王子様から熱烈な求婚を食らった平民の末路
危うくDエンド。
ダンスホールの中央で、二人の男女が注目を浴びている。
一人は平民。もう一人は王子様。
そして王子様は、あろうことか平民の前で跪いた。その瞳は、本物の熱意で燃えていた。
「あの日からずっと、君に恋い焦がれていた。身分差があることは分かっている。それ以上の壁が、自分たちの間にあることも。だが絶対に、君を幸せにする。君を守り抜く。だから――」
王子様が開けた小箱の中で、見るからに高価な婚約指輪が輝いている。
「結婚を前提に、交際させてくれないだろうか」
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働く平民の朝は、等しく早い。貴族と比べて時間あたりの収入が少ない分、長く働いてカバーするしか無いからだ。
学園を卒業後、ポーションショップに勤め始めて早一ヶ月半が経ち、私にもそんな社会構造が自然と見えてくるようになった。
「最近、王子様からのお呼び出しが来ないわねー」
母が何気なく口にしたことは、私も少し感じてた部分でもあった。王子様とは、ボリエ第二王子殿下のことである。
「来ない方がいいよ。忙しくなるだけだし」
「そんなこと言って。お友達に会えなくて、本当はさみしいのでしょ?」
「そんなんじゃないったら」
殿下との付き合いは長い。入学初日から殴り合いの大喧嘩から始まり、怪しげな薬の鑑別、様々な事件の犯人探し、または有るかどうかもわからない物探しを経て、遂に先月は国際政治に巻き込まれるに至った。
殿下からの呼び出しが来ないのは、その先月の事件が収束していないからだろう。あの時、私が殿下の身代わりになって毒肉をかじってなかったら、今頃どうなっていたのやら。
…まあいいや、考えても仕方ない。依頼報酬は貰えたのだから、それでいいじゃないか。政治が絡む以上、私に出来ることはあまり無い。今はとにかく調合作業の続きを進めよう。夕方に備えて、在庫補充しなくては。
「失礼します」
ガシャガシャと、聞き慣れた鎧の音がしたのは、まさに調合作業を再開してまもなくだった。
「あら、兵隊さん。こんにちは」
「こんにちは、マダム」
…噂をすれば影がさすってやつか。身の丈に合わないことを考えるから、こんなことになる。
「あの、登城要請でしたら、先月の幻覚剤が抜けきってないことに出来ませんか。兵長さんの後ろに御夫婦の幻影が見えるので、今日はお休みさせてください」
「おい、本人を目の前にしてサボりの理由に使うな。不敬が極まっているぞ」
「ごきげんよう、クリスさん。きれいなお店ね」
……ん?
「………んんんんんん!?」
何故御二人がここに!?なんで!?ここお城じゃありませんが!?
「あらあら、どうもこんにちは。私、クリスの母です。いつもクリスが大変お世話になっております」
お、お母さん!?王族を前にして、自然体が過ぎませんか!?
「貴方がクリス嬢の母君ですか。いえ、御礼を申し上げるのは私の方です。貴方の御息女には助けられてばかりなので」
「これ全部、クリスさんとお母様のお二人で調合したものなのですか?ここの薬は効きが良いと、兵達が喜んでおりました」
「まあ、お二人共お若いのに、とてもお上手ね。今、お茶をお出ししますわね?」
「待って待って待ってください!!!」
こ、こ、こ、このド天然三人衆め!!ほら見ろ、見るからに王族な二人が庶民派ポーションショップ前なんかに立つから、何事かと店の前に人が集まりだしたじゃないか!?このままでは悪目立ちしてしまう!!ていうか、もうしている!!
