第七話 俺は何のために働くのか
さて、俺、千屋実樹という人間のバイト経歴の話をしよう。
高校一年の6月に母を亡くした。
それまではバイトをしてたかというと、ひそかにしていた。
というか叔父の手伝いをしていた。
叔父の家は古本屋で、古書がたくさん並んでいる。敷地面積は狭い。
一人が歩くぐらいの通路。でもその狭さが俺は好きだった。
中学3年生の時に受験が終わり、叔父から手伝いに来てほしいと言われ、
数か月だけの仮バイトをした。
その時はお金がもらえるならそれでよかった。
自分で働いた分、その報酬がもらえる。当たり前だとおもった。
「樹は将来何になりたいんだ?」
叔父はそう俺に問う。将来、なんとなくぼやけている。高校受験も家から近いという理由で決めたし、何かをやりたくて何かを伸ばしたくて決めたわけではなかった。そう、ぼやけている。
「特に、いまのところは」
「そうか。夢もないのか?」
入荷してきたであろう古書をジャンルごとに仕分けしながら叔父はいう。夢、そんなものあったけ?
「特に何かになりたいとか、こうありたいとか考えたことないと思います。ただ、それはとても…」
とてもむなしい。
この本のように、古くなって誰にも読まれなくなって、ただこの場所にい続ける。
「夢があると人生楽しくなるぞ~私は本に囲まれた生活に憧れていたから今こうして本屋をやっているんだ」叔父は嬉しそうに本を仕分ける。本当に本がすきなんだな。
「樹は何か好きなものはないのか? 私には本があるように、譲れないものはないのか?」
叔父に言われて考えた。いろんな本を眺めながら考えた。しっくりこない、あてはまらない、といった方がいいのか、自分にあてはまる本はそこにはなかった。そして思い知る。
「おじさん。俺、何もない奴なんじゃないですか? 俺って、無機質なんじゃないですか?」
「なければ作ればいい。こいつらだって、もともとはただの紙切れだったんだぞ。それを作者が思いを描き、書き留めて、きれいにされて人間の手に渡る。もともとなんてなにもない、ただの白い紙切れなんだ」
叔父はクスクス笑いながら仕分けた本を棚へと移す。
「なるほど、今の俺は白い紙切れというわけですね」
「ははは、そこまでは言っていない。ただ、白い紙切れならまだ何にも染まっていないということなのだろう? それってお前の魅力じゃないか?」
意外な言葉が叔父からでて、俺はきょとんとした。驚いた。俺にそんなものがあったのか?
「でもまぁ遅くはないだろう。高校生になればいろんな人間にであう。ここの本たちと同じようにいろんな本に出会うだろう。その中で自分に合うものが必ずあるはずだ。将来や夢もはっきりみえてくるはずさ」
話がキチンと着地した。叔父は俺の将来を心配してくれていたのか。
「はい。今はないですけど、俺的には高校生活が実は楽しみです」
「そうか、なら私も楽しみだ」
そんなわけで俺は初バイト経験をさせてもらった。
本当の手伝いの気分で給料は叔父からのお小遣いみたいなものに感じていた。
なので、初めての給料は、封筒に入れて机の引き出しにしまい込んだ。
いつかいるときに使おう。要はへそくりだ。
そして高校生になった。
そのタイミングで叔父の手伝いも辞めた。叔父が「楽しみならそちらを優先しなさい」と言われたからだ。もらったお金を何かに使わないといけないという目的もなかったので、やめることに寂しさはなかった。ただ、まだ叔父とは話がしたかったなと、悩みがあるときは聞いてほしいなと、思った。進路に迷ったらまず叔父に相談しよう。
でも、叔父に相談する最初の話がこんな残酷なものになるとは
俺も叔父も思わなかっただろう。
「おじさん、俺は、これからどうやって生活していけばいいんだろう」
どうやって生きていけばいいのだろう。
そばにいた人が、突然いなくなった。もう二度と会えない。
俺は今までどうやって生きてきたのだろう。
父親も同じ思いだったみたいだけど、その悲しさは仕事で気を紛らわしていたみたい。
なら俺は? どうやって紛らわせばいい? どうすればこのどうしようもない気持ちをなくせばいい?
