真っ赤な桃
駅前は帰路を急ぐ社会人や学生の姿で溢れかえっていた。人混みの中を縫うようにして歩きながら駅の電光掲示板の下まで行くと、探していた人物はすぐに見つかった。
ウチの高校の制服は、男子が茶色のブレザーで女子が茶色のセーラー服なので、良くも悪くも目立ってしまう。
「小桃ちゃん!」
その名前を呼びながら近づくと、小桃ちゃんもこちらに気が付いて頭を下げた。
「翔太郎さん。お昼休み以来ですね」
薄らと微笑むと、小桃ちゃんはこてりと首を横に倒した。小桃ちゃんの黒髪ボブの頭部には、駅の光を反射させた天使の輪が出来ていた。
「そうだね。まさか昼休みに偶然会うなんて思わなかったよ」
「私もです。それに翔太郎さんに麦茶まで奢ってもらったので、今日のお昼休みは特別な日になりました」
囁きにも近い大人しめな声で言うと、小桃ちゃんは目を細めてこちらを見た。その天使のような表情に心臓が跳ねる。
小桃ちゃん……やっぱり可愛すぎるだろ……俺の一番の癒しは小桃ちゃんなのかもしれない……。
たった数分前までは頭の中に蜜柑の顔があったが、小桃ちゃんの笑顔に全てをかき消されてしまった。今の俺の頭の中には、小桃ちゃんしか居ない。
「そんな大げさな。麦茶くらいだったらいつでも奢ってあげるよ」
「そ、それは悪いですよ……! それに、いつも奢ってもらってたら、翔太郎さんに奢ってもらう嬉しさが半減しちゃうと思いません?」
「あー、特別感がなくなるってことか」
「そういうことです」
嬉しそうな顔を作ったまま、小桃ちゃんはこくりと頷いた。俺と話すだけでこんなにも嬉しそうにしてくれるなんて……何度も言うが、小桃ちゃんという存在自体が俺の癒しだ。
小桃ちゃんが頷いたことで、そこで話に一区切りがついた。世間話もほどほどに、動くとするか。
「それじゃあそろそろ、小桃ちゃんが言ってたドーナツ屋さんに行こうか」
「そうですね。ご案内します」
「こちらです」と俺を先導するようにして、小桃ちゃんはゆっくりと歩き出す。その彼女の横に立ち、俺も歩き出す。
ふと隣を見てみると、小桃ちゃんは頬を赤くしたままどこかソワソワとしているようだった。彼女の指先が、何度も前髪をいじる。
「小桃ちゃん、もしかして緊張してる?」
そう尋ねてみると、小桃ちゃんは肩をピクリとさせた。彼女は困ったように眉尻を下げる。
「わ、分かりますかね……」
「うん。緊張してるのがすごく伝わってくる」
俺が笑いかけると、小桃ちゃんの頬がよりいっそう赤く染まった。赤くなる小桃ちゃんも可愛すぎる。
小桃ちゃんは拗ねたように唇を尖らすと、俺から視線を逸らした。
「だって翔太郎さんがかっこいいんですもん。緊張しちゃいますよ」
そんなことを俺に直接言ってくれるのか……小桃ちゃん……神……。
「そ、そんな言うほどかっこよくもないだろ……」
「かっこいいですよ。ずるいくらいかっこいいです」
片方の頬を膨らませ、なぜか小桃ちゃんは可愛らしく睨んでくる。こういう頬を膨らませたり唇を尖らせたりと拗ねた表情を作るのは、姉である蜜柑によく似ていると思う。
でも可愛い子にこれだけ「かっこいい」と言われて、嫌な気持ちになる男は居ないだろう。むしろいい気持ちになる。
俺は「そんなことないって〜」と謙遜しながらも、つい自分の顔を触ってしまった。
「あ、こっちです」
分かれ道があり、小桃ちゃんは右に進む道を指さした。駅前の大通りに出る道だ。
「了解」
ドーナツ屋さんの場所が分からないので、俺は小桃ちゃんの言う通りに歩く。
大通りには人の姿が多く、行き交う人たちと肩がぶつかってしまいそうだ。現に小桃ちゃんは、さっきから色々な人とぶつかっている。
「小桃ちゃん。大丈夫?」
「だ、大丈夫です。なんとか」
小桃ちゃんは体が細いので、大人の人とぶつかったら飛んでいってしまいそうだ。もしもそうなれば、はぐれてしまいかねない。だから俺は小桃ちゃんに手を伸ばす。
「小桃ちゃん。手を繋ごう」
俺がそう言うと、小桃ちゃんは目をパチクリとさせた。そして数秒間、俺と目を合わせる。すると俺の言ったことを理解したのか、小桃ちゃんは顔を真っ赤にさせた。
「ど、どどど、どうして手を……」
とても動揺しているようだ。そりゃそうか。いくら仲がいいとは言え、お姉ちゃんの彼氏から「手を繋ごう」なんて言われたら、びっくりしてしまうよな。
よくよく考えたら、手を繋ぐのはよくないか。もしかしたら、クラスメイトに見られてしまうかもしれないもんな。
「わ、悪い。今のはなしで」
「あはは」と誤魔化すように笑いながら、俺は差し出していた手を引っ込めようとする──だが小桃ちゃんは、慌てて俺の手を両手で掴んだ。小桃ちゃんの柔らかでひんやりとした手の感触に、ドキドキしてしまう。
お互いに真っ赤になった顔を見せ合いながら、目を合わせる。すると小桃ちゃんは恥ずかしそうに目を伏せて、ぽつりと言葉を落とす。
「翔太郎さんと……手……繋ぎたいです」
人混みのなかでも、俺の耳にしっかりと届いた。だからこそ、俺の頬がカッと熱を帯びる。
小桃ちゃんはまだ目線を合わせてくれない。俺からの言葉を待っているようだ。
ドキドキと鼓動を早くする心臓の音が、手を伝って小桃ちゃんにバレてしまいそうだ。今にでも緊張で呼吸が止まりそうになりながらも、俺は静かに頷いた。
「わ、分かった。手繋ごうか」
俺も照れて声が小さくなってしまったが、小桃ちゃんの耳にはきちんと届いたらしい。小桃ちゃんは一瞬だけ驚いたように目を開くと、それから嬉しそうに目を細めた。その頬が微かに緩む。
「ありがとうございます。翔太郎さん」
紡がれた声色は、どこか弾んでいるように聞こえた。
俺はニヤけそうになる口元を手で隠しながら、「ああ」と素っ気ない返事を返してしまった。それでも小桃ちゃんは嬉しそうに、俺の手を握ってくれる。
俺の左手と小桃ちゃんの右手が繋がる。俺と小桃ちゃんの熱が合わさり、その温かさが照れくさい。自然とお互いの肩と肩の距離が縮まるが、ドーナツ屋さんに着くまでの道のりには会話が生まれなかった。
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