想像以上の過酷な孫育て。これならダンジョン潜ってた方がまだ気楽。
当初の予想はしっかり外れて、あの金髪巻き毛の母親は、やって来なかった。
赤ん坊の世話は、とんでもなかった。
まずは、授乳から挫折の連続。
(そりゃそうよね。母親の乳房から飲む訳じゃないから。)
山羊の乳は、難なく絞れた。
母山羊も協力的で、絞る間はじっとしていてくれた。
絞った山羊の乳を、一度しっかり温めてから人肌に冷ます。
器に入れたその乳に煮沸した布辺を浸して、その布を咥えさせるのだが……。
まず、口に咥えてくれない。
首を左右に振って嫌がり、器の乳は零れるし、布辺は吹っ飛ばすし。
お腹を空かせて泣き叫ぶし。
やむなく、葦で作ったの管に少しづつ取っては、口の中に流し込んだら、これは飲んでくれた。
それがもう、途方もない時間がかかる。
その合間に、おしっこはするし、うんちはするし。
ゲロゲロ吐くし。着替えさせなきゃだし。
洗濯はしないといけないし。
用意したおむつは40枚。全然足りなかった。
1日で使い切った。
とりあえずで用意した産着は6枚。全く足りなかった。
半日で使い切った。
夜も、お腹が空いてるからか、すぐに起きて泣き叫ぶから、こっちは寝ていられない。
どうにか山羊の乳の味には慣れてほしいのだが、なかなか飲んでくれない。
預かった時にはおむつカブレが既にあったが、それが痛いからか、排尿する度に
火が点いたように泣くので、毎回ぬるい湯ですすいでから、おむつを当てた。
とにかく、自分の食事もままならない。
洗濯するので手一杯。
眠る時間も無い。
孫を預かってから3日目に、あの山羊を貸してくれた老夫婦が尋ねて来た。
私はフラフラしながら赤ん坊を抱いて、出迎えた。
「蓮さん。大丈夫かい?!」
開口一番、奥さんにそう言われた。
「あんまり、大丈夫じゃなさそう。」
「あんたが弱音を吐くなんて、よっぽどだねぇ。手伝いに来たよ!」
外が眩しいからかも知れないが、私にはこの奥さんの頭から後光がさしているように見えた。」
「さあさあ、産着を持って来たよ。息子達の所にあったお下がりだけどね。」
「ううう……有難い~。もう着せる物がなくて……。」
私は泣きそうになった。
実は、産着が乾かず裸の赤ん坊を、すっぽりと毛布を掛けて抱いて、自分の体温で温めていた状態だったのだ。
乳の出る山羊を借りに来た顛末を、長年の連れ合いの旦那から聞いた奥さんは
「そりゃ、大変だよ!!蓮さんが倒れちまうよ!」
そう言うなり、息子達の所に走った。
産着や、赤ん坊に必要なアレコレをかき集め、取る物もとりあえず、
ロバに荷物を積み込んで、旦那に引かせて、蓮の所に駆け付けて来てくれたのだった。
「一人だけで子育てしようなんて、土台無理なんだよ。蓮さんに助けてもらった恩を返せる機会がやっと巡って来たんだ。私しゃ嬉しいねえ。どんどん頼っておくれよ!!」
奥さんがそんな事を言ってくれる。
「え?私、助けたりしたっけ??」
「ほら。こうだよ。」
ロバから荷物を降ろしながら、旦那が笑いながら、奥さんを見た。
「蓮さんが忘れてたって、私や旦那や息子達は覚えてるよ。」
奥さんに同調して、旦那も言い添える。
「儂が出稼ぎに出て留守してる時に、変な輩がうちの嫁に目を付けたのを、いつもコテンパンにやっつけて守ってくれてたろう。」
「そうだよ!うちだけじゃないよ。町の女や子供達を、いつでも守ってくれてたじゃないか。蓮さんには皆、感謝してるんだよ。」
そんな風に熱く語ってくれるのだ。
「そんな事、してたっけ?全然覚えてないよ。確かに、気に入らない野郎共を、コテンパンに伸してたけど、助けてた事になってるんだ……。へええ。」
