第一話 旅立ち
──中央大陸と東方大陸の間に位置する小さな島国イクネト。
かつて周辺国の交易拠点として栄えた為に数多の戦禍に巻き込まれた歴史を持つが、約十年前に魔王軍が中央大陸を征服してからは戦争も終わり、様々な種族が集まり復興の道を歩んでいる。
戦時中に出た大量のガラス片や陶器片を使ったモザイクアートが彩る旧王都城下街の広場は、最盛期ほどではないものの露店商や屋台のオヤジの威勢のいい客引きの声や大道芸人たちが自慢の芸を披露して賑わっているのが常だが、その日はいつもとは違うざわめきを見せていた。
──奇妙な女が現れたのだ。
黒真珠のような色のボブカットに艶のある褐色の肌、猫のような縦に割れた瞳孔の真紅の瞳に通った鼻筋……これだけなら周辺国でもたまに見かける。
丸みを帯びた獣耳に先端に黒い房のある尻尾という、南方大陸が壊滅してからは滅多にお目にかかれない獅子獣人の特徴……これも珍しくはあるが全く見かけないという程ではない。
ではその獣人の女が昼間だというのに胸の大きく開いた真っ赤なイブニングドレスを着こなし、金細工の二匹の猫と太陽を持った蒼玉の甲虫を中心とした南方大陸風の七宝細工の首飾りを身につけており、脚には黒いハイヒールサンダルを履いているからか。
これもまた否。世間知らずの金持ちとでも思って、客引きやガラの悪い連中がカモにするべく群がって来るだろう。
その奇妙な女は太い鎖で繋がれた黄金の石棺を引き摺りながら街中を歩いていた。しかも全く重みを感じさせない軽やかな足取りで。
危険な死霊術師かもしれない女にわざわざ自分から話しかける者は皆無であった。
そんな周囲を気にする様子も無く当のその女──
『アリエラ』は羊肉の串焼き屋台に足を運んだ。
「うおっ……い、いらっしゃい!」
店主のオヤジは動揺しつつも接客を始めた。
「今焼いている串を全部頂けるかしら?」
「全部!? 気前いいねぇ! ちょっと待っててくれや!」
「支払いは中央大陸貨幣でもよろしくて?」
「大丈夫だぜ! お姉さん中央から観光かい? 冒険者や旅人には見えねえが……」
「これでも一応は旅人よ。
仕事が一段落して暇になったから色々と見て周ろうかと思って……」
世間話をしている間にも店主特製調味液に漬け込まれた羊肉が肉汁を滴らせ、同じく店主特製スパイスが串を彩って行く。
「そうかい。ところで……答えたくなかったら別にいいんだけどよ……その引き摺ってる棺桶ってよ……」
「ああ……この石棺? 今は荷物入れだから心配なくてよ。中が異空間になってるの。だからお代もこの中に……」
言いながらアリエラは石棺の蓋を少し開き、中からパンパンになった皮袋を取り出した。
「へえ〜便利だねえ」
店主は“今は”という不穏な言い回しには触れない事にした。
蓋を開けたら死霊が出てくる様な事もなかった上に金払いもいい客をわざわざ怒らせる必要はない。
「……この店はお酒って出しているのかしら?」
「ウチは酒はやってないね〜。そもそもこの国じゃ酒は夜しか飲めないぜ!
はい串焼き二十本お待ちどうさん!」
「それは残念ね……麦酒とか合うと思うのだけど」
「まあ今度来た時は夜に買ってってくれよ!
あと余計なお節介かも知れねえけど旅人なら旅人ってわかる格好したほうがいいぜ! 無駄に警戒されっからよ!
それに野盗が出るようになって最近物騒だから、あんまり派手だと目ぇつけらちまうぜ!」
「まあ怖い。気をつけるわ。
でも腕には自身があるから返り討ちにして差し上げてよ」
「ははは! そうしてくれると助かるよ!
まいどあり〜! カモられねぇように気をつけな〜」
こうして串焼き屋台を後にしたアリエラは街の住人から「世間知らずな金払いのいい旅人」という認識をされ、次々と客引きに遭いその度に少しずつ不要な軽食や土産物を買い、夕方再び広場に戻る頃には所持金が底をつきかけていた。
(調子に乗って使いすぎたわ……)
街に着いた時には自信ありげにピンと立っていた耳は少し下がり、尻尾は力なく左右に揺れていた。
(でも初めて自分の金遣いの荒さを実感できたわ……。
魔王城で買い物を使用人任せにしたままだったら、きっと永遠に気付かないままだったのだからこれは収穫だわ……やはり無理にでも旅に出て正解だったのよ……)
◇
時は少し遡り、数日前……。
中央大陸に属する様々な種族の国民が暮らす七十二の都市を束ねる『ノク・ノト魔王国』。
その中心に聳え立つ魔王城の上部『四天王の間』──……
底無しにも思える奈落の闇から白亜の石柱が四本だけ足場として立っている使い勝手の悪い大部屋に、魔王軍最高戦力たる『四天王』が勢揃いしていた。
「──全員集まったようね。
では早速本題に入るけれど、ワタクシ自分探しの旅に出る事にしたわ」
石柱の上で赤色を基調とした女剣闘士の衣装に身を包み長い脚を組んで座っていた『殲滅女帝アリエラ』は、雌ライオンの顔を模った仮面と一体化した冠を外しながら有無を言わせない口調で言い放った。
「んなダリィ相談するために呼びつけたのか!?」
アリエラから見て左隣の柱の上に仁王立ちする、4mを超える巨躯の全身に闘技大会のチャンピオンベルトや金メダルを素肌が見えなくなる程に身につけ、頭には黄金の鳥の覆面と八本のアーチを持つ立派な王冠を被った男──『格闘覇王マスクド・ヴィゾフニル』は覆面のせいでややこもった声で激怒した。
「ただの決定事項の通告だから相談しているわけでは無くてよ」
アリエラは鬱陶しそうに手を振りながらヴィゾフニルの怒声を遮る。
「四天王の職務は如何なさるのですかな?」
次にアリエラの右隣の柱から低いが良く通る声で質問するのは、頭に球体状の冠を被り立派な襞襟の付いた貴族風の服を来た硬質な尾を持つ人型の蟲──具体的には髑髏模様の蝶のような羽と口吻もつ蝿──の様な姿という、蟲人という種族に酷似した男『蝿蛆元首バアル・ゼブブ』だ。
「一旦放棄させて頂くわ。大陸統一から十年近く……四天王が出るような仕事も無くなった事だし……。
世界征覇に向けて動き出すまではワタクシの出番なんて無いんじゃないかしら?
