彼女はかわいい。
「苦しむくらいなら、いっそのこと・・・」
そんなことを言うつもりはなかった。なぜか溢れてしまった。
◆ ◆
今日は久しぶりに出かける。
なおがうちにきてからというもの、近所の視線もあって外出は難しかった。
とはいえ、ここ数ヶ月体調が悪そうにしていた彼女をそのままにしておくわけにはいかなかった。
その日の空はすっかりと高くなり雲もパラパラと見かけるだけの晴れだった。
彼女はいつも、俺の一歩手前をついてくる。まるで兄弟か恋人のようだ。
笑いかけると満遍の笑顔を見せてくれる。つい笑顔につられて笑ってしまう。
今日こそは病院でみてもらわないといけない。本人は気づいているのかいないのか少し不安だ。
コホンと咳払いをし切り出した。
「ちょっと今日はお願いがあるんだ」
「なになに??」
飛びつきそうな勢いで食いついてきた。
「我慢してほしいのです」
神妙な顔で返事をする。病院、とストレートに言いづらい。ここで回れ右をして家に帰られても困る。
「まさかの、アレ?」
「アレだな」
なおの頬がぷーっと膨らむ。眉間にシワが寄る。視線が泳ぐ。
明らかに嫌がってるのが溢れ出している。相変わらず感情を隠せない性格らしい。
(はぁ、だと思った。でもそれほど機嫌が悪い訳でもなさそうだ)
俺は反応を見て思う。
「先日の診断でよくなかったろ?ちゃんと病院でみてもらわないと。なおは言わないと病院いかないんだから・・・。頼むよ」
ダメ押しで言うと諦めたのだろうか。山から谷に落ちるように肩と頭から力がガックリと抜けるのがみえる。
「・・・はーい」
だるそうな返事が帰ってきた。それなりに頑張ってることは見て取れた。
なおをぎゅっと抱きしめて俺は耳元で呟いた。
「よしよし、頭撫でてやるから」
抱きしめたなおの体は明らかに小さく、そして少し冷たく感じた。細すぎる。
そう思いながら最悪の事態でないことを祈りつつ、二人で敵陣に向かった。
◆ ◆
メンテナンスエンジニアから聞いた検査結果は、一番聞きたくない結末だった。
『少しずつ体の自由が効かなくなっています。痛みがあるかは正直わかりません。原因がわからないのです。機能的には問題ありませんし、ニューロンの伝達にも支障はありません。間違いないことはログからすると少しずつモーターの制御に支障がでている、記憶回路がたまに飛んでいるということです。
わかりやすく言うと、人間の老衰のような状態になっています。いつか動かなくなるということです』
『直すことはできないんですか?』
『直すといっていいのかわかりませんが、電源を入れ直す・・・。今までの記憶を消すことになりますが、自律神経を含む制御記憶系データをリセットすれば、あるいは・・・』
・・・1週間前の病院での会話を思い出しながら、なおのいるダイニングをのぞいた。
なおは、気持ちよさそうにソファーで寝ていた。
そんな姿を眺めていたら、かまいたくなってしまい持ち上げて膝枕をしてしまった。
寝顔を見ながら思う。
(・・・思い入れが強くなりすぎたかもしれない。辛い思いしたくないな・・・)
「苦しむくらいなら、いっそのこと・・・」
なおが少し動いた気がした。心の声を呟いてしまった俺は、すぐには顔をみることができなかった。
自分本位な気持ちを悟られたくなかった。
「え・・・?」
なおが呟く。聞こえただろうか。俺はどんな顔をしているのだろう。何か言わないと。
「・・・・・・・・・・」
声にならない。
「今なんて?」
なおが聞き返す。
「・・・苦しむのは、辛い、よね」
思わず答えた。苦しんでるか分からないのに俺は何をいっているのだろうと自問した。
なおは、んんっと体ごと少しだけ首を横にして俺の顔を覗き込んできた。何気なく、体を動かそうとしている動きに合わせて手を背中に回した。
前髪の隙間からいつもの、ニコニコした小動物のような笑顔が見える。胸が締め付けられるようにギューと痛い。
しっかりと体を支えて、左手で首に手を回し、首にある電源スイッチの場所を探した。電源を入れた時以外、触っていないので場所が分からない。
(確かこの辺りに・・・)
視線を落とした時、ふいに顔が見えた。必死に抵抗していた。
(あ・・・。何をした!何をしてるんだ。俺は?!)
とっさに手を離した。
「何してるの!?」
なおが慌て怯えるように聞く。
「ご、ごめん!ごめんよ・・・・・そうじゃない、そんなこと望んじゃいない。そう言う意味じゃない・・・」
俺はとっさに答えた。いや、自分に言い訳をしてしまった。自分が辛いからじゃないのだと。
「・・・どうしたの?何かあったの?なんで・・・話してくれれば」
俯いたまま、問いかけに答えられなかった。後ろめたさがそうさせた。
電源の辺りに手が回ると自己防衛動作をするはず。嫌がってはいるものの、しないということはかなり進行してしまっているのだろうか。
不安と悲しみとよく分からないグチャグチャの思いがこみ上げてきた。
俺は、なおが好きなんだ。このまま、このまま一緒にいたい。生きていたいんだ。
思わず、なおの手をぎゅっと握ってしまった。そのまま俯いた顔をゆっくり持ち上げた。
視線の先には、勝ち誇ったほうに満遍の笑みを浮かべる、なおの顔があった。
(なんだよ、天使かよ・・・・・)
じっと見入ってしまった。見惚れてしまっていた。
思わず抱きしめてしまった。
「次も俺と一緒だ!!今よりもっと楽しい思い出を残そう!それなら物と違って持っていけるだろう?
そう、そうだよ。そ・・・う・・だ・・・・・」
言葉になってなかった。胸の中から洪水のように溢れてきた気持ちはそのまま溢れ出し、子供のように泣きじゃくった。
「・・・・やだなぁ。たくさんもらったよ。・・・・まったく、優しいんだから。」
俺はいままでどんな楽しいことを教えてやれただろうか、自分の寂しさを紛らわせるためという我儘な理由で始まった関係なのに。もう一度顔を見る。少し持ち上げて壊れないように、壊さないように抱きしめた。
キューンと音がした。
「あなたの顔を、もう一回みたいな。」
「見てくれ、ここにいる!ここに・・・・」
彼女の目は閉じていた。それが最後の言葉だった。突然ぐっと体の重みがかかる。
人間と同じように。魂が抜けたように。
「必ず直す!俺が、俺が。つぎに目を覚ましたときは、今日の続きから始めよう。絶対だ」
もう一度、もう一度、"KUK-62NAO1F" を抱きしめて、俺は泣いた。