意外と仲良し
月が変わり、七月に突入した。
学校はぼちぼち夏休みに向けたムードになって来ていて、どこか浮ついた気分になる。
それと同時に、月が変わったということはお小遣いが貰える。俺は七月に入るや否や、母親に小遣いを要求した。貰えたのは一万五千円と、今日の昼食代。久々に財布の中身が潤った。
「おはよーっす」
今月はなにに小遣いを使ってやろうか考えながら通学路を歩き、やっと教室に辿り着いた。
クラスメイトたちに挨拶をしながら自分の席に座って、スクールバッグを机の横にかける。
教室内を見回してみても、蜜柑の姿はない。蜜柑はいつも、朝のホームルームが始まるギリギリの時間に登校してくるのだ。
「おはよう翔太郎。今日は朝からご機嫌だね」
目の前の席に座っていた健がこちらを振り向いて、イケメンな笑顔を浮かべた。半袖のワイシャツから露出している小麦色の腕は、彼がサッカー部である証だ。
「おはよう。俺がご機嫌なの分かるか?」
「もちろん。いつもは疲れた顔してるけど、今日はどこか嬉しそうだったからね」
「さすがは俺の親友だ。ちょっとの変化も見逃さないとは」
「ははは。その様子だと、ようやくお小遣いが貰えたようだね」
付き合いが二年目になるだけのことはある。俺がご機嫌な理由まで分かってしまうとは。
「そうなんだよ。ついに金欠人生から足を洗えたんだ」
俺は嬉しさで頬を緩ませながら、ポケットに入っている財布をズボン越しにさすってみる。財布はいつもよりも厚さを増している気がした。
「それはよかったよ。でも今月もお嬢様にお金を使うことになるんじゃない?」
健の言う『お嬢様』とは、もちろん蜜柑のことだ。きっと蜜柑のワガママさを加味して、お嬢様と呼んでいるのだろう。
「健の言う通りだ。蜜柑に使ってやる金がほとんどになるだろうな。そう思うと……憂鬱になって来たな……」
さっきまでのテンションはどこへやら。俺にはワガママな彼女が居るから、自分に使える金などないことに気が付いてしまった。いや、もしかしたら心を入れ替えた蜜柑ならば、前よりはワガママじゃなくなったかもしれないが……俺が彼氏である以上は、奢らないワケにはいかないよな……。
げんなりとしてしまった俺を見て、健は「ははは」と声を上げて笑った。
「でも僕としては翔太郎が羨ましくてたまらないよ」
「羨ましい? 金が吸い取られるところがか?」
「違う違う。お金を使える彼女が居ることだよ」
懐っこい笑みを浮かべながら、健は自嘲気味に言葉を吐いた。
コイツは何を言っているのだろう。健は容姿端麗だし、文武両道だ。それにサッカー部のエースをしていれば、さぞモテることだろう。というか、実際に健がモテるという噂をちょくちょく耳にする。
「お前な。そういうことは俺以外の前では言わない方がいいぞ? 嫌味だと思われるからな」
「嫌味? どうして」
「はあ……お前な、なんでそこでとぼけるんだよ。お前はモテるだろ」
ため息を吐きながら、俺はイケメンハーフな健の顔面を指さした。健は指をさされると、遠慮がちな笑顔を作った。
「モテるっていうのがどういう意味なのかよく分からないけれど、僕には恋人なんていないよ。もちろん、女友達も多いワケではないからね」
「恋人がいないのは知ってるよ。でもモテるだろ。いっぱい告白されてるんじゃないのか?」
「まあ……何度か告白はされてるかな。でも恋人がいないってことは……まだ翔太郎みたいに運命の人とは出会えてないんだろうね」
ニコリと笑いながら、健はサラッとそんなことを言う。
運命の人……と言われても、俺は蜜柑に告白されたから付き合ってみただけであって、なにも運命を感じたワケではない。
「付き合ってみないと運命の人かどうかって分からなくないか?」
だって付き合う前と後で、蜜柑の印象は大きく違った。付き合う前はその人のいいところしか見ないのだから、自分に合うかどうかなんて付き合ってみないことには判断できないと思うのだが……。健は「うーん」と唸りながら、首を捻った。
「たしかに翔太郎の言うことも一理ある。だけど今はサッカーが好きだからさ、恋愛にはあんまり興味ないワケよ。でもその上で、サッカーと同じくらい熱中できそうな人に出会うことができたら、その人が運命の人なんじゃないかなって」
ほう。どうしてこんなに告白されるのに、健には彼女が居ないのだろうかと不思議に思っていたが、どうやらサッカーが健の恋人だったようだ。しかし彼も恋愛には興味あるようで、サッカーと同じくらい愛せそうな女子とは付き合いたいらしい。彼の話をざっくりとまとめると、そういうことだろう。
健はもっと爽やかなイメージがあったのだが、彼は恋愛になると少しだけあれだな──
「健って意外と面倒なんだな。恋愛が絡むと」
特に恋愛について何も考えてこなかった俺は、健の価値観を面倒だと思ってしまった。
困ったように眉尻を下げながら、健は人差し指で頬をかいた。
「面倒かもしれないけれど、サッカーと同じくらい熱中できるような人が現れるまで恋愛はしないって決めてるからね。それが僕の恋愛の価値観なんだ」
「へぇ〜。俺には分からない価値観だわ。初めて蜜柑に告白されて、特に何も考えずに了承しちゃったもんな。逆に俺は恋愛が適当なのかもしれん」
はっ……もしかして俺は特に何も考えていなかったから、蜜柑のようなワガママな子を恋人に貰ってしまったのだろうか。でもまあ、蜜柑と付き合って大きな後悔はないので、今となってはどうでもいい話だが。
「適当でもいいと思うよ。でも牧野さんに告白されて振らなかったってことは、なにか彼女に惹かれるものがあったんだと思うよ」
「惹かれるものか……特になにも感じなかったけどなあ……」
「自分では感じてないかもしれないけれど、無意識のレベルで惹かれていたんだよ。きっとね」
「無意識のレベルで惹かれてた……か」
無意識のレベルで惹かれるとは、一体どういうことを言っているのだろうか。うーむ……俺は頭が悪いから分からん……と一人で唸っていると、教室の後ろのドアがガラリと開いた。
「おはよー!」
元気な声で登校してきたのは、今まさに噂をしていた蜜柑だ。蜜柑は笑顔で元気よく、「おはよ!」と女子の友達に挨拶をしている。
今日も茶色のセーラー服と、自慢のサイドテールが絶妙にマッチしている。
「翔太郎もおはよ!」
蜜柑は後ろから歩いてくると、すれ違いざまに俺の頭をペシッと叩いて通り過ぎて行った。まあまあの強さで叩かれたので、俺はヒリヒリとする頭をさすりながら「おはよう」と蜜柑の背中に返事をする。
頭を叩いて颯爽と去っていく蜜柑の後ろ姿を見て、俺は肩をすくめた。
「いや、あんな乱暴な女になんか惹かれるとこないって」
冗談と本気を織り交ぜた俺のセリフに、健はケタケタと肩を揺らして笑った。
「そんなことを言いながらも仲がいいってことは、何かしら惹かれてる部分があるんだと思うよ。お互いにね」
笑い混じりに、健は俺の肩をポンポンと叩く。
惹かれるか、惹かれないか。運命か、そうでないか。そういう難しいことは分からないが、蜜柑と仲がいいと言われても悪い気はしなかった。むしろ嬉しいと思ってしまう自分が居ることに気が付いて、頬が勝手に熱を帯びた。




