14話
ノーランド学園、ここの生徒を取りまとめているのは円卓議会と呼ばれる組織である。総勢七名で構成されるこの組織の本部、議会室に円卓議会第二席であるレミィはいた。今は自分のデスクの前で仕事をしていた。
「……思ったより多いな。けど、何とかなるか」
あいにくほかの人に頼るにも、他は他で忙しい。とはいえいつもの倍あるくらいだ。ペースを2倍にすればいいだけだろう。
「さて、続きやるか」
ずれていた仕事用の眼鏡を元に戻し、作業を再開する。
「…………………」
黙々と仕事を片付けていく。基本は生徒からの申請や要望の処理なので全部に目を通し、許可か不許可を決めていくだけだ。決定権は円卓議会が持っているからよほどのことがない限り、いちいちノワールに聞かなくてもいい。
「………………」
あまりにも続く単純作業にレミィはほぼ無心となっていた。周りの様子も一切気にならず、ただひたすらに進めていく。
「………………」
と不意にレミィは筆を止めた。そして立ち上がり、飲み物をいれに行く。息抜きというのもあるが、時間的にそろそろだからでもあるのだ。
自分用にはコーヒーを、そしてもう一つ、角砂糖を多めに添えたコーヒーを用意し、自分の隣の机に置いた。
そうして自分の席に戻ると、一口飲む。それからまた作業を始めた。
「ふー疲れた疲れた」
作業を始めてすぐ、ノワールが部屋にやってきた。軽く伸びをしながら自分の席に、レミィの隣に座った。
「あれ、レミィいれてくれてたんだ。ありがとな」
「……………………ん? あ、うん」
作業に集中していたのか少し遅れて反応した。
「ノワールはどのくらい終わった?」
「8割かな。あとは全体に通さないといけない分だから、明日には終わる感じだ」
「そうなんだ。こっちも今週中には終わると思う。それまではあんまりほかのことにかかれないけど……」
「まあそこら辺は俺が何とかしとくから大丈夫。自分の作業に集中してくれ」
「わ、わかったわ」
レミィは少し不満そうにうなずく。そして自分の作業をしていく。
「………………」
「………」
「………………」
「………」
そんな彼女をノワールは横目に見ている。甘ったるそうなコーヒーを飲みながら何やら考え事をしている。
「………なあレミィ」
「………………ん?」
「暇だし、ちょっと外で体動かさないか?」
「………は?」
レミィは手を止めてノワールの方を見た。鳩が豆鉄砲をくらったような、そんな驚いた顔をしている。
「いや、私仕事してるんだけど……」
「わかってるよ。あとで少し手伝うからさ、ちょっと付き合ってくれないか?」
「というか何するの?」
「軽く手合わせだよ。一般生徒の子たちだと何にもならないんだよな。だから議会の皆に聞いてるんだけど、『忙しい』って断られてさ、あとはレミィだけだったんだ。な、息抜きと思ってさ」
子供のようにせがむノワールにレミィは呆れてものが言えなかった。なんて面倒なことを、と思ったが、あいにく彼女には断る理由が一つもなかった。仕事も手伝うと言われたら何も言えない。そしてレミィは今取り掛かっている仕事以外にやることが特にない。そして、
(そもそも断る必要ないのよね)
驚いたものの別に拒否するつもりはなかった。彼がこのようなことを言うのはあまりない。普段は暇さえあれば寝てるか本を読んでいるからだ。
「はぁ……わかったわ。ほんの少し手合わせするだけよ。それとあんたの武器は使うのは駄目だから。」
「りょーかい! それじゃ、早速行くか」
はしゃぐノワールは意気揚々と部屋から出ていった。
そんな彼を見送りながらレミィは何度目かわからないため息をついた。
「はぁ……。でも、悪くないかしら」
呆れにも似た苦笑を浮かべながら、レミィも後に続いた。
