勇者を引退して田舎で畑作していたら、息子の嫁と名乗る女が幼子を置いて立ち去った。息子の子らしい。一から孫育てが始まるなんて。
もう10年以上音信不通だった息子。その息子の子だという赤子を連れて、ある朝、女がやって来た。「あの人、ダンジョンに潜ったまま、戻って来ないの。私はこの子を連れては生活出来ないから、引き取って。」そう言って、少しばかりの服だけ置いて、女は帰って行った。いい年のばあさんが、今日から、孫を背中にくくり付けて、仕事に励む事になった。
第1話 息子と同じ赤毛の赤ん坊
いつも通りの朝のはずだったのに、顔を洗いに出た庭先で、すっこ転んだ。
幸い上手く転んだので、膝をついた程度で済んだが、手に持っていた陶器のコップを落として割ってしまった。随分使い慣れた物だったのに。
「やれやれ、朝は体が強張るねえ。」
膝に付いた泥をはたいて立ち上がり、軽く屈伸する。
そのまま伸びをして、軽く武闘の型を取り入れながら、全身をほぐしていく。
関節の隅々に”気”を巡らしながら、ゆっくりと可動域を広げていく。
本来は、朝飯を食ってから行う動作を、転んだ事で気分が悪かったので、勢いで初めてしまった。
動かし始めたら、途中で”気”の巡りを止めるのが惜しくなって、いつもの手順で軽く汗をかく程、全身の筋肉を伸ばして縮めて、いつもよりも入念にほぐしてしまった。
いい感じに体がほぐれたかを、何度か跳躍して確認した。
『今日は久しぶりに棒でも振ってみるかな。』
そんな風に思える程、今日は体が軽かった。
『何で転んじまったかな??』
と、不思議に思う程に。
家の脇に湧く清水を飲み、汗をかいた体を拭いて清めた。
ここに家を構えようと決めたのは、この岩から染み出す清水の旨さだった。
こんなに旨い水を飲んだ事が無い。と感激して
『この水が毎日飲みたい。』
が為に、若い頃から貯め込んでいた持ち金金をはたいて、この土地を買ったのだ。
買った当初は、辺り一面、草に覆われた草原だった。前の持ち主は手広く畑作をしていたらしいが、見る影も無い放置状態だった。
まだ幼かった息子と共に、草を刈って堆肥を作り、鋤き込んで畑を作っていった。
薬草を育てて町に売りに行き、その足で、息子の手を引きながら軽めのダンジョンに潜っては、輝石や魔石、硝石を採取する。
時々、珍しい蟲が獲れたりして、それらを売っては、生活の足しにした。
街のギルドのオーナーは、気のいい奴で、元旦那の幼馴染だとかで(世間は狭い)良くしてくれた。
子連れの女なんか、ダンジョンパーティーに入れてもらえないので、子連れでもいけそうな仕事を優先して回してくれたのだ。
息子がある程度大きくなってからは、2人でパーティーを組んで、ダンジョンに潜るようになった。
こう見えて、私は強かったから。見た目はイマイチだったけど、剣技と武闘にかけては、そこらの男には負けなかった。
『勇者パーティー』なんて、偉そうに名乗ってる奴らになんか意地でも負けなかった。
おかげで、ランクはAになったが、それを大げさに言いふらしはしなかった。
女だてらに”ランクA”だと、それが気に入らないヤツは一定数いて、意味もなくイチャモンを付けて来るからだ。
こっちは子持ちで、四六時中、子供を見てる訳じゃない。子を盾に取られちゃやられるしかない。
実際、そういう目にも合った。
一応、女の機能は持ってるから、見た目がどうあれ、男からみれば、ヤレる。
子の首に刃物を突き付けて、私が大人しくヤラれさえしたら、子は怪我をしないで済むぞ、なんて言って、4人の男達に手足を抑え込まれた。
周囲には、野次馬も含めて、人垣を作って見物している奴らがいる。
『何人か相手する分には仕方がないか……。隙が出来るまで我慢しよう。』
そう思って、諦めかけた時。
何と、ギルドマスターが、雇の傭兵を従えて、その場に乗り込んで来た。
怒り狂ったマスター自らが、息子を取り返してくれて、周りに居た奴らを含めて、ギッタンギッタンにのしてくれたのだ。
「お前等が今後、ギルドの仕事が出来るとは思うなよ。どの街に行っても同じだ。汚い奴らの情報は、ギルドは共有するからな。」
そう言って、奴らを街から追い出したのだ。
私は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった息子を、無事に腕に抱く事が出来た。
私に抱かれて初めて、やっと泣き声をあげた息子。
この子なりに、悔しかったのだ。自分が迂闊に捕まったせいで、母親が酷い目にあいそうになったのだから。抵抗できずに押さえつけられて、服を引き裂かれる母親を見て、どんなにか心配した事だろう。
『この町に来て良かった。』
頼もしいギルドマスターが居るこの町に、私は、死ぬまで居たいと思った。