「外!外すごいことになってますから!!とにかく早く奥に入ってください!お母さん、今日は臨時休業!!店閉めて早く!!」
「はーい♪いま、お茶とお茶菓子持って行くわね♪」
のんびりした口調の母だったが、その動きに一切の無駄はなかった。店前の群衆に何か一言告げてから一礼すると、手早く臨時休業の札を下げて、戸を締めてくれた。兵長さんは、店の外で警備することを選んだらしく、店の中に姿はなかった。
「え、閉店作業早い…まあ!もうお茶の用意が始まってますわ!」
「あれは相当出来るな。専属のメイドとして雇えないだろうか」
とぼけたことを言う御夫婦を、客間兼食事スペースに押し込んだ私は、二人を椅子に座らせて、私は木箱の上に座った。父は亡くなっているので、今ある椅子はその二つだけである。
「…で、どういうつもりです?王族が平民の店に突撃してきたら、騒ぎになるのは分かりきってたでしょうに」
「なんで俺を見て言うんだよ」
どうせ殿下の思いつきだろうと思ったのだが、当の本人は苦笑していた。
「俺じゃなくて、アベラールがどうしても、こっちから出向きたいと言いだしたんだ。いつも城に呼び付けるのは申し訳ないってな」
「え、奥様の方が?」
「ご迷惑をおかけして、ごめんなさい。ここまでの騒ぎになるなんて…でも私、一度はお友達の家に訪問してみたかったの。それにクリスさんが、薬師として働いてる所を見てみたくて」
一度はって、そんな大袈裟な。友達の家なんて、公爵令嬢ならいくらでも行く機会はあったろうに。お茶会とかよくやってたじゃないか。
…いや、もしかしたらアベラール様にも、対等な友達と言える相手は、実はいなかったのかもな。公爵家と言えば、貴族の頂点だ。並び立つ家は限られているし、ましてやその中で同年代の少年少女がいるとは限らない。
上下関係と利害が常に絡む中、対等な存在に飢えてたという点で、この御夫婦は似ているのかもしれない。色々と対照的ではあるんだけど。
私は不敬にも抱きつつあった同情心を、ため息と共に掻き消し、それでも言うべきことは言うことにした。
「せめて次からはアポ取って、平民服に着替えてきてください。周りが混乱しますから」
「わかりましたわ…。……え、次?また来ても良いのですか!?」
「私もお呼ばれされてるので、おあいこです。こっちは安い茶か、ジュース代わりの甘いポーションくらいしか出せませんけどね」
やったあ!と小さく喜ぶアベラール様が、ひたすらラブリーだった。癒されるわー…アベラール様だったら、ここに通っても許せそう。
そこに母がお茶とお茶菓子を運んできた。ちゃっかり甘いポーションも添えられている。もしもこのタイミングを図ってたのだとしたら、母へは尊敬を超えて畏怖すら覚える。
「それで殿下、今日はやけに静かですが、何か私に用があったのでは?」
私は自分の気持ちを努めて戻し、殿下に向き直った。って、おいどうした。そんな硬い笑顔貼り付けてるの、見たことないぞ。
「…平民にとっては夢のような話を持ってきた。恐らく100人中100人が、神に感謝するだろう吉報を」
「本当ですか?なんか胡散臭い話に聞こえますが」
それも話に乗れば金だけ騙し取られて終わる、投資詐欺に類するものに聞こえる。
「残念ながら本当だ。だがお前にとっては凶報かもしれん」
これを読んでみろ。そう言って差し出してきた封書には、見覚えのある翡翠色の封蝋がされていた。
「例の隣国の親書ですか。でもこれ、未開封ですよね。どうして凶報だとわか…る…?」
なんか、前に見たものより、やたら分厚いような?
「中は全部、お前宛だ」
「…は?これ全部ですか?」
私宛に、親書?誰が?向こうの王家からだよね?全然意味がわからないんだけど…。
なんだか怖くなってきた私は、若干震える手で封蝋を切り、その中身を確認した。
そこに入っていたのは、手紙と呼ぶには些か分厚い、紙の束だった。貴族でも滅多に使わないような、上質な紙で書かれた手紙が………多いな!?何枚あるんだ、これ!?
