口と口のあれ
プリクラを撮ったあとは、小桃ちゃんと別れて林檎さんと行動をともにした。服を見たり、カフェに寄ったり、ペットショップを覗いてみたり。ショッピングモールを遊び尽くしたのちに外へと出ると、空はオレンジ色になっていた。
そろそろ帰りますか。どちらからともなくそんな空気になり、俺たちは帰りの電車に乗った。
家の最寄り駅に帰って来た。改札を抜け、駅から出る。
「今日はありがとうね。アタシの買い物に付き合ってくれて」
「いえいえ。林檎さんに似合う水着が選べてよかったです」
「ふふふ。大切にするね」
林檎さんは手に持っていた袋を、胸の横に掲げてみせた。
あとはもう帰るだけの流れ。でも俺の胸の中は、ザワザワとしている。このザワザワはプリクラを撮った時からだった。林檎さんと小桃ちゃんに挟まれながら写真を撮っている自分の写真を見て、ここに蜜柑が居ればなと思ってしまったのだ。それからというもの、俺の頭の中には蜜柑の顔がチラつくようになってしまった。
「あの、林檎さん」
俺と林檎さんと小桃ちゃんとで遊んでいる間、蜜柑は家に一人で居たことだろう。せっかく会いたいと言ってくれたのに、俺は林檎さんとの遊びを優先してしまった。蜜柑という大切な彼女が居るのに。
「ん? どうしたの?」
林檎さんは目を丸くさせながら、こてんと首を傾げる。
林檎さんが悪いんじゃない。プリクラに誘った小桃ちゃんが悪いんじゃない。彼女が居るのに、他の女子に目移りしている俺が悪いんだ。そう思ってしまったから、胸がザワザワとしているのだ。
「俺、このあと林檎さんの家に行ってもいいですか?」
「え、どうして?」
「昼間に蜜柑から電話があったじゃないですか。蜜柑がせっかく会いたいって言ってくれたので、今からでも会いに行こうかなと思って」
現在の時刻は十八時を少し過ぎたところ。今の時間なら、蜜柑は確実に家に居る。
俺がそう言うと、林檎さんは驚いて瞳を大きくさせた。だがすぐに、その目を細める。
「そっか。分かったよ。会いに行ってあげてくれる? きっと一人で寂しがってるから」
林檎さんは俺を止めるどころか、背中を押してくれた。
「はい。ありがとうございます。それでなんですけどね──」
「ふふ。分かってるよ。アタシはそこら辺で暇を潰して帰るから安心して」
林檎さんと一緒に家に着くと、蜜柑に怪しまれてしまうかもしれない。そう思って林檎さんには時間をズラして帰って来て貰おうと思ったのだが、彼女はそれを察してくれたようだ。
「ありがとうございます!」
俺が頭を下げると、林檎さんが後頭部を撫でてくれた。林檎さんらしい、優しい手つきだった。
☆
急ぎ足で蜜柑の家に到着した。蜜柑の家の窓からは、明かりが漏れている。どうやら中に人は居るようだ。
ドアの前に立つと、どうしてか心臓がドキドキとしてきた。さっきまで林檎さんと遊んでいた罪悪感があるからか、今から蜜柑に会えるドキドキか。恐らくその両方だろうな。
俺はドキドキとしている胸に手を当て、深呼吸を繰り返す。
林檎さんと遊んだあとは、前もこうやって蜜柑の家に来た気がする。たしかあれは喧嘩をしていて、仲直りをする時だ。林檎さんと遊び終わると、蜜柑に会いたくなる魔法が掛かるのかもしれない。
そんことを考えている内に、胸のドキドキが収まってきた。チャイムを押すなら今しかない。
ピンポーン。意を決して、チャイムを押した。
『はい。どちらさまでしょうか』
インターホンから聞こえて来たのは、聞き覚えしかない声だった。
「蜜柑。俺だ。翔太郎だ」
『え!? なんで翔太郎が!?』
「蜜柑が会いたいって言ってくれたから、会いに来た」
『え! 嬉しい! ちょっと待ってて!』
