06_第一章 リモートクエスト
リビングに通されたエステルは高価な家具が置かれたその部屋に目を丸くした。自分が暮らしている安アパートとは雲泥の差である。そう自虐交じりに考えていると彼女の目の前にあるテーブルに一皿のケーキが置かれた。
「自家製のラズベリーレアチーズケーキです。お口に合えば宜しいのですが」
ケーキを置いたのは二十代前半と思しき美形の青年であった。無造作ながら整えられた灰色の髪。優しげに細められた灰色の瞳。細身の長身で皺ひとつない黒のスーツを着用している。美形青年の屈託ない微笑みにエステルは思わず頬を紅潮させた。
「あ……ああ……い、いただきます」
顔の赤らみを誤魔化すためエステルは視線をケーキに落とした。ラズベリーソースでコーティングされたチーズケーキ。ケーキの上には色違いのラズベリーの実が二つ乗せられている。エステルはフォークを手に取ると、ケーキを切り分けて口へと運んだ。
「むぉおお――お、おいひぃいいい」
ラズベリーの酸味とクリームチーズの濃厚さがマッチしたそのケーキにエステルは表情をとろけさせる。瞳を輝かせてケーキをまた一口頬張るエステル。大袈裟ではなくこれまで味わったことのない極上のケーキだ。
「こんな美味しいケーキは食べたことない! 自家製と話していたが本当なのか!?」
「はい。喜んでいただけたのなら私もお作りした甲斐があり嬉しい限りです」
「貴方が作ったのか……その――」
エステルの疑問を察したのだろう。青年が自身の胸に手を当てて自己紹介する。
「ルイス・アーモンド。リタの同居人です」
「同居人? その……兄妹とかではなくて?」
「リタと血のつながりはありません。しかしそうですね……家族と呼んでも差し支えないでしょう。リタと私は運命共同体みたいなものですから」
運命共同体とはあまり聞き慣れない言葉だ。きょとんと首を傾げるエステルに美形の青年――ルイス・アーモンドが優しく微笑む。
「リタは少しだけ口が悪いところもありますが、本来の彼女はとても優しい心の持ち主です。どのような悪態を吐かれようと、どうかあまり悪くは思わないで下さい」
ルイスの殺人的な微笑み。それに見つめられてエステルは「ひゃ……ひゃい」と生返事をしながら頬をまた紅潮させた。
(い、いかん……落ち着くんだ、私)
引退を決意したとはいえ幾多の荒事をこなしてきた元ホープだ。男性に見つめられて頬を赤らめるなど自分には似合わない。エステルはそう自身に言い聞かせつつ正面に視線をふと移動させた。彼女の対面の席にいる少女。リタ。その彼女が――
顔を赤くしてぷうっと頬を膨らませていた。
「……え?」
玄関で毒舌をまき散らしていた少女。その思いがけない表情にエステルはぽかんとする。エステルの視線に気付いたのか、リタがハッとしてその表情を険しくさせた。
「余計なお喋りはもうお終いよ。すぐに仕事の話を始めるわ。それとルイスはこっち」
唇を尖らせながら手招きするリタにルイスが「分かりました」と苦笑しながら少女のもとへと歩いていく。リタの真横に立ち止まり優しく微笑むルイス。彼に笑顔を向けられてリタがどこか満足そうにニヤリと笑った。
「エステルとか言ったわね。ウォルトからどこまで話しは聞いているのかしら?」
ウッドマン大佐を平然と呼び捨ててリタがエステルにそう尋ねる。ケーキを美味しそうに頬張っているウッドマン大佐。その彼を横目に眺めつつエステルは問いに答えた。
「ほとんど何も……とりあえず元ホープである私に仕事を紹介したいとだけ聞いている」
「なるほどね。まあいいわ。アンタに頼みたい仕事ってのは簡単なことよ」
リタが紫色の瞳を細めて言葉を続ける。
「アンタには『リモートクエスト』の試験運用を手伝ってもらいたいの」
「リモートクエスト?」
エステルは眉をひそめた。エステルのこの反応は想定内だったのだろう。リタが「そうよ」と一つ頷いて淀みなく説明を始める。
