おまじない
「ふぅ〜、遊んだ遊んだ〜」
隣に座っている林檎さんは、気持ちよさそうに夜空を仰いだ。
ゲームセンターから出ると、空は暗く染まっていた。それから適当にファミレスで夕食を食べたのち、俺たちは公園のベンチに座り一休みすることにしたのだ。
滑り台とブランコしかない小さな公園のベンチで、俺と林檎さんは隣同士に座っている。
「遊びましたね。それにしても、本当に全部奢ってもらっちゃってありがとうございました」
「いいっていいって。翔太郎くんが蜜柑に使ったお金に比べたら安いもんだよ」
「そ、そうですかね……今日だけで結構使わせちゃった気がするんですけど」
ゲームセンターでは何台ものゲームを遊ばせてもらって、ファミレスでもお腹いっぱいになるまで食べさせてもらった。沢山お金を使わせてしまったのは事実。恋人の姉だからと言って、罪悪感がある。
「もー、そんな顔しないのー。お姉さんはバイトしてていっぱいお金あるから大丈夫だよ」
林檎さんは目を細めながら、俺の頭を撫でてくれる。頭を撫でられるのなんて久しぶりだったので、少しだけ照れくさい気持ちになる。
「分かりました。本当に今日はありがとうございました」
「いいえ〜。楽しんでもらえたならなにより」
「めっちゃ楽しかったです」
「うん。アタシもすごく楽しかった」
こくりと頷くと、林檎さんは頬を緩ませた。
そこで会話に一区切りがついて、二人の間には沈黙が訪れる。公園には俺と林檎さんしか居ないので、二人が言葉を発さないだけで静かになってしまう。何か話した方がいいだろうかと思っていると──
「あのね、これはアタシのワガママなんだけどさ」
林檎さんはそう言うと、困ったように眉を八の字にさせた。
「蜜柑は超がつく程のワガママだけれど、悪気があるワケじゃないと思うの。あの子がしたことは本当に最低なことだと思うんだけど、蜜柑は翔太郎くんと付き合い初めてから毎日すごく楽しそうなんだ。蜜柑があんなに楽しそうで幸せそうにしてると、アタシも小桃もすごく嬉しくて。だからね……もしも翔太郎くんがよかったらなんだけど……蜜柑のことを許してあげてくれないかな……?」
笑うワケでもなく、怒るワケでもなく、林檎さんは申し訳なさそうな表情を作っている。
蜜柑を許してあげてくれ、か。林檎さんとこうして遊んでいたら、いつの間にか蜜柑に対する怒りは消えていた。その気持ちに気付けたので、俺は首を縦に振った。
「蜜柑のことは許します。っていうよりも、俺と蜜柑の喧嘩なんでどっちが悪いとかもないと思うんです。蜜柑がワガママなのも悪いし、俺がお金がないのも悪い」
もう怒ってもいないし、過ぎたことをネチネチと考えているのも違う気がする。しかし林檎さんは驚いたように目を大きくさせた。
「翔太郎くんは一つも悪くないよ」
「いや、俺にも否はあります。だって俺にもっとお金があれば、蜜柑を遊園地に連れて行ってやることが出来たんですから。だから『許す』っていう表現よりも、『もう怒ってない』って感じです」
「で、でも……」
「いいんですよ。これからも蜜柑と付き合って行く以上は、あのワガママには絶対に付き合わなくてはいけないと思います。蜜柑があんなにワガママでも、あんなに大喧嘩しても、俺はアイツと別れたくないって思っちゃうんです。だから俺は、蜜柑のワガママを否定しません。まあ、ムカつく時はあるかもしれないですけど」
俺は笑い混じりに、心の中にあった本音を吐き出す。ああ、俺はそう思っていたのだなと、口にしてみて改めて実感することになる。
しかし納得行かないのか、林檎さんは眉を八の字にしていた。
「ムカつく時はあっても、別れたくないの?」