恐る恐る差出人名を確認すると、そこには達筆すぎて読み難かったが、ディオン第三王子の名が書かれていた。
うわー…あの仏頂面で、顔が近かった御仁か…。そういえば手紙書くって、言ってたな。忘れたくて、つい忘れてたよ。
「先日、また隣国と対談した際に、お前に渡すよう頼まれた。手紙を送りたかったが、住所がわからなかったらしい」
「なんで受け取っちゃったんですか!?こんなの手に取った時点で、異常とわかるでしょう!?」
「断れないんだ。諸外国からの親書は、中身が何であれ、お互いに拒否できんのが国際上の取り決めになっている。信用協定の一種だが、当時取り決めをした者達も、まさか王子が平民に宛てて親書を書くなんて、誰も想定していなかっただろうさ」
激しい頭痛と痛む心臓に鞭打って、一枚目から読み進めていく。……のだが、まるで内容が頭に入ってこない。読むのを心が拒否してるのもあるが、それに加えて――。
「あの…内容が難解で、読んでもよくわかりません。殿下とアベラール様も、一緒に読んで頂いてよろしいですか?」
私は達筆かつ、秀逸な言い回しに富んだ手紙を、お二人にも見えるように向けた。
「お前が良いなら構わんが……うおっ!?こ、これは……!?」
「まあ……なんという……!」
その手紙の中身は、殿下とアベラール様ですら圧倒されるほど、難解かつ濃厚な内容だった。一体どれほどの語彙力と表現力、そして創造力があればこんな作品を作れるのだろうか。感受性豊かな乙女であれば、途中から感動の涙が止まらないだろう。
「…ぐすっ…この方はなんて奥ゆかしく、温かな優しさを湛えているのでしょう。まるで月明かりに照らされた海の煌めきを、その身にすべて宿して人々の闇を払うような、深い慈悲と寛大さを感じさせますわ…!嗚呼、この方々の恋は実るのかしら…!残酷な運命に負けないでいただきたいわ…!」
泣くな奥様。泣きたいのは私の方だ。ていうか勝手に私達の勝利を祈らないでください。
「手紙の影響を受け過ぎだ、アベラール。その登場人物が目の前にいるんだぞ。だが、これはまたなんというか…見事な恋文だな」
「恋文と言うより恋愛小説ですね…」
そう、その中身は、私に宛てた恋文そのものだった。
要約すると、先月の夕食会で、身を挺して殿下を守ろうとした時の、胆の強さと目の力強さに惚れた。薬に負けまいと、躊躇なく自らの体にナイフを突き立てた意志の強さに惚れた。朦朧としながらも医者顔負けの応急処置を目の前で済ませ、薬の鑑別をその場で行う知識の豊富さに惚れた。君に会いたい。君のことばかりが頭に浮かぶ。君の国に生まれたかった云々カンヌン云々カンヌン云々カンヌン……。
そういったことが上品かつ感動的で、運命のいたずら的なものすら感じさせる素晴らしい文章で、送られてきたのだ。出会い自体は一時間程度のものでしかなかったのに、よくここまで膨らませたものである。
「お前、先月の夕食会が初対面のはずだよな?何かした覚えはあるか」
「いえ、まったく。言葉を交わしたのでさえ、夕食会で吐いてからです」
「ああ、介抱されてた時だな」
…そこだけ切り取ると、酒で大失敗した酔っぱらいにしか聞こえないな。
「殿下も横で聞いてたと思いますが、事務的なやり取りだったと思います」
「だよな。じゃあ、一目惚れというやつか。平民と知りつつ求愛するとは、変わった人だ」
変人という意味では、貴方も人のことを言えませんよ。…とは、流石に言わないでおこう。変人の配偶者も横にいることだし。
頭を抱える殿下の横で、アベラール様はハンカチを片手に、手紙を最初から読み直していた。そんなにお気に召しましたなら、お持ち帰りしますか?
「それにどうやら、また夕食を共にしたいようだな」
「向こうがそうおっしゃっていたのですか?」
「いや、手紙の34ページ辺りに書いてあったろ」
34ページ目?そんな記述あったっけ…?
「"月と星々が最も輝く夜に、共に盃を交わそう。涙が盃を満たすより、歓びの酒で満たされることを願いながら"ってところだ。要するに次の満月の夜に、夕食を共にしたいってことだよ。ちょうど10日後だな。歓びの酒で満たしたいらしいから、複数人での参加も良いらしい。ついでに言うと、毒や謀略も無いことを約束してるな、涙が盃を満たさないらしいから」
暗号解析かよ。わかるかそんなもん!
「会場は"君の頭上で輝く星を眺めながら"だから、向こうからやって来るようだな。どうする?一応、断ることも出来るが」
「そうしてください!」
最初からそれ以外にないでしょ!