学園の中庭。ここはそれなりに広い空間があり、軽く手合わせをするにはちょうどいい場所であるため、よくこうして使われている。
「俺はこの手斧でいいかな。レミィはいつものでいいだろ?」
手合わせ用の武器庫からノワールは木製の手斧と細剣を取り出し、細剣の方をレミィに渡した。二人は制服から運動用の服に着替えており、それぞれ武器を受け取ると、武器を振りながら軽く準備運動を始めた。
「形式は? 寸止め一本勝負でいい?」
「別にいいよ。変に怪我するのも嫌だし」
「わかった。あと『能力』も使うのなしな」
「はいはい」
レミィは細剣を器用に動かしながら答える。実物より軽いので勢いのつけすぎには気をつけなければならない。
「大丈夫だろ。下手じゃないんだから受け身だってうまくとれるって」
「受け身云々よりもあんたの場合一発が痛いんだよ」
ノワールのものは彼が普段使っているよりも数周り小さい。そのためそこまでの威力は出ないだろうが油断は禁物。このバカは時々加減を見誤ってしまるのだ。
「怪我したときはその時だ俺が代わりに仕事やっとくよ」
「……あんたは怪我する気ないんだ」
「? 当たり前じゃないか。俺がレミィに負けるとでも?」
「っ! その減らず口、痛い目見せて黙らせないとな!」
二人は適度に距離を取り、武器を構える。軽口を叩きあうものの二人はお互いの動きを注視しながら、いつでも動けるようにしていた。
「さて、どう始めるか……っと、レミィ! この石を投げて地面に落ちたらでいいか?」
「別にそれでいいから。さっさと始めるぞ」
「はいはい………ほいっと」
ノワールは軽く石を投げる。ふわりと飛び、すぐに落下を始める。そして地面に落ちた瞬間、
「はぁ!」
「せやぁぁ!」
二人は同時に駆けた。
「いやー勝った勝った。意外と危なかったけど何とかなるもんだな」
タオルで汗を拭きながらノワールは笑顔で地面に腰を下ろした。対するレミィは大の字になって仰向けに倒れている。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を何とか整えながら、ノワールが差し出したタオルを奪い取るように受け取る。
「あー悔しい。結構押してたのに……」
「まだまだレミィには負けるつもりはないからな。でも、また強くなったな。動きに無駄がない」
「褒めても勝てなかったら意味がないだろ。これで何連敗だ? 白星が一つもないのは確かだが……」
「そんな気にすることないだろ。結果よりも中身が充実してたほうがいいんじゃないのか?」
水を飲んでほっと一息つく。
「それも間違ってはいないんだけどな……」
思いつめたようにレミィは呟く。もちろんその言葉はノワールに届いていた。
「………」
タオルを顔に落とし、倒れたままのレミィをノワールは見つめる。
「レミィはなんでそんなに頑張ってるんだ?」
「えっ?」
不意にノワールは尋ねる。その言葉に驚き、タオルを顔から外す。
ノワールの表情はいつになく真剣だった。それこそいつも傍にいたレミィがそうだとすぐにわからなかったくらいに。
レミィの驚きをよそにノワールは言葉を続けた。
「ずっと昔からさ、みんな何かと一生懸命に何でもやってるじゃん。でも俺はとりあえずこなしてた。そんでそれに対して俺は何にも疑問に思わないでいた。だけど、ふと思ったんだ。俺とみんなは何かが違うって」
レミィは黙って聞いていた。彼のまっすぐな瞳をじっと見つめている。
「すぐにわかったよ。俺は何に対しても本気にならなかった。どうせなんとかなる。まじめにしなくても問題ない。そう思っていたんだ。だってこの世界、何しても終わりが来ないんだ。そもそも頑張る理由がないじゃないか。俺は名誉も栄光も勝利も歓声も何もいらない。平和と安寧を望んでいる。だけど、立場がそれを許してくれない。だから最低限のことしかしない」
