諦めかけた最後の一針がなぜか通ってしまい、気づいたら魔法無効の騎士団長の唯一の縫い魔法師になっていた件~針が通らない騎士団長の心に、私の糸を通してみせます~
「団長、また来ましたよ!」
扉を開けた瞬間、書類の山に囲まれた机でペンを走らせていた男が顔を上げた。
黒髪に彫りの深い顔立ち、目の端に古い傷跡。
騎士団長セイン・ヴァルハートは王国でも五指に入る実力者だという。
「笑顔を見た者がいない」「昇進を三度断った」「食事中もしゃべらない」——そんな逸話ばかり聞いていたから、最初に会ったときは正直ちょっとひいた。
でも三度目ともなると慣れてくる。
「また来たのか、仕立て屋」
「来ましたよ。三回は来ると最初に言いましたよね?私…ちゃんと約束は守る主義です」
私はハルカ・クレール、今年で二十二歳になる。
下町の仕立て屋「クレール工房」の娘で、縫い魔法師の端くれだ。
私は針箱を抱えたまま、ずかずかと執務室に踏み込んだ。
前世では裁縫サークルで腕を磨いていたが、転生するとは夢にも思っていなかったけれど、それはさておき。
今世でも針仕事は好きだし、縫い魔法という概念があると知ったときには「なにそれ最高!?」と思った。
この世界では、布や糸に「祈り」を縫い込む縫い魔法が存在する。
防刃、防寒、治癒促進…縫い込む想いと技術によって、服にさまざまな効果を宿すことができる。
王侯貴族の軍服から礼服まで、縫い魔法師は欠かせない存在だ。
うちの工房は平民向けの実用品が中心だけど、腕には自信がある。
だから一週間前、騎士団から依頼票が届いたときは迷わなかった。
「団長用軍服の魔法付与・改修」——宮廷御用達の縫い魔法師が三人「対応できない」と投げ出した難題だと聞いても、むしろやる気がどんどん湧いてきたくらいだ。
「怪しげだな…偽物じゃないか?」
父は疑って裏を確認していたけれど、私は針箱を持って工房を飛び出した。
「まあ、やってみましょうよ!」という勢いで。
その勢いが今、試し布の前で静かに萎んでいる。
「……やっぱり今日も針が通らなかったです」
溜息をつきながら、卓上に試し布を広げた。
昨夜一晩かけて縫った跡が、もう全て解れている。
百回以上試したが、一度も定着しなかった。
正確に言えば、通らないのではなく、通ったそばから糸が解れるのだ。
まるで見えない壁に弾き返されるように、糸にかけた魔法が霧散する。
「体質の問題だ」とセインが静かに言った。
「幼い頃から、他者からかけられた魔法が全て無効化されるのだ」
私は顔を上げた。
「……なんでそれ、最初に言わなかったんですか」
「聞かれなかったからだ」
「聞きますよ! 今、聞いてます!」
思わず声が大きくなった。
廊下を通りかかった若い騎士が「だ、大丈夫ですか!?」と扉越しに声をかけてきたので、「大丈夫でーす!」と返しておいた。
「魔法抵抗体質……。それなら辻褄が合います。治癒魔法も付与魔法も弾かれるなら、縫い魔法も例外じゃない。前の三人の方が断ったのも当然ですね」
「そう思っていたのだ」
「思っていた?」
「過去形だ」
私は眉をひそめた。その言葉の意味に気づいたのは一拍後で。
「……もしかして、昨夜の件ですか?」
セインは答えなかった。でも視線がわずかに、私の手元の試し布に落ちた。
昨夜のことを思い出す。手が痛くて、指の腹が赤くなっていて、百回試しても全部駄目で。
もう諦めようかと思ったとき、最後にもう一針だけと針を手に取った。
そのとき私は何も考えていなかった。考える余裕がなかった。
ただ——この服を着て戦場に出る人が、どうか無事でいてほしい、帰ってきてほしい、と——それだけを思っていた。
するっと針が入った。糸も切れなかった。縫い目が、残った。
「一針だけ、通ったんです」
私がそう言うと、セインは初めてペンを机に置いた。
書類も伏せた。まっすぐ、私を見た。
「お前がその一針を縫うとき、何を考えていた」
