……。まさかお前がそんな捨て身をするとはな」
再びレミィと相対する。エクセラの体には縦に大きく斬られた跡があり、それはエクセラの顔にまで及んでいた。仮面は半壊し、素顔が少しだけ見えていた。
「虚を突いたはずですが……どうやって避けたんですか?」
「能力を使っただけだ。……おかげで限界だ」
露わになったエクセラの表情からは痛みとは違う苦しさが見える。レミィは心の中で舌打ちをした。
(でもまだ……)
幸い、エクセラの武器はこちらの足元にある。分はこちらにある。
「そちらの都合は知りません」
レミィは駆ける。エクセラに突進した。
武器がないとはいえエクセラも手練れ。最初の一撃を躱した。そしてレミィは攻撃を続ける。武器によって捌けないだけで、避けられないことはない。しかし相手は相当の腕前の持ち主であり、無傷で避けることはできない。少しずつ体に傷が入る。
刺突を躱した動きのままレミィの腕を掴む。そしてそのまま力を入れて前方へ押し込む。前傾になったレミィの背中に掌底を打ち込む。
「ぐっ……」
肺の中の空気が一気に外に追いやられる。一瞬だけ体の力が抜けたレミィの先程とは逆の手と肩を掴むと体を大きくひねってそのまま地面に叩きつけた。
一瞬、強い衝撃がレミィの体を突き抜ける。しかし、投げられる前に態勢を戻していたレミィは地面に着くと同時にもう片方の腕でうまく受け身を取る。そして掴まれた腕を捩じり、拘束から抜け出す。
さらに不安定な体勢のまま、エクセラの足を狙う。
「甘い!」
エクセラは跳んで躱す。そのまま回し蹴りを放つ。
「きゃあっ!?」
腕でガードするも元々不安定な体勢だったため、すべてを受けきれず横に飛ばされる。
地面に倒れる。
そしてその間にエクセラは己の刀を拾い、ふっと息を吐いた。
(強すぎる……)
アドバンテージは早々に消え、また最初と同じ状況だ。お互い傷は負っているが、こちらが不利なのは明らかだ。
立ち上がり、冷静にエクセラの動きを見る。
「………」
最初はレミィ同様、相手の動きを窺っていたエクセラだが、不意にある一点を見た。その視線の先は仲間のいる場所。フィーネとクローディアがいた。
「??」
その動きが一体何の意味があるのかレミィはわからず、迂闊に動けない。
「………」
なおもエクセラは仲間の方を見る。どうやら二人も自分の視線に気づいたようだ。
エクセラは目を閉じ、小さく頭を下げる。ただの会釈ではあるが、それが何を意味するか二人にはわかった。フィーネは優しく微笑み、クローディアは肩をすくませた。それだけで意思は伝わった。
「悪いな。もう無理なようだ」
あきらめのような嘆息をもらす。そして構えを解いた。
「えっ……?」
一体どういうことかわからず、レミィは戸惑う。それを無視してエクセラは続けた。
「久しぶりだからな、何が起こるかはわからん。あとのことはフィーネたちに任せてはいるが……」
ゆっくりと仮面に手をかける。そして半壊したそれを鷲掴みにすると、外し、放り投げた。
「しばしのさよならだ」
仮面を外し、現れたのは美しい女性だった。そう形容せざるほかない、立ち佇まい。見惚れてしまうほどの圧倒的な美貌。それがエクセラの素顔であった。
「………」
エクセラはその凛とした瞳でレミィを見る。それから自分の体を見る。そして突然大きく伸びをした。
「あーー! 久しぶりに表に出れた! 『私』ったら頑なに私を出さないんだから」
先程までの男っぽい口調とは打って変わって女性らしいそれで快活に喋る。
「何を驚いてるの? 別にこれが初めてじゃないでしょうに」
「別に、驚いてるわけじゃありません」
「そう、なら早速始めてもいいわよね?」
その言い終えると同時にエクセラの姿が消えた。そしてレミィは横から強い衝撃を受けてふっ飛ばされた。
「なっ……!?」
点ではなく面で撃ちつけられた感触。威力はないが、思考が一瞬止まるほど、その衝撃は強かった。
慌てて受け身を取る。そして周囲を見渡すが、どこにもエクセラの姿がない。