「リモートクエスト。つまり遠隔操作でクエストを実行することね。これなら屋敷から出る必要もないから、足の動かないアンタでも十分できる仕事でしょ?」
「ちょ……ちょっと待ってくれ。遠隔操作でクエストをするとはどういう意味だ? 屋敷から出ずにクエストなんて不可能だろ?」
「仕様もない馬鹿ね。これだからホープなんてしている野蛮な連中は嫌いなのよ」
むっと表情を渋くするエステル。不満げなその彼女には構わずリタがさらりと言う。
「アンタも玄関で見たでしょ? 機械人形――アンタたちにはロボットと言ったほうが理解しやすいかしら。あれを使ってクエストをしましょうってことよ」
「ロボットが……クエストを?」
「そうよ。ただ残念なことに完全自律式の機械人形はまだ完璧とは言い難い。だから人間がロボットを遠隔操作しようと考えたわけ。そしてどうせならクエストをやり慣れている連中にその操作を任せたほう合理的でしょ? だからアンタを指名したのよ」
「これは国民の安全を守るためにも重大な試験なのだよ」
ケーキを無心に頬張っていたウッドマン大佐がリタの話を引き継ぐように口を開く。
「ホープは実力者ぞろいではあるが、それでも毎年大勢の怪我人や死亡者が出ている。だがリモートクエストの利便性を実証し、世間に普及させることができれば、クエストをより安心安全に行えるようになるはずだ」
「それこそ――ゲーム感覚でね」
エステルの瞳が鋭くなる。リタがふっと微笑んで「もっとも」と手をハラハラと払う。
「あたしはホープの安心安全なんかに興味ない。自ら危険地帯に赴くなんていう非効率な方法を取らざるを得ない無能な彼らに憐れみこそ覚えるけどね。あたしの目的は他にある。そしてその手伝いをアンタにさせてあげようと言っているの。ありがたいでしょ?」
「……なるほど。気になるところもあるが、おおよその内容は理解した」
「それは良かったわ。それじゃあ今後の具体的な計画だけど――」
「この話は断らせてもらう」
リタの話を遮りエステルはそうきっぱりと告げた。リタが怒るでも悲しむでもなく静かに口を閉ざす。沈黙したその少女を見据えながらエステルは口調を強くした。
「申し訳ないが貴女は私たちの仕事――ホープを甘く見ている。私たちの仕事は僅かな油断が命取りになる危険なものだ。例え人間が操作するものであろうと、ロボットごときに代替が務まるような簡単なものではない」
「……あたしの制作した機械人形ではホープの仕事をするだけの性能がないと?」
リタの瞳が細められる。表情に笑みを浮かべながらも明らかな敵意を覗かせるリタ。挑発的な彼女の微笑みにエステルは「その通りだ」と真正面から応じる。
「気を悪くしたのなら謝ろう。だがそれが事実だ。リタさんがどうこうではない。誰からの提案であろうと私はそう答える。ホープの仕事はただのお使いではない。逐次変化する状況。それに応じて最適な判断を下す。それは現場に赴かなければ決してできない」
「その主張の根拠は?」
「元ホープとしての経験だ」
エステルは迷わずそう答えた。エステルの回答にリタが「経験……ね」と失笑する。リタのその態度にピクリと片眉を揺らすエステル。リタが紫色の瞳をゆっくりと閉じて、同じ時間をかけてまたゆっくりと開いた。
「論理性の欠いた反論どうもありがとう。何の参考にもならないけど笑い話ぐらいにはなるかしら。何よりホープの人間がどれだけ愚かしいかを実感することができたわ」
「……私の言っていることのどこが愚かしいと言うんだ?」
「まっとうな部分を見つけるほうが難しいわよ。アンタの反論は全てが感情的で具体性がない。根拠を示すデータの一つも提示せず、どうして自信満々なのか理解しがたいわ」
「経験だと話したはずだ。データでは分からないことも現実にはある」
「ないわね。もしデータに現れないのならそれは計測方法に誤りがあるだけよ。人間の感情や経験なんてデータを歪めるだけの害悪に過ぎず、それを根拠にした主張なんて検討する価値もないわ。それにアンタは一つ勘違いしている」
