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作者: 宇航

 課題が終わった時、ラテの上にのせられていた南瓜のクリームはすっかり溶けきっていた。少し混ぜて、生温い南瓜ラテを飲む。

 「それ、美味しい?」

 向かいの席に座っていた駒野が不思議そうに聞いてくる。「美味しいよ」と返すと「俺、南瓜苦手なんだよな」と苦笑いした。

 大学終わりに声をかけてくれたのは駒野だった。同じ講義の課題を一緒にしようという口実で、珈琲チェーン店に連れられた。駒野は季節限定のスイートポテトが食べたかったらしい。俺は特に飲みたいものも無かった為、店員に勧められた季節限定の南瓜ラテを頼んだ。

 南瓜ラテを飲み干すと、駒野は「帰るか」と言って立ち上がり、机の上を片付け始めた。

 「そういや、まだ捕まらないらしいな」

 駒野がノートをリュックに入れながら独り言のように呟いた。

 彼が言っているのは、最近、近くで起こっている連続バラバラ殺人事件の事だろう。被害者は全員女性で、既に三人の遺体が見つかっている。ニュースや新聞を目にすることが少ない俺でも知っている、有名な事件だ。

 「怖いよな」

 駒野は特に関心が無さそうに言った。


 駒野と別れ、自分の住んでいる小さなアパートへ向かう。駅から離れているため、アパートに近づくにつれて人通りも少なくなる。十月後半になると、日が暮れる時間も早くなる。アパートに着いた時には、あたりは暗く、街灯も点いていた。

 冷たいドアノブを回し、扉を開けると冷たい空気が流れ出る。

 背負っていたリュックをリビングに置き、風呂場に向かう。風呂の中には女が座っている。

 「ただいま」

 返事は無い。当たり前だ。死んだ人間が話すわけがない。分かっている。分かっているのに、返事をしない女に、腹が立った。


 二人と出会ったのは、母親の葬式だった。二人は父親の親戚の姉弟で、姉の方が自分より二つ年上、弟が自分と同い年だった。親族だけで行われた葬式の記憶はあまりない。ただ、父親がその姉弟の両親に頭を下げていた事は覚えている。それから、両親は俺の手を引いて「これからよろしくね」と言った。

 その日から父親とは会っていない。毎月お金を両親に送っているらしいが、それ以外の連絡は一切無い。

 大学生になるまで、俺はこの姉弟の家で育った。本当の家族のように自分を迎え、育ててくれた四人には本当に感謝している。

 特に、弟のつくしは家でも学校でも一緒に過ごしてくれた。つくしは周りをよく見る事ができて、いつも友人達の中心にいた。人との関わりが苦手だった俺を無理矢理引っ張ることもなく、いつも俺のペースを守ってくれていた。きっと、両親から言われていたのだろう。それでも、俺は嬉しかった。

 しかし、つくしは周りが見えるからこそ人に頼ることが苦手だった。それは友人達だけでなく、両親に対してもだった。家の中でも、両親や他の人の目がない場所でも、俺のペースを守って、兄弟として接し続けてくれていた。

 そんなつくしを、早く俺から解放したかった。だから、大学進学と同時に家を出た。勿論、つくしの為だけじゃない。あの家の四人にこれ以上は迷惑をかけられないとも思った。それでも、一番の理由は、つくしにこれ以上不自由な生活をして欲しくなかった。

 それなのに、それなのにこの女は……。


 風呂場に座る女に、動く気配は全くない。移動させる気にも触る気にもならなかった。むしろ、そこにいる事に強い不快感と苛立ちを覚えた。鏡を見ると、眉間にシワを寄せる自分が写っていた。酷い顔色だ。

 鏡から目を離した瞬間、玄関のチャイムが鳴った。一瞬驚いたが、直ぐに冷静さを取り戻した。風呂の扉を閉め、玄関に向かう。足は重くも軽くもない。

 ドアスコープを覗くと、黒いコートに身を包んだつくしが立っているのが見えた。無防備にもチェーンも掛けずに鍵を開け、扉を開ける。

 つくしは「よっ」と言って小さく笑い、控えめに手を上げた。それから部屋を覗き込むようにして「お前の部屋、寒過ぎないか?」と不思議そうに言った。

 「今帰ってきたばっかりでさ、暖房つけようとしてたところ。この部屋、陽当たり悪いから外より冷えるんだよな」

 困ったように笑う。つくしは「そっか」と言って、俺の顔を見た。部屋の事なんてどうでも良いようだ。それよりも、早く俺に何か話したいようで、焦りを隠すように目が泳いでいる。

 「なんかあった?俺の部屋は寒いからさ、近くのファミレスにでも行って……」

 「あ、いや、大丈夫。ちょっと聞きたいことがあってさ」

 つくしは顔の前で手を振った。本当に焦っているようで、珍しく早口だ。

 「あのさ、姉さん、知らない?」

 つくしは申し訳なさそうな笑顔を作りながら、俺の目を見た。俺は姉の名前を口に出す。そして、「知らないよ。この前つくしと三人で会った日から、一切連絡もとってない」と言った。

 「そっか、それなら良いんだ。ありがとう」

 つくしは口角を上手く上げているが、目は泳いだままだ。

 「どうかした?」

 「あのさ、その……」

 何かを隠すかのように、つくしの歯切れが悪くなる。

 「姉さんが、昨日から帰ってないんだよね。……ほら、家出かもしれないって思うんだけどね、でも、連絡も通じなくて……。もう良い大人だから、一日帰って来ないとか、普通かもしれないけどさ、でも今までそんな事、一回も無かったし、最近は物騒な事件も続いてるから」

