第16話 残っているもの
本作は毎週水曜・土曜の21時に、2話ずつ更新予定です。
朝は、いつも通りだった。
目覚ましが鳴る前に目が覚めて、
布団の中で一度だけ天井を見る。
透は、ゆっくり起き上がった。
――少し、腕が重い。
昨日フェンスにぶつけた左腕。
服の上から押すと、鈍い痛みが返ってきた。
「……ま、いっか」
独り言みたいに呟いて、キッチンへ向かう。
冷蔵庫を開ける。
卵が二つ、牛乳は少しだけ。
今日は炒り卵にして、量を増やす。
フライパンを温めながら、
昨日のことを思い出しそうになって、やめた。
考えても、答えは出ない。
「透、もう起きてる?」
母の声がした。
「うん。朝ごはんできるよ」
いつも通りのやり取り。
いつも通りの朝。
食卓に並ぶ皿。
弟と妹が眠そうな顔で座る。
「いただきます」
声が重なって、朝が始まる。
――何も、変わっていない。
はずだった。
学校への道。
同じ坂、同じ景色。
歩きながら、無意識に左腕をかばっている自分に気づく。
「……癖か」
小さく肩を回す。
痛みはある。でも、動く。
授業中も、特に変わったことはない。
ノートを取って、
当てられて、
適当に答えて。
昼休み。
購買には行かず、教室でパンをかじる。
そのとき――
視線を感じた。
気のせいかと思ったが、
廊下側のドアの向こうで、誰かが立ち止まった気配があった。
一瞬。
すぐに、消える。
「……?」
首をかしげるが、理由は分からない。
午後の授業。
部活の勧誘。
放課後。
全部、昨日までと同じ。
なのに。
帰り道、透はふと立ち止まった。
フェンス越しの夕焼け。
昨日と同じ色。
それなのに――
胸の奥に、うまく言えない引っかかりが残っている。
「間に、入っただけ」
昨日の自分の言葉を、思い出す。
それだけのはずだった。
でも、
“それだけ”にしては、
世界が静かすぎた。
透は、左腕を見下ろす。
赤みは引いている。
でも、まだ熱が残っている。
「……なんだったんだろうな」
答えは出ない。
ただ一つ、はっきりしていることがあった。
昨日のあの瞬間。
自分は――
迷わなかった。
それが良かったのか、悪かったのか。
今は、まだ分からない。
透は歩き出す。
いつも通りの帰り道を。
少しだけ違う足取りで。
遠くで、誰かが電話を切る音がした。
「……確認しました。
はい。確かに“少年”です」
その声が、透に届くことはなかった。