リタが静かに席を立ちあがりテーブルに置かれているフォークを右手に取った。
「選ぶのはアンタじゃない。このあたしよ。ホープとして使い物にならないアンタが、あたしの仕事を手伝えるだけの実力があるのか。あたしがアンタを選ぶのよ」
「……どういう意味だ?」
不穏な空気を感じてエステルは車椅子を僅かに後退させる。リタがフォークをクルクルと指先で回して、「簡単なことよ」と弄んでいたフォークを逆手に構えた。
「つまり実力を証明してもらうってこと」
リタが跳躍してエステルへと襲い掛かる。
テーブルを跳び越えて迫りきた少女にエステルは驚愕しながらも反射的に構える。リタが逆手に構えたフォークをエステルの眼球めがけて振り下ろす。エステルは咄嗟に少女の右腕を両手で掴むと、体を仰け反らせてフォークの先端を回避した。
「……く……何の真似だ?」
そう声を絞り出しながらエステルはリタの腕を押し返そうとする。だが力を込めてもリタのフォークは押し返されるどころか、ジリジリとエステルの眼球へと近づいていく。リタの人間離れした力にエステルは頬に冷や汗を流した。
「軍の思惑なんてどうでもいいけど、あたしもリモートクエストにはマジなのよ」
歯を食いしばるエステルとは対照的に、リタが涼しい顔で淡々と言う。
「野蛮人のホープにできることなんて戦闘くらいなものでしょ? だからその得意分野でアンタの実力を図ってあげようってこと。ついでにアンタが懸念していた、機械人形にクエストをこなせるだけの実力があるかを示すことにもなるしね」
「何を……言っている?」
「どうでもいいことよ。アンタがこのまま死ぬようならね」
リタがさらに右腕に力を込める。エステルは小さく舌を鳴らすと、リタの右腕を受け流しながら首を傾けた。フォークの先端がこめかみを掠りながら通過する。こめかみに痛みを覚えつつ、エステルは左肘掛けにあるスティックを大きく倒した。
車椅子が向きを変えて急発進する。リタから十分離れてエステルは車椅子を止めた。再び距離を空けたエステルとリタ。こめかみから血を流すエステルにリタがくすりと笑う。
「スティックを傾ける角度で速度が変化する。急ごしらえで製作した車椅子だけどうまく動作しているみたいね。もっともあたしが設計をミスするわけないんだけど」
「車椅子の人間に凶器を持って襲い掛かるなんて……普通じゃないぞ」
「もう泣き言かしら? アンタは曲りなりにも戦闘のプロフェッショナル。対してあたしは素人よ? 車椅子ぐらいのハンデは必要でしょ――ルイス!」
ルイスがぱちんと両手を鳴らす。そしてリビングに異変が起こる。リビングに置かれていた高級家具。それらが奇妙な光に包まれて音もなく消失したのだ。この怪現象に唖然とするエステル。家具が消えて広々としたリビングを眺めてリタが「よし」と頷いた。
「これで周りを気にすることなく戦いに集中できるわね。因みに見た目には分からないけど、壁や床、天井に至るまで魔術で強化されているからそう簡単には傷付かないわよ」
「魔術……これが魔術の効果だって?」
驚愕するエステルにリタが「そうよ」と小柄な体をふんぞり返らせる。
「ルイスの魔術で家具を転移したの。ただしルイスが使用する魔術はアンタたちが使うような紛い物とは違う。理論上あらゆることが実現可能な旧時代魔術――魔法なのよ」
そう話し終えてすぐリタが駆ける。まだ動揺が収まっていないも、エステルは左肘掛けのスティックを握りしめて指先に意識を集中させた。突き出されたリタのフォークを上半身の捻りだけで回避しつつスティックを操作してリタから距離を空ける。
リタに注意しながらエステルは視線を巡らせた。リビングの隅に移動してこちらを傍観しているルイスとウッドマン大佐。二人の落ち着いたその様子からこの展開が彼らにとって想定内のものだとエステルは理解する。
(まったく――ふざけている!)