 つくしの口調はどんどん早くなる。

 「父さんと母さんには心配しすぎだって言われたんだけど、でも、こんな事初めてで……。父さんと母さんには言わなくても、絶対俺には連絡してくれてたから、だから」

 急に言葉が途切れる。次には顔を上げ、俺の顔を見て、「ごめん、話し過ぎちゃった」と、また笑顔を作った。

 「いや、良いけど……。つくしは大丈夫か?」

 「僕は大丈夫だよ」

 つくしは、不安を隠すように笑った。


 つくしは直ぐに家に帰って行った。別れ際、「心配かけてごめんね。きっと直ぐに戻ってくるよ。お前は気にしなくて良いからね。俺が心配性なだけなんだ」と言っていた。それに対して、「きっと戻ってくるよ」と言えない自分が情けなかった。きっとこれから、つくしには何度も言う事になるだろう。「きっと帰ってくるよ」「待っていたら、戻ってきてくれるよ」と。しかし、今日だけは言えなかった。

 風呂場に戻る。女は変わらず風呂場に座っている。

 「聞こえた?つくし、かなり心配してたよ」

 女は黙っている。

 「珍しいよな、あいつが俺の前であんなに焦るなんて。それだけあんたの事が心配なんだよ」

 女は黙っている。

 「聞いてんのかよ」

 女の頭を叩く。その衝撃で頭が後ろに倒れ、首に残る縄の跡が丸見えになった。縄の跡を睨みつけ、白いため息を吐く。



 つくしは、周りが見えるからこそ人に頼る事ができなかった。両親にも、友人にも。そんなつくしが唯一感情を出し、それを受け止めていたのが姉だった。姉はいつでも、つくしが子供でいる事を許した。

 しかし、姉は誰も頼れなかった。両親にも、友人にも。つくしが子供である事を許すと同時に、自分には姉という鎖をつけ続けていた。それでも姉は、誰かを頼ろうとした。それが俺だった。大学に入学し、俺が一人暮らしを始めてから、よくうちに来るようになった。いつも何かを言いたそうだったが、結局何も言わずに帰って行った。週に一回来たと思えば、一ヶ月来ない日もあった。いつでも来れるようにと合鍵も渡していた。俺はいつでも話を聞こうと思っていた。それでも、無理矢理口を開かすわけにはいかないと、自分から話してくれるのを待ち続けていた。それが間違いだった。

 昨日、大学から帰宅すると姉が首を吊っていた。

 俺への当て付けなのか、母親と同じ死に方だった。

 紐から下ろした時には完全に息絶えていたが、まだ、ほんの少しの温度はあった。こんな状況でも冷静な自分が嫌だった。


 「わざわざ俺の部屋で死ななくても」

 女は相変わらず黙っている。突然、全身の力が抜け、その場にしゃがみ込んだ。初めて自分の手足が震えている事に気付く。

 「俺のこと、嫌いだもんな」

 震える足を見ながら女に話しかける。

 二人が人に頼れなかったのは、周りが見えすぎるからだ。見えすぎるからこそ、両親の期待に応え続けなければいけなかった。二人の両親は俺を引き取ってから、かなり無理をさせてしまった。両親はとても優しく、いつでも俺を家族だと言ってくれた。「私達は家族だ」と、よく俺に言っていたが、本当は自分達に言い聞かせているようだった。そして、俺に無理をさせないという思いが、自分達の子に無理をさせていた。

 両親は他人に優しすぎたのだ。もし、俺がいかなかったら、両親は二人の姉弟を大切に育てていた。それを、姉は俺よりもずっと感じていただろう。

 俺の部屋で死んでいたのは、俺への最初で最後の復讐なのかもしれない。

 「俺は……どう思われてても、何をされても良かった」

 息を吸うと、冷たい空気が喉を刺激する。

 「でも、つくしは、あいつはどうなるんだよっ」

 声が震える。吐いた息が白くなる。握った拳を床に叩きつけた。冷え切った手は痛みも感じなかった。母親の姿が頭に浮かんだ。怒りが湧き、手で床を何度も打った。

 「あんたも、あいつも……何で逃げるんだよ」

 冷え切った風呂場に、自分の声が残るように響いた。

 つくしの顔を思い出す。不安と戸惑いを隠し、引きつった笑顔を見るのが辛かった。

 「早く、隠さないと」

 勝手に口が動く。そう、隠さなければいけないんだ。今から俺は完璧に、この女の死体と、姉の死を隠さなければいけない。

 あんたは死んでいない。死んでないんだ。行方不明になったんだ。遺体がなければ、死んだ事にはならないだろう。

 姉の死体を見た時、怒りと同時に、つくしも死んでしまう気がした。しかし、直ぐにこう考えた。会えなくても、姉が今もどこかで自由に生きていると思えたら、きっと君は生きていてくれる。逃げ出さないでいてくれる。

 勝手な考えだけれど、つくしには生きていて欲しい。どれだけ辛くても、生きていて欲しい。きっと、つくしはあんたを待ち続ける事で、死にたくても死ねない。


 その隣で、次はちゃんと「きっと、帰ってくるよ」って言ってあげないと。

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