偽女王編 2章
「ソラン様、ご準備は宜しいでしょうか」
「う、うん」
ドア越しに消え入りそうな彼女の声を聞いて、ヨベルは静かに更衣室へと入る。
そこにはメイド達によって綺麗に仕上げられた青いドレスを身に纏って、頬を赤らめている少女が立っていた。
そのあまりにも美しい姿に、ヨベルは言葉が出なかった。心臓がまた大きく鼓動しだしたのを感じる。
「やっぱり、変だよね…私が、着ちゃうと」
「いいえ!」
そう答えるヨベルの声は、少し裏返っていて。びっくりしたソランは顔を上げると、二人の目が合った。
「その……とてもよく似合っております」
そう答えられると、ソランは少し嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。ヨベルが選んでくれたんでしょう?すごく動きやすいし、体に合ってる。装飾品も全てそう」
「そんな、恐縮です」
今回の旅の衣装は全て、ヨベルがコーディネートしたものである。彼はソランの体のラインをしっかりと見極めており、それに合ったドレス、そして彼女がまた裾を踏んで転ばないような動きやすいものを選んでいる。
――彼女の美しさに相応しいものを。そう考えて選んだものを実際に着てもらうのは、彼にとってはとても幸福なことであった。
「……それじゃあ、行こうか」
「――はい」
ヨベルは手を差し伸べ、エスコートを始める。ここ数日の練習で多少慣れたソランは、その手を取ると、あとは全て彼に委ねた。
*
ブーーーッ
大きな笛の音が、辺り一帯に響く。
先に馬車にて港へ辿り着いていたソラン一行であったが、巨大船の迫力に思わず目を疑っている。
「カルデリアが保有する最大級の船をも、3倍は上回る大きさです」
「…そうね」
決して小さくはないカルデリア一の貿易港の賑やかな雰囲気にも、似合わぬほどの漆黒の大船。何人もの船員が降り何本ものロープでやっと固定したその船から、煌びやか衣装を着た案内人が降りてくる。
「――私達も参りましょうか、女王様」
「…ええ」
ヨベルに手を引かれ、促されるままに船へと近づいていく。
案内人は船から降りると、こちらの姿を確認し、初めて厳粛な雰囲気の中で声が響く。
「カルデリア王国が女王、ウンリア=ベランテラン様とお見受けする!」
その声を受け、ヨベルが立ち止まり、ソランの手を静かに離し、後ろへ一歩下がる。その合図を読み取り、彼女はドレスを両手で少し持ち上げ軽く礼をすると、堂々と答える。
「お初にお目にかかります、カルデリア王国が女王、ウンリア=ベランテランです。この度は、ご招待いただき、ありがとうございました」
すると一歩下がっていたヨベルが、今度は確かな足取りで彼女の前へと進み出て、片手を胸に当てると逆側の膝をつき頭を下げる。
「カルデリア王家親衛隊隊長、ヨベル=ベズニードルと申します。この度はウンリア様の護衛を務めさせていただきますゆえ、不躾ながら、ご同行をお許しいただければ幸いです」
「ほう。親衛隊隊長と来たか。招待しているのはお二方だから、長らく女王の側近である者を同行者とするのは、確かに妥当な人選ですね。いいでしょう――ただし」
案内人は眼を鋭くして口角を持ち上げると、言葉を続けた。
「護衛はこちらが用意するとお知らせしたはずです。現にこの船はどんな攻撃にも対応できるほど、多くの兵士がおります。ゆえにそちらでの護衛役は不必要です。その腰に刺さっている武器、ここに置いて行ってもらいます」
とんでもない要求に、ヨベルは眉をひそめた。
「…それは、本気でおっしゃっているのですか」
「ええ、勿論。パーティという華やかな場に似つかわしくありませんからね。断るようであればパーティは辞退するとお見受けしますが」
「――かしこまりました」
それだけ言うと、表情を変えずにヨベルは腰にかかる自分の愛剣を外し、後方を一見する。
その意図を読み取った、ここまでの護衛が一人、進み出た。ヨベルがその兵に愛剣を渡すと、彼は不屈そうな表情をした。