胸中で愚痴りながらエステルは横なぎに振られたフォークを後退して回避した。
「反応はそれなりに良いみたいね。野蛮人のくせに生意気じゃない。初めてにしては車椅子の操作も悪くない。もっともそれはあたしの車椅子が優れているだけなんだけど」
「くっ――勝手なことを言いやがって」
間髪入れず繰り出されるリタのフォークをエステルは車椅子の移動と上半身の動きだけで回避する。リタの動きは異常なまでに素早い。力もある。だが技術面だけなら素人も同然だった。自身の膂力に任せてフォークを振り回しているに過ぎない。
(だからと――いつまでも逃げ続けられるわけじゃない)
反撃の手を考える必要がある。だがこちらには武器がない。足が動かなければ体術も難しいだろう。エステルはリタの攻撃を回避しながら懸命に思考を巡らせた。リタの体力は無尽蔵なのか、先程から動き続けているにも関わらず疲労する様子が見られない。
ガンと車輪が背後の壁に激突する。いつの間にか壁際に追い込まれていたようだ。リタがフォークを構えて容赦なく迫りくる。エステルは瞬間に決意すると車椅子を前進させてリタに突っ込んだ。リタが慌てて回避するも間に合わずリタと車椅子が接触する。
「――ぐ!」
車椅子が傾いて転倒寸前になる。エステルは即座に体重移動すると車椅子の傾きを修正した。浮いていた車輪が床に着地して車椅子が激しく揺れる。エステルは車椅子から投げ出されないよう肘掛けを掴んで体を車椅子に固定した。
「……ってて……随分なことするわね」
車椅子に跳ねられたリタが倒れていた体を起き上がらせる。愚痴をこぼしているが大した怪我もないらしい。人間離れした頑強さだ。リタがポリポリと頭を掻いてニッと笑う。
「だけどそういう思いきりの良さは嫌いじゃない。少しだけアンタを認めてあげるわ」
車椅子で跳ねられたにも拘わらず意外にもリタは怒っていなかった。もっとも攻撃を仕掛けてきたのはリタのほうなので怒られても釈然としないだろうが。
(どうにかして反撃しないと……)
ここでふとエステルは足元に小さな冊子が落ちていることに気付く。その冊子とはウッドマン大佐から手渡された車椅子の説明書だった。先程車椅子が転倒しかけた時、ポケットから冊子を落としていたようだ。
落ちている冊子は開かれた状態で、そのページにはスティックと各種ボタンの組み合わせが記載されていた。車椅子に搭載された各種機能を扱うためのコマンドだろう。だが文字が小さく遠目に機能詳細までは読めなかった。
「何ぼんやりしているの? さっさと続きを始めるわよ」
リタがエステルにまたも襲い掛かる。手持ちの武器はこの車椅子だけ。車椅子に搭載されている機能が何なのか分からないが僅かでも反撃できる可能性があるなら試す価値もある。エステルは冊子を睨みつけると最初に目についたコマンドを素早く入力した。
下・左・上+A
入力完了までコンマ一秒。肘掛けの前部分がパカリと開いてボシュンと細長い何かが煙とともに噴出した。リタが目を見開く。エステルに接近していた少女に――
二発のミサイルが直撃した。
巨大な爆炎がリタを包み込む。リビングで豪快に燃える炎にエステルは目を点にする。車椅子に搭載された各種機能。てっきり車椅子の補助的機能かと考えていた。だがまさかの殺傷兵器とはエステルも想定外だった。
一向に鎮火する気配のない業火。いかにリタが頑強だろうと炎に焼かれてはひとたまりもないはずだ。完全無欠の殺人。エステルは呆然としながらもそれを自覚した。
だがここで業火の中に一つの影が揺らめく。
「――そう言えば、そんな機能も付けていたんだっけ……すっかり忘れていたわ」
そんなことをぼやきながら炎の中から人影が出てくる。その人影は業火に焼かれたはずのリタであった。炎の勢いから考えて人間が助かるはずもない。だというのにリタは皮膚や服を僅かに焦がしただけで平然としていた。あり得ないことだ。
だがエステルはそれ以上にある事実に驚愕していた。何食わぬ顔で炎の中から現れたリタ。全身に黒い煤を付けた彼女のその右腕が肩口から千切れていたのだ。
「……なん……?」
エステルは声を失う。彼女の反応に気付いてリタが「ああ」と右腕の断面をかざした。
「コレなら別になんてことないわよ。修理すればすぐに直るんだから」
切断されたリタの右腕。血の流れていないその傷口をエステルは呆然と見つめる。傷口に空けられた空洞。その奥にある何か。エステルは息を呑む。リタの傷口から――
複雑な機械が覗いていた。
「リタさん……貴女まさか――」
「そう――あたしも機械人形よ」
全身の煤をパンパンと払いながらリタがニヤリと笑みを浮かべる。
「正確にはこの体がってことだけどね。気付かなかったでしょ? 元ホープである貴女が人間と疑わない精巧な機械人形。その人形でもホープの代わりは務まらないのかしら?」
リタの皮肉にエステルは何も言い返すことができなかった。沈黙したエステルに「どうやら納得してくれたようね」とリタが勝ち誇るように肩をすくめる。
「あたしのほうも及第点をあげるわ。あの状況で冷静にコマンド入力するなんてなかなか筋も良さそうだし。それとこの話はアンタにとっても決して悪い話じゃないのよ。この仕事の報酬として私はアンタが喉から手が出るほど欲しているモノを用意している」
「……私が欲しているモノ?」
「この仕事の報酬は――アンタの動かなくなった足を治してあげることよ」
エステルの目が大きく見開かれる。この彼女の反応にリタがニヤリと笑った。
「これで契約成立ね」