だからそれまでは世界を巡って自分探しよ」
「ククク……自分探し(笑)か……“四天王最強の自分”では不満か?」
アリエラの対角の柱に立つ、形状と属性全てが異なる九振りの魔剣を背後に浮遊させ、王冠の様な角が生えた赤黒い竜を模した動く鎧──『魔剣聖君ジーク』は嘲笑しつつ疑問を呈した。
「フン……その“四天王最強”というのが問題なのよジーク。
確かに貴方達三名よりワタクシの方が強いけれど……」
「なんだとォ!?」
「まあまあヴィゾフニル殿。アリエラ殿の話を最後まで聞きましょうぞ」
「ククク……ゼブブ卿に賛成だ……落ち着けヴィゾフニル。
アリエラ、続けろ」
「ワタクシには“魔王軍最強”の要素が無いのよ。
総合力で魔王陛下に敵わないのは当然として……
純粋な格闘戦ではヴィゾフニル、剣技ではジーク、召喚魔術ではゼブブ卿が魔王軍最強でしょう?」
「「「へへへ……」」」
三名は鼻の下を擦る様な動作をしながらは照れくさそうに笑った。
「他の要素でも上級戦闘員なら得意分野ではワタクシを上回る達人揃いでしょう?
そう考えると器用貧乏とまでは言わないけれど、“四天王最強”と言われてもなんだかしっくりこないと思わなくて?
だから世界征覇の本格始動前に自分の長所と短所をはっきり見極めるための旅に出るの。
陛下から許可も頂いたから貴方達に止める権利は無くてよ」
「……!! 陛下がお目覚めになられたのですか!?」
「一時的にだけれどね……すぐに御就寝なさったわ」
「起きた時に呼べやァ!!
おいジーク! 陛下起こして俺たちも旅していいか聞きに行くぞ!! 世界中の強え奴らをシバき回そうぜッッッ!! キエェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェエ!!」
マスクド・ヴィゾフニルは奇声を発しながら全身を黄金の魔力で輝かせ、魔王の寝所のある方角へ跳び去って行った。
「ククク……あれは護衛と揉め事になるな……我らも行くとするかゼブブ卿。
我は魔剣蒐集と竜狩りの旅に出るとするか……ゼブブ卿はどうする?」
「謁見には付き合いますが、四天王全員が魔王陛下を置いて出払うのはまずいでしょう……我輩は魔王城に残りますぞ」
「さすがゼブブ卿は頼りになるわ。
ああ……そうそうジーク、旅先でワタクシの副葬品らしき物を見つけたら確保しておいてくれる?」
「ククク……ヴィゾフニルにも伝えておこう。」
「ゼブブ卿はお土産に欲しい物何かあって?」
「では世界各地の魔物の糞──「ゼブブ卿へのお土産はこちらで見繕うわね」──アッ……はい……」
「……ではもう出発するから旅を終えたワタクシがどんな進歩を遂げるか楽しみに待っていなさい!!」
◇
(あんな啖呵を切っておいて金欠で旅が続けられないなんて体裁が悪すぎるわ……!
お金を稼ぐ方法は明日考えるとして……宿賃も使い切ってしまった事だし、とりあえず今日は郊外の森で野宿ね!)
気持ちを切り替えたアリエラはとりあえずの目的を設定し、やや重い足取りで街の出入り口に向かった。
そんなアリエラの姿を小さな背丈で緑がかった肌をした三人の妖鬼達が路地の影から窺っていた。
「今回のエモノはあの女で決まりだナ」
「こんな夕暮れに街から一人で出るなんてバカな女だゼ」
「ヒヒッ!急いでみんなに知らせようゼ!」
妖鬼達の運命や如何に……!
・獣人
亜人の一種。
魔法で獣の要素を取り入れた人間とその子孫たち。
獣率が低いと獣の耳や尻尾が生える程度だが獣性が高いとほぼ二足歩行の獣の様な姿になる。
ほぼ例外無く雑食性だが肉食獣人は肉ばかり食べがちで、その逆もまた然り。
人間と交配可能な種族なら獣人とも交配可能。