その一件以来、私にちょっかいをかけて来る輩はいなくなった。
ギルドの方でも、ランクを公表したくない者は、隠せるシステムになった。
各人のランクは、ギルドが把握していれば、仕事の斡旋に問題ないとの配慮だった。
息子の成長に合わせて、息子の身体を鍛えていった。それと並行して、潜るダンジョンの階層も変化していった。
ある日息子が
「母ちゃん。俺、明日から一人で潜るから。」
そう宣言した。そして、実際にそうし始めた。
軽い怪我をして戻る事もあったが、着実に金を稼げるようになった。
「明日から、パーティーに入れてもらって、色んな街に行く事になったから。」
息子は、またまた突然そう宣言して、実際に次の日に家から旅立った。
数年に1度は、ふらりと帰って来て、一緒に酒を飲み、飯を食って、畑を耕してのんびりと過ごした。
家を旅立った時は、まだあどけなさが残る青年だったが、戻って来る度に、逞しい男に成長していた。
「この水は、旨いなあ。」
再び旅立つ前、息子はそう言って、岩から湧き出す清水を、喉を鳴らして飲んだ。
そして
「じゃあ、また行って来るよ。」
そう言って、家を後にした。もういい年齢の男になっていた。
私の年齢から換算したら、30代。
私が息子を産んで、元旦那と別れて、勇者を辞めたのがその年代だ。
身体もあちこちガタが出始めて、ダンジョンに潜る(息子の元に帰れなくなる)のが怖くなって、本格的に潜る事を止めたのだ。そんな事を思いながら、息子の背中を見送った。
その日旅立ったきり、息子は帰って来なかった。
あれから、悠に10年は過ぎた。
そして今。
目の前には”息子の子”だという赤子を抱いた、金髪巻き毛の派手な女が立っている。
「一月前に、ダンジョンに潜ったっきり、あの人戻って来ないのよ。もう、持ち金も無くなって。
大家から家も追い出されたの。」
女は、額の汗をぬぐいながら、赤子を揺する。
「この子連れてたら、働けないの。私まだ若いから、子連れだといい出会いも望めないでしょ。」
赤子は、確かに息子と同じ赤毛だ。
「行く当てはもうあるから、この子だけ引き取ってくれれば、手切れ金はいいから。」
そう言うなり、赤子を差し出して来た。
「はい。あなたの孫。服は、これ。」
思わず、赤子を受け取ってしまう。眠っている。
女は、服が入ったボロ布の袋を、肩から降ろして、地面にポンと置いた。
その袋には見覚えがあった。私が縫って持たせていた、下着入れだ。
腰まである金髪巻き毛のその女は、重い荷物を手放せてヤレヤレとの感じで、首を回した。
豊満な胸に、くびれた腰。全体的に艶やかで色気がある。
着ている服も鮮やかな色合いで、確かに色合わせもいい。恐らくは20代に入る前か、入ってすぐか。
「お水かなんか、ちょうだい。ここまで登って来る大変だったの。喉が渇いたわ。」
「あそこに水が湧いてるから、置いてあるひしゃくで汲んで飲んで。」
女は、足早に歩んで、喉を鳴らして、その水を飲んだ。
「あら。美味しい。あの人が言ってたのは、この水ね。」
そう言いながら、ひしゃくを置いた。
「この子の名は?」
「あの人は、小さい子だからか、チイって呼んでたわ。正式に教会で命名した訳じゃないから、あなたが好きに付けて。」
「町から歩いて来たのかい?」
「まさか。この下まで、連れが馬車で連れて来てくれたのよ。今下で待ってくれてるの。」
女は、色気を漂わせながら、嬉しそうにそう言った。
「あんた、名前は?」
「もうすぐ名前も変わるから、教えても意味ないわ。私は死んだと伝えておいて。」
自分の子なのに、それでいいようだ。厄介払いが出来て清々しているように見えた。
私が引き取らなければ、その辺に捨てて行きそうだった。ここまで連れて来たのが、せめてもの親心だったのだろう。
「それじゃあ、もう二度と会う事もないでしょうけど、お元気でね。」
そう、にっこりと笑って挨拶して、背を向けた。中々に魅力的な笑顔だった。
金髪の巻き毛に、暗い色の深い緑の瞳。左側にえくぼ。いい女だ。
彼女は一度も振り向く事無く、せっせと歩いて坂道を下って行った。
腕の中の小さな赤ん坊は、スヤスヤとまだ眠っている。ふくよかとは言い難い頬。着ている服は、擦り切れていて、これを着るのはこの子で何人目なのだろうか。
それだけでも、この子の今迄の境遇が感じられた。
「お帰り。チイ坊。
……あんまり小さくなって帰って来たから、びっくりして、誕生日を聞き損ねちまったよ。」
私は、自分の息子が小さい頃『チイ坊』と呼んでいた。
息子に似た、赤毛。産着入れの袋。どうやら、この子は本当に息子の子らしい。
「お帰り。チイ坊。」
私は、赤ん坊を抱きしめた。ふいに涙が溢れた。