「その場合は、この恋文に対して失礼のないレベルで、断りの手紙を送る必要がある。書けるか?」
……え、このレベルの手紙を返さないと駄目なの?次の満月の夜までに!?
「あの、代筆は認められますか…?」
「別に構わんが、このレベルだとプロに頼むしか無い。流石に金は掛かるし、俺も立て替えられないぞ」
「…………大変非常に遺憾の極みですが、お受けいたします。私は平民の薬師であって、小説家ではありません」
「その方が無難なのも確かだな。前回のことがあるから、諸々の費用や食事代などは、向こうがもってくれる。会場も俺が押さえてやろう。で、随伴者はどうする?」
「え…殿下とアベラール様は、今回同行できないのですか?」
相手が王子なら、二人が一番心強いんだけど。
「ぐすんっ…同行したいのは山々なのですけど、平民が主賓の夕食会に、我が国の王族がゲストで参加しては、どちらが主役かわからなくなりますわ」
「それに間違っても政治の話にはならん。平民相手に政治を語るほど、向こうの王族も立場知らずではあるまい」
となると、二人の次に信用できて、随伴しても失礼じゃなさそうな人か。そんな人いるかな――。
「……あ」
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夕食会当日。私は前回とは異なり、煌びやかなドレスを身に纏っていた。先月の報酬金を使って用意したので、このドレスは正真正銘、私のものである。普段使う予定も無いので、貸出品だが。
会場はダンスホールを使うことになった。私と随伴者、そしてディオン第三王子の周辺にもテーブルと椅子を用意し、他貴族や護衛で埋め尽くす作戦だ。夜景と内装も相まって、さながら超高級レストランのようである。
私はここまでしなくて良いと言ったのだが、そこはうちの殿下が譲らなかった。曰く『お前だけでなく、ディオン第三王子の身を護るためでもある』とのこと。
「お、お待たせしました、クリス様」
さて今回の随伴者である青年が、タキシードを身に纏い、緊張の面持ちでやってきた。
「お忙しい中すみません、兵長さん。今日はよろしくお願いします」
私が随伴を頼んだのは、兵長さんだった。卒業式の日から何かとお世話になってて、騎士爵なので身分的にも平民に近く、何よりも誠実で信用できる。
「そのドレス、よくお似合いですよ、クリス様。とても綺麗です」
「ありがとうございます。兵長さんこそ…」
そういえば、兵長さんが鎧を着てない姿は初めて見るな。それに思ったよりも、様になってるというか、普通にかっこいい。私の方はドレスに着られている感が拭えないが、兵長さんは仕事柄スタイルもいいので、タキシードだと脚が長く見えた。
「あの…やはり自分には、似合ってませんでしょうか」
「いえ、むしろとてもよくお似合いで、素敵ですよ。鎧を脱ぐと貴族のようだと、言われたりしませんか?」
「茶化さないでくださいよ!さ、さあ中に入りましょう!」
茶化したつもりはないんだけどな。折角良いものを備えているのだから、もっと自分に自信を持っていいのに。
そして私達が着席してから数分後、遂にその時がやってきた。
「待たせただろうか、クリス殿」
ディオン第三王子、その人のご登場である。以前夕食会で見た時よりも、遥かに気合の入った出で立ちだった。髪も整えられており、為政者としての責任感と迫力を備えた姿は、先月とはまるで別人である。
「いえ、時間通りです、ディオン殿下」
「そうか。早速君の横にいる青年を、紹介してもらえないだろうか」
ディオン第三王子から目を向けられた兵長さんは、緊張の面持ちのまま、しかし頭を下げなかった。不敬に当たりかねない行為だが、私を守ることも使命の一つであるため、僅かでも隙を晒したくないのだろうか。
本当に、愚直なほど職務に忠実な人なのだな。頼もしい限りだ。
「この城の、兵長さんです。卒業式の日からずっと、護衛などでお世話になっています」
「お初にお目にかかります、ディオン第三王子殿下。私は第二陸戦兵団所属、副小隊長のバルトと申します。今晩は護衛として横につくだけですので、私のことは気にせずにご歓談ください。どうぞ、よろしくお願い致します」
「なるほど、護衛か。よろしく、バルト殿」
挨拶もそこそこに、二人と一人の食事会が始まった。優雅な演奏も開始され、これこそ披露宴だと説明されても納得できそうである。
…が。
「…………」
しゃ……しゃべらねえええ!?ディオン殿下、無口過ぎんか!?本当にあの手紙を書いた本人なのか!?