「ヨベル様、本気なのですか。こんな要求を呑むなんて――」
「下がってください」
「――承知しました」
小声で訴えた部下を一瞥すると、ヨベルは案内人に向き直る。
「これでいいでしょう」
「ええ、貴方は賢い。大変良い判断を下しましたね。…それではご案内しましょう。あなた方にとっては、新大陸への旅へ」
それだけ言って案内人は身を翻し船へと戻ろうとする。二人ほどの侍女がソランへ歩み寄り、一礼するが、それをヨベルが制する
「ウンリア様のお世話は全て私が致しますゆえ、侍女は不要です」
困惑した二人を置いて、ヨベルはソランに手を差し伸べる。
「では、行きましょうか、ウンリア様」
「…ええ」
彼らは静かに、見知らぬ漆黒の船へと続く板を踏む。
*
海風というものは、思ったよりも強く、荒く髪を乱すものだった。
見渡す限りの海、藍…。水平線がどこまでつづき、沈みかけの太陽が煌びやかに海の上を踊る。
「――ウンリア様」
「……」
「ウンリア様!」
「!……あ、ああ…ヨベルか」
ボーっと海を眺めていたソランは、慣れない呼び名に慌てて振り向いた。
「……ずっと甲板にいらしては、お身体に障ります。どうかお戻りを」
「気にするな、私はこれくらいでは――」
「ウンリア様」
「……そう、だったね」
できるだけウンリア…元いい女王らしく、というのが今回の潜入におけるソランの責務なのだと思い出し、少女は少し困り気に笑う。
「……ねぇ」
すぐにでも案内するつもりでいたヨベルを、ふとソランは呼び止めた。
「いかがなさいましたか」
彼女は俯いたように、海を見つめる。
「……私って、そんなに女らしくないのかな」
「っ!……な、なにをおっしゃいますか…」
想定外の質問だったらしく、ヨベルは言葉に詰まる。周囲に目をやるが、殆どの乗客乗員は船内にいるらしく、周りには誰もいる気配がしなかった。
「……困ります、ウンリア様」
念のため、呼び名は女王のまま変えることはしない。しかし随分と彼も、肩の荷が下りたように、ソランに対して普段の接し方になる。
「ごめん、変なこと聞いて。分かってたの、私が…淑女を演じるなんて、凄く難しいことだって。それでもなんていうか…」
「ウンリア…様?」
ソランは海を見つめたまま、ヨベルのほうを振り向かなかった。沈みゆく太陽の、光の粒を浴びる彼女は眩しくて……。そして、寂しそうだった。
「女なのに、女らしくないってはっきり言われちゃうと、やっぱり……」
――傷つく。
そう言いたかったのに、彼女は言葉を飲み込んだ。だって、彼女はどこかで、誰よりも強くならなくてはと信じていたから。だから弱音なんて吐いてはいけないし、女らしく……なくたって……。
本音を飲み込む寸前に、彼女は背中に大きなぬくもりを感じた。
「――綺麗です」
それはヨベルの体温だった。海を見つめるソランを、後ろから抱くように手を回したのだ。彼の右手はソランの右手を軽く握り、左手は彼女の腰に触れていた。
「よ、ヨベル…?」
「貴女は誰よりも、どんな女性よりも、……綺麗なんです」
「………っ」
ヨベルは、いつになく強い輝きを持った銀の瞳で、水平線の彼方を見つめていた。そんな彼の顔を見上げ……ああ、彼は自分よりも背が高かったんだって、自分の身体を簡単に包み込めるんだって、今更そんなことに気づく。
「大丈夫です、貴女は、貴女のままでいいんです。私を受け入れてくれた、私を認めてくださった貴女のままで…。誰がなんと言おうと……貴女は世界で一番、素敵な女性なんです」
「……よ、ベル…っ」
耳元で囁かれるその声に、思わず頬に朱が走る。耐えられそうにないくらい、今の体勢が恥ずかしいのに、どうしてか彼を振り払えない、振り払いたくない気持ちが交わる。
前を向いていた銀の瞳がふと彼女のほうにそれ、そして彼女の赤く染まった顔を見て…。
「!……も、申し訳ございませんっ!」
右手と左半身に彼女の体温が十分に伝わってくる。我に返ったように、ヨベルは自分が今とっている体勢を自分の目で確認し、急に慌て始める。
