偽女王編 1章
「皇帝就任パーティ?」
煌びやかなであれども、どこか落ち着いた雰囲気のある王宮の一室。現女王の実姉に当たる彼女――ソラン=ベランテランは、その端麗な顔立ちを少しだけ歪ませた。
「うん。招かれているのは各国の最高権力者とその従者1名のみ」
そう答えるのはカルデリアの王家親衛隊副隊長、兼参謀でもある美青年、ドライアルであった。
「新大陸に、二人だけで?」
「迎えの船と護衛はダヌ帝国が用意してくれるみたいだからね」
「ふざけてるのか」
航海図が置かれている机を叩き、ソランは声を上げた。
「そんな、味方の一人もいない見知らぬ大陸に、妹だけ送れと」
「ええ、簡単に言えばそれが向こうの要求ですね」
「断る」
これ以上の話し合いは無駄だと判断したソランは、背を向けて部屋を出ようとする。その後ろでドライアルが微かな笑みを浮かべていたことは知らずに。
ガチャ
両開きの美しい彫刻が施されたドアを一気に開けると、そこには、廊下から漏れてくる太陽の光を背に受け、真剣で美しい眼差しでソランを見つめる――この国の女王、ウンリア=ベランテランが居た。
「……ソラン、私、行くわ」
「……やめてくれ。こんなパーティは絶対におかしい。どう見ても何かを企らんでる」
「でも――」
「『欠席した場合、わが国を敵視しているとお見受けし、直ちに戦争を始める準備をいたします』」
言葉と一緒に優雅な足音を立てながら、後ろからドライアルが歩み寄る。
「……お前の企みか。彼女に全てを聞かせたのは」
「さあ?たまたま彼女が通りかかって、ドアの前で盗み聞きをしただけでは?」
「一体何がしたいんだドライアル。こんな、断れない招待状を持ち出して、私達に見せびらかして」
気が付けば、ソランは感情任せにドライアルの胸倉に掴み掛った。背はドライアルの方が勝るため、彼女には見上げられる形になるが、それでも彼女の逸らさない瞳と怒りは間近で見れば迫力的であった。
「ソラン、やめて!」
ウンリアが止めにかかるが、それをドライアル自身が制する。
「いいんですよ、女王さん。……僕が何をしたいか、だったかな?」
「…ああ」
何一つ臆せずに、彼は話す。
「罠にかかりに行きたいんだよ、自分から」
「……は?」
ドライアルは彼女ににらまれても、余裕そうに微笑んでいた。ソランはこの顔を知っている。彼が何か企みを思いついた時のものだ。
「ダヌ帝国が何かを企んでいるのは明らかだけどね、分からないんだ。海の向こうの大陸だからね、僕の情報網じゃ拾いきれない。だから、実際に行かないと。このままこの国に留まっていても、何も掴めないんだ。仮に戦争することにしたって、もう少し情報が欲しいんだよ」
「……だからって、わざわざ自分の国の女王を餌食にしなくたって……」
「おや?誰が女王さんを送り込むと言っていたのかな?」
ここに来て、ドライアルは意外なことを言った。
「…?じゃあ、誰を…?」
「……君だよ、ソランさん」
*
「ソラン様!」
勢いよく開かれたドアの音とともに、ピアノの優雅なメロディが流れている部屋へ、その声は響き渡った。
「ヨベル?」
部屋の中央で男と手を取り合っていた彼女は、突然の訪問者に気を一瞬とられ、そして。
グギッ
「うわぁ!?」
「あ…!」
男が足を踏まれた痛みに声を上げると、そのまま二人でこけて床につく。彼女が着ているドレスに周囲の埃が舞い上げられる。
「おっほん。ヨベル、入ってくる時はノックしてくださいませんか?」
倒れている男女の横で、指導員らしき少し堅苦しい女性――マリアが口を開く。
「も、申し訳ございません。…王家親衛隊隊長ヨベル=ベズニードル、只今戻りました」
