9話 ユリウス・フォン・ラング・ヴァレスディア
「ふん、ふんふん、ふふふふふん♪ふんふんふんふん、ふん、ふふん♪」
早朝の木漏れ日が差し込む華美な廊下を、ご機嫌な鼻歌混じりに歩くはこの国を象徴する皇族の内の一人、クロードだ。
朝食にはまだ早い時間なのだが、普段よりも早く目が冴えてしまった彼は朝支度も程々に兄であるユリウスの部屋へ向かっていた。
なお、その部屋の主人はおそらく起きていない。
朝が非常に弱いらしく、朝食前に訪ねると大抵がまだ寝ているか、半分夢の中へ船を漕ぎながら朝支度をされていることしかない。
そのことは朝食前にユリウスの部屋を訪ねることの無い他の家族でも知っていることで、理由は単純に眠そうにしている上に不機嫌だからだ。
なので、今部屋に行っても嫌そうな顔をするのだろうが、クロードはそれしきのことで双子の兄の元へ向かうことをやめない。
寝起きが悪くとも本気で拒否されることもなければ邪険にもされないからだ。
嫌味の一つくらいは言われるが、子供のクロードはそれを悪い方向に捉えることはないので無問題である。
目的地であるユリウスの部屋前へ到着したクロードは、部屋の前で待機しているメイドに一言伝えてから中へ入る。
案の定ユリウスはまだ起きていないようで、勝手知った部屋を移動して寝室へと直行する。
寝起きが悪ければ寝相も悪いユリウスは、カーテンの隙間から侵入してくる光から自分の身を守るために、蓑代わりに布団にくるまっていた。
「ユリユリー、朝だよー」
クロードは遠慮なくカーテンを開けっぴろげさせ、自身は無慈悲に蓑を剥ぎ取りにかかる。
今日も灰色のボサボサ頭が一番に目に入るだろう。
「そぉれ!…うわぁ!?」
そう思っていたクロードだったが、布団の中から現れたのは艶のある真っ黒な頭だった。
目をギョッとさせて何故違う人がこんなところで寝ているのか驚く。
何事かと専属執事であるリヒターはクロードとベッドの間に滑り込み、メイドのメルシルも身構える。
不意の事態に緊張が走るが、お構いなしにベッドに寝ていた主は小さなあくびをしながら体を起こす。
肩にかかるくらいの長い髪が動きに合わせてさらりの波打ち、細められた瞳の隙間からは翠の宝玉の光が溢れていた。
「…クロード、おはよう。今日も早起きだね」
黒髪の子供は視界に3人を収めると、緩く笑みを作りながら呑気にも朝の挨拶をした。
注意深く観察してみれば、子供の姿はユリウスに類似する点が多くあるどころか、髪の色と雰囲気が違うだけで同じと言ってもいい。
母親のカンナを子供にしたらこのような姿なのだろうと思える感じなのだが、カンナにしては幼すぎてユリウスにしては穏やか過ぎる。
状況が飲み込めない面々は一体どうしたら良いのか数秒固まる中、不審に思った黒髪の子供は可愛らしく「どうしたの?」と尋ねてくる。
「ユリユリ…?」
「…?うん」
いち早く混乱から立ち直って本人確認をしたのはクロードだ。
何故名前を聞かれたか分からない黒髪の少年は疑問符を浮かべながらも、自分がユリウスであることを肯定する。
そんなやり取りがなされていると、中の異常を察知したカゲツが「何事にございまする!?」と部屋に入ると、またもやユリウスの姿を見て硬直した。
奇想すぎる事態に発見者達の行動こそ少し遅れたが、上の者への報告をしてからの展開は恐ろしく早かった。
最も目につく髪の変色を筆頭に今までに見たこともない柔らかな雰囲気を纏う彼は、顔のパーツが同じではあるものの誰がどう見ても一目で別人だと判別出来る代わり様だ。
カゲツ主導の聞き取りで体に異常がないことは判明したが、大事を取ってユリウスはベッドの上に安静にさせられることになった。
そこから至急医者が派遣されるとながれるように検査がなされた。
「ユリウス!!」
自室にて魔術師や医者が真剣な表情で作業をする中、扉が蹴破られたかのような音を立て開かれた。
肩を跳ね上げたユリウスがそちらを見れば、血相を変えたシルヴァが部屋に飛び込んできた。
急な皇帝の登場に一瞬緊張の空気が流れ、責任者を含めて手を止めることが可能な者達は礼を取る。
それをシルヴァは直ぐにやめさせて作業に戻るよう一言告げると、一目散にユリウスの側へ寄る。
「ユリウス!どこか痛いとか、辛いとかは…?」
「い、いえ。悪い場所なんてありません。私は元気ですよ。お父様の方こそお体は大丈夫ですか?少し顔色が悪い様ですが…」
「!?」
見たこともないような必死の剣幕に少したじろぐユリウスだったが、控えめながら自分の健康が良好なことを主張する。
しかし、変わった髪色に様変わりした態度を実際に確認したことで、シルヴァは驚愕の表情を浮かべる。
普段、ユリウスはシルヴァのことを心配することなど無いし、シルヴァがどんな態度を取ろうとも適当な反応しか示さないどころか、そもそもの扱いが誰よりもよりも雑である。
性格も草臥れてるとは言わないが、無気力で他者にあまり関心を持たない感情の起伏が少ない子供だ。
それが今は音に驚いたり困惑したり、果ては父親の心配までする始末で、あまりにもユリウスとは思えない感情豊かな仕草をする。
「頭か!?頭なんだな!?あぁ、髪もこんなに黒くなって…!」
一目見てわかる変化である黒髪を掬い上げるシルヴァは俯いて震える。
溺愛する子息の原因不明な変化に心を痛めているのだろうと、周囲の者達は心中を察することも難しいと自分達の不甲斐なさも合わさり顔を伏せることしかできない。
