第46話:触れないもの
触れようとしている。
その感覚だけが、ずっと残っていた。
結城透は、ベッドに座ったまま動かない。
何もしていない時間が、やけに長く感じる。
だが、実際にはそれほど経っていないこともわかっている。
時間の問題じゃない。
中身の問題だ。
何も進んでいない。
それだけだ。
目を閉じる。
暗闇の中で、自分の内側を探る。
何かがあるはずだ。
出ている以上、存在しているはずだ。
原因。
起点。
引き金。
どれでもいい。
何か一つでも、掴めれば。
——止められるかもしれない。
だが。
何もない。
感情でもない。
衝動でもない。
怒りも、不安も、恐怖も。
どれも“きっかけ”にはなっていない。
実際、さっきの訓練でもそうだった。
何も思っていなかった。
何も考えていなかった。
それでも、出た。
だから。
外側を探しても意味がない。
透は、ゆっくりと呼吸を整える。
深く吸って、吐く。
もう一度。
繰り返す。
少しずつ、余計な思考を落としていく。
空白に近づける。
何もない状態。
——その状態でも、出る。
昨日、それは証明されている。
なら。
その“何もない状態”の中に、あるはずだ。
自分でも気づいていない、何かが。
透は、さらに意識を沈める。
表面ではなく、もっと奥へ。
考えるのをやめる。
感じることもやめる。
ただ、あるものを探す。
静寂が、広がる。
外の音が遠くなる。
体の感覚も、薄れていく。
残るのは、意識だけ。
その中で。
ふと、引っかかるものがあった。
違和感ですらない。
ただ、“そこにある”という認識。
輪郭がない。
形もない。
だが、確実に存在している。
——これだ。
確信に近いものが走る。
触れる。
触れられるはずだ。
そう思った瞬間。
それは、わずかに揺れた。
反応した。
透の意識が、さらに深く潜る。
近づく。
手を伸ばすように。
だが。
届かない。
距離があるわけではない。
位置がずれているわけでもない。
ただ、“接続されない”。
どれだけ意識を向けても、重ならない。
干渉できない。
——触れない。
その事実だけが、はっきりとする。
焦りが、わずかに混ざる。
だが、それを押し殺す。
焦ると、逃げる。
理由はわからないが、そう感じた。
だから、静かにする。
何もしない。
ただ、そこにあるものを見続ける。
それだけでいい。
そう思った瞬間。
——反応が変わった。
揺れが、少しだけ強くなる。
外側ではなく、内側で。
何かが“広がる”。
感覚が戻る。
体の輪郭が、急に重くなる。
呼吸が乱れる。
目を開ける。
現実に引き戻される。
同時に——
空気が歪んだ。
目の前。
何もないはずの空間が、ゆっくりと揺れる。
出ている。
意識して出したわけじゃない。
だが、明確に“連動している”。
さっきの“何か”と。
「……っ」
息が詰まる。
すぐに、止めようとする。
だが。
できない。
いつもと同じ。
命令は、届かない。
ただ。
違う点が一つある。
さっきまで、感じていた。
あの“何か”。
それが、まだそこにある。
出ている現象と、同時に。
透は、歯を食いしばる。
意識を、もう一度そこへ向ける。
触れられない。
だが、見える。
感じられる。
なら——
そこに、合わせる。
止めるんじゃない。
抑え込むんじゃない。
ただ、“一致させる”。
意味はわからない。
だが、そうするしかないと直感した。
ゆっくりと、意識を重ねる。
焦らない。
急がない。
その“何か”と、同じ位置に。
同じ状態に。
近づける。
ほんの一瞬。
空気の歪みが、揺らいだ。
変化があった。
だが——
次の瞬間。
弾かれるように、意識が外れる。
同時に、歪みが強くなる。
「……ぐっ」
体が、わずかに後ろへよろめく。
制御は、完全に崩れた。
数秒。
それ以上かもしれない。
現象が、続く。
だが、暴走はしない。
広がらない。
ただ、そこにある。
やがて。
何事もなかったかのように、消える。
静寂が戻る。
透は、その場に立ったまま動かない。
呼吸だけが荒い。
心臓の音が、やけに大きい。
成功ではない。
失敗でもない。
だが。
今までと違うことが、一つだけある。
——触れられなかった“何か”に、気づいた。
それだけだ。
それだけなのに。
状況は、何も良くなっていない。
むしろ、悪くなっている可能性すらある。
あれに近づいた瞬間、出力が上がった。
つまり。
理解に近づくほど、危険が増す。
その構造が、はっきりした。
透は、ゆっくりと手を見る。
震えている。
恐怖か、疲労か、それとも別の何かか。
判断はつかない。
ただ一つ、確かなことがある。
——これを、あと何回もやる必要がある。
七日間。
残りは、もう減っている。
だが。
進んでいる感覚は、ほとんどない。
それでも。
止まるという選択肢は、最初から存在していなかった。
透は、ゆっくりと息を吐いた。
そして、もう一度だけ目を閉じた。
触れられないものに、もう一度触れるために。
本作は毎週水曜・土曜の21時に、2話ずつ更新予定です。




