とある執事の独白
どうしても書きたかった、セバスさんの視点です。
私の名はセバス。
ありがたくも、フェルザー侯爵家の執事をさせていただいております。
最近の大きな事件としまして、あの女げほげほ……元侯爵夫人エリザベス様の出奔と、ユリアーナお嬢様の魔力暴走があげられます。
それと……。
「笑っていたぞ。セバス」
魔力暴走の後、ユリアーナお嬢様を宮廷魔法使いペンドラゴン様に診せ、そのまま王宮内にあるフェルザーの屋敷に休ませたところでした。
主語のない旦那様の言葉に、私は慌てず穏やかに返します。
「笑う、とは」
「子どもは泣くものだと思っていた」
「さようでございますか」
フェルザー家の「感情表現をしない」という教育方針は、代々侯爵を継ぐ男子にされるものだと先代のセバスは教えてくれました。
それについて思う所はございませんが、ご子息であるヨハン様もまったく同じように感情を表さないため、教育というよりもフェルザー家の血がそうさせるのかと感じることが多くございます。
つまり、旦那様もヨハン様も表情というものがございません。それゆえ幼い子は旦那様らを恐れて泣くのでしょう。
例に漏れず幼き頃の私も、お仕えしたばかりの頃は常に泣きそうでした。三日で慣れましたが。
なによりも、旦那様の絶対零度の視線に慣れないと『セバス』を名乗ることができないので、必死だったというのもあります。
おっと、いけませんね。私のことはさておき。
多くの子どものみならず、女性にまで泣かれて怯えられるのが当たり前だった『氷の侯爵様』にとって、初めての経験だったのでしょう。
お嬢様が笑った理由は不明ですが。
「エリザベスは伯爵家の生まれ。つまりユリアーナは片方であるとはいえ貴族の血をひいており、魔力暴走の規模も大きく将来有能な魔法使いになるだろう。利用価値はあるということだ。セバス」
「私はまだ何も申しておりませんが、旦那様のご希望どおりにいたします」
「……そうか」
主人の意に反することはしません。しかし、今までの旦那様であればユリアーナお嬢様を放逐する流れになっていたはずです。
このような言い訳を並べてまで、ご自分の血を持たないお嬢様を保護する理由とは何でしょうか。
まさか笑顔だけではないだろうと思いながら、私はお嬢様についての報告をすることにします。
「お嬢様は痛み止めのお薬を飲まれて、今はお休みになられております」
「泣いたのか?」
「いえ、泣いては……」
「薬を飲んだのに泣いていないのか? あれは苦いだろう」
確かにあの薬はとても苦く、大人でも飲みたくないと逃げる者もいるくらいです。
それにしても旦那様は、そんなにお嬢様に泣いてほしいのでしょうか。
「とてもお辛そうでしたが、ちゃんと飲んでらっしゃいましたよ」
「なん……だと……? 私はあれを飲まぬよう、日々鍛錬をし、病気知らずであるというのに……」
思わぬところで、文官の旦那様が「歴戦の騎士のような筋肉の持ち主」であるという謎が解けてしまいました。
私もそれなりに鍛えてはおりますが、旦那様には及びません。
謎の答えは、私の中にしまって置きましょう。「毎日鍛錬されているなんて真面目で素晴らしい旦那様だ!」と尊敬している、屋敷の家人たちの夢が壊れます。
「お嬢様は我慢強くてらっしゃる。食事もまともにとれず、ひどい扱いだったと聞いておりますから、きっと泣くこともできなかったのでしょうね」
「……調べは?」
「もうじき終わります」
旦那様の氷のような殺気を感じた私は、危うく袖に仕込んでいる暗器を取り出しそうになりましたが、ぐっと抑えます。
感情の昂りが強ければ強いほど、氷のように冷たく静かに魔力を発するのが、フェルザー家の特徴でございます。
きっと旦那様は、お嬢様がどのように扱われていたのかを知り、何かしらの強い感情を抱いたのでしょう。
そして『フェルザー家の氷魔』は、絶対に狙った獲物を逃すことはないのです。
「父上、少々よろしいですか?」
「ヨハンか。珍しいな」
魔力暴走から数日後。
御子息のヨハン様がユリアーナお嬢様の元へ駆けつけ、なぜか自己紹介のみで会話が終了した日の夜のことです。とても珍しいことに、親子の会話がなされました。
旦那様を含め、ヨハン様も普段はほぼ会話をされません。前回は半年前、ヨハン様のお誕生日での挨拶くらいでしたから。
書庫でもそうでしたが、ヨハン様は珍しく顔色が良いようです。いつも青白いその頬が、ほんのり薄紅色に染まっております。
「父上、ユリアーナのことですが」
「まだ早いと言っただろう」
「申し訳ございません。魔力暴走が起きたと知り、会うべきかと」
「ヨハン」
「申し訳ございません」
旦那様から漏れ出る殺気を受け、ヨハン様は深く頭を下げております。自分の子に向けるものではないとは思いますが、これがフェルザー家でございます。正直引きます。
「二度はない」
「もちろんです。しかし父上、ユリアーナに会って気づいたことがあるのです」
「……なんだ?」
おや、旦那様の眉が動きましたね。やはりユリアーナお嬢様が関わると何かが起こるようです。
「父上、ユリアーナは……」
ひと呼吸おいたヨハン様は、フェルザー家特有の美しく整った顔で無表情のまま続けます。
「もしや、神がつかわされた天の御使である、天使……なのでは?」
は? 突然何をヨハン様は……。
「さすが我が息子だな。気づいたか」
旦那様までっ!?
「あの愛らしさは異常です。この世の愛らしいものすべてを詰め込んだかのようで、このままだと危険だと認識しました」
確かにお嬢様は愛らしいとは思いますが、異常、とは言い過ぎでは……。
「顔も手も体も足も、すべてが小さく愛らしい。愛らしすぎて本当に生きているのか毎日確かめてしまう」
愛らしすぎて生存確認が必要になるとは一体どういうことでしょう? というよりも、毎日ユリアーナ様の元へ会いに向かわれるのは、お嬢様へのご褒美ではなかったのですか旦那様。
私が徹夜でまとめた「一般向け幼児へのご褒美対応事例集」の制作時間を今すぐ返してほしいです……。
「天使を守るために、護衛を増やすことを提案いたします」
「すでにやっている」
「さすがは父上」
親子の会話がはずんで何よりでございます。
「ペンドラゴンが弟子に寄越せとうるさいから、あれも護衛に加えようと思う」
「魔法については完璧ですね。あとは物理で対応すべきですね……騎士団長ですか?」
「うむ。すでに打診はしている」
「いやいやお待ちください! 国一番の魔法使いや騎士団長を護衛に雇うなど、フェルザー家が破産してしまいます!」
「落ち着けセバス。私がそんな愚かなことをするわけがないだろう」
「はっ、申し訳ございません。出過ぎたことを……」
「しっかり弱みをにぎっている。我が家の最低賃金で雇えるぞ」
「旦那様ァァァッ!?」
フェルザー家の『セバス』たるもの、常に冷静沈着であれ。
先代の言いつけを守れず申し訳ないとは思っておりますが、ユリアーナお嬢様に関わることについては遺憾の意を表明したいと存じます。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回からアラサー幼女の視点です。