元勇者も赤子の前では手も足も出ない
第2話 30ん年ぶりの子育て
赤ん坊が、目を開けた。
濃い赤茶色の瞳。ほんのり緑色が混ざっているのは母親の瞳の色だろう。
その面影は、息子のものだった。
「ははは。あの子にそっくり。」
私の頬に、また涙が伝う。
「ふや~……」
あくびともつかない初声を発しながら、もぞもぞ動いた。
じんわりとお尻の辺りがぬくもって……。
「あ、おむつ……。」
赤ん坊がオムツを濡らしたようだ。し終わったとたん、泣き始めた。
「おむつ、おむつ!」
置かれた荷物を片手で拾い上げ、慌てて家の中に駆け込んだ。
どんどん激しく泣き始める赤ん坊。焦る私。
荷物の中身は、汚れたオシメ数枚と、汚れた産着が3着。それだけ。
「ヤバい。替えが無い。」
赤ん坊の泣き声は、どんどん激しさを増していく。
寝台の真ん中に赤ん坊を置いて、寝具置き場の戸棚の扉を引き開けた。
保管してあったシーツを出して、オムツ用に引き裂いた。それで数枚の替えを作った。
とにかく、早くおむつを替えないとと、大急ぎで赤ん坊のオムツを開いた、その瞬間
ぶじゅぶじゅ・・・
嫌な音を立てて、柔らかくて黄色い便が飛び散った。
私の寝台の寝具の上に、飛沫が散る……。
私の顔にも……。
「ぬおおおおお……。」
手までも、黄色い便が乗っている。ひいいい~~~。
気を取り直して、はめてあったたオムツに、手に付いた便を塗り付け、そのままオムツを一旦閉じた。
再び泣き始めた赤ん坊をそのままにして、まずは手を洗い、顔を洗い、深呼吸。
服に付いた便は、今は見ない。(匂いが乳臭い便なので気にはならない。)
替え用のおむつをセットして、尻を拭く柔らかい布を湿らせて。また深呼吸。
「よし!いざ!」
気合を入れて、オムツを開いた。ら。
じょじょじょ~
小さいぴょこんと飛び出た所から、勢いよく水気の物が噴射されて来た。
私の顔面にちょいかかったものの、左手で、防御。
水気の勢いが止まったので、右手に持っていた拭き布で手早く処置。
清潔なおむつと交換して、封印。
一旦、赤ん坊は泣き止んだ。
『これを、毎回、これからずっと、自分にやれるか?』
しばし赤ん坊を見つめながら、自問自答。そしてフリーズ。
『他に誰がやるの?自分しかいないじゃん。』
と、諦め、思い直してため息をついた。多分、人生で最大級の溜息。
思わず、息子の古着を保管してある棚に目がいった。
息子の姿を思い返す自分が居た。助けに来る訳でもないのに。
息子が小さかった頃を思い出した。
『こんなの、毎日やってたよな。大丈夫だよ。きっと。』
息子が置いていった服は、おむつ用にして裁断。
他にも必要そうな物を、手早くかき集めた。
赤ん坊を抱く、抱き袋を、息子のズボンを利用してとりあえず作った。
「チイ坊。ばばとお出かけしようか。」
そう声を掛けて、赤ん坊を袋に入れ込んで、顔だけ出す。
下から出すもん出して、今はご機嫌の様子だ。
「次は、乳だ。」
手直にあった、保存食を幾つか綺麗めの袋に入れて、赤ん坊と一緒に家を出た。
少し行った先の近所に、山羊を数頭飼っている家があった。
そこに乳が出る山羊がいないか、聞いてみようと思ったのだ。
山羊の持ち主の爺さんは、
「やあ。蓮さん。どこで赤ん坊拾ってきたの?」
開口一番にそう言って、目を細めた。
「息子の子らしいんだ。連れて来てくれた人が居てね。」
「へええ~。そりゃまた……。で?」
「育てようと思って。乳の出る山羊を、貸してもらえないかな?」
「えっ!自分で育てるつもりかい?教会に預けちまいなよ。面倒見てくれるよ。」
「そこは……。まあ、身内のことだし、私もまだ動けるから。やれるだけ、やってみようかと……。」
「ほんとに、蓮さんの息子さんの子かい?」
「ああ、そこは、間違いないと思うんだ。似てるから。」
「へええ~。」
そう言いながら、赤ん坊の顔を覗き込んだ。
「はは。確かに、似てる気がするね。この赤毛ときかん気そうな目とか。」
この爺さんも、息子が小さい頃に可愛がってくれた人だ。
「そうか、そうか。あの子の子か~。」
そう言いながら、しみじみと赤ん坊を眺めて、ほっぺをつついた。
「いいよ。貸してあげよう。困った時はお互い様だ。良い乳を出すのがいるから、今連れてくるよ。ただ、その母山羊の子も、一緒じゃないと、貸せないがいいかい?」
「え、いいのかい?子まで。」
「特別子を可愛がる母親でさ。親子を離したらきっと乳が止まる。」
「へええ~。山羊にもそんな事があるんだ。」
「生き物は正直だからね。」
私は、せめてものお礼にと、持って来た保存食を手渡そうとしたが、爺さんは受け取らなかった。
「困ってる蓮さんから、食い物受け取ったなんて、カミさんに知れたら、ドヤされるよ~。」
帰りは、子山羊を引っ張りながら、坂道を登った。
子が心配な親が素直に着いて来ていた。
その母山羊を見ながら、あの金髪巻き毛の母親の事を思った。
『自分の子とこんなにきっぱり別れられるもんか?』
と、首を傾げた。
数日したら、迎えに来るんじゃないかと思いながら、山羊を引っ張って、道を急いだ。
ところが、あの金髪巻き毛の母親は、戻って来なかった。
次の日も、その次の日もそのまた次の日も。