「……疲れていたんで、正直何も考えていなかったんですけど」正直に答えた。
「この服を着る人が、無事でいてほしいって。帰ってきてほしいな、って。それだけは思っていました」
言ってから、頬に熱が集まってきた。仕事として当たり前のことだ。
でも言葉にすると急に照れくさくて、頬がじんじんする。
セインはしばらく黙っていた。
「縫い魔法師は……想いも一緒に縫い込むのか?」
「そうです。技術だけじゃなく、祈りや願いを縫い込むのが本来の縫い魔法で。でも言うのが恥ずかしいから、みんな表に出さないだけで。い、いや当たり前のことすぎて、逆に言わないというか…」
「……では、お前の縫い魔法は他と違う可能性があるな」
「どういうことですか」
「魔法抵抗体質は、術式を弾く。整えられた意図のある魔法を弾く。しかし…」
少しの間があった。
「純粋な祈りは、魔法ではないのかもしれない」
じわじわと意味が広がってくる。そういうことか。
技術が高い縫い魔法師ほど術式が洗練されていて、だから弾かれる。
でも私の縫い魔法には、技術の下に不器用な祈りがある。彼の体が弾けないほど、素直で純粋な…。
「もう一度、縫わせてもらえますか」
「ああ…ただし、条件がある」
「何ですか」
「縫い込む想いを、毎回私に教えろ。縫うたびに、声に出して、だ」
きょとんとした。
それから、笑いが込み上げてきた。
なるほど。この人は、魔法付与が欲しいんじゃない。誰かに自分のために祈ってもらう、その事実が欲しいんだ。表情ひとつ変えずに、すごくまっすぐなことを言ってくる。なんだそれ。ずるい。
「わかりました。毎回ちゃんと言います。多いので、返事しなくていいですよ」
「……頼む」
たった一言だった。でも、その声がいつもより少しだけ低かった。
私は針箱を持ち直して立ち上がった。
扉を開けて振り返ったら、セインがまだこちらを見ていた。表情は変わらない。でも最初に会ったときとは、目の奥が違う気がした。
私はにっと笑った。
「じゃあ今日の祈りは——『この人に長生きしてほしい』です。また明日来ますね!」
廊下に出て、扉が閉まった途端、足が勝手に速くなった。
なんか、心臓がうるさい。顔が熱い。
変だな、と思った。仕事の話をしていただけなのに。
縫い魔法師の私は、どうやら自分の心への縫い付け方は、まだ習っていないらしかった。
次の日も、その次の日も、私は騎士団本部に通った。
縫うたびに祈りを声に出した。セインは毎回黙って聞いていた。返事はしなかったけれど、だんだん書類を伏せるのが早くなっていった。
一ヶ月後、軍服が完成した日。
私が最後の結び目を切ったとき、セインは静かに言った。
「……礼を言う」
「いえ、お仕事ですから」
「そうではなく」
彼は少し間を置いた。
「毎日、来てくれたことに」
頬が熱くなった。針箱の蓋を閉める手が、少し震えた。
「また……また依頼があれば、来ます」
「依頼がなくても来い」
私は顔を上げた。セインは相変わらず無表情だったが、耳の先が赤かった。
「……それって」
「お前の縫い魔法が必要だ。定期的に」
「え、でも今回の軍服は完成しましたよ? 次のご依頼まで時間は……」
「私の胸当てが、来週から痛んでくる予定だ」
しばらく沈黙した。
「……それ、自分で言いますか普通」
「言わないと伝わらないだろう」
笑いが止まらなかった。
執務室で声を出して笑ったのは、騎士団に来てから初めてかもしれない。廊下の騎士たちが「な、何事!?」とどたどた集まってくる気配がした。
「わかりました、来週また来ます。来週の祈りは、もう決めてますから」
「なんだ」
「内緒です。来週のお楽しみに」
にっと笑って、部屋を出た。廊下を歩きながら、針箱を胸に抱きしめた。
下町の仕立て屋の娘で、縫い魔法師の端くれで、明るくて前向きが取り柄の私が……どうも、恋の縫い方だけは、まだ習っていないらしい。
でも、一針ずつ覚えていけばいい。
私はそういうのが、得意だから。
【完】