…そ、そういえば先月お会いしたときも、必要最低限のことしか発言してなかった気がする。あの時は事務的なやり取りだったと思っていたが、もしかして普段と比べれば、あれでも遥かに饒舌だったのではないか?
「…ディオン殿下のお召し物、とてもお似合いです」
「ありがとう。君もな」
「あはは…ありがとうございます」
「………」
「…っ」
会話が続かねええええ!?これ大丈夫か!?別に私が頑張る必要も無いんだが、ここまでくると事故なんじゃないか!?あとで国際問題にならんか!?
なんとなく兵長さんの方を見たけど…首を横に振られてしまった。た、確かに随伴者が主賓よりも喋るわけにもいかないよね…。すみません、自分で考えます…。
「すまない」
そんなふうに頭の中がグルグルしていた私は、目の前の王子様が頭を下げていることにさえ、すぐには気付けなかった。
「え…」
「俺から誘っておきながら、このザマだ。見ての通り、俺は人と話すのが苦手でな。兄達ともあまり長くは話せない。先月の夕食会でも、そうだった」
ディオン第三王子の独白は、どこか懺悔のようにさえ聞こえた。
「だがどうしてか、君とは話してみたくなったんだ。君は俺と似てる気がすると、あの日見た時に感じたからかもしれない」
「ああ…あの日も黙々と食事だけしてましたしね…」
「いや、似てるのは、目だ」
彼は自分の目を指差した。よく見ると彼の目はオッドアイになっていて、右目が黒く、左目が青かった。
「一人を好み、多くを望まない者の目をしていた。手が届かないものを手にしようとするより、手が届く範囲のものを、大事にしようとする者の目。だから君も俺と同じで、他人に関心を持てない人だと思っていた」
確かにそういう一面はあるかもしれない。入学した日も、殿下と喧嘩をしていなければ、私は誰とも交流せずに学園を終えていただろうから。
「だがやはり、君は俺とは違ったな。君は友のためなら、咄嗟に命を張れる人だった。自分よりも友を優先出来る、高潔な精神の持ち主だった。それは、俺には無いものだ」
「それは買い被り過ぎです、ディオン殿下。あれは勝手に体が動いただけです。殿下がおっしゃるような、立派な信念や考えがあった訳じゃありません。私はただ、目の前の違和感が気になって、現状を放っておけなかっただけの、小人です」
「ならば、俺は君よりもさらに小さい」
ディオン第三王子は、私よりも二回りは大きな体躯をしている。にも関わらず、この時はどこか幼く見えた。
「俺は現状を変えようとしてこなかった。嫌われても仕方ない性格だと思っていたし、それで困ったこともなかったから。きっとそのせいで、今の俺の周りには誰もいないのだろう。だから今、こうして君に長く語りかけているのは、自分でも驚くほどの変化なのだ」
…この人は、もしかしたらボリエ殿下に出会わなかった私なのかもしれない。趣味のポーション調合だけが楽しくて、誰にも心を開いてなかった頃の私に、とても通ずる部分がある。
「ですが変化とおっしゃるのでしたら、先月の夕食会で私を介抱してくださったことは、殿下にとって一番大きな変化だったのではないでしょうか。どうしてあの日、真っ先に私を助けようとしてくれたのですか?」
私の疑問は、ディオン殿下にとっても重要なものだったらしい。すぐには答えず、ワインで口元を湿らせてから、ゆっくりと語りだした。
そしてそれは、あの謎多き夕食会の核心、その一部分だった。
「俺はあの時、場に違和感を覚えていた。次兄も長兄も、普段はあそこまで人を褒め、持ち上げる人ではない。明らかにいつもの違う、異様な会食だった。だが何よりも俺が気になったのは、ヒューズ第一王子だった」
「ヒューズ殿下が、ですか?」
「君達からは見えなかったかもしれない。ボリエ殿下が、あの肉を口にしようとした時、彼は――」
――嗤っていた。
「…ッ!?」