「ここ」
頭上からだった。そしてレミィは先程と同じ衝撃を今度は頭上から感じる。立っていられないほどの、しかも長い時間に及ぶ力にレミィは地面に這いつくばってしまう。
「これは……」
知っている。エクセラの能力だ。
『翡翠童子』。レミィの知る限りでは、重力・引力・斥力を操る能力らしい。となると最初に受けたのは斥力、今受けているのは重力なのだろう。
とはいえ、何か対策できるというわけでもない。圧しくる重圧に耐え、なんとか体を起こそうとする。
「うーん。動けるんだ。じゃ、いいか」
突如、重圧が消える。それがわかったレミィはすぐに立ち上がり、こちらにくるエクセラに応戦する。先程までのエクセラと違い、より野性的、乱暴な動きになっている。だが、一撃一撃の重みが段違いに違う。
「カエルみたいにぺちゃんこになってくれるならそれで終わりにできたけど……。でもまだ続くのならそれはそれでいいね」
また一気にエクセラが攻勢になる。細剣で捌き、無理なものは躱す。紙一重で命を繋いでいく。攻撃は苛烈になったが、隙が増えた。レミィは間を縫って、反撃していく。
「いいよ! その負けん気。潰してあげる」
横薙ぎの一撃を剣で受け止める。しかし受け止めたかと思ったが、また痛みを伴わない衝撃がレミィを襲う。
レミィは弾き飛ばされる。
(やるなら今しかない!)
受け身を取り、体勢を直す。
そして自らの能力を発動させた。
一方のエクセラは追い打ちをかけるべく、敵の方へ駆ける。
しかし、数歩進んだところでその足は止まった。
「むっ!」
エクセラは自分の視界内にいたレミィの姿が消えたことに気づいた。見回してもどこにもいない。気配も感じられない。あれだけの血を流しておいて血の臭いすらも感じない。
「そういえば忘れてた」
久しぶりの戦闘で完全に忘れていた。滅多に見せない彼女の能力。
こうなってしまっては余程の運がない限り、レミィを見つけられない。
(どうしたものか……)
と思案する。しかし警戒は解かない。どこから彼女がくるかわからない。神経を集中させる。
「……っ?」
右肩を何かに貫かれたような痛みが走る。目で追えば、自分の肩から血が流れている。
「……」
エクセラは間髪入れずに刀を振った。しかし何も当たらない。
「はぁ、厄介ね」
今の反撃で気づいたが、肩の怪我でわずかに剣の振りが遅くなった。
「完全気配遮断の能力、だっけ」
そう、レミィの能力『波揺光学』は自らの周囲にあらゆる気配を遮断する膜を張るというものである。膜の破壊方法が一定期間変化しないという能力上、一度破られると同じ相手に連続では通用しない。だからレミィはここぞという時まで能力を使わなかった。
もちろん今、どのようにすれば破壊できるかはレミィしか知らない。
「でも無敵な能力じゃないよね」
エクセラは自分の後方に能力を張った。強力な能力だが、効果範囲が狭いのが弱点でもあるこの能力を罠として自分の背後に構える。
だがそうこうしているうちにもレミィはエクセラに攻撃していく。反撃を恐れてか、一気に攻め立ててはこない。少しずつしかし確実に痛手を与えてくる。
「仕方ないか」
エクセラは走り出した。そして刀を振り下ろす。もちろん何も起きない。
(何を狙っている……? そんなことしても無駄なのに)
周りには確実にエクセラの能力が及んでいるはずだから、深追いはせず、ヒット&アウェイを続けている。エクセラの今の行動も無駄がありすぎてむしろ隙が大きくなるだけだった。
エクセラの動きに注意を払いながらも、確実に攻撃を重ねていく。焦りは禁物。わずかにでもいいので少しずつ傷を増やす。
気づけばエクセラの体は血まみれになっていた。一つ一つの傷は小さいため致命傷にはいたらない。大きな出血もしているわけでもないから動きに支障がでる、というわけでもない。
レミィは未だ真意を悟れずに疑問の中で攻撃していく。返り血が付いたところでそれで能力を破れるわけでもない。
(次で決める!)