「だからさ、思ったんだ。なんでみんなはそんなに一生懸命になれるんだろうかって。それでイリアにも聞いてみたんだ。同じことをさ」
「イリアさんはなんて……?」
「自分で考えろってさ」
ノワールは笑った。雰囲気は変わらないが、その笑顔を見ただけでレミィは少し落ち着けた。
「で、レミィはどうなんだ? なんでそんなに頑張っているんだ?」
「私は……」
レミィは悩む。自分の答えは昔から変わらない。だが、それを彼に伝えることがレミィにはできない。何でもない答えだが、彼女にとっては深い意味を持つのだ。
しかしここで伝えなければこのままずっと何も変わらないだろう。だからレミィは決めた。
起き上がり、ノワールの方をじっと見て答えた。
「私はあの時からあんたの騎士だ」
初めてノワールと出会った日。旧王国時代に姉の結婚式で彼と出会った。昔から腕の立つレミィは見るからに頼りがいのなさそうなノワールを見て、こう言い放ったのだ。
『私、あなたの騎士になる。あなたを幸せにさせる』
今では赤面もののセリフだが、この意志は変わっていない。だからレミィはノワールのために自分のすべてを惜しみなく捧げている。
「だから私はあんたのために頑張っている。あんたが少しでも楽にできるように、そうして笑っていられるように。他の皆もそう。ノワールのために頑張ってるんだ」
そう、皆決めていた。自分たちは彼のためにいるのだと。彼を真の王にするために。
「でもノワール、あんたは何も気にしなくていいの。あんたはあんたでいればいい。それだけで私たちは嬉しい。自由に生きるあんたを私たちは望んでるんだ」
変わってくれることは嬉しい。だけど気負ってくほしくない。
起き上がり、ノワールの方を見る。そして笑う。
「…………」
ノワールはしばらく黙っていた。何か考えているようだ。だが、ふっ、と笑みをこぼした。
「やっぱりお前たちはすごいな。俺も少しは見習わないと……」
そしてレミィの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「や、やめろ! 子ども扱いするな!」
「はは、いいから黙ってろ」
突然撫でられたことへの驚きと恥ずかしさで顔を真っ赤にしたレミィ。幼子のように不満そうにノワールに抗議する。
「そうだな、俺ももう少し頑張るとするか。いつまでもお前たちに迷惑かけるわけにもいかないし。らしくしてみるか」
何か憑き物が落ちたようなノワールはそんな清々しい表情で答えた。まるで純真無垢の少年のように彼の笑顔は輝いていた。
「レミィありがとな」
ノワールは手を離し、立ち上がると、「今日はありがとうな!」と言って去っていった。
「…………」
ポカンとしたまま彼を見送ったレミィ。しかしすぐに表情を変えた。
「ノワール……。よかった。私、あいつの力になれたんだ……」
そして彼に撫でられた頭を触り、嬉しそうに表情を崩す。
「ふふ、撫でられた♪ 初めてだ……」
「よかったね、レミィちゃん」
「っ~~~!!!?」
慌てて声がしたほうを振り返る。
「いつも厳しい顔をしてるレミィちゃんがそんな優しい顔するなんて久しぶりに見たわ」
「ね、姉さん!?」
振り返った先には一人の女性がいた。レミィと同じきれいで、レミィとは違い癖のかかったブロンドを腰のあたりまで伸ばし、見ているだけで癒されそうな優しい笑みを浮かべている。レミィの男らしさとはまた正反対なまるでお姫様のような雰囲気を醸し出している。
彼女はミオ=ローランド、レミィの姉であり、正真正銘のお姫様であった。『元』ではあったが。
「なんで姉さんが!?」
「うーん? 暇だったから散歩してたら二人が話してるところを見かけちゃってね。何だかいい雰囲気だったからしばらく見てたけど……」