その物言いに、老夫婦は声を立てて笑う。
「蓮さんらしいよ。あんたはそういう人だよねぇ。」
私は、久し振りに赤子を抱く手を休めて、暖かい食事を食べる事が出来た。
「儂が見てるから、ゆっくり眠りな。洗濯やなんかは、うちのがしてるよ。」
爺さんが、そう言ってくれた時には、私の瞼はもう下りかけていた。
「ありがとう。恩に着るよ。」
それだけ言うのがやっとだった。
『これなら、ダンジョンに潜ってた方が、よっぽど気楽だったよ。』
そんな事を思ったが、口には出来なかった。
数日振りに、深く眠った。
赤ん坊が泣く声で目が覚めた。
窓の外を見ると、瓶に入った乳を、奥さんが抱いて赤ん坊に含ませている所だった。
瓶の中身がグイグイ減っていく。
『あの瓶、何??』
私は起き出して、外に出た。
外は、青い空が視界一面広がって、いい天気だ。
庭の木には、何本ものロープが渡されて、それぞれに洗濯物が旗めいている。
数日振りに、しっかり眠って余裕が出たのか、
周囲を眺めて、景色が美しいと思えた。空の青さも、草の緑も、風さえ心地良い。
奥さんに抱かれた赤ん坊は、しっかり乳を飲んで満足したようで、
キョロキョロと瞳を動かしては、喃語をしゃべっている。
「奥さん、その瓶は、何?」
「これ?これは、哺乳瓶って言うんだよ。」
「ほにゅうびん?」
「そう。うちの子が使っていたやつだけどね。」
「へええ。そんな便利な物があるんだね。」
「私は乳が出なかったから……。3人の息子は、皆貰い子だったからさ。」
言いにくそうに、奥さんはそう言った。
「へえ。そうなんだ。いい子達だから、そんな事気にしてなかったよ。
すごいね。あんなにいい息子に育て上げてさ。皆、母さんが大好きじゃないか。」
私が、思ったままを言うと、奥さんは何故か涙ぐんだ。
「え?何か、気に障ったのかい?ごめんよ。気が回らなくて……。」
奥さんは、バシッと私の腕を叩いた。
「違うよ。嬉しかったんだよ!」
そう言って、涙を拭きながら、哺乳瓶の使い方を教えてくれた。
乳を飲めるようになった赤ん坊は、目に見えて機嫌が良くなった。
夕方、日が暮れる前に、老夫婦は帰って行った。
「赤ん坊は、一人で育てるもんじゃないよ。明日は、息子の嫁が見に来るからね。」
そう言い置いて、赤ん坊のほっぺに頬ずりしてから帰って行った。
山の様にあった洗濯も、綺麗に洗われて畳まれている。
鍋の中には暖かいスープ、炊き立ての飯に、菜野菜の煮つけ。
その全てに、感謝して、手を合わせた。
次の日にやって来た、老夫婦の長男の嫁は、彼女が小さかった時に、攫われそうになっていた所を、
助けたらしかった。その後も、町で合った時に、何くれとなく、飴や菓子を貰ったとか……。
まあ、子供達に、飴玉や菓子をあげるのは、私の育った故郷では普通の事だったので、
『そこまで覚えていてもらわなくても……。』
とは思った。
彼女の手助けも大したもので、家の中が綺麗に掃除されて、
茶碗の一つ一つが輝いて見える。
『すごい!』
と心底感心した。
帰り際には、料理を作って行ってくれて、これまた有難く頂いた。
翌日は、町の八百屋の奥さんが手助けに来てくれた。
その次の日は、パン屋の女将さん。
その次の日は、ギルドのマスターの奥さん。
その次の日は、肉屋の婆さん。
という具合に、毎日入れ替わりで、誰かが手助けに来てくれる。
その度に、いついつ、助けてもらった、と告げられて、
『そんな事したっけ??』
と記憶を辿るが、覚えていない事はしょうがない。
『この町の皆は、義理堅いなあ。』
と思うばかりだった。




