偽女王編 4章
「ほんとに、申し訳ありません。私のせいで、ウンリア様まで部屋でお食事を取ることになってしまうなんて」
「いいんだ、私は貴方がいないと何もできないんだから」
クリフォードに酷くやられた傷は、相当な休養時間が必要なものであった。しかし、ソランの計らいで、骨折や内臓の損傷には治癒魔法をかけた。これで痛みはするものの全身を動かすことに支障はなくなるが、さすがに当日の晩餐に出るのは周りの目からしておかしいため、控えたところだ。
「本当は、もっと楽にさせてあげたかったけど。ごめんね、流石に目に見える部分をすぐに治すというわけにもいかないから」
「いいえ!身体を動かせるようになっただけでも、十分すぎるくらいなんです」
「…明日からは、エスコート、お願いね」
「はい!」
ヨベルがいなければ、正直、ソランはどうこの船の他の人と接していいのか分からない。だからヨベルを連れずにディナー会場に出るのは控えて、ヨベルの部屋に食事を二人分持ってきてもらっていた。
「……」
持ってきてもらっていたのだが。
「……というか、その」
「はい?」
湯気がまだたっているスープをすくうスプーンを止め、彼を見た。
「ヨベルは食べないの?冷めちゃうよ」
「そんな、女王様と同じ席について食事をするなんて」
「大丈夫、今頃全員ディナー会場だから、見られることはない」
あくまで“ウンリア”として呼ぶヨベルではあったが、既に部屋の中ではお互いに肩を下した素直な会話になっていた。
「その、そういう問題ではなくてですね……ユーシティ城にいらした際も、私がお食事に同席したことなんてありませんよ」
「それはマリアが口うるさいからであって」
「…ウンリア様」
あくまで従者としての姿勢を貫き通そうとするヨベルは、少し困り気味に笑った。
「ウンリア様は主であって、私は従者なんですよ」
「そうだけど…一緒にご飯を食べちゃいけないなんて決めたのは私じゃない」
「…えっと?」
「従者というのは、主に従う者なんでしょう?」
「そう…ですけど」
「主の命令は絶対」
「…はい」
勝ち誇ったように、ソランは口端を持ち上げて見せた。
「なら今日は、主と従者ではなく、一組の男女として食事をすること」
「!…そんなことでき――」
「命令よ」
「っ……」
“主の命令は絶対”“主と同じ席で食事を取ってはいけない”というおそらくヨベルの中に叩き込まれているであろう戒律が、互いに矛盾しあっているのだろう。器用なはずの彼が酷く困惑している姿が、ソランにとってはひどく可愛かった。
「ふふ……いいじゃないか、今日くらい。明日からは、ホールでの息が詰まるような食事になるんだから。今日くらい、貴方と二人で食べたいんだ」
「…ウンリア様」
負けを認めたのか、ヨベルはため息をついて、テーブルをはさんでソランの反対側についた。椅子は部屋に一つしかなかったため、ベットに腰をかけることになる。
「…こんな姿勢で、大丈夫なんでしょうか…?」
「寧ろ何の問題があるのよ」
「はぁ……マリア様が見たら説教どころではありませんよ」
腰を下ろしてからもぐちぐち言う彼に対して、ソランは自分の分の料理にあるニンジンをフォークで刺すと、思いっきり彼の口元へ突き出した。
「むぐっ――!?」
「食え」
ひどく慌てたヨベルであったが、この状態ではどうすることもできず、大人しく口を開けてそのニンジンを食べる。
「……っ……ウンリア…様」
「どうだ?なかなか美味いだろう」
美味しかったような気もするが、ヨベルにとってそれどころではなかった。
「何を…なさっているのですか」
「“一組の男女”として、貴方は席に着いた。だからこれくらいは全然普通のこと。ふふ…一度やってみたかったんだよね」
えらく上機嫌なソランに対して、ヨベルは顔を真っ赤に染めて俯いた。
「ほら、早く食べないなら、また食べさせるけど?」
「!…っ…た、食べ、ます」
半ば脅迫的なやり方で、ソランはこの時初めて彼と食事を共にしたのだった。
*
食事を終え、ヨベルは後片付けをしていた。