ここまで削れば、倒れるのはあと少し。自分の傷も思ったより深い。これ以上時間をかけると先に力尽きてしまう。
このままいける。そう確信したレミィは死角からなおもエクセラを狙う。
彼女の細剣はエクセラの首を引き裂こうとする。
しかし、その剣は狙いに届くことはなかった。
「な……ん、で?」
視線の先は、武器を持った彼女の右手は消えていた。わずかな時間ののち、ぼとっ、と何かが落ちる音がした。見るとそれは彼女の右腕だった。
「やっと見つけた」
目の前に妖しく笑うエクセラの顔。彼女はレミィの頭をつかむとそのまま地面に叩きつけた。
「なんで、なんで私の場所が……!?」
レミィは驚きの表情に満ちていた。そんな彼女を嘲笑うかのようにエクセラはレミィに馬乗りになり、刀を突きつけた。
「リズム」
「えっ……?」
「あなたは無意識に行動にリズムがある。それを読んだだけ」
レミィは言葉を失った。相手は自分でも気づかない癖を見抜いたのだった。
「もちろんそれだけじゃない」
胸、心臓の真上に刀の切っ先が向けられる。レミィにはもはや抵抗の術は残っていなかった。
「能力の応用でね、さっきまでは背後に張ってたんだけど、範囲を線に変えたの」
どういう意味なのかわからない。
「引力重力斥力。この3つをアンバランスに線上に流すことであなたは気づかないかもしれないけど、一番動きやすい場所に誘導していた。あとはさっき言ったリズムで攻撃タイミングさえ見計らえば……ってこと」
「………」
自分の動きが誘導されていた。優位に攻めていたはずなのにそれまでもエクセラの策のうちだった。
種明かしを受け、なおも自分はこれ以上どうすることもできない。
「それじゃ、おしまいね。いいリハビリになったわ」
レミィは己の負けを悟り、その悔しさから涙が零れる。
(ノワール……。ごめん)
そう思ったのを最後に、レミィの意識は途絶えた。
何やら誰かが叫んでいるが、エクセラの耳には入ってこなかった。立ち上がり、レミィの体から刀を抜き、血を払って鞘にしまう。
そして仲間の方を見た。フィーネは安堵の表情をしているようだ。クローディアはなぜかため息をついている。
しかし、あれだけ自分をだすことを拒んでいた『エクセラ』はどうして代わってくれたのだろう。エクセラと『エクセラ』は互いに相容れない。考え方がまるで違うのだ。また自分は『エクセラ』に干渉できるが、『エクセラ』は自分に干渉できない。
「考えるだけ無駄、なのかな」
いずれにせよ久しぶりに得た自由だ。仮面も壊れ、しばらくはないだろう。束の間の自由を謳歌しようではないか。
エクセラは笑いながら、フィーネたちのもとへ戻る。
「お疲れ様」
「ああ疲れたよ」
フィーネの労いの言葉に軽い調子で答える。
「いきなりだったからちょっとびっくりしたけど、きちんと勝ってきた。これでお膳立ては十分かな?」
「そうね、プレッシャーは変わらないけど、気持ちは少し楽になったわ。結構傷を負ったでしょ? 治療を受けてきたらどうかしら」
そうしよっかー。とエクセラは答える。確かに彼女の傷は倒れても、死んでもおかしくないほどひどかった。
「でもまだしたいことあるしな」
「? 何かしら?」
首を傾げるフィーネ。エクセラは笑った。
「これかな」
笑っていたエクセラは突然殺気だった雰囲気を纏い、フィーネに斬りかかる。
対するフィーネは全く反応していない。
無防備な彼女に向かって凶刃が迫る。
「はいストップ―」
しかし、刃はフィーネの前で別のものによって阻まれた。クローディアが横から大鎌で防いだのだ。
