08_第二章 初クエスト
病院の退院日。エステルはこれまで借りていた安アパートを引き払いリタたちの暮らしている屋敷での生活を始めた。彼女に屋敷での生活を指示したのは屋敷の主であるリタだ。リタの屋敷で生活を共にすること。それが少女の仕事を受ける条件の一つだった。
(情報漏洩を防ぐためとか説明していたな。どうやら私は信頼されていないらしい)
因みにその仕事はまだ本格始動していない。事前準備として各種事務手続きが必要となるためだ。とはいえその事務手続きはリタたち――正確にはリタに依頼された軍関係者――が行うためエステル自身は関与していない。エステルはこの数日間、新しい仕事を始めるための練習にのみ時間を費やしていた。
そして昨夜。事前準備が完了したため明日から本格的に仕事を始めると、エステルはリタからそう伝えられた。その報告を受けてエステルは緊張を自覚する。如何せんこれはただの仕事ではない。世界初となる画期的な試みなのだ。
その仕事とは遠隔操作した機械人形でクエストを行うというものである。この試みが成功すればクエストによる怪我人や死亡者を格段に減らせると期待されていた。
(それはつまり……私たちホープを守ることにもつながるんだ)
クエストを生業とする人間。ホープ。エステルはクエスト中に負傷してホープを引退した。自分のような人間を出さないためにもこの仕事を成功させようとエステルは決めた。
(そうだ……一度はそう納得したはずだ。だがしかし……何だろうな)
どうにも心のモヤモヤが晴れない。何かが腑に落ちていないのだ。だがその何かが自分でも分からない。エステルは胸にしこりを抱えたまま今日を迎えていた。
朝食後の緩やかな時間。エステルはオレンジジュースをチビチビ飲みながらリタの様子を観察していた。コーヒーを片手に新聞を読んでいるリタ。どうやら手の不調(?)とやらは完治したらしい。エステルはぼんやりとリタを見ながらふと思案する。
(そもそも……彼女の存在自体が奇妙なんだ)
小柄な白髪の少女。だがそれは遠隔操作された機械人形でありリタ本人は寝たきりの成人女性である。それは理解した。そしてそれを踏まえて彼女は一体何者なのだろうか。
軍に技術提供する天才発明家。その説明は受けている。確かにそれは事実に違いない。だがそのような人物が世間に存在を知られていないのは奇妙に思えた。
さらにもう一つ奇妙なことがある。これはリタだけでなくルイスにも共通することだが、この数日間、二人は一度も屋敷の敷地内から外に出ていないのだ。最初はただの出不精かとも考えたが、食料の買い出しすら軍に連絡して配達させているのは奇妙に思えた。
(あとリタさんとルイスさんの関係……ルイスさんは運命共同体だと話していたが)
正直意味不明だ。二人の関係が良好であることは間違いないだろう。だがあまり気軽に踏み込まないほうが良いのかも知れないと二人に関する質問はこれまで控えていた。
(私の考えすぎだとは思うがな)
何にせよ少し考えただけでこれだけの疑問が浮かぶのだ。不安を覚えても仕方ない。或いはこの不安こそが心のモヤモヤの原因かも知れない。だとしたら解消方法は簡単だ。エステルはやや緊張しながらも口を開いた。
「その……リタさん。答えられる範囲で全然構わないのだが、リタさんとルイスさんがどういう関係なのか教えてくれないか?」
リタが読んでいた新聞から顔を上げて目をきょとんとさせる。彼女には珍しいその反応にエステルはさらに緊張を高めた。しばしの間。目を丸くしていたリタが――
急激にその顔を赤らめた。
「なななな――なに訊いてんのよアンタは!?」
「……え?」
「どどどういう関係って――あたしたちのどこが恋人同士に見えるってのよ!」
言ってない。言ってないわけだがリタは一人興奮して新聞をバシンと床に叩きつけた。
「これだから馬鹿は嫌いなのよ! 男女が同棲と聞いただけで、すす、すぐに恋愛とかそっちに結び付けたがるんだから! もうマジで本当にいい迷惑なんですけど!」
「いや、リタさんそうではなくて……私はただ普通に二人の関係を――」
「うるさい黙れ! この話は終わりよ! ああホント、ルイスが席を離れている時で助かったわ! 二度とこんな馬鹿な質問はしないで! いいわね! 分かった!?」
やはり気軽に尋ねてはならない質問だったらしい。ただしその理由は自分の想定と少し違っていたが。リタが赤い頬をパンパンと叩いてその眉尻をキッと持ち上げた。
「そんなことより仕事よ! 今日から本格的にリモートクエストに臨むんだからね! アンタに出しておいた課題! あれはちゃんとクリアしておいたんでしょうね!」
プリプリと怒るリタにエステルは「あ、ああ」と躊躇いながらも頷いた。
「この車椅子のスティックとボタンで機械人形を遠隔操作するという課題だろ? 言われた通り日常生活で必要な動作はマスターした。ただし戦闘となると厳しいとは思うが」
「それはいいわよ。どうせ最初は戦闘が必要なクエストなんて受けられないんだから」
「ところで機械人形の操作はやはりこの車椅子にあるスティックとボタンなのか? リタさんのように精神で機械人形を動かせるなら、そちらのほうが楽だと思うんだが」