「ほんの一瞬だったが、無視できない笑みだった。その疑問を問い質そうにも、動揺して言葉が出なかった。まごまごしてる内に、ヒューズ第一王子の顔が見えなかったはずの、君が先に動いていた。俺はそんな君を尊敬したし、君達が帰国してからは、君のことばかり考えるようになっていた」
とある可能性が、私の中で結びつきそうになっていた。そんな、まさか。いや、しかし。
混乱する頭の中、ほんの少し残された冷静な部分が警鐘を鳴らしていた。もし私の仮説が、想像が正しかったら。
お二人のご結婚を、他国へ報せたのは――。
「クリス殿。無理を承知で、お願いしたいことがある。戯言と聞き流してくれて良い。迷惑なのもわかっている。ただ、俺自身のけじめのために、必要なんだ。この気持ちを整理させてほしいんだ」
はっとして声の方向を見ると、なんとディオン殿下が、私の前で跪いていた。王子様を見下ろしていることへの衝撃で、先程まで自分が何を考えていたのかさえ、一瞬忘れてしまうほどだった。
「あの日からずっと、君に恋い焦がれていた。身分差があることは分かっている。それ以上の壁が、自分たちの間にあることも。だが絶対に、君を幸せにする。君を守り抜く。だから――」
ディオン殿下が開けた小箱の中には、翡翠色に輝く石を抱く、婚約指輪が入っていた。
「結婚を前提に、交際させてくれないだろうか」
いきなり…婚約!?王族の結婚観は、平民のそれとは大きく異なるのだろうか。それとも、本当に好きになった相手には、すぐに求婚したくなるものなのか。
あるいはディオン王子自身、初めから叶わぬ恋慕だと、分かりきっているのか。
ますます混乱する私だったが、それでも胸がうずいた。
出会って間もない人ではあるが、初めて男性に告白された。婚約したいとまで言ってくれる人に、初めて出会えた。それを告白する勇気を、自分に向けてくれたことに、無視できない歓びがあった。
……でも。
「…………ごめんなさい。それは、受け取れません」
無理だ。…無理なのだ。彼は隣国の王子で、私は平民。無理に婚約すれば、私達はきっと多くのものを失うことになる。家も、家族も、国も……数少ない友達も。
そんな事が出来るほど、私達が背負ってるものは、小さくないはずなのだ。
「……そうだよな。ありがとう、これで整理がついたよ。今日のことは…忘れてくれ」
だけど結婚できないからといって、全てを諦める必要なんてないじゃないか。結婚だけが、男女を結ぶ絆ではないんだ。
それを私は、あの人から教わった。今度は、私がこの人に教える番じゃないのか。
「……待ってください、ディオン殿下。ご結婚は望むべくもありませんが、こうしてお話できたのも何かのご縁です。殿下がよろしければ、私と、お友達になりませんか?」
「クリス殿…?しかし、俺なんかと友になっても…」
私はディオン様と目線を合わせる為、自分も床に膝をついた。友だちになる人を、見下ろしてちゃいけないと思ったから。
「私達、きっと似た者同士です。人付き合いが苦手で、友達が少なくて、自分に自信がなくて。でもディオン様にだって、私には無いものをお持ちです。ディオン様は、あんな素敵なお手紙を書く、素晴らしい文才があるじゃないですか!」
「…!」
「それに、私を介抱してくれた時のディオン様は、あの場にいた誰よりも格好良かったですよ!もっとご自身に、自信をお持ちになってください」
私はディオン殿下に握手を求め、手を伸ばした。
「まずは、文通から始めてみませんか?私も、下手なりに返事を書きますから。それならお互いに時間が無くても続けられますし、お返事だって急がずに待てます。きっと楽しいはずですよ」
「…本当にいいのか?俺なんかのために、時間を使ってくれるというのか?」
「違います、ディオン殿下のためじゃありません。私がディオン殿下と、お友達になってみたいのです。私では不釣り合いかもしれませんが、よろしくお願いします」
