01_第一章 リモートクエスト
「逃げろ! エステル!」
それが父の最期の言葉になった。まだ十二歳になったばかりの少女。エステル・ハート。その彼女の目の前で、父の首が血をまき散らしながら宙を跳ねる。
「あ……ああ……」
地面に落ちた父の頭部。それを見やりエステルは全身を震わせた。都市から離れた小さな集落。そこで父と家族二人、エステルは幸せに暮らしてきた。その彼女にとって目の前の現実は到底受け入れられず、彼女は夢でも見ているような気分になる。
エステルは瞳を揺らしながら視線をふと上げた。地面に倒れている頭部のない父の死体。その前に一人の男が立っている。黒髪を無造作に伸ばした初老の男性。その男が感情のない表情でエステルを見つめていた。エステルは息を止める。男のその瞳が――
血に濡れたように赤く輝いた。
赤目の男が歩き出す。まるで散歩でもするような気軽さだ。近づいてくる男にエステルは後ずさりする。逃げなければならない。そう思うも体が動かない。
そもそもどこに逃げろと言うのか。父だけではない。すでに村中の人間が赤目の男により殺された。村の生き残りは自分だけだろう。頼れる者もいない。子供の足では赤目の男から逃げ切ることも絶望的だ。エステルにはもう希望など残されていなかった。
赤目の男がエステルの前に立ち止まる。未だ体を動かせないエステル。瞳をただ震わせるだけの彼女に赤目の男が右手を伸ばす。男の指先が少女の髪に触れた。
その直後、男の右腕が半ばから切断される。
右腕を切断された赤目の男が横に跳ねる。否。何者かにより蹴り飛ばされた。赤目の男が地面を転がる。そしてエステルの眼前に一人の青年が姿を現した。
「大丈夫か!? 怪我は!?」
呆然とするエステルに青年がそう尋ねる。青年の右手には肉厚の剣。その剣で赤目の男の右腕を切断したのだろう。ブラウンの髪にブラウンの瞳。長身でがっしりとした体格。見覚えのないその青年にエステルは困惑する。
ここで地面に倒れていた赤目の男が何事もないように立ち上がった。切断された右腕による痛みなどないようだ。それどころか切断された右腕から血さえ流れていない。表情を一切変えないその男に青年が舌を鳴らす。
「どうなっている? この男……本当に人間なのか?」
青年の全身には痛々しい傷が見られた。青年が荒い息を吐きながらエステルに告げる。
「俺の仲間が村の入口で待機している。そこまで走って逃げるんだ。そこに俺たちが乗ってきた車がある。彼らに事情を説明して彼らと一緒にこの村から逃げろ」
状況の変化について行けずエステルは「……あ……その……」と意味のない呟きを漏らした。それを躊躇いと判断したのか青年が苦々しい表情で言葉を続ける。
「残念だが村にはもう生き残りはいない。こいつに殺された。だから他の人のことは気にしなくていい。君は自分が生き残ることだけを最優先に考えるんだ」
「でも……お兄さんが……」
エステルはどうにか意味のある言葉を口にした。青年がその言葉にニヤリと笑う。
「心配はいらない。さっきはちょいと油断して痛い目にも合わされたが、この程度の相手に俺は負けたりしないよ。こいつを始末した後で俺は仲間と合流する」
自信に満ちた青年の言葉。だが嘘だ。本当に自信があるなら子供だけを先に逃がす必要などない。男を始末してから一緒に村を出ればいい。青年は少なくとも自分の敗北を視野に入れている。エステルはそれを直感した。
だがエステルには何もできない。状況を変えるだけの力など彼女にはない。青年の意図に気付きながらも彼女は青年の方便にただ騙されるより他なかった。
「さあ! 早く行くんだ!」
青年の鋭い口調にエステルを縛っていた全身の硬直が解ける。赤目の男が無造作に歩き始める。青年の背中を見つめながらエステルは一歩後退した。
「お兄さんは……誰なの?」
思わずこぼれたエステルの疑問。青年が腰を落としながらその疑問に答える。
「俺はしがないホープだよ。偶然この村に立ち寄った……ね」
そして青年が赤目の男へと駆け出す。それと同時にエステルは踵を返して村の入口へと走った。エステルの瞳から涙がこぼれる。ボロボロとこぼれる涙を拭いもせず少女は懸命に足を動かした。