「ずっと見てたの?」
「けっこうだね」
「うぅ………」
一気に恥ずかしくなってきた。レミィは膝を抱えて、顔をうずめる。
まだ身内なだけマシだと思いたいが、それでも今のを見られたのはかなり辛い。
「でも、ノワール君、いい傾向だね」
レミィはまだ答えられるほど立ち直っていなかった。無言でミオの言葉を聞く。
ミオは嬉しそうに話していた。二人を昔から知っている彼女にとってさきほどのことは余程嬉しかったのだろう。
「レミィちゃんも頑張らないとね」
レミィの頭をポンポンと叩く。ノワールに頭を撫でてもらったことを思い出して、又恥ずかしくなってしまう。
「せっかくノワール君が前向きになってくれたんだ。いいとこ見せて、彼を支えてあげなさい。力が入りすぎない程度に全力を出すの。私は直接見に行けないけど、楽しみにしてるわ」
そうしてミオはどこかへ行ってしまった。
「………わかってる」
一人になったレミィはぽつりと呟く。
「私はあいつのためにいる。それは今も昔も変わらない。することも変わらない。ただあいつのために……」
決意にも似た力強い言葉をこぼす。その瞳には誰にも負けないレミィの覚悟が映っていた。
エクセラの閃撃が頬を掠める。なんとか躱しながらレミィは反撃する。力、速さ、技術。全てにおいて自分を上回っているエクセラ相手に防戦一方になるだけだった。優位になろうにもエクセラの攻撃には反撃の隙がない。それこそ実力は上だが、隙の大きいクローディアを相手にしている方がまだやりようがある。
加えて細剣は防御には向いていない。刀身は細く、受け止めるにはあまりにも強度が足りない。こうやって剣筋をずらして躱すほかないのだ。
レミィにも一応逃げ道はある。能力を使えばいいのだ。だが、これは一種の博打。失敗すれば能力を使ったアドバンテージは消えてしまう。だから慎重に状況を見極める。
針の穴のようなわずかな隙を糸を通すかのように細剣で突く。だが、たかだか一発の攻撃。エクセラは躱すことなく突っ込んでくる。
「くぅぅ……」
全てを捌けることは当然できない。わずかにだがエクセラの刀はレミィの体を傷つけている。そしてそれが積み重なっていくにつれてレミィの動きも鈍くなる。
「動き、鈍くなってるぞ」
エクセラの動きが緩まったりはしない。レミィが崩れるのを確実に待っている。
(まだ……まだその時じゃない!)
レミィは最低限のダメージに抑えながらいなしていく。
「そういうエクセラさんも余裕なくなってませんか?」
乗るはずがないが軽く挑発をする。軽口が叩けるくらいまだいけると思わせないといけない。
「そりゃそうだ」
しかしエクセラは答えてくれた。しかも肯定という形で。
「『俺』が邪魔してくるんだ。代われってな」
エクセラは攻撃をやめて一旦離れた。
「戦いになるといつもそう。煩いんだ。『代われ代われ代われ代われ』。ずっと叫んでくる。集中したくてもできない。だが、俺は『俺』と代わるつもりはない。悪いが、だいぶ余裕がないんだよ」
エクセラは刀を鞘に納め、腰を低くする。柄に手をかけ、ふーっと息を吐く。
レミィはエクセラの気迫を感じ取る。予想とは違ったが、これはこれで自分の狙いに近いものとなった。
細剣の切っ先をエクセラに向ける。
「っ!?」
刹那、エクセラの姿が消えた。と同時にレミィの前に現れた。
「はぁっ!」
レミィにわかったのはエクセラが刀を抜いたところまで。あとは自分の動きに全集中を注いだ。
そして
「ぐっ……」
レミィの顔が痛みで歪む。彼女の腹部には刀が深々と刺さっていた。口から血が零れる。だが、意識ははっきりしている。これで狙い通り。
「やっと捕まえた」
レミィは勝ち誇ったように笑う。痛みのせいで引き攣っているが。
細剣を構え、エクセラが動く前に全力で薙いだ。
「てやぁぁぁぁぁ!」