「あ、あの…!も、申し訳ございません!!」
すぐに彼女から身を離し、手を離し、1m以上の間隔をとって謝罪を続ける。
「いや、その…大丈夫…、というか……」
大丈夫だと言いたいために、何気なくヨベルに手を伸ばすソランだが、それに対しさらに彼は一歩下がり、今更ぶり返した恥ずかしさに頬の白い肌を赤く染める。
「わ、忘れてください!……仕えている主君に、意味もなく身を寄せるなんて…。申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げるこの不器用な従者に、ソランは思わず笑ってしまった。
「はは…っ、ふ…っ」
「ソ………、ウンリア様」
「ううん、ごめんね。………ありがとう」
「……え?」
「私のこと……綺麗だって言ってくれて」
「あ…っ。え…!?」
更に赤くなり慌てる彼を見て、無意識でさっきは言っていたんだとソランは理解した。
「それは、その…」
「その、なに?」
「っ……!」
弁明しようとするヨベルは思わず息を吞んだ。言葉が言葉だけに、否定なんてすることはできなくて、忘れてなんて言うのは失礼極まりなくて…。何も言えなかったのだ。
「ふふ…っ、貴方ってほんとに、不器用な人」
「…なんですか、それは」
「ううん、私は貴方のそういうところ、結構好きだよ」
「!……っ」
その一言だけで、彼の全身は熱くなった。なんだが嬉しいような、恥ずかしいような、そしてちょっぴりだけ、苦しい気持ちになる。この時はまだ、彼はこの気持ちの名前を知らなかったのだ。
「お話し中失礼します」
そして、横からの声によって場に緊張が走ることとなる。
「――はい」
ぎこちなく返事をしたソランが目を向けると、そこには正装を違和感なく着こなした紳士的な男と、彼の横に綺麗な縦ロールヘアーをした小さな娘が立っていた。
「カルデリア王国からご乗船なされました、ウンリア=ベランテラン様とお見受けいたします」
「間違いありません、こちらの方がウンリア=ベランテラン様です。それで、貴方方は」
ソランが答えるよりも先にヨベルが話をくみ、彼女は内心ホッとした。
「おっとこれは失礼。俺達はアカデアイ大陸よりも西側に位置している、ルーデラン王国より参りました。こちらはルーデラン第三代女王アリス様、そして俺が護衛隊長のクリフォード」
「初めまして。カルデリア王家親衛隊隊長、ヨベル=ベズニードルと申します。ルーデラン王国は造船業での有名な島国でしたね。我が国も数隻程度ですが、貴国の船を仕入させて頂いております」
正直、ソランはルーデランという国も造船業のことも全く知らなかったが、どうやらヨベルの知識は漏れがなさそうだ。
「おやおや、ご存知でしたか。カルデリア王国とはあまり国交がありませんでしたからね。それがこんな場所で、両国のトップがお会いするなんて」
男が軽く娘――女王アリスのほうを見ると、彼女はむっとした表情を変えずに男の腰に抱き着いて彼の後ろに隠れた。見た目的に十三、四の少女だろうか。幼いのによく女王を勤めているのだなとソランは感心していた。
「すいませんね、何しろ人見知りな女王様で」
「うるさい。クリフ、早く要件を」
「はいはい」
襟を正し男――クリフォードはヨベルに向き直る。
「ご用件とは、どのようなものでしょうか」
「その…いきなりで悪いんですけど。…お手合わせ、願えませんかね、ヨベル様」
「……え?」
「模擬戦よ、それくらいも分からないの?」
困ったように切り出したクリフォードとは対照的に、アリスは人を見下したような口調で冷たく言い放つ。
「その…私と、ですか?」
「そりゃ、そっちのお姫様とやるわけにもいかないでしょう」
「そう…ですね」
ヨベルとソランは一度目を合わせた。元より、何かが起こった場合の戦闘要員として選ばれたのがソランだったからだ。しかしあくまで彼女は女王役。…王族が剣を振るうのは、緊急時だけにするべきだろう。
