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02_第一章 リモートクエスト

「エステル! ねえ大丈夫なの、エステル!?」


 自身を呼ぶその声にエステルはハッと目を覚ました。視界に映される白い天井。ほのかに香る消毒液の匂い。その香りがエステルの寝起きの頭をクリアにしていく。


「エステル……大丈夫?」


 ベッドで仰向けに寝ていたエステルは首だけを動かして声に振り返った。ベッド脇に一人の女性がいる。肩で切り揃えたピンク色の髪。目尻のやや垂れた優しい碧い瞳。見知った女性だ。エステルはゆっくりと息を吸い込んで女性の名前を口にした。


「ネリー……か」


 ネリー・ケント。エステルと同じチームに所属している二十二歳の女性だ。何やら怪訝そうなネリーにエステルは困惑する。ネリーが自身の目元を指差してぽつりと言った。


「涙……泣いていたみたいだけど」


 エステルは自身の目元に指先を触れる。自分では気付いていなかったが確かにネリーの言うように涙がこぼれていた。指先で涙を拭うエステルにネリーが不安げに尋ねる。


「もしかしてまだ傷が痛む? お医者さんを呼んだ方がいいかしら?」


「ああ……いや違うんだ。ちょっと昔の夢を見ていたから」


 ネリーが首を傾げる。エステルは「詰まらない夢だよ」とだけ説明してベッドの上で上体を起こした。体に掛けられていたシーツがさらりと腰まで滑り落ちていく。


「すまない。折角会いに来てくれたというのに眠っていて」


 謝罪を口にするエステルにネリーが不安げな表情をそのままに頭を振る。


「別に謝ることじゃないわ。それよりも本当に傷はもう痛まないのね」


「大丈夫だ。それにもう病院に入院してから一ヶ月も経過しているんだぞ?」


 心配性なネリーにエステルは肩をすくめながらそう答えた。


 調査団護衛のクエスト。その道中で遭遇した芋虫型の怪物。その怪物により重傷を負わされたエステルは仲間たちにより病院へと運ばれた。それから一ヶ月。すでに痛みもなくなり体調も安定してきている。あの状況下でこの程度で済んだことは幸いだろう。


 だがその一件はエステルに決して消えることのない障害を残すことになった。


「……足はやっぱりまだ動かせないの?」


 ネリーが躊躇いがちにエステルにそう尋ねた。エステルは浮かべていた苦笑を静かに消して自身の足に視線を落とす。ベッドに投げ出された両脚。感覚のないその両脚を右手でさすりながらエステルは「ああ」と頷いた。


「神経の損傷らしいからな。残念だが医療魔術でもどうにもならないらしい」


 基本的に医療魔術は自然治癒能力を増幅する技術だ。ゆえに人間の治癒力が及ばない損傷は魔術でも治療が困難となる。そして神経損傷はその代表的な怪我の一つであった。


「背中から地面に落下したことで脊髄が圧迫されて砕けたんだ。骨自体は医療魔術で治療できたが神経だけは再生できない。医者が言うにはもう自力で歩くことは絶望的らしい」


「……そっか」


「だが心配はいらない」


 表情を暗くするネリーにエステルは極力明るい口調で言った。


「こんなことでへこたれる私じゃない。ホープとしてもAランクに昇格したばかりで、これからが私も頑張りどころだからな。石に齧りついてでもホープに復帰して見せるさ」


「え……ええ」


「それまでチームには迷惑を掛けることになるが復帰したらその穴埋めをするつもりだ。それまで悪いが辛抱してくれ。それに実は体がなまらないよう可能な範囲で体も鍛えているんだ。昨日はその現場を看護師に見られてこっぴどく叱られてしまったが――」


 ここでエステルが言葉を止める。ネリーがいつの間にか顔を俯けていた。どことなく空気が重い。エステルは戸惑いながらも沈黙しているネリーに尋ねた。


「……どうした? 元気がないようだが?」


「……エステル。あの……驚かないで聞いてね。実はみんなと相談したんだけど……」


 ネリーが意を決したように口を開く。だがすぐにまたその開いた口を閉ざした。一体どうしたというのか。疑問符を浮かべるエステルにネリーが再度口を開こうとして――


「説明に随分と時間が掛かっているようだな」


 ここで聞き覚えのある声が割り込む。


 聞こえてきた声にエステルは振り返る。病室の入口に二人の男性が立っていた。一人は浅黒い肌をした体格のいい小柄な男性。もう一人は長身で切れ長の瞳をした男性だ。二人ともエステルの顔見知りである。エステルは目を丸くして二人に声を掛けた。


