フィリア
彼女の名はフィリア。
エルデの谷のエルフであり、故郷と家族を守るために帝都へ来た少女だ。
帝都の外れで手に入れた〈なんでも切れる包丁〉を携え、
フィリアは急ぎ故郷へ戻った。
あの胡散臭い店で出された刃物を見たとき、それが異様に欲しくなって、
全てを解決してくれるような、そんな気がした。
——ただ本当に、これで魔物を倒せるのだろうか。
そんな疑問は、村の入口に差しかかった瞬間、霧散した。
森の音がざわつき木々の囁きは乱れ、風は怯えたようにすり抜けていく。
近くで何かが腐葉土を踏み締める——重い足音。
鋭い牙、濁った瞳。
森の魔力を喰らい、暴走状態になった魔物だ。
フィリアは喉がひきつるほどの恐怖を覚えた。
エルフは本来、森と共にある。
“森のもの”を斬るという行為は、生涯のうち一度もない。
それでも——
「……守らなきゃ」
フィリアは包丁を握り締め、一歩踏み出した。
魔物が咆哮した瞬間、風が弾かれた。
フィリアは反射的に刃を構える。
体が軽くなるような感覚。
包丁を握った手だけが、不思議なほど自然に動く。
ほんの一瞬。
包丁を振った記憶すら曖昧なほど速かった。
次の瞬間——
魔物の身体は、紙のように薄く切断されていた。
切られた断面はなぜか焦げず、血も飛び散らない。
ただ、本当に切れただけ。
森が静まり返る。
「……やった、の?」
手の中の包丁はただの金属塊のように静か。
だが、フィリアの胸には確かな実感が湧き上がる。
「これで……みんなを守れる」
震える声。
だがその震えは恐怖ではなく、希望の芽生えだった。
魔物を倒したのは、人生で初めての経験。
それが、たった一振りで終わったのだから。
包丁を軽く見下ろす。
ただの刃物にしか見えないのに——
「……すごい。なんて力……」
フィリアは深く息を吐き、村へ戻るため歩き始めた。
その背中は、帝都へ向かったときよりずっと力強い。