インターホン越しに、蜜柑の興奮した声が聞こえて来る。家に来ただけこんなに喜んでくれるなんて、ここまで足を運んだ甲斐があった。
ドタドタと聞こえたあと、玄関のドアがゆっくりと開いた。
「ごめんね、こんな格好で」
現れた蜜柑の服装は、上下スウェットだった。恐らく部屋着なのだろう。
「いや、いきなり押しかけた俺も悪いから。どうせなら一本連絡入れた方がよかったか?」
「う、うん。そしたらオシャレして待ってた」
蜜柑は裾をきゅっと握りながら、照れ笑いを浮かべた。その笑顔にドキッとする。
「家族との用事は今終わったの?」
今度はそのセリフに、違う意味でドキリとさせられる。
「あ、まあ、そうだな。さっき終わって、そのまま直接ここに来た。そんなことよりも蜜柑、どうして昨日会ったばかりなのに会いたいなんて言い出したんだ?」
家族との用事と嘘をついたことを追求されないようにと、俺は無理やりに話を逸らした。
強引に話を逸らされたことに気付いていないのか、蜜柑は嬉しそうに目を細める。
「なんか朝起きたら翔太郎に会いたくなっちゃって。それで電話しちゃったの」
なんだそれ。めちゃくちゃ可愛いじゃねえか。
「そっか。特に用があったワケじゃないんだな」
でも可愛いと思っているのを悟られるのはどこか恥ずかしく、俺は平静を装いながら話す。
「うん。でもね、翔太郎としたいことがあるの」
「したいこと? なんだ?」
蜜柑は人差し指を擦り合わせながら、モジモジとしている。頬が桃色に染まっているのは、気のせいだろうか。
「あのね。わたしたち、もうすぐで付き合って二ヶ月になるでしょ?」
「あ、ああ。そうだな」
「だからそろそろ、次のステップに進んでもいい気がするの」
次のステップ。そう言われて、俺の頭にはある行為が思い浮かんだ。付き合って一ヶ月で、蜜柑と手を繋いだ。その次のステップということは……夢にまでみたあれか……?
「次のステップって言うとあれだよな……こう、口と口でするやつ」
「うん。口と口でするやつ」
お互いに恥ずかしいからか、なかなか『キス』という単語を口にしない。でも蜜柑の考えていることは分かった。それをすることで蜜柑が喜ぶのなら、俺がするべき行動はひとつだ。
「それじゃあ、目をつむってくれ」
俺がそう言うと、蜜柑の顔が真っ赤に染め上がった。それでも彼女は、そっと目を閉じる。
蜜柑が目を閉じたのを確認して、俺は静かに深呼吸をした。生まれてから今までキスなんてしたことがないので、有り得ないくらい緊張している。でも、キスへの興味もある。だから俺は覚悟を決めた。
「それじゃあ……するぞ」
そう声を掛けると、蜜柑は目をつむったまま頷いた。蜜柑も心の準備は出来たらしい。
俺は蜜柑の両肩に手を乗せて、ゆっくりと彼女に顔を近づける。唇と唇が触れ合った直後、キンっと前歯がぶつかってしまった。それに驚いて、俺と蜜柑は顔を離す。お互いに驚いた顔を見せ合い、それから二人で吹き出すようにして笑った。
「ごめん。初めてのキスだから下手だったわ」
「あはは。わたしも下手だったね」
前歯同士がぶつかっただけなのに、俺と蜜柑はお腹を抱えて笑う。でも互いに下手だったということは、蜜柑もキスが初めてだったんだろう。そのことにひどく安心した。
ようやく笑い終わり、蜜柑と顔を合わせる。
「もっと上手いキスが出来たらよかったんだけどな」
俺が自嘲気味にそう言うと、蜜柑は首を横に振った。
「ううん。これから二人で上手くなって行けばいいよ」
初めてのキスが失敗に終わったのにそう言ってくれる蜜柑が可愛くて、俺は彼女を思いきり抱きしめていた。前歯が当たるキスよりも、こうやって抱き合っていた方が、今は落ち着くような気がした。
──第四章 完──