戻る、というのは、彼は国交のために国をしばらく離れていたからである。
「…おかえりなさい」
絨毯から上半身だけを起こして、ドレスの埃を軽く叩くと、セットされた髪をボサボサにした彼女――ソランは苦笑いした。
「あの…これは一体?」
仮にも王族たるものがこのような惨状になっている。純粋なヨベルの疑問に、マリアがため息をついた。
「見ての通り、社交ダンスの練習よ」
「…それは、ウンリア様になりきるための」
「ええ。女王がダンスもできないなんて聞いたことがないわ」
「……やはり、ドライアルの言ってた通り、行かれるのですね、ソラン様」
ヨベルはソランに手を差し伸べて、彼女の体を起こそうとする。が、彼女は起き上がる際に派手にドレスの裾を踏んでしまう。
「わっ…!?」
思わずまた転びそうになるのを、ヨベルは懐で受け止める。
「落ち着いてください、まだドレスに慣れていないんですね」
「……ありがとう」
悔しいのか、恥じているのか、はたまたはその両方からなのか、少し頬を染めている彼女からは、“剣姫”とまで謳われた強さは全く感じられなかった。
「…無茶はしないでくださいね。貴女だって本当は、守られるべき王族なんです。本当は行かせたくはないのですが…」
「…でも、行かなくちゃ。私が行かなければウンリアが。どちらも行かなければこの国がやられてしまう」
ソランは少しだけ微笑んでそう答えた。強い意志だけれども、どこかに自信のなさが隠れているようにも見えたが、ヨベルはこの直後にその理由を知ることになる。
「行けません」
威厳のある声が、部屋の中に響き渡る。振り向くと、そこに立っているのはマリアだった。
「!…どうして」
ソランの声は単純な疑問ではなく、焦りが混じっていた。彼女は聡明な方だから、自分でもそのわけをなんとなく察しているのだろう。
「無理です。貴女のこの破滅的なダンスのセンス、礼儀の欠如、作法の知らなさでパーティに出るなんて万に一もありえません」
「ま、マリア様、そこまで言わなくとも…!」
息をのんだソランの前に、とっさに庇うように進み出たのはヨベルだった。
「いいえ、今回ばかりは言わせていただきます。貴女には王族でいられる資格なんてありません。王族らしいことをしたことが一度でもありますか?ドレスを着たのが初めてなんですって?」
「待ってください。それは彼女が、自分が王族だと知らずに育ったからで…」
「いいえ。同じ境遇だったウンリア様は今では立派な淑女です。ダンスの稽古も音楽も作法も努力して学ばれました。それに比べて貴女はどうなんです。ドレスなんて着ずに、毎日戦闘服を身にまとって、殆ど王宮にはおらず街へ街へと繰り出して、傭兵の真似事など」
「ですが、彼女はこの国を…この国をちゃんと守ってくださっているじゃないですか!」
そう言葉にしたのは、彼女を否定されたくなかったから。傷ついてほしくなかっただけなのに。
「それは元々貴方の仕事でしょ、ヨベル」
「!――っ」
自分の言葉が、マリアの言葉と合わさって、深く心に刺さる。それ以上、ヨベルは反論できなかった。
暫くの沈黙が訪れる。さっきから彼らのやり取りを見てきた、ダンスの相方とピアノの奏者はお互いを見て、自分たちが口出しできる問題ではないと、息をのんで見守った。
沈黙を打ち破ったのは、ソランの震えた声だった。
「降りるよ」
「…ソラン様?」
振り向くと、彼女は辛そうで、寂しい目をしていた。
「もう迎えの船が来るまで3日しかないんだ。それまでには…絶対に間に合わない。マリアの言う通りなんだ。私に女王なんて、元々無理だったんだ。行ってすぐにばれれば、何も収穫はないばかりか、行かない以上に国同士の関係は悪くなる」