私は、きっと今、間違いを犯している。
ボリエ殿下を陥れようとした国の王子様と、友達になんてなるべきじゃない。あのまま疎遠になったほうが、お互いにとって良いに決まっている。
いつか、後悔する日が来るかも知れない。
…それでも私は、間違えてみようと思う。
「…あ、でも、次の手紙は短めにしてくださいね?お返事書く時、大変なので」
「…ふっ」
私は……友達を持つことの、楽しさを知ってしまったのだから。
相手が王子だろうと、公爵令嬢だろうと、異国の人だろうと関係ない。友達になれそうな人とは、被害を無視して繋がりたい。
たとえそれが、舞い込む厄介事を増やす結果になろうとも。
「…ありがとう、クリス殿。こちらこそ、よろしく頼む。また君に手紙を書くよ。これからは、一人の友として」
そう言って、大きな手で握手を交わしてくれたディオン殿下は、初めて私に笑顔を見せてくれた。
それはこれまで見せた中で、一番きれいで、素敵なお顔だった。
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「まさかお前に人誑しの一面があったとはな」
私から報告を受けた殿下は、猛烈に不機嫌そうだった。そりゃ、敵国一歩手前の王子様と、お友達になりました…なんて言われりゃな。
「以前、『王子様は恋愛対象外です!きりりっ!』とか言っておきながら、すぐこれだ。油断も隙もあったもんじゃない」
その通り過ぎて、何も言い返せない…。
「勝手して、すみませんでした…」
「……はあ。いや、いい。むしろよく頑張ったよ。個人間の付き合いとはいえ、ディオン第三王子と利害関係無しの関係を結べたのは、我が国の快挙と言っても良い。お前が負担でなければ、文通とやらを続けてくれ」
「それはもう、楽しく続けさせて頂きます。私は友達を蔑ろにはしませんから」
呆れ顔の殿下に対して、アベラール様は逆に目をキラキラしていた。
「じゃあ、これからは定期的に、ディオン殿下のお手紙を読めますのね!?」
「え!?ま、まあ、文通の内容が分からない時は、解読お願いするかと…」
ちなみにお手紙の中身が難しくて、読了に際し殿下達に協力してもらってる点は、正直に釈明した上で許可を頂いた。むしろ、これをきっかけにご夫妻と違う接点を持ちたいとも。どっかの誰かさんと違って、非常に器の大きな王子様である。
「そんなこと言わずに、手紙が来たら絶対に、私にも読ませてくださいね!次回作を楽しみにしてるんですから!」
「次回作ってそんな、連載小説じゃないんですから…。そうだ、ところで殿下、ひとつ気になることが」
私はご夫妻に、ディオン殿下が言っていた、ヒューズ殿下の嘲笑について報告した。
「…そうか」
「ボリエ様、やっぱりこれは…」
まあ、そう考えざるを得ないだろう。
「状況証拠だけでは動けない。だが、もう間違いあるまい。俺とアベラールの結婚、その情報を漏らしたのは…」
……兄上だ。そう呟く殿下の顔は、痛恨を極めていた。アベラール様も、なんと声を掛けていいかわからず、俯いている。
王位継承を競う相手とはいえ、子供の頃から慕っていた肉親が、自分の敵であった時の気持ちなど、私には推し量れない。そんなもの、平民に想像しろと言うほうが無理だ。
ならば殿下の友として、平民の私にできることがあるとするならば、一つだけだ。
「ああ、良かった。これで方針が明確になりましたね」
「何?どういう意味だ?」
「ずばり殿下は、ヒューズ殿下よりも大きな、友達の輪を作れば良いんです!友達を作って作って作りまくって、ヒューズ殿下をぼっちにしましょう!!」
「はあ!?」
私は問題を、極端なまでに単純化することにした。元々うちの殿下は、計算高いが思慮深くは無い!物事を難しく考えるほど暗くなる、面倒くさいやつだ!
ならば極端なほど明るい未来を見せた方が、今の殿下にはちょうどよかろう!
