トンガリ'15
敬愛するバンドの一つであるスピッツの「トンガリ'95」という曲に、こんな一節がある。
「散らかった世界は少しずつ渇いてく 壊れかけのサイボーグを磨きながら」
抽象的で難解な歌詞が多いスピッツの楽曲の中で、この一節は自分の現状を歌われているようで共感出来る。
ツイッターという世界で、これまで何度となく様々な方位に吐き散らかしてきた唾がようやく渇いてきた。長いこと稼働し続けて、壊れかけているサイボーグが奴botだ。それを未だに磨き続けているのは滑稽なことこの上ないと思う。しかし間髪入れずに飛び込んでくるサビのフレーズに、そんな考えも見事に打ち砕かれる。
「俺は今誰よりも とがっている とがっている とがっている とがっている」
このフレーズを聴く度に、まだ大丈夫だと思える。壊れかけでも最後までとがり続けていたいなーと思う。誰よりも、は無理だけど。とがりすぎて炎上しても色々面倒くさいし、とりあえず現状維持で。
こうして奴botのこれまでを思い出しながら文章に起こすのはとても楽しい。あんな中身カラッポのスカスカカスアカウントにも、思い出に残っている出来事がいくつかある。そしてその思い出の全てが、今思い返せば余りにくだらなくて笑えるし、時折頭を抱える。
楽しい半面、懸念もある。ネット上で行うと目ん玉飛び出るまでギタギタに叩きのめされると言われている「自分語り」を今まさにしていると思うと、いささか気が引ける。しかし、これは自分自身ではなく、限りなく自分と同じ考えを持ったまったくの別物、奴botの物語である、と自分に言い聞かせながらこれを書いている。武藤遊戯がデュエルになると身長とか口調が変わるのと同じ事だと解釈してくれれば、こんなにありがたいことはない。
既に一話書いているのにまだ若干及び腰なままだが、そういうわけで第二話は前回記した、奴botが誰よりもとがっていたであろう二〇一五年頃の話を書こうと思う。二〇一五年以前から奴botを見てくださっている方々には懐かしさを、それ以降から見始めてくださった方々には「こんなしょーもないことしてたのか」という一抹の哀れみを感じつつ読んで頂きたい。
自分語り+過去の武勇伝なんて一番やったらダメな奴だが、これを読んでくださる方々が不快にならない程度に、奴botがこれまで何をどのように散らかしてきたかを、自省も踏まえて書いていきます。そして、なぜ奴botの全盛期が二年前だと断定できるのか、察しの良い方はもうお分かりかもしれません。奴botがあの曲と共に一世を風靡した(過言)年だからです。
まだ奴botがフォロワー十万人前後をウロウロしていた頃。
「十万人でも出来すぎた結果だ、キリの良いところだしアカウント消そうかな」
そんなことを考えつつも頭のどこかでもう一度くらい何かやらかしてみたいと企んでいた矢先の二〇一四年十月十五日、とあるバンドがとある曲を発表したことによって、奴botの運命は大きく変わっていくのだった。
その曲の名を「Dragon Night」発表したバンドの名を「SEKAI NO OWARI」といった。
当時大人気だった(今もか)SEKAI NO OWARI(以下セカオワと表記します)は、小池徹平を一発ブン殴ったようなツラした変な赤い髪のやたらケロケロした声で歌いたがるボーカルと、病み垢三つくらい持ってそうなメンヘラくさいピアノの女と、学生時代組体操のピラミッドで絶対一番下の土台役だっただろってくらいデカい図体してるくせに後ろでDJ頑張ってるわけわからんピエロと、特筆すべきこともないギターの人からなる四人組のJ-POPバンドで「虹色の戦争」とかいう「お前が殺した命の歌が俺の頭にめっちゃ響いてくるんですけど」的なとんでもない被害妄想を投げかけてくる楽曲や、「幻の命」とかいう途中で仮眠がとれるくらい間奏が長くて反吐が出るほどメンがヘラってるイカれた歌詞の楽曲が話題を呼び、若者から絶大な人気を博していたグループだった(メンバーや楽曲に対する感想は全てこちらの主観です)。
例に漏れず、彼らの発表と同時に「Dragon Night」は瞬く間に話題となり、そしてセカオワ自身も、音楽番組にひっぱりだことなった。奴botはここぞとばかりにそれをネタにする側に回った。
二〇一五年一月五日「Dragon Night」発表から三ヶ月後の事。NHKで放送されている「ざわざわ森のがんこちゃん」のオープニングテーマの歌詞をもじって「メゲない、ショゲない、ドラゲナイ」という、要するに「Dragon Night」のサビの部分がそう聴こえる、という空耳要素をネタにしたツイートを投稿した。そのツイートは、当時ツイッターで、がんこちゃんの作中に登場するメスのカタツムリが脱糞する回がなぜかめちゃくちゃ流行っていた事も相まってか、自分で言うのもおかしいが、思いの外伸びた。それに味を占めた奴botは、一年間「ドラゲナイ」を擦り倒すという暴挙に出たため、リプライ欄はすぐさま冗談の通じない生粋の「セカオワファン」からのバッシングで溢れた。