ソランは誰とも目を合わせることなく、俯いて、そのまま部屋を出ようと門へ歩みだす。
「ソラン様、どこへ…?」
「ドライアルに全部素直に話すよ。この策は無理だ。代案を考えるか…はたまた全て諦めて軍の強化に踏み切るか…。もう時間はないが、このままダンスホールで無駄な練習をするよりはマシだ」
彼女は戦いにおいてもそれ以外においても、勝算を見極めることが得意なはずだ。だから、勝算がないと知れば、全てを諦め投げ出してしまう。まるで自虐をするかのように言葉を綴る彼女を、ヨベルはもうそれ以上見ていられなかった。
(私に力がないのはこの際いいんだ、もう。けれども彼女は、違う)
「待ってくださいっ!」
力強く、彼女の手を掴んだ。驚いて振り向いた彼女の瞳には微かに潤んでいた。
「……マリア様。お願いです。もう一度、彼女にチャンスを与えてください」
「ちょ、ヨベル…!?」
「お願いです」
マリアは少し考えて、小さくため息をついて答える。
「分かりました。最後にもう一度、ソラン様が女王になりきれるか判断します。相方さん、準備をお願いします」
「あ、…は、はい」
マリアの目線を受けて、ソランのダンスの相手をしてきた男は襟を正した。
「あの」
まるで踊り場へ進み出ようとする男を遮るように、ヨベルはさらに呼びかけた。
「まだ何か?」
「ソラン様の相方は、私にやらせていただけませんでしょうか」
その言葉を聞いて、マリアは少しだけ驚いて、選別するような眼を彼に向ける。王家親衛隊隊長という役職についていながらも、その剣技はソランに遠く及ばずとも、彼がこの役職に就くために覚えた作法から文学、音楽、歴史、ダンスなどの知識は確かなのだ。
「ええ、いいでしょう」
マリアは小さく微笑んだ。まるで、この展開を最初から望んでいたかのように。
「…行きましょう、ソラン様」
ヨベルはソランの手を引いて、部屋の中央へと誘導しようとする。
「よ、ヨベル…待って。私、全然リズムとかつかめなくて。動きとか、覚えられなくて。足とか、踏むから…!」
「大丈夫ですよ、ソラン様」
ヨベルはいつになく強気で彼女に向き合う。
「貴女はそういうことに向いていないんです。だから、貴女が得意としている分野に持ち込んでください」
「得意としている、分野…?」
「ええ。…音楽をお願いします」
片手で彼女の手を、もう一方の手を彼女の腰に回すと、ピアノ奏者へ向けて合図を飛ばす。
「ちょ、待って!その曲、まだ覚えて――」
「忘れてください」
「え?」
始まったピアノに合わせて、ヨベルはゆっくりとソランの手を引く。
「音楽を忘れて、動きを忘れて、私だけを見てください。私を信じて、体を委ねてください」
「ヨベ…ル?」
ヨベルに引かれるがままに、彼女は一歩進み、また一歩下がることを繰り返す。
「ここはダンスホールではありません。戦場だと思ってください。背中を私に預けた感覚でいてください。貴女にとってはそのほうが分かりやすいはずです。私の全身の動きが、手に取るように」
「…ああ」
彼の銀色の瞳しか見ていなくとも、彼のつま先までの動きが、磨かれた全身の感覚に伝わってくる。
「その調子です。私の動きに合わせてください。ソラン様ならわかるはずです。私の戦い方が、その隙間を埋める貴女自身の戦い方が」
曲は、まだ習っていないところまで進んでいた。けれども目を閉じると、ソランにははっきりと、自分が創造すべき動きが見えた。
「貴女なら全ての動きを一から創れる。音楽にも記憶にも頼らずに、貴女自身の直感と私だけを信じてください。曲の最後まで誘導します」
「…分かった」