「ニコラス……それにルーサーじゃないか」


 体格のいい男性――ニコラス・ジャクソン。そして長身の男性――ルーサー・ガーランド。二人ともエステルのチームメイトである。二人がのんびりとした足取りで病室に入り、ベッド脇にいるネリーの背後に立ち止まった。


「二人もいたのか。忙しいだろうに見舞いに来てくれて申し訳ないな」


「申し訳なく思う必要はない。俺たちはお前の見舞いに来たわけではないからな」


 ルーサーの言葉にエステルは首を傾げる。どこか気不味そうにエステルから視線を逸らしているニコラス。その彼とは対称的にエステルを真正面から見据えているルーサー。二人の登場にネリーが「ちょっと……」と慌てたように椅子から立ち上がった。


「二人ともどうして……エステルへの説明は私からするって話したはずよ」


「確かにそう聞いた。だがまるで話が進まないのでな。やはり俺から話をしよう。君とエステルは公私ともに仲が良い。説明しづらい気持ちも分からないではないからな」


「もう少しだけ待ってルーサー。エステルにだって気持ちの準備が必要でしょ」


「必要ない。いいからお前は黙っていろ」


「ルーサー……少しぐらいは――」


 口調を強くしたネリーにニコラスが「ちょ、ちょっと落ち着いて」と声を掛ける。


「ここはルーサーに任せよう。それが多分一番いいんだよ」


「……だけど」


「でもやっぱり君からは話せないだろ? ボクもまあ……そうなんだけど」


 ニコラスの言葉にネリーが沈黙する。三人の妙なやりとりにエステルは言いようのない不安を覚えた。ルーサーが足を一歩前に進めて感情のない表情で口を開く。


「単刀直入に言おう。エステル・ハート。お前を俺たちのチームから()()する」


 エステルは唖然とした。ルーサーからあまり呆気なく告げられた言葉。その意味。それがすぐには理解できない。全員が沈黙したまましばしの時間が流れる。エステルはごくりと唾を呑み込んで震える声を吐き出した。


「……どうして?」


「理由は二つある」


 ルーサーが間を空けずに淡々と言う。


「まず一つ。お前がチームの指揮官である俺の命令を無視したからだ。個人の身勝手な行動はチーム全体を危険に晒す。事実今回も気絶したお前を救出するために俺たちは無用な手間を掛けさせられることになった」


「し、しかしそれは――」


「そして二つ目の理由。これが重要だ」


 エステルの声を遮って、ルーサーがエステルの動かない足を指差す。


「お前がすでに戦闘不能だからだ。俺たちホープの仕事はクエストで成り立っている。全てのクエストが戦闘関連ではないにせよ、高ランクのクエストはその傾向が強い。戦うことのできないお前はただの足手まといだ」


「ま、待ってくれ。足は必ず治してみせる。だからそんなこと言わないでくれ」


「医者も匙を投げたのだろう。お前がどうこうできる問題ではないはずだ」


 エステルの言葉を冷たくあしらい、ルーサーがゆっくりと溜息を吐く。


「だがいい機会だ。今回に限った話ではなくお前の個人プレーは以前より目に余っていた。これで俺たちもお前の勝手な行動に振り回されることもなくなるわけだ」


「私はただ……被害者が出てからでは遅いと……そう思っただけで」


「それは俺たちが気に掛けることではない。俺たちの仕事はあくまで依頼者の要望を満たすこと。ホープはただの『何でも屋(ビジネス)』だ。お前の独善的な欲求を満たす場ではない」


「……私はそんなつもりは……」


「この際だからハッキリと言っておこう」


 ルーサーが冷徹に告げる。


「お前はホープという仕事に向いていない。現場に復帰するなどとできもしない夢など見るのは止めて、別の人生を探すことだ」


 心臓を突き刺すようなルーサーの言葉にエステルは声を失った。またも病室が静寂に満たされる。ルーサーとエステルの話を沈黙して聞いていた二人。ネリーとニコラス。顔を伏せたまま何も話さないその彼らにエステルはポツリと尋ねる。


「……二人もルーサーと同意見なのか?」


「まあ……うん……そうだね」


 ニコラスが躊躇いながらも頷く。ネリーは顔を伏せて沈黙したままだ。だがその沈黙こそが彼女なりの回答なのだろう。エステルはシーツを両手でキュッと握りしめると――


「分かった……ルーサーにニコラス、そしてネリー、今まで本当にありがとう」


 チームメイトだった三人に礼を告げた。



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