「良かったぁ、ヨベルと初めて食事できたよ」
「……私の方は気が気ではありませんでしたが」
「ヨベルって、いつもはいつ食事とってるの?」
「……朝食はウンリア様方が起きる前、夕飯は概ね皆さんの就寝後です。ランチは…食べたり食べなかったり…」
「………」
「…ウンリア様?」
むくっとしたソランを見て、ヨベルは何かいけないことでも話してしまったのかと思いめぐらせた。
「今度、マリアに言っておく」
「…?何をですか?」
「一緒じゃなくてもいいから、ヨベルには、ちゃんとした時間にご飯を食べさせろって」
「……ですが、食事の支度が――」
「それが出来なかったら、貴方をシェフ解雇にするわよ」
「…な、何故ですか!?」
その時だった。
――きゃあああああ
「――!」
どこか近くで、女の悲鳴が聞こえたのだ。
「ウンリア様」
「行くぞ」
二人して甲板に出る。曇り空で星の光は届かない。辺りに人の気配はなく、荒れてきた海の波音ばかりが耳に届く。
「他の人は皆宴会場か」
「はい、おそらくこの辺りには私達しか」
「…こっちだ」
声が聞こえて来た方に走ると、すぐに船端につき柵に手をかけることとなった。
「!――人が」
暗い海の中に何かを見たのか、ヨベルがすぐに上着を脱ぎ棄て、柵に足をかける。
「待て、ヨベ――」
「後はお願いします」
それだけ残して、彼は飛び降りる。
「ヨベルッ!……くそっ」
後を追いたかったが、船の上に人が居なくなっては元も子もない。ソランは背を向け格納庫に走る。
「浮き具と…縄」
薄暗い中、焦りながら手探りでそれらを探す。
「――あった」
手にした縄を、素早く浮き具に結び付けると、先程の場所に戻る。
「……っ……」
途中でドレスを踏み転びそうになりながらも踏ん張り、柵に手をかけ暗い海を見渡す。
「ヨベル!……返事をしろ、ヨベルッ!」
声は虚しく広い海に吸い込まれる。
「くっ……」
風が強く、海が荒れている。帆を出したままのため船がどんどん前へ進んでしまっているのだ。このまま彼を見失ってしまえば夜の暗い中、探し出すことは二度とできなくなるだろう。
「……お願いだから、返事して」
祈るような気持ちでソランは縄を握りしめた。彼の身体は動けるようになったといっても、大怪我と言える状況のままだ。それなのにこんな暗くて冷たい海の中へ…。
止めるべきだった。今更後悔しても仕方はないが、どうせなら元気な自分が行くべきだった。女王ではないとばれたっていい。ヨベルが無事なら、それで…。
「――ソラン様ッ!」
「!」
船の後方から声が聞こえた。全力で走り寄り浮き具を投げる。
「ヨベル!捕まって!」
目で捉えられる彼は波にさわられて、浮いたり沈んだりしてもがいているようだが、どうにか投げた浮き具を手にする。
「離すなよ」
ちゃんと見る暇はなかったが、どうも彼は手に少女らしき人物を抱えているようだった。
甲板側に残った縄を引くが、二人分の重みと、それから波の荒さに、縄をもっていかないようにするので精一杯だ。そのとき。
「手伝いましょう」
背後から急に声をかけられてびくっとする。
「……貴方は」
暗闇にだんだん慣れてきた目で、しっかりとその姿を捉えることが出来た。
「昼間もお会いしたクリフォードです。…話はあとで」
「…ああ」
二人で共に、縄を引いていくこととなる。
*
「ゲホッ…ゲホッ……!」
「ヨベル…っ!」
「ゲホッ……大丈夫、です……それより」
甲板に倒れこんで激しく咳き込むヨベルは、自分が抱えてきたもう一人の少女のほうに視線を向けた。
「……アリス様、俺の声が聞こえますか、アリス様っ」
クリフォードが人工呼吸を繰り返した甲斐もあり、少女は息を取り返し海水を吐き出す。
「けほっ……クリフ?」
「はい、ご無事でほんと…良かったです」
そう言って少女を抱きしめるクリフォードは、本当に心配していたんだろう、泣きだしそうにさえなっていた。
「……ウンリア様、今回ばかりはほんと、感謝します」
「私は何もしてない。言うなら、彼に」
