蜜柑とは大違い
駅に到着すると、相変わらず人の姿で賑わっていた。きっとこの人たちは家へと帰る途中なのだろうなと考えながら、俺は林檎さんに指定されたカフェへと向かう。
林檎さんが待っているカフェは駅の中にあった。
「お邪魔しまーす」
店の外まで香るコーヒーの匂いに釣られるようにして、自動ドアをくぐってカフェの中に入る。店内に足を踏み入れるとすぐに、コーヒーを注文するカウンターがあった。俺は何を買うわけでもないのでカウンターの人と目を合わせないようにしながら、林檎さんの姿を探す。するとすぐに、その人物は見つかった。奥の方にある二人がけのソファーに、林檎さんは座っていた。
「林檎さん。お久しぶりです」
そう声を掛けながら、林檎さんの側に歩み寄る。すると林檎さんはこちらを見上げるなり、笑顔を作った。
「あら、翔太郎くん。久しぶり」
穏やかな口調を紡ぐと、林檎さんは「ふふふ」と笑った。
久しぶりに会ったので、改めて彼女のことを見てみる。牧野林檎さん。ベージュ色に染めた髪は胸下あたりまで伸びていて、くっきりとした二重まぶたが可愛らしくて美人な印象を作り出している。少し視線を下げてみると、服の上からでも分かる二つの胸が大きく膨らんでいる。美人で巨乳のお姉さん。それが林檎さんだ。
林檎さんはベージュ色のチュニックとチェック柄のスカートを着ている。ワイシャツ姿の俺とは対照的に、林檎さんは私服だ。そりゃそうか。林檎さんは大学生だもんな。
「林檎さんは相変わらずですね」
林檎さんの大きな二つの膨らみを見ながら言うと、彼女は何のことか分からずに首を傾げた。しかしすぐに、頬に微笑を浮かべる。
「翔太郎くんも相変わらず可愛い顔してるね。ほらほら、ここに座って」
林檎さんはソファーの端に移動すると、自分の隣を指さした。林檎さんが座っていたソファーは、二人がけになっているようだ。彼女の前にある四角いローテーブルの上には、コーヒーの入ったマグカップとグラス、それとショートケーキが置いてある。どうしてコーヒーだけ二つあるのだろうか。
でも二人がけのソファーとは言え、俺が座ると林檎さんと密着することになってしまう。そこまで大きなソファーでもないからな。
「いいんですか? 隣に座って」
だから一応確認すると、林檎さんは笑顔のまま頷いてくれた。
「うん。翔太郎くんならいいよ」
なんだかその言い方にドキリとさせられた。俺ならいいって、どういうことだ。他の男ならダメなのか? 俺だからいいってことは、どういうことだ? と深く考えそうになる思考を振り払い、俺は何も考えないようにして、「失礼します」と林檎さんの隣に腰掛ける。ソファーはフカフカとしているが、それよりも右腕が林檎さんのモチモチスベスベな腕に当たって気持ちがいい。
「じゃあこのアイスコーヒーは翔太郎くんのね」
林檎さんはそう言うと、テーブルに置いてあったグラスを俺の前に差し出した。グラスの中には真っ黒なコーヒーが入っている。
「え、これ俺のために買っててくれたんですか」
「そうなの。コーヒー好きだったよね?」
「はい、全然飲めますけど」
「よかった。ブラックかカフェラテで迷ったんだけど、苦いのが嫌ならあとで砂糖とミルク入れればいいかなって思って」
「そういうことだったんですね。ブラックも飲めるので大丈夫ですよ」
自然と笑顔になり頷いてみせると、林檎さんは「大人だね」と言って笑った。
そういうことなら、いただきます。そう言って手を合わせて、俺はブラックのコーヒーを一口だけ飲む。この苦さが癖になるんだよな。
「それでそれで、蜜柑との喧嘩の件。詳しく聞かせて貰えないかな」
林檎さんがこちらにずいと顔を寄せる。それと同時に、プンとフルーツ系の甘い香りが鼻をくすぐった。
「ああ、そうですね。詳しく話します」
林檎さんから香る甘い匂いにドキドキしながらも、俺は今日の昼休みに起こった出来事をこと細かく説明した。特に誇張したりせずに、ありのまま。
喧嘩の全容を聞いた林檎さんは苦い表情を浮かべながら、「なるほどねえ」と頷いた。そしてこちらに体を向けるなり、勢いよく両手を合わせた。
「ウチの蜜柑がほんとごめんなさい! あの子がワガママなのは知ってたけど、そこまで翔太郎くんに迷惑かけてるなんて」
申し訳なさそうな顔をしながら、林檎さんは俺の顔を伺っている。どうして林檎さんがそんな顔をするのだ。林檎さんは悪いことしてないのに。
「いいんですよ。今まで強く注意出来なかった俺も悪かったので」
「でも、散々色々なものを奢らせといて、今週末までにお金を作って来いはヒドイ話だよ」
「それはまあ、俺もヒドイ話だと思うんですけどね」
二人して苦笑いを見せ合う。お互いに蜜柑のワガママさをよく理解しているようだ。蜜柑のワガママは一級品だからな。
「でも俺がグチグチ言ったところでお金は返って来ないし、彼氏が彼女のためにお金を使うのは普通のことですから」
「だけどね、蜜柑の場合は度が過ぎてると思うんだよね。翔太郎くんもバイトしてるワケじゃないし、限られたお金でどうにかするしかないんだから」
「そうですね。今の小遣いじゃ、一ヶ月で全部蜜柑に吸い取られますね」
「でしょー? これはアタシからもキツく言っておく必要があるかも」
呆れた様子でそう言うと、林檎さんは「はあ」と深くため息を吐いた。
林檎さんはフォークでショートケーキをカットすると、切れ端をパクリと食べる。そして残った一口分のショートケーキをフォークで刺して、下に手を添えながら俺の口元へと近づける。
「翔太郎くん可哀想だから、お姉さんのショートケーキを贈呈しよう。はい、あーんして」
うん? このフォークは林檎さんが使っていたものだ。もしもこのショートケーキを食べれば、林檎さんと間接キスをすることになる。俺はまだ蜜柑ともキスをしたことがないのに……それどころか間接キスだってまだなのに……林檎さんと間接キスなんか出来るワケ……。
「いただきます」
もちろんいただく。林檎さんがせっかくショートケーキを食べさせてくれるんだ。食べないワケにもいかないだろう。
俺が大きく口を開けると、ショートケーキが口の中に入った。そのまま口を閉じると、フォークだけが引き抜かれる。
初めての間接キスの味は、イチゴとホイップの味がしてとても甘かった。
「どう? このショートケーキ美味しくない?」
林檎さんがコテリと首を傾げる。俺はケーキが口の中に入っていて喋れないので、首だけをコクコクと振って答えた。
口の中のものを流し込むようにして、コーヒーを飲む。
「よしっ。それじゃあ今から遊びに行こうか」
「遊びにですか?」
「うん、さっき電話で妹の責任取るって言ったでしょ?」
「あ、はい。言ってましたね」
「だからアタシが翔太郎くんを遊びに連れて行ってあげるよ。もちろんアタシがなんでも奢ってあげるから」
なんでも奢ってあげる。きっとこのセリフは、全人類が言われたい言葉ランキング上位に入るだろう。
俺はアイスコーヒーを飲みながら、林檎さんに尋ねる。
「どこに遊びに行くんですか?」
林檎さんはニコリと笑うと、唇に人差し指をくっつけた。
「とっても楽しい場所よ」
やけに色っぽかったその口調にドキドキしてしまうのは、俺が変な期待をしているからなのだろうか。