私は一つ咳払いをしてから、改めて作戦を説明した。
「ヒューズ殿下の狙いは明らかです。すなわち、諸外国でボリエ殿下の有能ぶりを露骨にアピールしつつ、逆に国内へは自分の方が有能であるように振る舞う。そうすることで外敵をボリエ殿下に向けつつ、国内の支持を集めて王位継承争いを優位に進める…というものです」
「そりゃそうだろ。だから俺は――」
「待って、ボリス様。…クリスさん、続けて頂戴」
「アベラール…?」
奥様は、私の真意に気付いたようだ。奥様に先を越されるなんて、まだまだだね、殿下。
「なら我々は、ヒューズ殿下の動きを逆用すればいいのです。彼がボリエ殿下を良い風に宣伝してくれるなら、むしろ好都合!いっそのことボリエ殿下が国王になることを、既定路線にしてしまえばいい。周辺国に向けて、我が国にボリエありと知らしめ、ヒューズ殿下を空気にするのです」
「何!?俺やアベラールへの暗殺やスパイを、積極的に受け入れろと言うのか!?」
「そこです!暗殺者を仕向けてるのは誰ですか!?敵ですか!?友達ですか!?」
「そりゃ当然敵……って、お前、まさか…!?」
「そう!友達ならば、暗殺者を向けたりなんてしません!ボリエ殿下やディオン殿下が、私を暗殺しないように!故に作戦は実にシンプル!ヒューズ殿下の小賢しい企みなんて踏み倒して、周りの国の王族や貴族達と友達になればいいのです!」
私は如何にも自分が正しいと、確信してるかのように振る舞った。勢いのまま言い切ったが、現実はここまで甘くない。学園の中でさえ、派閥は存在したのだ。こんな簡単な方法で解決するなら、政治なんてものは存在しない。
でも私は、これで良いんだ。わかりもしない政治論議へ無理に参加するより、わからない者なりに真っ直ぐに、正しいと思ったことを口にする方が、ずっと二人に貢献できると思うから。
「友達作りのことなら、私にお任せを!既に王子二人に王子妃一人と、友達になった実績がありますから、お二人にアドバイス出来ますよ!!」
「ぷっ!?ふっはははは!!なるほどな、そりゃいいな!!ははははは!!」
私の話と、切られた啖呵を見た殿下は、腹を抱えて大笑いしていた。奥様の顔は背けられてて見えないが、ぷるぷると肩が震えていた。
「はあー……まあ、物事そう上手くはいかんだろうが、それくらいの気持ちでいた方がいいのかもな。確かに俺達は難しく考えすぎていた。敵が身内にいるなら、もっと多くの味方を作ればいいだけのことだ」
ニヤニヤ笑いのままの殿下の横で、奥様もなんとか調子を取り戻していた。
「そうですわね。それに王位継承後を考えると、今のうちに外交ラインを構築しておく方が上策ですわ。万が一国王になれなくても、その線が私達の命綱になってくれるはず」
「そういうことだ。人からは好かれておくに限る」
よかった、二人とも表情が明るくなった。この二人に暗い顔は似合わないからね。
「まあ、それでもまずは、兄上周辺の洗い出しは必要だな。また大事な情報を漏らされてはたまらん。その上で、お前が言ってた友達の輪作戦とやらを練っていこう」
「え、その名前のままで良いんですか?」
「ああ、分かりやすくて良い。友達の輪…これが、俺達三人の旗印だ。二人とも、よろしく頼むぞ!」
「はい!」「ええ!」
この友達の輪作戦が、後にこの国の命運を大きく左右することになるだなんて、この時はまだ想像もしていなかった。
ていうか、想像する暇がなかった。
…だって、仕方なかったんだ。
「こんなに笑ったのは久しぶりだ。…ああそうだ、すっかり忘れていた。クリス」
「はい、何でしょう?」
「正直に答えてくれて良いんだけどさ」
爵位とか、興味ある?
「…………はい?」
殿下の一言で、盤石だったはずの平民生活が、根底から覆されそうになったのだから。
「私が思うに、ディオン殿下もクリス様も、得意分野以外で話題が無さ過ぎます。お互いもっと色んな本を読めば、会話も弾むのではないかと思われます」
「バルト殿の意見には一聴の価値がある。もっと助言を頂けないだろうか」
(兵長さんの胆力も、大概化け物レベルなんだよなー…)