「今戦い終わったって言うのに血気盛んね。傷に障るわよ?」
「どうせ死なないんだから多少の無茶は構わないさ」
「こうして今も吐血してる人がこれ以上どう無茶したらいいのかしら? はぁ……クレア」
クローディアは名を呼ぶ。そしてエクセラがはっと後ろを振り向こうとする。がその前に。
「失礼シマス」
メイド服を着こみ、丁寧に一礼したクレアの手刀によって首を打たれ、エクセラはそのまま前に倒れた。クレアは彼女を抱きかかえる。
「そのまま医務室に連れて行って。武器はひとまずこっちで預かっておくから」
「カシコマリマシタ」
恭しく頭を下げると、エクセラを肩に担ぎ、そのまま医務室に向かっていった。
「まったく、好戦的なのはいいけど場所を選んでほしいわ。それにクレアに気づけないようでよくやろうとしたのか」
「ふふ、ありがとね」
「そりゃ、騎士様ですから。で、お怪我はありませんか」
「ええ、あなたのおかげでね」
あなたも十分好戦的よね、という言葉を飲み込み、フィーネは素直にお礼を述べた。別に自分でも問題なく対処できたが、彼女もわかっていたことだからわざわざ口に出すのは無粋だろう。
「さて、これで逆転。あとはあなた次第よ」
「プレッシャーかけるわね」
「当たり前じゃない。ぬるい戦いは見たくないもの」
「手厳しいこと。でも、私が手を抜いたことあるかしら?」
「さあ、どうだか」
最後にフィーネはふふ、と笑う。
「それじゃ、準備してくるわ」
そう言ってフィーネもまたあとにした。
「…………」
ノワールは運ばれるレミィを見送っていた。力なく、動かない彼女は痛々しいくらいにボロボロだ。彼は無言でただ彼女を見つめていた。
「………お疲れ」
彼女の姿が見えなくなると、ノワールは一言呟いた。
最後まで彼女の勇姿を見ていた。
「きっとレミィは悔しがるんだろうな」
いつものように励ますと彼女にどやされてしまう。
「あんなに意気込んでいたのに……。それに必死に戦っていた」
それなら思い残すことはないと思うが。
「………わからん」
先日のレミィとの手合わせ以来、いろいろとわからないことばかりで悩んでしまう。そもそも自分は人付き合いがいい方じゃない。未だに他の学園の人と話すのは慣れない。それを何度レミィに諌められたか。
でも、
変わらない世界なんだから変わらなくてもいいんじゃないのか
彼はずっとそう思っていた。今も思っている。
だけど、
「変わらないと駄目なのか……」
レミィもイリアもシーナとミーナも成長している。それはノワールの目から見ても明らかだった。だが、それがすべて実を結んだかといえば決してそうではない。むしろ実を結ぶことの方が少ない。
それなのに……。
「―――っ!」
頭を抱える。自分はどうしたらいいのだろうか。何をしたいのだろうか。
自らの生を否定しない。立場もこだわらない。ただただ平穏でいたい。それが彼の願いだった。
だが、それではもうダメなようだ。
「約束……」
悩み悩む中、ふと思い出した。
レミィに言った「らしくなる」という言葉。言ったはいいがどうしたらいいかわからず、今日までずるずる引っ張っていた。
「つまり今がそういうことなのか?」
自分らしく? 王らしく? それはわからない。だが、どうやら今ここで動かなければダメな気がする。
「やるっきゃないのか」
ああ、やるしかない。とりあえず今は頑張ったみんなの努力を無駄にしないように勝とう。それからみんなにまた聞けばいい。
「じゃあ、行ってくるか」
誰もいないが、言葉は残しておく。
ノワールはどこかすっきりした笑みを浮かべて進んだ。