心の声
気が付くと俺は学校の屋上に来ていた。
昼食を食べ終わると、誰もいない屋上で一休みするのが毎日の日課になっているせいで記憶にも留まらないのだろう。しかし、今日はいつもと違った。
「なんで、こんな場所に立っているんだ?」
俺が立っている場所は転落防止用フェンスの外側。そこは人間が一人がギリギリ立っていられるスペースしかない。つまり一歩前に出ると死が待っている。自ずと仰け反りフェンスに寄りかかった。
別に俺は自殺なんか望んでなんかいない。
『いーや。君は死を望んでいた』
頭の中で聞き覚えの無い声が聞こえた。
「誰だっ!」
『僕は君だよ。君が望んでここへ来た。君が望んだから僕が声をかけた。これはごく自然な現象さ』
「俺は死ぬことなんて望んでないぞ」
『君は常に死を考えながら生きていた。そうだろ?』
「死を考える?」
『赤信号の時に歩道を渡ったらどうなるのか。自転車で下り坂を降りている時にブレーキをかけなければどうなるのか。寝ている時に目を覚まさなかったらどうなるのか。こんなことばかり考えていただろ? 僕にはわかる』
俺はなにも言い返せなかった。振り返ると確かにこいつの言ったようなことばかり考えている。
『だから僕が現れた。これから一歩前に踏み出せばどうなるかは実証できる。どうだい? 楽しみだろ?』
「楽しいはずないだろ」
『そうかな? そんなに足を震えさせるなんて楽しみすぎて震えてるんだろ?』
「俺はここから動かない。お前が消えるまで絶対にだ!」
『そんなの無意味さ』
俺の脚が勝手に横へと一歩動いた。
『どうだい? 僕に任せてくれるなら横じゃなくて前にだっていけるよ』
もう、どうする事も出来なかった。このまま得体の知らない奴に体を乗っ取られたまま死ぬのか……。やっぱり、この高さじゃ落ちたら死ぬよな。死んだら悲しんでくれる奴らはいるのかな。人はいつか死ぬのはわかってる。それは、遅いか早いかでしかないのも理解している。だから今死ななくても、明日死ぬかもしれない。生きていれば不幸も訪れるだろう。なら今死んだほうが幸せなのかもしれない。
死んだらどうなるんだろうな。
輪廻転生? 死後の世界? 天国か地獄?
『一歩前に行けばすべて解決するよ』
そうだ。一歩前に行けばすべてが解決する。長年この問題は議論され続けられてるが、一向に答えが出ない。でも、俺はその回答に辿り着けるチャンスを掴んでいる。
『ようやく決心がついたようだね。これなら僕が君の体を動かすなんてことはしないで済む』
俺はフェンスから体をゆっくりと離し、一呼吸置いたあと下を見た。
すると、視界になにかが映りこんだ。ゆらゆらと動くそれを掴み確認する。
それは、いつも身に着けているペンダントだった。
亡くなったお婆ちゃんが小学校の入学祝いにプレゼントしてくれたもの。涙の形をしたオパールが付いていて、太陽のにかざすと七色に変化する。子供の頃はよく太陽にかざして眺めていたが大人になるにつれて、ただ身に付けるだけになっていた。
首に掛けていたネックレスを取り、子供の頃のように太陽にかざした。
「やっぱり綺麗だな……」
オパール越しに太陽の光が目に降り注ぐ。
「うっ……」
太陽の光が徐々に視界を覆い、光の中に吸い込まれていくような感覚に陥った。
「先生っ! 脈拍が戻りました!」
ぼんやりとした意識の中で誰かが大声をあげているのが聞こえる。
「頑張って! 頑張って!」
この声、母さんか……。
「頼む……死なないでくれ!」
これは父さんか……。仕事で出張中なのに、なんで……。
「お兄ちゃん死なないで!」
いつもの声色とは違うが、これは妹の声だ。
身体が思うように動かない。けれど、緩く握られている左手の中に何かがあるのを感じる。
ゆっくりと親指でそれをなぞると、涙の形をしたものだった。