「分かりました、お手合せ程度でしたら、私は構いません。…宜しいでしょうか、ウンリア様」
ヨベルは常に、自分で話を進めてから自然の流れでソランに許可だけ頂くようにしている。それが王族としての経験が足りない彼女にとって、一番受け答えが楽だからだ。
「…うん、分かった」
この時、二人とも「らしく」振る舞うことに精一杯で、深いことは考えていなかったのだ。
「……手合せ程度…ねぇ……」
ついには、小さく呟いたクリフォードの一言は誰の耳にも入ることはなかった。
*
日が沈んですぐの頃、オレンジ残す西の空と闇夜を運ぶ蒼が押し合う中、中央甲板にて護衛隊長同士の手合せが行われることになった。
この僅かな時間に情報を嗅ぎ付けたのか、同じ船に乗り合わせた他の国の乗客もちらほら、見物客として船内から出てきた。
「おい、ルーデランのとこの従者、また勝負を挑んでいるぞ」
「強そうな人片っ端から手合せ申し込んでいるんでしょう?」
どうも、自分達がこの船に乗る前から、彼らはこうして手合せしていたらしいと、見物客の中に紛れたソランは知った。
「今度は相手の人、大怪我しなければいいんだけど…」
「…!」
物騒な言葉が聞こえて、ソランは身体を強張らせた。
その人に詳しいことを聞きたかったが、その前にクリフォードの大きな声が海上に響き渡った。
「いいですか、この船上は武器厳禁ですから手合せで使用するのは小舟用のオールだけです。これで殴る分には問題なし。寸止めなどは一切不要。勝ち負けはどちらかが降伏するまでとしましょう」
ヨベルはクリフォードから渡されたオールを振ってみる。重さ、長さは剣とさほど変わらないが、しなる上、衝撃に弱そうだ。本気で殴られても痛そうではあるが怪我をするほどではないと見て、息をついた。
「大丈夫です。宜しくお願いします」
「……本気で来てくださいね?」
「?……はい」
スペースは甲板中央の10m四方程度、周囲にはそれぞれ階段があり、見物客はそれを上がった少し高いところから手すりを隔ててこの手合せを見ている。無論、アリスとソランもそうだ。
「両者共に用意、――始め」
アリスの不機嫌な声と共に始まった試合。不安な気持ちを抱いたまま見ることになってしまったソランだったが…。
――それは早くも的中してしまった。
ズッ
クリフォードが開始の合図と同時に力強く踏み込んだ。元々狭い甲板で距離をとっていなかった二人は一気にお互いの間合いに入り――そして彼は斬りと見せかけたオールを持ち替え――。
「ガッ――!?」
反応が追い付かなかったヨベルの腹を――突いた。
その一撃は非常に強力で、周囲に突風を起こし、彼を体ごと吹き飛ばした。
ドズン――ッ
そのまま船内とを隔てる木造の板に衝突し、それを数枚割ってしまう。周囲に埃が舞う。そして埃の中、ヨベルは全身が震えるほどの殺気を感じた。
カン――ッ
木と木が激しくぶつかり合う。手に異常なほどの力がかかる。折れそうなくらいにしなるオール。クリフォードの追撃をヨベルが辛うじて防いだのだ。
「2撃目でやっと反応してくれましたね」
「く…っ!」
ヨベルが力を籠めると、クリフォードは飛びのいて距離を取った。
「はぁ……ぁ……ゲホッ、ゲホッ」
オールを支えに立ち上がると、口の中が鉄の味で充満した。内臓をやられたのだろうか…、いや、この痛みからすると、骨の1、2本折れていても不思議ではない。
「ヨベル…っ!」
頭上から響いた声に、僅かに見上げると、ソランが綺麗な顔立ちを歪ませていた。辛そうな表情と、今でもそこから飛び降りるくらいに乗り出した細い身体…。
――情けないと、思った。
「ヨベル、無理はやめ…」
「――ウンリア様、どうかそこで、見ていてください」
「………え」
オールを握る手に力を込めた。私は王家親衛隊隊長なのだ、そんなに、そんなに弱いはずがない。弱いなんてありえない。
「クリフォード様、続きをお願いします」
「……いいですよ、貴殿が降伏するまで、付き合ってあげましょう」
そうして彼は、また力強く踏み込んだ――。