課題である機械人形の操作。それは車椅子のスティックとボタンを使用したリモコン式であった。もちろんそれでも機械人形を十分動かせるのだが意識しただけで機械人形を動かせたほうが楽に違いない。そう短絡的に考えるエステルにリタが唇を尖らせる。
「別にできないわけじゃないけど、そっちのほうが面倒じゃない。リモコンならスティックを倒しているだけで前に進んでくれるのよ。言っておくけど、あたしのやり方は肉体的疲労がなくても精神的疲労があるんだからね」
「そ、そうなのか?」
「あたしは寝たきりで指一本動かせないからこのやり方しかなかっただけ。今後もしこのリモートクエストを一般化するならリモコン式が疲労もなく最適よ。初めにも話したでしょ。ゲーム感覚でクエスト達成ってね」
ゲーム感覚。その言葉にエステルは僅かに表情をしかめた。エステルの反応などさらりと無視してリタがレンを手招きする。
「レン、ちょっとこっち来なさい」
ランの葬式準備をしていたレンがその作業を中断してリタへと駆けていく。近づいてきたレンにリタが壁側を向くよう指示する。言われるがまま壁側を向くレン。するとリタが右手を振り上げて背中を向けているレンの頭部に手刀を叩きこんだ。
『ぴぎゃあああああああああああ!』
レンの瞳から血涙が溢れる。グロテスクな光景を前にして表情を強張らせるエステル。一体何のつもりか。ここでレンの瞳が唐突に輝いて壁に何かの映像が投影された。
「プロジェクターよ。元ホープのアンタならこの映像に見覚えがあるでしょ?」
「いやさらりと話を進めないでくれ。血涙とか色々と気になることがあるんだが」
一応指摘しておくがリタは聞く耳もたないようだ。エステルは嘆息すると『オォオオォオオ』と血涙を流しているレンから視線を逸らして壁に投影された映像を確認した。
「これは……仲介所でよく見るクエストの受注画面じゃないのか?」
エステルの呟きにリタが「そうよ」とレンの頭をペシペシ叩きながら頷く。
「正式名称は公開案件仲介所。登録されたクエストを管理、仲介するための施設ね。そこで使用されている管理システムの画面をプロジェクターで表示しているのよ」
「画面を表示って一体どうやって?」
「ウォルトが話さなかったかしら? あたしは軍に技術提供しているのよ。仲介所は当初民間により運営されていたけど、五十年前からは軍により管理されている。つまりこのシステムの土台もあたしが製作したの。その際にバックドアを仕込んでおいたのよ」
「バックドアというのは?」
「システムに侵入するための裏口ね。まあ理解できなくていいわ。何にせよこれで屋敷から外に出なくても登録されているクエストの閲覧から受注までを行うことができる」
クエストの管理システム画面。そこには現在登録済みのクエスト情報が一覧表示されていた。その情報にはクエストのIDと題名、ランクに募集人数、日時や報酬額などが記載されている。ここで一覧画面が自動的にスクロールされて一つのクエストが選択された。
「何だ? 画面が独りでに動いている?」
「あたしの精神は屋敷のサーバーを介してこの体を遠隔操作している。それと同様に、あたしの製造した全ての機械は屋敷のサーバーを介して遠隔操作可能なのよ」
「ささ、さーばー……?」
「面倒だから説明はなし。それよりもクエストはもう受注済みよ。それがコレ」
一覧から選択されたクエストの詳細が画面に表示される。
「クエスト名は『植物調査の護衛依頼』。ランクD。報酬額5万A。募集人数3名。活動場所は57区画。登録者及び登録団体は国立植物研究所で、依頼内容は57区画で確認された新種と思しき植物調査の護衛とあるわ」
「ランクDのクエストか……」
僅かに眉をひそめるエステルにリタが「仕方ないでしょ?」と肩をすくめる。
「Aランクの元ホープに説明することでもないけど、ホープが受注できるクエストは自分と同じランクかそれ以下のものだけ。リモートクエストを始めたばかりだから、あたしたちのランクは最低のD。今はまだこんなしょっぱいクエストしか受注できないのよ」
「いや、クエストに優劣などない。どのようなモノでも全力で対応するだけだ」
「あっそ。集合場所は54区画の駅前。つまりあたしたちが今いるこの区画の駅ね。このクエストを選択したのもそれが理由。初運用だしあまり遠出したくなかったの」
「集合時刻は一時間後か。今から出ないと間に合いそうにないな」
「そういうこと。というわけで――ポチっと」
リタがテーブルの裏面に手を回す。するとテーブルの天板がバカンと二つに割れてテーブルの中から大量の白煙が噴出した。ぎょっと仰け反りながらエステルは天板の開かれたテーブルを見やる。噴出している白煙のその中に人影が映っていた。
「こ、これは?」
「これがリモートクエストで使用する機械人形よ」
ごくりと唾を呑むエステル。徐々に白煙が薄くなり人影がその姿を現していく。
「基本的な構造はあたしが使用しているこの機械人形と同じ。今回はないとは思うけど、仮に戦闘になっても十分に戦える性能があるわ。これからこの機械人形はアンタの分身も同然。アンタはこの機械人形でホープとしての再出発をするのよ」
白煙が晴れて機械人形の全貌が顕わになる。自分の分身となる機械人形のその姿に――
「な……なんだと?」
エステルは驚愕に声を振るわせた。