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秋晴れの土曜日。リュウが弟分のヒデと外出するため玄関で靴を履いていると広間のテレビからアナウンサーが読み上げるニュースが聞こえてきた。
「オーストラリアのタロンガ動物園で飼育されていたジャワサイの最後の一頭が昨夜死亡しました」
リュウは思わず足を止め、ヒデに「ちょっと待ってね」と告げると途中まで履きかけていたボロボロのスニーカーを脱ぎ捨て、広間に戻ってテレビ画面に向かった。画面にはジャワサイの生前の映像が映っている。リュウのクリクリした大きな目がテレビに釘付けになった。
アナウンサーが続けた。
「ジャワサイは乱獲や環境破壊により急激に数を減らし、この一頭が地球上で最後のジャワサイとされていました。死因は不明で、飼育係によるとこの日の昼までは元気いっぱいに餌を食べていたそうです。つい先週にも中国の動物園で保護されていたシロテナガザルの最後の一匹が突然死するなど世界各国で希少動物の絶滅が相次いでいる事から、世界野生動物保護協会は今年度予算の大幅増加を視野に入れ各国の関係団体と協議を進めていく予定です」
ニュースを聞いたリュウは眉を曇らせ下唇を噛んだ。そんなリュウを見て、広間の掃除をしていた寮長が声をかけてきた。
「悲しい事ね。今も人間のせいでどんどん動物が絶滅してしまっているのよね」
寮長はこの児童擁護施設の総責任者でもある初老の女性だ。誰にでも優しくいつも穏やかで、リュウやヒデをはじめとする三十人もの子供達の母親代わりとなっている。子供達は愛情を込めて寮長を「お母さん」と呼んでいた。
「あのね、お母さん。ジャワサイは角が漢方薬になるからって人間にたくさん殺されちゃったんだよ。酷いよな。あぁ、一度でいいから本物のジャワサイを見ておきたかった」
ニュースに興奮したのかリュウの色白の頬はちょっと紅潮していた。
「リュウは本当に動物に詳しいわね」
「うん、ほら卒業したユウ兄ちゃんが買ってくれた動物図鑑に書いてあったんだよ」
児童養護施設は両親がいなかったり、なんらかの理由で親元から離れて暮らさなければならない子供達が生活をする施設だ。この施設では三歳から十八歳までの三十人の子供達が暮らしている。
現在十二歳のリュウは三歳の頃に両親を交通事故で亡くしてこの施設に預けられた。額の真ん中にある小さなホクロが外見の特徴で、同年代の子に比べると少々小柄でおとなしいがごく普通の少年だ。
リュウは九歳ころまでクリスマスや七夕などのイベントがある毎に「ほんとうのかぞくがほしい」という願い事をサンタクロースへの手紙や短冊に書いたりしていたが、少し大人になったのか一昨年からはもうそんな事は書かなくなった。寮長が「あら今年は家族が欲しいって書かなかったのね」とたずねると、リュウは「だって僕の本当の家族は死んじゃったんだもん。生き返らないよ」と悲しそうに答えた。寮長はそんなリュウの母親代わりになろうと一生懸命尽くしてくれていた。
何らかの問題で親元に戻れなかったり、里親が見つからなかった子供達は十八歳までここで暮らし、就職と同時に施設を出る。この施設出身者は成績が優秀な子が多いが、金銭的な問題から大学には進学するのは難しい。リュウと同じ部屋にいたユウも大学進学を諦め、この春に高校を卒業して地元の自動車工場に就職した。そして初月給で同じ班で共に暮らした子供達にプレゼントを贈った。普段から「将来は獣医か動物園の飼育係になりたい」と言っていたリュウは「世界動物大図鑑」をもらい、毎日食い入るようにそれを眺めて暮らしていた。
「リュウくん、早く行こうよ」
玄関からヒデの大きな声が聞こえてきた。リュウがなかなか来ないのでイラついているようだ。
「今日はどこに行くの?」
寮長の質問にリュウは「裏山の森にいるシマリスの餌付けに成功したんだ。ヒデが見たいって言うから連れていってあげるんだよ」と元気良くこたえた。
「あらすてきね、ヒデの足に気をつけてあげてね」
「分かっている。行って来ます」
リュウと同室で八歳のヒデは両足が不自由だった。松葉杖を使えばなんとか歩けるのだが、一度学校でクラスメイトにバカにされてからはあまり外に出たがらなくなっていた。それでも大好きなリュウとの外出だけは楽しいらしく、いつも「リュウくん遊びに行こうよ」と甘えてくる。同じ班に小学生の男の子が二人しかいない事もあってリュウとヒデは本当の兄弟のように仲が良かった。
リュウは広間から玄関に慌てて飛び出した。リュウの動きに合わせて伸びかかった茶色っぽい髪の毛がサラサラと揺れた。
リュウはヒデに「ごめんごめん」と声をかけて布製のスニーカーをつっかけた。かかとの部分が少し擦り切れ靴ひももボロボロになっているスニーカーは最近やっと体が大きくなり始めたリュウには少しきつかった。
「遅いよ。ところでリスの餌持ってきた?」
「ヒマワリの種を持ってきたよ。もうすぐ冬眠するからきっと今日もたくさん食べるはずさ」
リュウはそう言ってポケットからヒマワリの種が入ったビニール袋を取り出してヒデに見せた。ヒマワリの種はわずかな小遣いをやりくりして買ったものだ。
「へぇリスって冬眠するの?」
「冬眠するのとしないのがいるんだよ。シマリスは冬眠するんだ」
「ヒマワリって人間が食べても大丈夫かな?」
「焼いたら食べられるかも知れないけど生じゃ無理かな」
「ちぇ残念」
ヒデはふざけて悔しがって見せた。リュウは上着のポケットにビニール袋をねじ込むと「よし行こうか」と言って、足の悪いヒデのペースに合わせてゆっくりと裏山に向かって歩き始めた。