恋人の家で
イタリアンのファミレスに到着した。お昼時だからか店内は混んでいたが、なんとか席に着くことが出来た。
テーブル席で蜜柑と向かい合うようにして座る。パパっと注文を済ませて、待つこと十分ほど。席に料理が到着した。俺がエビグラタンで、蜜柑がカルボナーラだ。
「ねえねえ、このあとはどうするの?」
フォークにパスタを巻き付けながら、蜜柑はこちらに視線を寄越した。
蜜柑の中ではすでに、このあとどこかに行くことが決定しているらしい。
「あー、どうするかな。どこか行くか?」
今日は特に用事もないので、蜜柑に合わせることにした。たまには平日に、蜜柑と遊ぶのも悪くない。
でも平日のこの時間からどこに行こうか。遊園地はこのあいだ行ったし、どこか蜜柑と遊べる場所はあるだろうか。出来るだけお金が掛からないところがいいんだけどな……。
「じゃあさ、ウチ来る?」
蜜柑はそう尋ねると、フォークに太く巻いたパスタを一口で頬張った。ハムスターのように頬を膨らませながら、モグモグと咀嚼している。
蜜柑はあっけらかんとしているが、恋人の家に行くということは、ああいうピンク色の展開も待っているのだろうか……いや、蜜柑に限ってはそんなことは考えていないだろう。きっと普通に家で、ダラダラと過ごすだけに違いない。蜜柑とはまだ、付き合って二ヶ月も経っていないしな。
「蜜柑の家に行ってもいいのか?」
俺はグラタンをスプーンでつつきながら、首を傾げる。家ならばお金も掛からないし、いい遊び場になるだろう。
頬をパンパンにした蜜柑は、何度も力強く頷いた。何か言いたいようだが、口の中のものを飲み込めないようだ。
「落ち着け。ゆっくり飲み込むんだ。話はそれから聞くから安心しろ」
蜜柑は膝の上に手を置いて、ゆっくりと口の中のものを咀嚼し始めた。そしてようやく、口の中のものを全て飲み込んだ。
「ぷはぁ。苦しかった」
「そんなに口の中にパスタを詰め込むからだろ。ハムスターかお前は」
「えへへ。よく言われる」
頭をかきながら、蜜柑は照れている。どうしてハムスターと言われて照れるのかは分からないが、さっさと話の続きをすることにしよう。
「んで、蜜柑の家に行ってもいいのか?」
「うん! 大丈夫だよ。ちょっと散らかってるから、少しだけ玄関で待っててもらうようだけど」
「それくらいなら全然いいけど……ご両親とか居るのか?」
なんとなく、恋人の両親に会うのは緊張する。もちろんいつかは挨拶しなくてはいけないと分かっているが、まだ付き合って二ヶ月なんだし今ではない気がする。
両親が家に居るのなら、ゲームセンターにでも変更しよう。そう思っていたのだが、蜜柑は首を横に振った。
「ううん。今日はどっちもいないよ。あ、もしかしたら林檎お姉ちゃんが居るかもだけど」
「よし。蜜柑の家にお邪魔させてくれ」
即答だった。その理由は蜜柑のご両親が不在だからではない。林檎さんが居るかもしれないからだ。
でもそんな俺の本心など知りもしない蜜柑は、目を細めて微笑んだ。
「じゃあこのあとはわたしの家で決まりで」
そう言う彼女の口調は、どこか嬉しそうにも聞こえた。
☆
白色を貴重とした二階建ての家が、こちらを見下ろしている。俺たちはファミレスで昼食を取ったのち、蜜柑の家にやって来た。
蜜柑が部屋を片付けるのを外で待ったあと、家の中に案内された。
玄関を開けた先にはすぐに階段があり、それを上って二階へと移動する。その先にはすぐに蜜柑の部屋があり、俺はその中へと招き入れられた。
蜜柑の部屋の中には、ベッドとローテーブル、それに勉強机やテレビなどが置いてあった。ベッドの端には、可愛らしい動物のぬいぐるみが並べられている。
「適当に座って」
蜜柑はそう言うと、手に持っていた二つのグラスをローテーブルの上に置いた。グラスの中には茶色の液体……麦茶が入っている。
「おっす」
俺は初めての女の子の部屋に緊張しながらも、ローテーブルを前にして座った。ローテーブルは黒色の円形をしている。
蜜柑は俺の右手側に座ると、「はぁ」と一息ついた。彼女はまだ、茶色のセーラー服姿だ。
「蜜柑の部屋ってこんな感じなんだな」
「そう。ここがわたしの巣。以外だった?」