誰が考えたかは存じ上げないが、セカオワファンの通称を「セカオ輪」という。著名なアーティストには、そのファンにもそれぞれの呼称があることを、この時初めて知った。
(ONE OK ROCKならOORer、UVERworldならcrewといった感じ。ダッサ)。
当時はそのファンごとの呼称すら気に入らなかったから、
「セカオ輪を あつめて晒し ドラゲナイ」
「セカオ輪の方たちに失礼なことをした。本当に申し訳ナイドラゲナイ」
などという常軌を逸したクソくだらない煽りを連投した。その度に、リプ欄に押し寄せてくる真面目なセカオ輪の奴らと、不真面目なフォロワーの奴らが、汚い汁で汚い汁を洗う様な抗争を繰り広げた。それを眺めるのが面白くて仕方なかった。まさに「Dragon Night」の歌詞になぞらえるように、奴botのリプライ欄では「終わりの来ないような戦い」が、日々勃発していた。休戦して祝杯をあげる日はなかなかやって来なかった。悪趣味が過ぎる。
「Dragon Night」をネタにふぁぼRTを荒稼ぎし始めてからしばらく経った頃、
「奴botって本当はセカオワの事好きだろ」
というようなリプライをちらほら頂くようになった。んなわけあるか。決してセカオワが好きなんじゃない「ドラゲナイ」が好きなんだ。と、心の中では一蹴したものの、セカオワが音楽番組に出演し「Dragon Night」を披露する度に喜々としてネタツイートに興じるその姿は、確かに立派な「セカオ輪」そのものだった。
「アンチはファンよりも対象に詳しくなる」とはよく言ったもので、その時の奴botはまさにそれだった。「ドラゲナイ」をネタにツイートをすればするほど、
「ほんとセカオワ好きだな」
そう言われ続け、しまいにはあれほど奴botといがみ合っていたセカオ輪の一部までもがドラゲナイをネタにし始めた。セカオ輪をバカにするつもりが逆に盛り上げてしまっている事実に、自分がピエロになったような錯覚を覚えた。DJの方ではなく心理的に。
極めつけはセカオワのボーカリストである深瀬が、
「アルバムが発売から2週間で32万枚を突破したとスタッフに言われた! 嬉しい! ドラゲナイ!(使い方がわからない)」(二〇一五年一月二十六日のツイートから引用)
などと投稿したため、晴れて「ドラゲナイ」は本人公認となった。馬鹿野郎、アルバムの売上一割よこせ。と心の中で悪態をつきつつも、なんだかんだ嬉しかった。勢い余って深瀬に「年末の流行語大賞一緒に出よう」と何度かリプライを送ったが全部無視された。馬鹿野郎。
フロントマンによる公認がブームに拍車をかけ「ドラゲナイ」の知名度と共に奴botの知名度も少しずつ上がっていった。記憶が正しければ、この年にフォロワーが二十万人増えた。
挙句の果てには「Simeji」という日本語入力アプリで「ドラゲナイ」と入力すると、音楽番組で「Dragon Night」を披露する際の深瀬のトレードマークであるトランシーバーが降ってくるという至極どうでもいい目障りでしかない仕様が追加され、モノマネ番組ではモッズコートを身にまとったアンガールズのお二人がトランシーバー片手にドラゲナイを連呼し、朝のニュース番組では「ドラゲる」とかいうわけわからん動詞まで造られた。
ドラゲナイがゲシュタルト崩壊してきたので飛ばします。
そしてついに迎えた年度末。流行語大賞のノミネート欄に「ドラゲナイ」の五文字を見た時、冗談じゃなく「勝った」とマジで思った。これでアルバムの売上の一割はこっちのもんだ、ともマジで思った。
しかし結果は「爆買い」「トリプルスリー」のダブル受賞。中華とベースボールの長い歴史の前に、生まれたてのドラゴンはあっけなく敗れ去った。
こうして改めて書くとめちゃくちゃバカバカしいが、割と本気で悔しかった。
「なんで紅白でDragon Night歌わなかったんだよ! 受賞逃したのお前のせいだぞ!」
という旨の奴当たりを深瀬にリプライしたがやっぱり無視された。馬鹿野郎。
そんな調子でドラゲナイと転がった奴botの二〇一五年は幕を閉じた。今となってはセカオワのことも、自分の中で「嫌い」から「普通」になった。曲は聴いていないけど、彼らのことは、なんとなく、漠然とした気持ちでこれからも応援していきたいと思っている。
もし、奴botを嫌いな方が今これを読んでいてくれているとしたら、自分のセカオワの評価が変わったように、奴botの評価も「嫌い」から「ちょっと嫌い」程度に、なるわけないか。
高嶺の花子さん風のオチをつけたところで最後に。第一話でも記した通り、奴botが、今回記した「ドラゲナイ騒動」以上に話題になることはもう無いと思うし、無理して話題になろうとも思わない。だから全盛期だと言える。連日連夜、過激なファンに突撃される心配も、もうない。ただ一つ心配なのは、冒頭で引用したスピッツの歌詞がJASRACに見つかったらまずいかも、という事だけ。第二話はこれで終わり。
気が向いたらまた書きます