ソランが促すと、クリフォードはヨベルに向きなおした。荒い息遣い、立ち上がれない身体、びしょ濡れの礼服――。
「…そうですね。命がけでアリス様を救ってくれたこと、よく分かりました」
アリスを抱き上げて、クリフォードは一礼する。
「また、今回の件についてお礼に伺いましょう。…それまではどうか、他言無用で」
「……それは、どういう意味で?」
「またお話しさせてください。今はとにかく、うちの女王様を休ませたいんで」
「…分かった」
手当たり次第に手合わせをしているという件もあって、彼らはどうも、他の参加者と違って何かありそうだ。
「では明日の夜、ディナーの後に」
それだけ言うと、クリフォードは静かにこの場を立ち去った。
「………明日の夜、か」
ソランが振り向くと、立ち上がったばかりのヨベルの足元がまたふらついた。
「ヨベルっ!?」
慌てて支えると、その身体がかなり冷えていた。
「す、すみません……大丈夫ですから」
「大丈夫なわけないでしょ。…こんなに冷えて」
「ウンリア様…」
「今日一日だけで、どれだけ心配したと思ってる」
「え…?」
きょとんとする従者に思わずため息をつく。
「部屋に戻るぞ。今夜は一晩ついて回るから、覚悟しろ」
「…え、ええ!?」
「そんな傷だらけの身体じゃ、放っておいてって言われた方が無理よ」
「う、ウンリア様、ですが私は従者で――」
「もうそれは聞き飽きた。行くぞ」
「……はい」
諦めたのか、それとももう反抗するだけの体力がないのか、ヨベルは軽くうなずくとソランの支えを借りながら、二人で甲板を後にする。
*
「………」
無言でヨベルの額に手を当て、しかめっ面をするソランであった。
「ウンリア……様?」
時は既にかなり遅くなっている。甲板で宣言した通りに自分の部屋に戻ることはしなかった。
「……熱、上がってる」
怪我のせいもあり、さらに冷たい海水を頭から浴びたことでその後ヨベルは高熱に見舞われることになった。
「私のことなら、大丈夫ですから」
そう言って作り笑顔を見せるヨベルは、呼吸は苦しそうで、頬を赤く染めていた。
「はぁ……いいから、寝ろ」
「ですが、…この部屋にはベッドは一つしかなくて…その、こうして私が使っていてはウンリア様が――」
「だから気にするな」
「……ですが」
ここに来てずっと、ヨベルはどうにかソランを部屋に帰らせようとしていた。
「……埒が明かない」
ため息をついて、ソランは仕方がないという風に、視線を背けてゆっくり口を開く。
「――怖いんだよ」
「…え?」
ヨベルが寝ている横で、椅子ではなく地面に座り込んで、彼に寄り添いつつも背中を向けた状態で、彼女は語りだす。
「目を離した隙に、貴方が居なくなってしまうんじゃないかって、怖いんだよ」
「……私が?…どうして、ですか?」
初め、ヨベルは意味が分からなかった。自分は彼女の従者で、常に隣にいるはずの存在だというのに――。
「貴方が…っ、……死んじゃうじゃないかって」
「………」
「貴方はいつも、立場とか、名誉とか…そういうのばっか気にして。……自分の命は二の次なんでしょ?」
「…っ」
「それがたまらなく嫌いなの」
はっきりと、ソランはそう伝えた。今、彼が弱っているときにこんなこと話すべきではなかったのかもしれない。それでもソランは、今日ここではっきり伝えなければ、取り返しのつかないことになってしまうんじゃないかって、どこかでそう感じていた。
「私は、貴方しか従者はいらない。だから、お願いだから…簡単に命を投げ出さないで」
「……ウンリア…様」
彼女の感情が分からなかった。彼女に求められることは凄く嬉しい。けれども同時に、彼女は自分に従者として命を使うことを拒んできた。だからなんとなく、彼女に手を伸ばした。彼女の、自分に向けてくれない顔の頬に触れるか触れないかくらいのところで、――指に何かが滴り落ちる。
「――っ!」
それが、彼女の流す涙だと気づいたとき、心が締め付けられるような苦しみと、同時にどうしてか大きな幸福感を感じたのだ。
――彼女が、自分のために、泣いている…?