「また、私のところで働くか?」
働く…。そうだ、俺も働けばいいんだ。無我夢中に、忘れられるぐらいに。
「うん。俺、働く、生活費、稼がなきゃいけないし」
目の前に光が差したような感覚になった。今まで無機質だった俺に、白い紙きれに色がついた気がした。俺が一生懸命にならないといけないこと、口実ができた気がした。
そして俺は叔父のところで今度はきちんとバイトとして働くことにした。
学校には母の死を告げ、生活費を稼がなければいけないことを伝えた。学校にはあまりいけないと。でも叔父のところだけでは賄えない、もう一つ、もう一つ何かバイトをしよう。生活費を稼ぐために。
その時、家の近くのスーパーでの採用が決まった。
覚えることがたくさんありすぎて、母の死を忘れられた。何もかもを忘れられた。
働いていれば、覚えることで頭がいっぱいになり、悲しみや寂しさを忘れることができた。
父親もきっと同じ気持ちなのだろう。
働いて、働いて、悲しみが消えるまで、働いて、稼いで、働いて。
そして俺と父親は今に至る。
今も変わらず働いて休める日は休んでいる。
働くとは、俺たちにとってなんなのだろう。
「私にとって働くということは誰かのために動くことだとおもう」
いつか叔父に言われた。人に動くとかいて【働】く。俺はいま誰かのために働いているのだろうか?
父親は誰かのために働いているのだろうか。
俺は今…
ふと、目を開けるとそこはいつもの天井があった。
「夢…か。」
一年前、母がいなくなり、俺はがむしゃらにバイトをした。叔父の古本屋、今働いているスーパー、そして居酒屋や喫茶店。日雇いバイトもやった。お金がいるからだと、お金が必要だからだと、俺はがむしゃらにバイトした。でも、そこで得た報酬は俺にとって本当に欲しいものではなかったようだ。
起きて台所に向かうと、父親がトーストとコーヒーを自分で用意し、新聞を読んでいた。
「おはよう、父さん」
「おぅ、おはよう。今日は早く帰れるとおもうが、遅くなったらまたメールする」
「うん。俺も最近夜勤務になったから、帰り遅いかも」
「学校、いってるんだろう? どうだ?」
「…うん。へんな部活に入った。ていうか部活入部必須の高校なんて知らなくてさ」
俺は自分の食パンをトースターに入れてダイアルをまわした。冷蔵庫からオレンジジュースを出した。
「青春はしとけよ~。父さんと母さんはな、高校生の時から付き合ってたんだから」
クスクス笑いながら父さんはコーヒーを飲む。もちろんブラックだ。
「学校が恋愛する場所とでも思ってんの? 俺は学業とバイトを頑張る」
「だーから、お前がそこまでバイト頑張らなくていいんだぞ? お父さんが稼いでるんだから。なに? 何かほしいものがあってお金ためているのか? も、もしかして、この家を出ていく資金か?!」
いや、なんでそんな大事なこと父親にいわずためる必要があるんだよ。
「違うよ、生活費のためじゃん。こうやって俺たちが朝ごはん食べれるために俺は働いている」
そう自分の口から放たれた言葉で気づく。自分が働いている理由。
「そうか、樹は生きるために働いているのか、父さんと一緒だな」
ハハハと笑い、コーヒーを飲み干した。新聞をたたみ、机に置いた。
「そりゃ、あなたの息子ですから」
にやりと笑い、オレンジジュースを一気飲みした。お皿とコップを流し台に置き、支度をする。
今思えば俺たちはあの時どん底にいた気がする。
真っ暗な中、ただただ働いて忘れようとしていた気がする。
でも今はそうではない、俺の中には自分でも気づかないうちに楽しんでいる。学校もバイトも。
「たまには休日のバイト休みにしてもらえ? どっか息抜きにいこう」
「いくってどこにだよ、高校生の息子とどこいくんだよ」
「…動物園? か?」
思わず「はぁ?」と言ってしまったが、そのあと爆笑した。
俺が動物園好きだという記憶がまだ父さんに残っているという不思議と、動物園で喜ぶと思い込んでいる父さんがいるというおかしさで笑いがこらえられなかった。
でも実際、好きなのだ。
「…久しぶりにいいかもしれないな、動物園」
そのお出かけ代は俺が稼いだお金に使おう。そう思った。