「いや全然。蜜柑は女の子っぽいからぬいぐるみとか置いてるんだろうなって思ってたら、案の定置いてあった」
ベッドの端に並べられているぬいぐるみを見ながら言うと、蜜柑はクスクスと笑った。
「小さい頃からぬいぐるみが好きだからね。なんかね、ぬいぐるみがあると落ち着くの」
「あはは。蜜柑はまだまだ子供だな」
ワガママばかり言うし、ぬいぐるみがあると落ち着くし。実は蜜柑はまだ幼稚園生くらいの歳なんじゃないか? と疑問に覚えてしまう。
「ぶー、別に子供じゃないですけど」
しまいには頬を膨らませて拗ねる。もう完全に幼稚園児だ。
「はいはい。蜜柑は大人だね〜。あ、あそこの本棚見ていいか?」
俺が煽るようなことを言ったからか、蜜柑は唇を尖らせた。でも本気では怒っていないようで、彼女は首を縦に振って本棚を見ることを許可してくれた。
部屋の隅に置いてあったピンク色の本棚の前に移動して見てみると、そこには沢山の少女漫画が並べられていた。
もしかして蜜柑がワガママなのは少女漫画が原因なのでは? と思いながら、俺は『となりの妖怪くん』という少女漫画を手に取ってみた。なんか聞いたことのあるタイトルだったからだ。
「これ読んでみてもいいか?」
暇なので漫画でも読もう。そう思って漫画を掲げてみせると、蜜柑はこくりと頷いた。
「ご自由にどうぞ」
蜜柑からの許可も貰えたので、俺はローテーブルの前に座って漫画のページをめくる。そこでふと、あることを思い出した。
「なあ、俺たち以外に家に誰か居るのか?」
「あー、林檎お姉ちゃんが居ると思う。部屋に居るだろうけど」
「そうか」
「どうして?」
「いや、なんとなく気になっただけだ」
まさか林檎さんに会いたいと思っていたなんて言えず、俺は誤魔化すように「ははは」と笑った。
蜜柑は不可解そうな顔をしていたが、「ふうん」と次第に納得してくれた。彼女はそのまま興味がなさそうに、スマホをいじり始める。
そっか。林檎さんは家の中に居るのか。そう思うと、なんだかソワソワとしてくる。でも蜜柑を置いて林檎さんに会うワケには行かないから……今は漫画を読んで林檎さんに会う機会を伺うか。
なんて思いながら漫画を読んでいると、意外と内容が面白くてページをめくる手が止まらなくなってしまった。そして気が付いた時には、蜜柑の本棚に置いてあった『となりの妖怪くん』の三巻を読み終えてしまっていた。
「なあ、これめちゃくちゃ面白いな。少女漫画なんて久しぶりに読んだけど、めっちゃハマりそう……って、寝てるし」
漫画の感想を口にしようとすると、蜜柑はローテーブルの上に頭を置いて寝息を立てていた。彼女の手には、まだ画面が光っているスマホが持たれている。
「なんだ、寝落ちか」
漫画に集中しすぎて、蜜柑が寝始めたことに気が付かなかった。これは優しく布団でも掛けてやるべきか。それとも無視しておくべきか。どうするのが彼氏としてベストなのだろう……と葛藤していると、部屋のドアがゆっくりと開いた。
「どうも〜。翔太郎くん久しぶり〜」
蜜柑が寝ているのを分かっているかのように、林檎さんが小声で顔を覗かせた。部屋着なのか、彼女はTシャツワンピースを着ている。それに相変わらず、おっぱいが大きい。
「あ、林檎さん。お久しぶりです」
待ち望んでいた人物が現れて、俺は思わず立ち上がってしまった。
林檎さんは俺に手を挙げて返事をすると、ローテーブルの上で寝ている蜜柑をチラリと見た。
「蜜柑、寝ちゃったんだね」
「はい、気付いたら寝てました」
「そうなんだ。それじゃあさ、少しだけお姉さんとお話ししない? 一階のリビングで」
おっと。まさかの林檎さんからのお誘い。断る理由なんて一つもない。
「いいですね。お話ししましょう」
「じゃ、一階のリビングに移動しようか」
「あ、ちょっと待ってください」
俺は思い出したかのように、蜜柑のベッドから一枚の掛け布団を引っこ抜いた。その掛け布団を、ローテーブルに突っ伏している蜜柑の肩にかけてあげる。
「ふふふ。優しいのね」
林檎さんはそう言って笑ったので、俺は「そうでもないですよ」と満更でもないように言ってから、蜜柑を置いて部屋をあとにした。