「……私のモノを、奪わないで」
「え…?」
戸惑っていると、ふいに伸ばした手が彼女の手につかまり、そのままぎゅっと握りしめられた。
「私は、私のモノを奪わせない。だから、貴方は貴方自身を大事にして。何がなくなったっていい。力も名誉も地位も立場も全てが消えてなくなったとしても、貴方が生きてさえいれば、私はそれでいい。変わらず貴方がいい」
「!……そんな、こと」
「……大丈夫。焦らないで、ゆっくり歩いていこう。……この大海原の上、今の私達は二人ぼっちだ。最後まで、二人で生き抜いていこう?」
そう言って振り向いた彼女の顔に、涙の跡はなかった。だけど確かに、自分の指に伝わった熱い何かを、ヨベルは二度と忘れることはないのだろう。
「…………はい」
そう、決して軽くはない一言を呟いた。
*
「……クリフっ!」
悪夢を見た。自分が、夜一人でいると、後ろから突き落とされて、どこまでもどこまでも暗闇の中へ落ちていく夢を。
「大丈夫ですよ、アリス様。俺はここにいます」
ベッドでもがき無我夢中で叫んだ言葉に、すぐ横で反応してくれた人物がいた。
「……クリフ。……クリフっ」
「…悪夢でもみたんですか?ご安心ください、俺はもうアリス様の傍を離れたりしません」
「……ほんと、に?」
「ええ。……今晩のことは、俺の軽率でした。夜風に当たりたいと言い出した貴女を、一人にしてしまったこと」
「……」
思い出したくもない、冷たくて暗い海。もがいてももがいても、沈んでいく身体。
「……あの場に彼らがいたのは不幸中の幸いでした。……再度お聞きしてなんですが、犯人じゃ…ないんですね?」
「…ええ。私を突き落としたの、黒いフードに、目、赤く光ってた」
「目が赤い…ですかぁ。またまた人外な予感がしますね」
忘れたくても忘れられないあの忌まわしい光。落ちていく自分の身体。……そしてそれをすくい上げてくれた――。
「――一つだけ」
「ん?なんでしょう?」
「『ソランさま』と」
「……ソラン」
「そう。あの白いの、そう叫んでた」
「…………なるほどね」
クリフォードは自分の記憶を探る限り、何が起きているかだいたい把握したようだった。彼はなんだかんだいって頭がキレるのだ。
「…報告はあと。私、寝るわ」
「ええ。起きるまで俺、ずっとここにいますから、どうかご安心を」
主がまた寝床についたのを確認すると、一人で何もない天井を見上げて、クリフォードは笑みを浮かべた。
「剣姫――ソラン・ベランテラン。こりゃあまた大物が乗ってきたな。…さて、これが吉と出るか凶と出るか」
そう言って、手にしたコインをなんとなく、空中に飛ばしてみるのだった。