「そうですね。別れたくはないです」
「これからもずっと、ワガママ言われるかもよ? ずっとずっとワガママを言われ続けるんだよ?」
「それでもいいんです」
「もっとお金を使わせられると思うよ。蜜柑、翔太郎くんになにかを奢ってもらったりするの好きだから」
「そこら辺も分かってます。でもワガママを言われたからって、従わなきゃいけないワケじゃない。これからは今日みたいに無理なことは無理って言っていこうと思います」
「それでも蜜柑が怒ったら?」
「蜜柑が怒ったら……また喧嘩でもして、言いたいことを言うようにしますよ。もちろん蜜柑の言い分も聞きます。アイツなりの考え方があると思うんで」
林檎さんと遊んで頭が冷えたからか、そこまで考えられるようになった。
蜜柑のワガママは度を越えているが、俺もそれに付き合っていけるくらいの男になろうと思う。まあ金銭面に関してはどうにもならないので、今すぐにでも解決策を考えなければいけないのだが……。
「蜜柑のことを許してくれるのは嬉しいんだけど……どうしてそこまで蜜柑を好きでいてくれるの?」
心底理解できないという表情で、林檎さんが尋ねる。
どうして蜜柑を好きでいるのか。ぶっちゃけて言うと、蜜柑の顔がタイプってワケでも、性格が好きってワケでもない。じゃあどうしてなのか。そう考えてみて、蜜柑を好きな理由が二つ思い浮かんだ。
「二つ理由があるんですけど、一つは俺のことを好きになってくれた唯一の相手だからですかね」
「すごく素敵な理由ね」
「そうですかね。こんな俺を好きになってくれたんですもん、好きになっちゃいますよ」
「そっか……そういう恋愛もあるのね。で、もう一つは?」
林檎さんがコテンと首を横に倒す。俺はごくりと唾を喉に押しやってから、笑顔を作って答える。
「俺にだけワガママを言ってくれることですかね」
俺が本心からそう言うと、林檎さんは目をパチクリとさせた。しかしすぐに、林檎さんは目を細める。
「そっか。ありがとう。翔太郎くんみたいな人が彼氏で、蜜柑は幸せ者だと思う」
林檎さんはそう言うと、俺の手をそっと握った。突然手を握られたので、俺の心臓がトクンと高鳴る。柔らかで温かな手は、小桃ちゃんの手とは全然違った。
林檎さんは俺の手を握ったまま、口元に微笑を貼り付けた。
「これは仲直りするおまじない。今は蜜柑と心が離れてるかもしれないけど、こうやって手を握って話すと互いの気持ちがよく伝わると思う」
林檎さんはそこまで言うと、続けて声を落とした。
「蜜柑のこと、お願いね」
たしかにこうやって手を握られていると、林檎さんが俺に蜜柑を託してくれているのだということがよく伝わってくる。
俺、林檎さんからこんなに信用されていたんだ。そう思うと、途端に勇気が湧いてきた。
林檎さんに手を握られたまま、俺は思い立ったように立ち上がる。
「俺、今から蜜柑と仲直りしてきます」
「今から?」
「はい。アイツと喧嘩したままだと、気持ちよく眠れない気がするんで」
冗談の口調で言いながら、俺は肩をすくめてみせる。そんな俺を見て、林檎さんは目をパチパチと瞬きさせた。驚いている彼女の手を、俺も両手で握り返す。そしてバッチリ目を合わせ、俺は笑顔を見せる。
「行ってきます、林檎さん。蜜柑のことは大好きですけど、林檎さんのことも大好きですからね」
俺はそれだけを言い残して、蜜柑の元へと駆け出した。その際にスルリと林檎さんの手が離れたが、寂しいとは思わなかった。だって蜜柑と付き合っていれば、いつかまたこうやって林檎さんと遊べるのだから。
大好き。その言葉を聞いた瞬間に林檎さんが顔を赤くしたのを、きっと俺は忘れられないんだろうな。