シルヴァは絞り出すように「こんな…こんな…」と呟く。
変わり果てた息子に言いようのない感情が渦巻いているのだろう。
力になれぬ無能であることを謝罪しようと全員がひれ伏し、一団の代表的立ち位置である医者が口を開こうとすると…
「可愛くなって…!似合っているじゃないか!!」
単に悶えていただけだった。
思いがけない一言に誰もが何と発言したのかと理解するまでに数秒の時を有する。
その間に1人の人間がカツカツと足音を立てて前に出る。
「陛下、状況を考えてください」
「ん?あぁ、ミカエラ!見てくれ、ユリウスの髪が…」
「状況を考えてください」
「…はい」
シルヴァのトンチキ発言と重なって部屋へとやって来たミカエラは、場違いにも顔を上気させる夫に向かって底冷えする声と目線を浴びせる。
声が荒げられなくとも、叱られていることを自覚するとシルヴァは短く返事する。
そして、何となくそこを退くように言われている気がしたのでそそくさと場所を譲ることにした。
賢帝の名に恥じない懸命な判断である。
「ユリウスの容体は?」
「…は、はい!今現在所判明している身体の異常は頭髪のみとなっております。次に精神の部分になるのですが…こちらはかなり深刻で別人の様にお心変わりされています…」
ミカエラが短くユリウスの主治医をしている男に尋ねれば、一拍の間を置いたものの澱みなく現状の説明がなされる。
それを聞いてミカエラは少し考え込むと、次に直立不動で横に立っている男に視線を移した。
ユリウスの方へ視線が流れていたシルヴァはそれを目ざとく察すると再び姿勢を正す。
「陛下」
「はい!」
「おかしな点はありましたか?」
「え?特に無いかな。いつも通り可愛いユリウスだよ。いや、今日は一味違ったな。見てくれ、この夜空の如き髪を…!」
「なるほど…」
「それにこのあどけない顔!いつものツンツンしてるユリウスも良いけど、今日みたいな素直なユリウスも…!」
「静かになさってください」
「…はい」
聞かれたこと以外にも無駄話を始めるシルヴァだったが、考え込んでいたミカエラは邪魔だと切り捨てる。
どちらが上の立場か分かったものではないが、場を弁えて言っているので問題では無い。
無いのだが我らが陛下の威厳は間違いなく下がっている。
ミカエラは冷たい瞳を元へ戻すと、最後に居心地悪そうにモジモジとするユリウスへ向く。
「ユリウス」
「はい、ミカエラお母様…」
名前を呼ばれたユリウスは義理の母の機嫌があまり良く無いと思い、おっかなびっくりとしながら返事をする。
普段の太々しい態度に慣れきっているミカエラは、そんなユリウスの様子にやりにくさを覚えると出来る限り表情を緩める。
と言っても少し眉が下がったくらいなので傍目から見ればあまり変わっていないのだが、幸いにもユリウスには効果があったらしく肩の力が抜ける。
「どこかおかしな所は?」
「無いです。この通り元気で…おっとと」
今日何度目かも分からないほどに聞かれた質問に、ユリウスは身をもって証明しようとベッドの上に立とうとする。
しかし、勢いよく立ち上がったせいで前のめりに体を崩しそうになるが、どうにか持ち堪える。
それを見ていた周りの者達は慌てて駆け寄ろうと前傾になるが、立て直したことに安堵の息を吐く。
ミカエラも突然のことに腰を浮かしかけたが、問題が無さそうだと瞬時に判断して身じろぎをする程度に留まった。
「みててください!」
周囲の心配などお構いなしに、ユリウスは地面に降り立つとその場で可愛らしくもぴょんぴょんと跳ねる。
「この通り、元気です」
健康の証明をしてみせたユリウスは柔らかくニッコリと笑顔を見せる。
見事、その笑顔に撃ち抜かれた成人男性1名が変な声を上げ、それほどでは無いにしても周りの何人かが目を奪われる。
衝撃を受けたのはミカエラも例外では無く、人を魅了するような笑顔に一瞬固まる。
将来はさぞ人を惑わす美少年に成長するだろうと、半ば確信できる魅力だ。
その後、シルヴァとミカエラはその場に集まった医者達と少し話をすると、取り敢えずは様子見と言う結論を出すことにしたのだった。
翌日。
前日のことなど無かったかのように健康な家族が集う朝食の場へ、眠たげに目をしょぼませながら姿を現したユリウス。
太々しい態度がオーラとなって纏わりつくその出立はまさにいつも通りだ。
髪の色も艶のある綺麗な黒髪から灰を被ったような髪へ戻ってしまっている。
「ユリウス」
「はい?」
思わず挨拶もせずに名前を呼んでしまったミカエラに、ユリウスは平坦な声で応じる。
「調子はどうなの?」
「?特には。いつも通りまだ寝てたいですね」
「…」
「?」
いつもはしない質問にユリウスは疑問符を浮かべながらも端的に答え、その後に思っていることを素直に口にする。
だらしがないやその様な態度を取るんじゃ無いなどとお小言を身構えるユリウスだったが、一向にそれらしい言葉は飛んでこない。
一方のミカエラだが、昨日と今日で人が変わったかのように態度の違う義理の息子に戸惑っていてそれどころではなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
面白いとおもったらブクマと評価のほどをよろしくお願いします。
モチベーションの維持になりますので何卒。
一作品目の『社会不適合者の英雄譚』の方もよろしければ読んで頂ければ幸いです。