第19話:同じ言葉
本作は毎週水曜・土曜の21時に、2話ずつ更新予定です。
夕方の空は、どこか鈍い色をしていた。
オレンジでも、夜でもない。中途半端な光。
透は、いつもの場所に立っていた。
人通りの少ない河川敷。
コンクリートの護岸に腰を下ろし、息を整える。
――うまくいかない。
何が、とは言えない。
ただ、最近は「何か」が体の奥で引っかかる感じがしていた。
集中すると、胸の奥がじんわり熱くなる。
でも、それだけだ。
目に見える変化は、何も起きない。
「……焦るな」
背後から声がした。
振り返る前から分かる。
この低くて、少しぶっきらぼうな声。
「師匠」
そう呼ぶと、男は一瞬だけ視線を逸らした。
「その呼び方、外ではやめろって言っただろ」
「でも、他に何て呼べばいいんだよ」
「……名前でいい」
距離は、三歩分くらい。
近い。でも、どこか遠い。
前なら、隣に座ってきた。
何も言わず、同じ方向を見ていた。
今は、立ったままだ。
「今日も、変な感じがするんだ」
透がそう言うと、師匠はすぐに答えなかった。
川の流れを眺めながら、少し間を置く。
「……体は?」
「平気。熱もないし」
「無理はするな」
その言い方が、妙に事務的で。
透は小さく眉をひそめた。
「前はさ、そんな言い方しなかっただろ」
師匠の肩が、ほんの少しだけ動いた。
「状況が違う」
「何が?」
「……今は、だ」
それ以上は言わない。
いつものことだ。
透は護岸に座ったまま、拳を握る。
「俺、最近さ」
言葉を選びながら、続ける。
「変なんだ。
何かできそうな気がするのに、何もできない」
師匠は、ようやく透を見る。
その目は、前と同じだった。
厳しくて、でも――どこか心配そうな目。
「できなくていい」
「え?」
「今は、な」
師匠は静かに言った。
「力は、焦って掴むもんじゃない。
特に――お前みたいなやつは」
「俺みたいな?」
「……守りたいものがあるやつだ」
透の胸が、わずかに跳ねた。
「守りたいものがあるなら」
師匠は、ゆっくりと言葉を続ける。
「迷うな」
その瞬間。
透の頭に、別の声が重なった。
――俺、家族を守りたいだけなんだ。
どこで聞いたのか。
誰が言ったのか。
分からないのに、胸の奥に残っている言葉。
「……それ」
透が顔を上げる。
「前にも、誰かに言われた気がする」
師匠は、一瞬だけ目を閉じた。
「そうか」
それだけだ。
否定もしない。
肯定もしない。
でも、その沈黙が、答えのように思えた。
「透」
師匠は、名前を呼ぶ。
「今は、まだ知らなくていい」
その言葉は、拒絶じゃなかった。
どちらかと言えば――抑制だ。
近づきたいのを、堪えている声。
「……分かった」
透は立ち上がり、軽く土を払った。
「でもさ」
一歩だけ、師匠に近づく。
「俺、ちゃんと前に進むから」
師匠は何も言わない。
ただ、視線だけで答えた。
それで十分だった。
河川敷を離れる背中を見送りながら、師匠は小さく息を吐く。
——同じ言葉を、同じ意味で聞くには。
まだ、早すぎる。
夕焼けは、いつの間にか夜に溶け始めていた。