曲調が変わり、全く未知なる世界へ入り込んだ。それでも手先から伝わるヨベルの微妙な調整まで研ぎ澄まされた動きは、ソランをいつになく魅了した。
この押しは、ああ、私に倒れてほしいのだと、そう思い後ろへ倒れこむと、確かに腰を支えてくれるもう片方の腕があって――。
そんなことを何度も何度も繰り返すうちに、曲はクライマックスへ進んでいた。
「……ねぇヨベル」
「はい?」
「貴方と踊るのが、こんなにも楽しいとは思わなかった」
ピアノの鍵盤が激しくたたかれると同時に、ヨベルは自分の心臓が一つ大きく唸ったのを感じた。
その一言で、自分の乾ききった心の隅々までもが潤うような、幸福な気持ちに陥る。
「……光栄、で…す」
この幸福感を表すのに適した言葉が見つかるはずもなく、ヨベルは返事をするだけで精一杯であった。
この気持ちの名前を彼はまだ知らない。
曲はラストに差し掛かる。高潮した気持ちのまま、ヨベルはソランの手を引いて、後ろへ倒れさせ、その身体をもう片方の手で大切に抱きしめる。――腕を高く上げた彼女と相まって、見事な決めの姿勢であった。
次の瞬間、拍手が沸いた。
部屋にいたダンスの元相手とピアノ奏者だけでなく、いつの間にか観客は増えていた。メイド、執事、護衛の兵士など…近くにいたであろう数十人は集まっていた。
そして曲が始まる前と同じ位置に、マリアは居た。
「……まぁ、合格ね」
マリアの審査は決して甘くはない。何といっても王宮一の教育係なのだから。その彼女が合格サインを出すということは、かなり信頼できるダンスだったのだ。
「うん、やっぱり僕の人選が良かったね」
観客の後ろ側から聞こえるのは、陽気なドライアルの声だった。
「人選、ですか…?」
きょとんとしているヨベルを無視して、ドライアルは続ける。
「挨拶から食事からダンスまで、全て隊長さんに誘導してもらえば、出来る気はするだろう?」
その問いに今度驚きを隠せなかったのはソランだった。
「…まさか、同行者は、ヨベルなのか…?」
「勿論」
「私はお前が来るのだとばかり」
「ダヌ帝国に興味があるし、そうしたいのはやまやまなんだけどね。僕がこの国を離れるわけにはいかないんだ。操らなければならない人形が五万といる。糸の主を失えば、人形ちゃんがいつ主の居ない席を奪うのか、分かったものではないからね」
ドライアルは主に、カルデリアの裏から糸を引く役割だ。ソランやヨベルなど、この国のトップクラスの戦闘要員がいなくなっても、彼がいる限りこの国は安泰でいられる。人をおもちゃだと思って楽しんでいるこんな彼でも、ソランやウンリアが一目を置いているにはきちんと訳がある。
「待ってください。ドライアル、貴方は今、私が同行者だと」
ヨベルが納得できない顔をして進み出る。
「うん。だって招かれているのは女王さんとその護衛一人なんだから」
「先程は国の最高責任者一人のみだと…!」
「そうだったかなぁ?覚えてないや。まぁ、そういうことで隊長さん、頼んだよ」
「ドライアル!」
軽い足取りで部屋を去ったドライアルを追いかけようしたが、背中のほうにいる彼女のことが気になって、ヨベルは足を止め振り向いた。
「ソラン様」
「…ごめんなさい、巻き込んでしまって。その…敵陣の中に二人で突っ込むような、危険なことだから――」
「こんな私で良ければ、お供させてください」
「……ヨベル」
「危険なのは承知の上です。ですがそれでも、だからこそ、ソラン様を守るのが私の役目なんです。そのための王家親衛隊なんですから」
ヨベルは静かに、ソランの前で片膝をついて、胸に手を当て忠誠を誓う。
「……ありがとう」
そうして二人の、旅は始まった――。