春風が運んだもの
「あんたの母親はもう死んだのよ」
「え…?」
「あはは、いい気味。じゃあねソラ。これ以上出しゃばるんじゃないわよ」
レザン様は食堂を後にした。
「ソラ様、大丈夫ですか!?」
ツバキが駆けつけてくれた。ほかの使用人たちも心配そうに僕を見ている。
「ああ、ありがとう……大丈夫だよ」
僕はなんだか泣き出しそうな気持ちを抑え、笑顔を見せた。
「部屋に案内してもらってもいいかな?僕、まだ部屋の場所を覚えていなくて」
「ソラ様……」
「分かりました、お部屋までご案内いたします。」
「ありがとう、ツバキ」
「ソラ様、あんな言葉気にしなくていいですからね!」
「そうですよ、ソラ様、大丈夫ですから!」
知らない使用人たちも僕に声をかけてくれる。
「ありがとう…気にしないでおくね」
僕は笑顔を向けるのでやっとだった。
ツバキに連れられて部屋に戻った僕は頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。
外は大きな庭があり、色々な花や木が植えられている。
僕はこれから誰も知らない世界で過ごさなければならない。…ソラも僕と同じで、母が居ないんだな。
春風が僕の黒髪を踊らせる。
「ソラ」
お父様が部屋にやってきた。
「調子はどうだ?」
「体調は大丈夫です。記憶は…まだすべて思い出せていなくて」
「いやいや、いいんだ。謝ることじゃない。焦らなくていいからな」
「あの、お父様、聞きたいことがあるんですけど…」
「ああ、どうした?」
「僕のお母様は、もう居ないんですか?」
お父様は撃ち抜かれたような表情で驚いている。
「お前、どうしてそれを…」
「思い出しちゃったんです。僕のお母様がもう居ないこと」
僕は苦笑いしかできなかった。
「……そうだ。セレステは去年、亡くなった。彼女は穏やかで、とてもいい人だった。」
「そうだったんですね…」
「そうだ、屋敷にはセレステの肖像画がある。一緒に見に行くか?記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないし」
「え…良いんですか?」
「もちろんだ。ついてきなさい」
僕はお父様の後を追いかける。
「これがセレステだ。」
僕と同じ水色の瞳で、青い髪をひとつの編み込みにして右側に流しているの女性の絵があった。彼女は大きな青いアイリスの花束を持っている。
右下に小さく「セレステ・アカシア・セーラ」と書かれている。彼女は優しそうな笑顔でこちらを見ていた。
「セレステは花が好きで、よく庭で花を見ていたんだ。その中でも、アイリスが好きで……お前の名前にも入っているんだよ」
あれ?どんどん絵がぼやけてくる。
「ソラ!大丈夫か?」
「え?」
どうしよう、僕、なぜか泣いているみたいだ。
涙が止まらない。僕のお母様じゃないのに、彼女を見ているとなぜか胸が締め付けられる。
「ごめんなさい、大丈夫です。」
「僕、もう部屋に戻りますね。連れてきてくださってありがとうございました」
「ああ、無理するなよ」
「はい、お気遣いありがとうございます」
僕はその場を後にした。
すぐさま部屋に入ってドアを閉める。その途端、一気に涙が溢れてきた。
「こんなんじゃ、駄目なのに」
涙は止まらない。なにか、なにか思い出さなきゃいけないことがあるような、そんな気がする。
でも、考えたって何も思い出せない。
「いちごのためにも、早く帰らなきゃ」
無理やり涙を堪える。きっと、これ以上泣いたらもう止められないだろうから。
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「ソラ様、ロイドです」
「そろそろ、教会へ行きましょうか」
「うん、行こう!楽しみだな」
きっと、上手く笑えているだろう。僕は笑顔で隠すのが得意だから。
「馬車で移動します、こちらです」
こっちの世界に来て、初めての外だ。空気が新鮮で心地良い。
「わー、やっぱりお庭もすごく広いね」
「王宮ですからね」
そう言ってロイドが笑う。
「ソラ様、こちらが護衛の方々です」
「ソラ様、本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくね」
「ここから、ニゲラ教会まで、馬車で1時間ほどかかります。」
「わかった。それじゃあ行こうか」
僕は馬車に乗り込んだ。
この後、あの子に出逢うことも知らずに。